『国語科授業づくり入門』を読んで

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中学校実習特講で自分の教科の本を読むという宿題が出されていました。

私は堀裕嗣先生の『国語科授業づくり入門』という本を読みました。

第1章の最初のページに「良い国語の授業の条件とは」というメモ欄があり、書き出すように書かれていました。良い国語の授業の条件…なかなか思いつきませんでした。しかし、時間をかけてなんとか書き出すことができました。

そして次のページを読んだ時、私はドキッとしました。そこには「前の頁でメモを取ってみることなく、この頁を読み始めたあなた。…自分の頭で考え、「言語活動」に取り組む癖のない人に、良い国語の授業はつくれません。」とありました。

私はまさに、そのメモを取ってみることなく次のページに進もうとしかけた人でした。今回は自分で選んで買った本ということもあり時間をかけて考えることができましたが、自分で考えようとしないという見直さなければならない点を見つけることができました。

また、この本の中には野口芳宏先生の授業の話も取り上げられていました。野口先生の名前を見つけた時、今まで以上に興味を持って文章を読むことができました。

以前、牧野さんが記事でも書いていたようにこのゼミに入っていなければ知ることもなかった先生かもしれません。今日も改めてこのゼミに入って良かったなと思いました。(渡部)

恩師との思い出 その1

私が教員を目指そうと思ったのは小学校6年生の頃。当時の担任の先生との出会いがきっかけだ。その先生と過ごした1年間にはたくさんの思い出が詰まっているが、その中でも特に印象に残っているものを紹介したい。

その先生は自分がそれまで受けてきた授業とは違い、ディベートを中心とした自分の意見を伝え合う活動や自分の考えをひたすら文章にするという授業を多く行っていた。「30点の内容でも発言してみよう」「内容よりもすばやく書く経験をしていこう」とよく先生が仰っていたのが印象に残っている。あの授業で今の自分に必ず生きている力を身につけさせてもらった。


「まちづくり」をテーマに地元の江南駅や駅周辺の開発について考えた授業では、市民の方にアンケートをしたり実際に自分たちの目で見てきたものを反映させ、何度も話し合いをして一つの提案を作った。駅にはエレベーターやエスカレーターを設置しよう、周辺道路が混雑しないように高架にしようといった多くの意見が出ていたのを覚えている。そして、市長さんを学校に招き学級全員でその提案を発表した。この提案を考えた経緯について最初の3分間を使って私が話したことを今でも鮮明に覚えている。(とてもとても緊張していたからだろう)

その提案からどれだけ時間が経ってからかは分からないが、エレベーターも2機設置され、あの頃よりも確実に便利になっている。「自分たちでもまちを変えられる」先生が仰っていたことが本当に現実になったのだ。忘れられない経験をさせていただいた。


下の写真は80枚に及ぶ学級通信だ。何枚か無くなっているのが残念だが、改めて読み返すと当時は分からなかったことが分かるようになり、先生の思いがすごく伝わってくる。「こんな先生になりたい」小学校の頃にそう思った気持ちがより強くなった。
最初の号と最後の号に書いてあった保護者へのメッセージにも感動した。先生と過ごした1年間が今もこうして自分を動かしてくれている。(松井)
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ゼミのメンバーで

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先日、玉置先生と玉置先生のゼミ生で飲み会をしました‼︎
夏休みが始まってからのみんなの様子をたくさん聞けました( ﹡ˆ ˆ﹡ )
玉置先生からは教育実習の話や七ちゃんののろけ話(笑)など、たくさんお話していただき、有意義な時間を過ごすことができました‼︎
教育実習があと2週間後にせまっている今、不安でいっぱいだけれど、玉置先生がおっしゃっていたように、まずは実習をうけることができる環境に感謝して、一生懸命取り組みたいです。

最後に、玉置先生・中田くんお土産ありがとうございました。
その日のうちにおいしくいただきました(笑)
そして幹事をしてくれたひろくん、本当にありがとう。
玉置先生、ごちそうさまでした。

後期のゼミも楽しみです‼︎(大澤)

集団で動く

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先日、小学校5、6年生を対象にした3泊4日のキャンプに指導者として参加させていただきました。

私はその4日間で、集団を指導する難しさを学ぶことができました。

1人で子ども5人のグループを担当したのですが、山登りなどは全体で行動するため、自分のグループの子ども達の体調やスピードに合わせることはもちろん、他のグループにも合わせて歩いていかなければなりません。担当の子どもだけを見ていると、前のグループとの差が開いてしまいます。

山登りを行なった3日目の反省会でこういう場面ではどうするべきか先生に尋ねたところ、我慢させることが必要だとアドバイスをいただきました。「疲れた」「もう嫌だ」と言う子にはその気持ちを我慢して周りに合わせようとすること、他の子はその子の気持ちを考え自分の早く行きたいと思う気持ちを我慢すること、この思い合いが大切だというのです。

確かに、嫌だ嫌だと言う子も、「頑張れ」と励まし続けることで最後まで山を登りきることができました。これが指導者だけでなく子ども同士で行なえるととてもよい雰囲気になるのではないでしょうか。

学級の担当となったとき、担当する子どもの人数は今回と比にならないくらい多くなると思います。我慢することを強要するのではなく、声かけで子どもが自ら気付けるようにすることが大切なのではないかと思いました。

この4日間でたくさんの自然、たくさんの笑顔に触れることができました。なにより、最初は子ども同士ほとんど話すことのなかったグループの子が、最終日にはみんな仲良くなっていてとても嬉しかったです。

この経験を思い出として残すだけでなく、今後に活かしていきたいです。そして、今、私は筋肉痛と滑ってこけたときにできたたくさんの痣と戦っております。これもまたいい思い出です(笑)。(浦)

授業を受けるプロ

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9月から教育実習。私が教えている塾の生徒にそう伝えると、がんばってねという声よりも今まで接してきた実習生についての感想が多く返ってきた。

「声が小さい実習生の授業は早く終わってほしい」
「板書が見にくいと授業が頭に入らない」
「放課は明るいのに授業になると暗くなる」
「教え方が二転三転していた」

決して彼らは文句を言っているのではない。なぜならば子どもは授業を受けるプロだから。大学での実習特講で玉置先生がそう仰っていたのを思い出し、彼らの発言にしっかりと耳を傾けた。何度も教わり知っているはずのことばかりだが、プロである子どもたちの言葉はより重みがある。私たちはしっかりと見られ、子どもたちに評価されているのだ。

たくさんのプロが授業を受けている!
その事実を再認識することができた。


「先生はいつも通りやれば大丈夫だよ」

生徒が言ってくれた言葉だが、こんなに勇気の出る言葉はない。プロにかけてもらったその言葉を信じ、全力でがんばってこようと思う。(松井)

野口芳宏先生の本を読んで

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中学校実習特講で、自分の教科の本を読む、という宿題が出されたこともあり、私は10冊借りる時に、野口芳宏先生の本を借りようと決めていました。

以前から、玉置先生から話を聞いていましたが、実際に野口先生の本を読んだことがまだなかったからです。

この本には、野口先生がどのような先生方と出会い、どのような経験をされ、どのようなことを学んだのか、書かれています。また、その文章は、分かりやすく、また正直で、自分の考えがしっかりと述べられていて、なんだか野口先生の人柄までも垣間見ることができたようか気がします。

その中で、特に心に残った点は、教材研究についてです。野口先生は、教材研究についてこのように述べています。

まず、授業研究は3つの研究で成り立っている。
素材研究が50%→読者としての研究(何を読み取るか)
教材研究が30%→教師としての研究(何を教えるか)
指導法研究が20%→授業者としての研究(どう教えるか)

私はこの成り立ちを見て、ハッとしました。もうすぐ小学校実習を控え、授業を実際にするという不安ばかりが大きくなっていたが、その不安を気づかぬふりをして、何にも努力をしていなかったことを、思い知らされました。

同時に、成り立ちの半分も占めている素材研究なら、今の私でも十分に取り組めるのではないかと、気づきました。教師や授業者としての研究はまだまだ不十分な点は多いけれど、読者としての研究ならできると思ったのです。

実習に向けて、やるべきことが一つ見つかりました。野口先生の本を読んで、実習に対して前向きになれたように思います。(牧野)

こんな教師になれたら

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有田先生の本の中で何度か出会った話。

いい話なので皆さんに紹介。知っている方もおられると思いますが。

「お釈迦さまの指」

お釈迦さまが、天から人間の世界を見ていると、一人の男が荷車を引いて歩いているのが見えた。

汗をふきふき荷車を引いているうちに、ぬかるみにはまってしまった。さあ、困った。男は一生懸命、引いたり、押したりするが、荷車はびくともしない。男は仕方なく、道の横に座って、誰か人が通りかかるのを待つことにした。

ところが、運悪く、いくら待っても誰一人通らない。早く行かないと、日が暮れてしまう。男は焦った。他人に助けてもらおうと思ってもだめだ、自分の力で何とかしなくちゃと、男は思った。

お釈迦さまは、男が人に頼らず、自分の力で何とかぬかるみから荷車を引き出そうと決心したのを知ると、見えない指で、荷車をちょっと押してあげた。

すると荷車は、何事もなかったように、カラカラと音を立てて動き出した。男は、お釈迦さまが押してくれたなど全く気がつかない。自分の力で引き出したと思っている。

もし、お釈迦さまが、「わたしが押してあげたのですよ」と言えば、男はお礼を言うだろう。しかし、男は次にこういう困ったことが起きた時、「お釈迦さまが助けてくれるのではないか」と、他人に頼る心がおきるだろう。だからこそ、お釈迦さまは、黙って、見えない指で押してあげたのである。

教師と児童・生徒に当てはめてみてください。(中田昂)

学校と先生の存在

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前期最後のゼミは玉置先生による道徳の授業だった。
「心に汗を」をテーマにした、いのちの授業。
中身の濃い50分があっという間に過ぎた。

道徳の授業の中でも◯つけ法や小刻みなノート作業の原則が組み込まれており、内容とともに前期最後にふさわしい授業を受けさせてもらうことができた。

授業が終わり、今回題材となったケイコちゃんのお父さんからメッセージをいただいた。その中には「学校と先生の存在が生きる力になる」という言葉があった。
この言葉はこれから教員を目指す私たちにとって改めて考えるべき教員の役割であったと思う。これからの生活で意識していくことはもちろんのこと、そんな存在になれるように、また子どもたちに命の尊さを伝えていくことのできる教員でありたいと強く思った。


忘れられない出会いが1つ増えた節目のゼミ。鈴木中人さん、山田貞二先生、玉置先生、そして12名のゼミ生と集まってくれた他のゼミ生に改めて感謝したいです。ありがとうございました。(松井)

3年生前期最後の...

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今日は2つの「3年生前期最後」があった。

1つ目は、私が受けている教育課程論(中等)の最終回があった。この講義は玉置先生が担当されていて、今日はこれまでの講義の振り返りをした。そもそも教育課程とは何かというところから始まり、具体的な法令や実際に行われた実践から様々なことを学んだ。そこで、特に印象に残っていることがある。それは、キャリア教育についてである。生涯の中で、自分の役割の価値や自分の役割の関係を見いだすことであり、具体的には係活動が生かされていることがわかった。全ての教育の土台となるので、大切にすべきだと感じた。

2つ目は、中学校実習特講の前期分が終了した。この講義も玉置先生が担当されていて、教育実習に必要な知識や心構えを学んでいる。今回は「伝え方」をテーマに授業の原則10か条から、授業づくりの基本を教わった。その中には、ゼミで教えていただいた小刻みなノート作業や〇つけ法、オープンカンニングも登場した。改めて、伝え方が上手であれば、良い授業になることを実感した。中学校実習だけでなく、約1ヶ月後に迫った小学校実習でも応用したい。

もうすぐ夏休みになるが、今まで学んだことを少しでも多く自分のものにするために、これからは自分で振り返る時間を大切にしようと思う。(佐藤)
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