12月29日第463・464回授業道場野口塾in野口家に参加して(岡田)

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 こんにちは。10期生の岡田健太朗です。今回は2023年12月29日に行われた第463・464回授業道場野口塾に参加して学び得たことについて記事にしていきます。

 野口先生の大変貴重なお話を拝聴することができ、教師としてとても大切なことを学ぶことができた1日になりました。

 午前第一講座は、野口先生による谷川俊太郎作「なくぞ」の授業を受けさせていただきました。以前読ませていただいた野口先生の「全員参加の授業作法」という著書にも書かれていたように、「〜さんの発表に対して、〜さんなどのように考えた?」という発問の仕方であったり、発問の内容を詳しく、理解しやすくしたり、子供に「どうしてこのようになっているのか?」という発問をしたりすることで、子供の全員参加の授業を作っていくことができること野口先生の特別授業を通して学ぶことができました。

 また、全員参加の授業を作っていく発問をするためには、発問の順番を工夫することに加え、発問の内容がその内容の「本質」を問う内容になっていることが大切であると学び、発問の難しさと大切さを感じました。私自身も様々なことに対して、「本質」を考えるだけだはなく、普段の模擬授業などで意識をして発問を行っていきたいと思います。

 午前第二講座は野口先生による「教員のいう職業のすばらしさ」というテーマの修養講座でした。この講座の中で「教育は国家百年の計」という言葉を野口先生が紹介されており、小林寅三郎という江戸時代の人のお話や子供には良い方向と悪い方向に無限大の可能性があり、子供は無知であり未熟であり、素直で無邪気であるというお聞きししました。「教育は国家百年の計」という言葉は、教育はすぐに結果が出るものではなくその教育を受けた子供が大人になってから結果として出てくるものであるということを示しており、これらのお話から教育がどれほど大切なものであることを学びました。そこから、教員という仕事は、やりがいがあるだけではなく、名誉のある仕事であることを感じました。

 午前第三講座は玉置先生と野口先生の対談講座でした。ここで一番感銘を受けた言葉がドイツの教育学者のジェステルリッヒの「進みつつある教師のみ、人を教える権利あり。」という言葉です。私は、この「進みつつある教師」の中に教育の「本質」を問うことが入っていると感じました。なぜなら、進みつつあるには教育の自己改善をすることが必要であると考え、自己改善によって、教育の「本質」を問うことにつながっていくと考えたからです。なので、私は、「進みつつある教師のみ、人を教える権利あり。」という言葉の下、普段から自己改善をしながら学ぶという意識をもっていきたいと思います。

 午後第一講座は、野口先生による修養講座でした。修養五則な頭文字をとって、「あほかいな」を学びました。「あほかいな」の「あ」は、「憧れ、師を持つ」ことです。「ほ」は憧れ、師と出会うためには、「本」を読むことが大切です。「か」は「観を磨く」ことです。教育の本質を考えることになります。「い」は、「異から学ぶ」です。自分と異なる人からの学びをとても大切にしようと感じました。「な」は「仲間を選ぶ」ことです。自分の周りにいる仲間同士では学び起きない。だから、選ぶことが必要です。たくさん本を読み、仲間との学び合いも大切にしていきたいと思います。

 今回の講座を受けて、教師になりたいという思いが強くなりました。また、教師として必要な心構えや力をたくさん学び、今後生かしていきたいと思います。大変貴重な学びの場をありがとうございました。(岡田)

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