7月3日6期生玉置ゼミでの学び(名桐)

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 こんにちは。6期生の名桐です。今回のゼミでは、私が教師役となり道徳の授業をしました。道徳の授業の発表順が最後ということもあり、とても緊張しました。また、これまでのゼミ生のみんなのクオリティの高い授業を見た後だったことも、プレッシャーの要因の1つでした。その中でも、今回のゼミで学んだことを以下に述べていきたいと思います。

 1つ目は、子どもは何を意図として発言しているかの見抜きが大切ということです。今までのゼミで、子どもの発言を繋いで授業を作るという技を学びました。子どもの発言の中にあるキーワードを探し抜いて、板書に書いたり聞き直したりするということです。そこで、今回の授業で実践すべく、授業計画をしていたところ、ゴールに向かうキーワードを凄く考えるようになりました。

 「もしキーワードが浅いものだったらどう繋ごう」や、「きちんと伝えたいことを理解しているのか」などの不安要素が浮かび、授業中もドキドキしていました。授業が無事に終わり、自分なりに回想してみたところ、子どもたち(子ども役を演じてくれたゼミ生)の発言の意図を汲み取れていれば、教師が言葉のサポートをゴールに向かうことができると自分なりの考えを持つことができました。それと同時に、臨機応変に対応することの難しさを考えることができたので、改めて準備することの大切さを感じました。

 2つ目は、良くも悪くも丁寧な授業は子どもたちの活躍の場を奪うということです。子どもの考えのヒントになるような発言を引き出しすぎたり、子どもたちの発言をまとめるタイミングを間違えたりすると、子どもたちの考えの幅を広げることが難しくなり、期待する能力の育成が思うようにいかないと思います。特に道徳の授業は、子どもたちの心を育むために、子どもたち自身が主体的に考え意見を持つという所に重きを置かなければなりません。ですから、あまりヒントを与えすぎても返って子どもたちの考えを遮ることになりかねないのです。自分の授業を理解してほしいばかりに、喋りすぎた箇所もあったと自分でも反省しています。そういった授業づくりの面でも新たな学びをすることができました。

 今回のゼミで実際に道徳の授業をしてみて、準備が物凄く大切だなと感じました。国語とは違い、読み取る訳ではなく想像させることが鍵となってきます。そのための指導及び発言・板書計画はきちんと授業に沿った内容にしなければ元も子もありません。しっかりと子どもたちの考えを持たせるために、教師としての最善を尽くしていきたいです。(名桐)
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