10月22日 日本個性化教育学会に参加して(早川)

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こんにちは。3期生の早川です。
21日(一日目)に引き続き、22日(二日目)の分科会E「学習指導の在り方と、個に応じた指導の充実をめざして」での先生方の発表を聞き、感じたことを正直に書きます。二日目の分科会も一日目同様、先生方の研究の成果の発表から始まりました。3人の先生方それぞれの発表に対して書きます。

◯誰でもどこでもできる自由進度学習(竹内淑子先生)
発表の冒頭から、一斉授業に対して「児童の前でずっと先生が前に立って話すのは疲れる」「児童たちがなにか真剣に取り組んでいる姿をぼんやりと眺めるのが好き」「前で一斉授業をし続けるのに飽きました」などとなかなかインパクトのあることをおっしゃっていたので、第一印象的に受け入れることが出来ませんでした。しかし肝心の内容はというと、児童が興味関心を持つような学習環境を先生側が予め仕組んでおくことで、何から何まで先生が指示を出していかなくても児童は自ら学んでいくようになるということでした。たしかにその場面の児童の写真を見ると、児童はいきいきとした表情で、作業に取り組んでいました。自由進度と聞くと、進度が自由であるがゆえに児童がサボってしまい授業に取り組まなくなるのではないかと考えていましたが、そのような状況の中に人間の弱さがあることを知ることでさえもそのパッケージの中に含まれているそうで、聞けば聞くほど、中学生の頃に一度そのような学習をしてみたかったなという思いが募りました。


◯やってみようそう思ったときこそチャンス(竹内学先生)
竹内学先生の自由進度学習の導入として、体育と保健の分野の融合をなさっていました。体育館の隅に机を運び込みその中で保健の学習を進める生徒がいる一方で、マット運動の技の完成度を高めていくというものでした。1つの授業の中で、体育の実技と保健の二分やを同時進行するなど、当然僕の頭にはありませんでしたが、これも発表を聞けば聞くほど面白いものだなと感じました。何より面白いと思ったのは体育館の中にPC環境が整えられていて、いつでもマット運動の模範演技の映像が見られるということ。そして演技後10秒後にモニターに自分の演技が写り模範映像とどこが違うのか視覚的に自分自身で実感できる環境づくりがなされていたことです。生徒たちはその環境の中で自分で試行錯誤を繰り返し、チェックしてもらおうという自信が持てたものから先生に技を見せにいくようでした。一方でたいていの体育の授業というと、先生がマットの横にいて、「お前、今どこどこがこうなってるかあらこうしてみ」などと生徒にアドバイスをし、また生徒が列に並び直して練習を繰り返すというものだと思いますが、これでは結局自分の動作の何がどうなっているからうまくいかないのか第三者を通してでしか理解をしていないことになってしまっています。子どもたち自らが進んで学べる環境作りというものは、本当に子ども自身の学ぶ側の立場になれる先生でないとできないなと感じました。


◯個が生きるコミュニケーションタイム(小野三夫先生)
今日の発表された先生方の中で一番自分に落ちたのは小野先生の発表でした。どのような授業をしようにもまずはその土台が大事であること、つまり児童生徒にとって学級という場が安心できる場でなければならないということを熱弁されていました。そのような学級を作るには、まず児童生徒と先生が信頼し合える関係を作り上げることを挙げられていました。具体的な方法はと言うと、生活作文を書かせ、その朱書きに「受容」「共感」「賞賛」を欠かさないことだそうです。また、生活作文をスラスラと書くことのできる子ほど自己肯定感が高い子だともおっしゃっていました。その理由として、「これを書いたら、読んだ子はどう思うんだろう・・・」などと周りの目を気にして生活している子ほど自分の考えや思いを書くことが出来ないからだそうです。そこで、習慣的にコミュニケーションタイムを取り入れ、ある話の題材(テーマ)について議論する経験をさせ、ひとりひとり考え方が違って、それこそが良いことなんだということを子どもたちに落としていくことを通して、それぞれに学級への所属意識から来る安心感や存在感が生まれてくる。こお一連の説明を聞いて、自分が目指す学級のお手本の話が聞けたようで、本当に嬉しく思いました。ただ、小野先生は生活作文の朱書きを学級内の全員にするのに数時間をかけていると伺って、これが自分のやり方だという信念がないととても気軽に真似できるようなものではないなと感じました。


◯さいごに・・・
二日間、個性化教育に関していろいろ考えましたが、分科会Eの最後に宮川先生が「学習させる手段がどうであろうと、どの先生方も子どもたちへの願いとねらいは共通している」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりだと感じました。自由進度学習がなかなか普及しないのも、一斉授業しか体験したことのない先生が、極端に食わず嫌いのような状態になっているだけだとも思いました。竹内淑子先生は、学年主任になったときに「パッケージ学習をやります」と半ば強引に取り入れたそうですが、一度それくらいの勢いのある先生に影響されてやってみるのもありなのだろうなと聞いていて思いました。変に毛嫌いすることなく、パッケージ学習と一斉授業のいいとこ取りを単元ごとに織り交ぜながらするのが最善の案のように感じました。どちらが・・・という優劣は二日間とも参加してもわかりませんでしたが、とてもいい学びができた二日間だなと感じています。今後も積極的にこのような学会には参加していきたいと思いました。(早川)

10月21日 日本個性化教育学会に参加して(早川)

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こんにちは。3期生の早川です。
大きな教育関連の大会が自分の大学で行われるということで、積極的に参加しようと思い、実際に本日参加しましたので、まず1日目の感想をその日のうちに綴ります。それぞれの参加項目ごとに分けて書きます。

◯岐聖大附属小学校 第2学年算数科「かけ算」
この授業を参観し、自分の中に強烈なインパクトを残したのは授業内容自体ではなく、児童が発表するときの教室全体の状態でした。挙手をし、先生に指名されて発表をしようとした子は、周りの子が全員自分の方を向いて話を聞いてくれる姿勢づくりができるまで決して話し始めようとはしませんでした。発表を聞く側の子も同様に、発表をする子の方に体を向け、しっかりと考えを受け止める姿勢を作ることが出来ていました。何より、その状態を作るために先生が何も助言をしていないことに驚きました。
また、ブロックを使って掛け算の式を説明しようとする際に、ただただ同じ色のブロックを並べるのではなく、1つ分にあたる部分(かけられる数)だけ異なる色のブロックを使用し、他の子に説明しようとする場面も印象に残った。先生が一方的に説明する授業ではなく、児童が周りに考えを共有していくことで授業を作っていくという言葉が体現されたものを目の前で見ることが出来てとても満足できた。小学校2年生にして自分の考えを相手にわかるように論理立てて説明する技術を身に着けていることに本当に驚かされた。


◯岐聖大附属中学校 第2学年数学科「確率」
「1」が一つ、「2」が二つ「3」が三つの目をしたサイコロを2回振った時の出目の和は2〜6で何が多いのかという問題が主で、その答えを求めるためには試行回数が多ければ多いほど良いということでペアを組ませ、後に集計すると言う流れでした。その集計作業にExcelを使用して画面をホワイトボードへ投影することで、リアルタイムに各ペアからの集計結果を集約することができていた。デジタル教科書や実物投影以外でのICT機器のこのような使い方はみたことがなかったので、是非実習や将来教壇で使用できたらと思いました。


◯基調講演「新学習指導要領の精神と個性化教育」
今年の6月の教育フォーラムに続き、奈須先生の講演は2回目でしたが、ものすごい情報調が一気に飛んで来るので、今回も受け止めるのに必死でした。中でも特に印象に残ったのは、オーセンティックな学習についてです。学習した時の状況に学びが張り付いていて、他の場面において考え方を活用することが出来ないというものでしたが、振り返れば自分が受けてきた授業で解いてきた問全てにあてはまるなと実感しました。数学でいえば、問題を解くのに必要な情報以外の情報も文章題に含めることが大事だと言われていました。実生活には必要な情報だけではなく、不必要な情報も溢れているという状況を文章題に反映させるということに意味があるそうです。ただ文章に現れる数字を使って正しい式を作らせるのではなく、文章中のどの数字を使って、どのような式を立てるのかを考えさせるところが大事だと学びました。


◯分科会E「学習指導の在り方と、個に応じた指導の充実をめざして」
岐聖大附属小・中学校の先生方が学校で実践されている個性化教育の実践例を紹介されていた。しかし、自分自身の考え方がまだまだ未熟なせいなのか、なかなか素直に頷いて聞くことができなかった。理由としては、あくまで岐阜聖徳の教育環境だからこそできていることであって、その方法が一般の効率小中学校に対応しているところが想像できなかったからである。自分のやりたいようにやって、最終的に提出してほしいものだけ提出してもらうという形でやることで、とことん一分野に対して興味関心の深い児童生徒は取り組むことができると思うが、何かに対して特に飛び抜けた興味関心をもてる分野がない児童生徒にとってその教育方法は苦ではないのかと思いました。少なくとも、僕自身は図工などで「テーマは自由です。なんでも好きなように書いていいですよ」などと言われると、全く何も書けなくなってしまう人なので、それを全教科にパッケージ学習として取り入れられるのは非常に厳しいと感じるだろうなと想像してしまいました。児童生徒が自らの学習に躓いたときに先生のもとへアドバイスをもらいにいき、再度学習を進めていくというのは、日本の学校教育全体が個別指導を売りにした塾になってしまうようで・・・
明日22日に今日の議論の続きが行われるということなので、再度個別化教育のお話しを聞いて、自分の中にない新しい教育の概念を取り入れていくことができればと思います。(早川)

先生は見られてます(吉田)

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こんにちは、岐阜での生活が短くなってきた吉田です。
今日は教員にこれからなる方、教員になっている方にも読んでいただきたいと思い、書かせていただきます。
 
私はあるアミューズメント施設の接客業をアルバイトとしてしています。最近は、その付近の場所にも行きつつ、多くの学校団体様がお見えになります。私にとってそれはとても嬉しいことです。業務が楽になるからではありません。むしろ、忙しくなります。「私の好きな場所に来てくれて、笑顔になってもらえる」と思えるからです。
そんな中、暗い顔をして休憩室に入ってくる仲間がいました。

「先生…。」深いため息と一緒に話しかけてきました。

学校の先生についての話でした。時間を守らず、次の準備の妨げになったようです。
私はうーんと悩みました。どちらの気持ちもわかるからです。
「先生が30から40人を引率するのは大変である・安全に気を付け、よい遠足にしたい」
「従業員として、すべてのお客様に楽しんでいただきたい・安全によりよくしていきたい」
皆さんなら、ここでどう考えますか?

先生方に限って言えば、どちらも「子供にとってよいものを」と思っているのに、それに気づいていない・気付けていても余裕がない先生方が少数いるように私は思えます。遠足を成功させようと思っている人は先生だけではありません。子供も保護者もその施設の人も。その人たちの努力を感じ取ることは学校の先生にとって大切なことではないでしょうか。

「ありがとう」と率先的に言う子供の姿を見てるのに、なぜ先生がその言葉を言えないのか。
時間を守ってといつも言ってて、実際に先生がやっていないのはどうして。
私が正直に感じていることです。

学校の先生は見られているとはこういうことなのだと感じました。(吉田)

*個人情報等の関係で伏せて記載していますが、ご了承ください。
*これ以上の情報提供は致しかねます。ご理解ください。

10月17日2期生ゼミ記録(百瀬)

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10月17日4限に模擬授業を行った記録を書きます。
内容は小学校3年生わり算の第1時です。

私は実習の担当が5年生で5年生を対象としてでしか授業をしたことがありません。実習期間に3年生の授業を見る機会があり、その時に感じたことは、こんなにも細かく指示をしなければならないのか(ノートを開きます、プリントを受け取ったらまず名前を書きます、鉛筆を置きますなど)という驚きと、先生の話し方の丁寧さ(ゆっくり話すことやこれからやる事の確認など)でした。なので、内容に加え話し方などを3年生が対象ということを意識してやってみたいと思い、この単元を行いました。
しかし、3年生ということが意識しきれていなかったことがゼミ生の意見から浮き彫りになりました。

内容については、「半具体物の操作活動」を通して学習することで、子どもがイメージしやすくなることと、第1時だからこそ子どもが興味を持てるような授業にしたいという願いをもって授業をしました。

いくつかアドバイスを受けた中で、特に自分に不足していたと感じた2つについて書きます。


○対象学年を考える
・3人の子に飴を分ける問題で、登場する子をAさんBさんCさんとしてしまった。アルファベットは3年生には親しみがないため、架空の名前を使うなどの工夫をする必要があった。

・石川くんがペンを積み上げて遊ぶ子ども役をやってくれた。私は気づくのが遅かったと思う。3年生であれば、話を聞かせたい時には筆箱をしまわせたり、必要なものを必要な時に机の上に出すような指示が必要だと感じた。また、机間指導の順序をうまく取り組めていない石川くんから回っていくべきであったのに逆側から回ってしまったとやっていて反省した。


○教材研究の仕方
・私は教材研究の仕方として今回初めての三年生の授業を行うということもあり、1、2年生の教科書の内容の把握してから、本単元の教科書と指導書を研究した。そこで、1年生のうちから「おなじかず」という単元でわり算やかけ算を意識した授業が行われていることを知り、既習事項をきちんとら捉えることが大事だと感じた。

・玉置先生から、教科書のある部分の絵はどんな意味を持って載せせているかと問われた。私はその絵を子どもの考え方を提示しているとしか捉えられていなかった。しかし、注目すべき所は、絵があとに続くように描かれていることで、「まだあるから分けよう」といったわり算の本質が捉えられていた。


最後に、玉置先生が実際に同じ部分の授業をされたことがあるという話を聞き、その時の導入方法を教えていただきました。導入1つとっても様々な工夫ができるとわかりました。1人では考えられるパターンは限られるため、模擬授業をやり、先生やゼミ生に指導して貰える機会があることに感謝したいなと思いました。来週、ゼミ以外の場ではありますが、模擬授業をする機会があるため、今回ゼミ生や玉置先生に貰ったアドバイスをきちんと取り入れ、改善した授業を実践しつつ学んでいきたいと思います。
ありがとうございました。(百瀬)

10月17日2期生ゼミ記録〜百瀬さんの授業〜(吉田)

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こんにちは、2期生の吉田です。
今日は10月17日に行われた二期生のゼミにおける百瀬さんの模擬授業について書かせていただきます。
今回は小学校4年生「割り算」の最初の授業で、割り算を学び始めるという想定で行われました。

〜授業の流れ〜
1.算数的活動を行う。
大きなアメの黒板に張りながら、12個のアメを3人に分ける。
Aさん3個 Bさん4個 Cさん5個
「先生がアメを分けてみたけど、どう?」と発問し、子供たちの感想を求める。
2.ある子供が「同じ数にしたい」という言葉をきっかけに課題化を図る。
「同じ数になるにはどうすればいいのだろう」
3.問題を確認し、机間指導を行う。
4.全体でどのように分けたか交流する。
  ある児童を指名し、活動しながら説明をさせる。

○良い点
 ・百瀬さんは終始子供に寄り添おうとする姿勢を示し、「ゆっくり話をする」「字を大きくする」など配慮のある教師の動きがあった。
 ・今回、遊んでしまう児童役として石川君が算数ブロックで活動をしていることを注意しつつも、学習に向かわせようとする声掛けをしていた。
・算数的活動を行うことで視覚的になり、説明時もそれを例示しながら行うことができた。また、子供が参加しやすくなっていた。
○改善点
 ・AさんBさんなどアルファベットを習っていなかったので、名前を変更するとよりいいのではないか。
 ・「先生がアメを分けてみたけど、どう?」という発問が何を問いたいのか不鮮明になっていたので、具体的にしていくことが良いのではないか。
○教材論
 教科書に掲載しているイラストの意味
 「割り算を行う上で『まだあるから』1個ずつ分けられる」
 「見当をつける。例:2個はみんなに配れそう。」
 割り算の見方考え方を理解して、授業をすることが大切だと玉置先生から教わりました。

百瀬さんの授業は、子供が学びたいと思える工夫とそう思わせる先生の姿が溢れており、百瀬さんの授業があったからこそ、ゼミのみんながより多く学べたと思います。
お疲れ様でした。(吉田)

10月16日尾張旭市立渋川小学校へ授業参観に行きました(牧野友)

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 10月16日に尾張市立渋川小学校で授業参観をさせていただきました。

 4つの授業を参観させていただきましたが、今回は4年生の国語の授業と検討会のことを記事にさせていただきたいと思います。

 今回参観させていただいた「漢字の広場3」は、私が小学校教育実習で研究授業をおこなった単元でもあり、とても興味がありました。先生はあえて間違った文書を用意し、子ども達の興味をひいていました。さらに「先生徹夜でこの文章を考えたんだよ〜」「何か言いたいことがある子が多いみたいだねなになに〜?」という言葉がけで子ども達は喜んで文章の間違いを探していました。このような働きかけで意欲的に子ども達の授業参加をはかっており、楽しみながら文章を書くというところまで授業の流れを作ってらっしゃいました。授業の最初のつかみはとても大切でよく考える必要があることを改めて感じました。また、この学級は文章を書く力がすごくあるなと感じ10月までにどのような指導をされたのかとても気になりました。

 検討会は、5限目に行われた「気づきの授業」についてよいところ3つと改善策を1つをあげる形式で行われました。私たちゼミ生も意見交流に参加させていただきました。様々な意見がでていてどれも興味深かったので、それを記事にしようと思いましたが、私は先生方の雰囲気のよさというのも意見交流中に感じていたので今回はそのことについて書きたいと思います。玉置先生の工夫もありますが、ベテラン先生が話しっぱなし、若手の先生は頷くだけという場面は見られずお互いの意見をしっかり聞きあって時に意見に対して意見することもあり、私はこの職場で働いたら教師間にストレスを感じることは少ないのだろうと勝手に心の中で感じていました。最近は教師の不祥事をニュースでよく見ますがお互いの意見を言い合えるこのような環境があれば少しでも防ぐことができるのではないかと考えました。日頃からの関係づくりは教師と子どもだけでなく、教師と教師という間も大切であることをこの雰囲気を感じて改めて考えました。

 お忙しい中授業参観をさせていただけたこと感謝しています。先生方の様々な授業技をぜひ参考にさせていただきたく思います。機会をつくってくださいました玉置先生、ありがとうございました。(牧野友)



10月9日教師力アップセミナー(野口芳宏先生)に参加して(寺坂 吉田)

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10月9日に大口中学校で行われた教師力アップセミナーに参加させていただきました。
今回は教師力アップセミナーでは毎年登壇されている野口芳宏先生の講演会から多くのことを学ばせていただきました。この記事では、2期生の中でも「クセがすごい」吉田と寺坂で書かせていただきます。

野口先生の話を聞いて、国語とはなんなのかということを考えました。「たぬきの糸車を習わなくても、将来なにも困らない」という言葉がとても、印象に残っています。読み物を通して、将来役に立つどんな力を培えばいいのか、教材研究に力を入れたいと思います。特に、野口先生のやられる漢字を教えていくということは、校長先生や指導の先生に合わせて、来年から実践していきたいと思います。(寺坂)


 私は大きく2つの点で書かせていただきたいと思う。
 1つ目は学力が形成される授業をすることの大切さだ。
 野口先生は「授業は学力を形成することが目的である。」と話されていた。そのために授業の観点として「入力と獲得をすること」「潜在的差異を訂正、修正すること」「深化統合すること」「反復させること」を挙げられた。どの内容も教材を通して「どんな力をつけていくのか」ということが事細かに考えられており、小学校1年生からでも「判断させ、根拠を持たせる指導をする」「読字力を高めるために繰り返し習ってない漢字を提示される」などの子供たちをよりよい方向へ導こうとする手立てを先生の授業から多く感じとることができた。細かく繊細な教材研究と子供を鍛えていくための手立てに感動し、「タヌキの糸車」の1ページ目で1時間以上、それら全てに対して考えを述べられる先生の姿は私にとって「本物の先生とはこうなのだ」ということを目に焼き付けさせるものほどだった。
 
 玉置先生がよく講演会の中で話される「補助線を引く意味を考えさせる」という話にもつながる「教材を通して何を身に付けさせたいか」という点で、「教材の理解が乏しく、目的が具体的に明確になっていない」授業を私は数多くやっていると改めて感じた。後期のゼミの時間などで授業に関して議論しながら、私の甘さを少しでも克服していけるように精一杯取り組もうと思う。

 2つ目は「教師の聞き耳アンテナ」を磨かなければならないということである。
 野口先生は教師の聞き耳アンテナを磨くことで子供の言葉を正確に聞き取り、見抜くことことが大切だとお話をされた。しかし、私は野口先生が発問されることへの参加者の答えから「これは、違う」とはっきりと聞き分けることができなかった。小さな違いも見逃さない、聞き逃さないというのはとても難しい。「教師の聞き耳アンテナ」を養うためには、やはり子供の声を聴くということを前提として、その言葉を吟味することができる力や経験を積んでいくこと、「書いて学ぶ」ことを通して言葉をより敏感に感じられるようにしていくことを継続的に惜しまず、行うことが大切なのだと感じた。

 最後に野口先生から来年度から教師として働く私たちに「教師という仕事は普通の人をより良くすることができる素敵な仕事なのだ」というエピソードをお話して下さった。野口先生からのお言葉は今の私で感じられていないほど深いものがあると思う。今日からその言葉の意味を探し続ける1歩にしたい。
本当にありがとうございました。(吉田)

10月9日教師力アップセミナー(野口芳宏先生)に参加して(牧野・末松・杉下)

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先日野口先生のセミナーで得た学びを牧野・末松・杉下で書きます。

私は午前の部について、学びの感想を書かせていただきます。
1番ハッとさせられたのは、学力と教材についての話です。野口先生は、学力(=教科としての内容)をつけるための材料が教材である、と述べられていました。また、教材については多く板書に取り上げられるが、学力についてはあまり取り上げられない、ともおっしゃっていました。
確かに言われてみると、自分はその教材の内容である、登場人物やその気持ちの変化などはよく板書に書くけれど、教材が変わったとしても使えそうな、教科としての内容はあまり取り上げていない、子どもに教えていない、と感じました。
そのことに気づけたことが、自分の今日1番の収穫です。実際にたぬきの糸車では、漢字を書いたり、因果関係について触れたり、反復などの技法を教えたりと、教材が変わっても国語としては使える内容ばかり扱っていました。私も、国語の読み物教材で、教材が変わっても、読む時に共通して使えるような、国語としての学力を考えて、授業を行いたいと思いました。本日は貴重な学びの場をありがとうございました。(牧野紘)

私は玉置先生の道徳の授業について書きたいと思います。
今回先生は、「二通の手紙」という題材で授業をされました。
「元さんは晴れ晴れしたのか」、という主の発問の基、「お母さんからの手紙がなかったら?」等の設定を変えた発問をされました。心が揺さぶられる発問に悩みに悩み、心にたくさん汗をかきました。
最後に落としたかったことは、「ルールを破ってはいけない」ということだった、とのこと。しかしここまでの意見は出ず、先生が話されました。元さんともあるベテランでも、感情に流されることがある。ふと自分たちに置き換えると、初任の私たちならなおさら流されてしまいそうだと感じました。(実際に授業中、私は元さんは一つの家族を幸せにできたのだから良い、という考えで止まっていました)

今回の道徳の授業は、発問を厳選する大切さや誰を追うのか考える必要性等、授業を作る上で大事なことはもちろん、社会人として必要なことを学びました。玉置先生からのメッセージを胸にこれからも職場で頑張っていきたいです。(杉下)

私は第3部は野口先生の「幸福の条件」の道徳模擬授業について書きたいと思います。
野口先生の今回の授業は、物語資料を使うのではなく、身近だけどあまり考えない題材を思考資料にした授業でした。道徳は発問が命ということで、今回は発問について2つまとめます。
1つ目は、導入での発問です。
「神様に3つお願い事ができる。幸福になるために何を願いますか?」
自分に関わる身近だけど、普段はあまり考えない何気ない幸福。考えると深いこの発問だけど、誰もが考えられるこの発問。
導入は子どもの興味を引く大事な時間です。特に道徳に関しては、苦手意識をもつ子どももいるためなおさら。
そんな導入部分で、このような発問がされると、「お!いつもとは違う!面白そう!」「これなら私にも考えられそう!」と思う子どもは多いと思います。
導入で子どもの心を掴む!私も意識していきたいです。
2つ目は、深めの発問です。
「でも…ちょっと考えてみよう。健康じゃないと幸福になれないの?お金がないと幸福になれないの?」
この発問をされたとき、うーんと考えさせられました。だって、それまでそれがあれば幸福の条件だと考えてきたから。それがいきなりないと幸福にはなれないのか?と反対のことを言われると戸惑います。
しかし、これが授業。いかに一度立ち止まらせて、本当によいのか考えさせる発問をするのか。子どもの思考をよく考えて、発問を作ることが深まりのある発問を生み出すのだと思います。
そして、今回の発問の答えは、幸福になれるor幸福になれないの二択です。○×法を用いての意思表示は、誰でも取り組みやすいものでした。道徳でも○×法を取り入れていきたいです。
今回の道徳は、普段行っている物語資料を使った道徳とかけ離れているのではなく、発問の仕方をはじめとした様々なことが物語資料を使った道徳でも実践可能です。ぜひ、今回学んだことを今後の道徳授業の中でも取り入れていきたいと思います。(末松)

10月17日2期生ゼミ記録(佐久間)

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10月17日、模擬授業をゼミの時間で行いました。

私が行った授業は5年生の道徳で、「レジにて」という教材を扱いました。この授業は昨年、教育実習で行った授業で、自分が実習の中で最も上手くいかなかったと思う授業です。今回は、どうすれば子どもたちに「今日は〜を学んだ」と思ってもらえるかを考え、授業に臨みました。また、道徳の授業をする決め手となったもう一つの理由があります。それは、玉置先生の道徳の授業を何回か見せていただく中で、自分も玉置先生のような道徳の授業をしてみたい!と毎回思っていたからです。今回の授業では、玉置先生が行う道徳の授業づくりや授業の進め方を参考にしました。以下に特に大切にしたポイントを2つ書きます。

〇主人公の心の変化を話し合う
今回の主発問では、主人公の悲しそうな顔と嬉しそうな顔の絵からどんなことがあって、どんな気持ちになっていたかを考えさせました。気持ちの変化があった出来事をわざと隠すことで話の内容を考えたり、自分ならどうしたら嬉しくなるかを考えたりできていたように感じました。教材の大事な部分を子どもたちで想像させると様々な意見を考えさせることができると分かったので、今後も意識していきたいです。

ただし、意見が多様すぎる場合もあり、価値項目が明確にならないのではという指摘もあったので、教材研究の段階で発問の意図を教師自身がしっかり持っておく必要があると思いました。

〇「揺さぶり発問」を入れる
「揺さぶり発問」とは、深く考えさせるために、それまでの子どもたちの思考や認識に疑問を呈したり混乱を引き起こしたりすることで、より確かな見方へと導く発問です。

しかし、この模擬授業では上手くまとめることができませんでした。
この揺さぶり発問で子どもの意見に混乱が生じるのは当たり前で、今回の授業では「思いやり・親切」について子どもたち自身がより高度な考えに気付く、もしくは教師が子どもたちに向けて高度な考えになってほしいと訴えかけることでより確かな見方へ導くことができると教えていただいたので、次こそは上手くまとめていきたいです。

道徳の授業は難しいと改めて実感した日になりました。授業づくりも長時間悩みました。ゼミ生みんなで授業について話し合う時間では、主発問は違うところのほうがいいのではという意見が出たり、発問の仕方をもう少し変えてみてはという意見が出たりしました。どの意見もとても参考になったので、もう一度考え直して授業をしたいと思いました。教育実習でうまくいかなかった授業をすることに不安はありましたが、ゼミ生みんなで考えることができたので、授業をしてよかったです。ありがとうございました。(佐久間)

10月17日2期生ゼミ記録〜佐久間さん〜(牧野)

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10月17日3限に行われた模擬授業で、私は、佐久間さんの5年生道徳の授業を記録させていただきます。教材名は「レジにて」です。

授業の内容
1.主人公の女の子が割り込みをされたときの気持ちを考える
2.定期を落としたのを見たときの女の子の気持ちを考え、ノートに書く
3.定期を拾ったのに何も言われなかったときの気持ちを考える
4.最後に女の子が笑ってるイラストを見せる
5.なぜ女の子は嬉しい気持ちになったのか考え、ノートに書く
6.店員さんに褒められたというのが間にあったことを知らせる
7.もし店員さんに何も言われなかったら自分ならどうするか考える(ペア活動)
模擬授業はここまでです。

授業では、子ども達との関わりかたを参考にしたいと思いました。道徳の授業は挙手制にするとなかなか授業に参加しない子どもが多いと教育実習を通して感じていました。佐久間さんはあえて挙手制ではなく、ポンポンとリズムよく子ども達に(正確には子ども役のゼミ生に)感じたことを聞いていました。すると必然的に全員が発言する場が生まれ全員で考えるという雰囲気ができていたと思います。また、しっかりと考えさせたいときは一度ノートに書かせており、書いている最中に教師が読み上げることで学級内の一人一人の考えがわかる工夫がされていました。

反省時では、価値項目が明確でないことが主な議題となっていました。教材の出し方や、発問の仕方、より考えさせたい場所を変えることで改善できるという考えや、今出ている子ども達の感じ方をいかすべきだという考え方がでていました。道徳の授業はやはり難しく奥が深いと感じましたし、だからこそ、みんなで考えることが大切ではないかと思いました。

授業者の佐久間さん、お疲れ様でした。玉置先生のところへ行って研究している姿はとても素晴らしいと思いました。たくさん勉強にもなりました。ありがとうございました。(牧野友)

10月17日2期生ゼミ記録(牧野)

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 私は4年生国語科「ごんぎつね」の1時間目の授業を行いました。

1時間目では、後期が始まって初めての物語文ということで4年生の前期までで習った物語文の復習をするところから始めました。私はこの単元で学ぶべきことが先にありその教材がたまたま今回であれば「ごんぎつね」であったという考え方で授業をつくりました。ですから復習にはすごく力をいれたいと考えていました。しかし、教材研究の段階で子ども達の心離さずに復習するよい方法が思い浮かばず、今持てる力で臨みましたがやはり楽しくない復習になってしまったと感じました。

 反省では、提示した言葉が難しい、わかった気になっているだけの復習になっているなど、意見をもらいましたが未だにどうしたらよかったのか悩んでいます。教師として教壇に立つ前に課題が明確になったという前向きな考えでこれから調べてみたいと思います。また、「ごんぎつね」は長い間国語の教材として使われている作品の一つなので、その研究をされた方の本を読んだり実践の場面を見て私なりに研究したいと思います。

 子どもとの関わりの面では、テンポ感と雰囲気を褒めていただいたのでそこは長所として継続し、話すスピードと情報量が小学生にはむいていない点を反省し、直していきたいと思います。

 今回の授業で課題がたくさん見つかったので自分なりに努力して改善策をみつけていきたいと思います。(牧野友)

10月17日2期生ゼミ記録〜牧野さん〜(吉田)

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 こんにちは。今日は2期生ゼミが3限目と4限目の2時間連続でありました。今から4限目のはじめの授業者牧野さんの授業記録を書いていきます。


 授業単元【ごんぎつね】設定学年【小学校4年生】
 
 授業は、ごんぎつねの初回の授業で、ごんぎつねの読み物に入る前の導入部分でした。牧野さんらしい元気でテンポの良い授業でした。元気が良く、こんな先生見たことあると感じるシーンばかりでした。はきはき明確な問いかけは、とても見習いたい部分であると感じました。約20分の授業後、ゼミ生で良いところや今後の課題を話し合いました。今回はその中でも、ごんぎつんねに限ったことではない「国語科読み物資料のゴール」について主な議題に上がりました。

 牧野さんの授業では、教科書に記載されている読む際のポイントを、読む前にしっかりと押さえていくスタイルの授業でした。今回は授業内で、どのようなことに着目して読んでいけば良いのか、教師がしっかりと道筋を立てていると感じる授業であったと思います。しかし、授業評価の時間で議題に上がったのは、その部分でした。

 1つ目の意見として、純粋に小学校4年生に「感じ方の違いを知る」ということを意識させて読み物をさせることには、少々無理があるのではないかという意見がありました。また、今回は特に初回の授業であるので、子どもたちに「今日も授業に参加できる!」という思いを持たせなくてはならないという指導を玉置先生よりいただきました。
 2つ目は、物語を読むときのポイントを示しすぎなのではないかという意見が出ました。教師が全て「○○に注意しよう。」「○○をやろう。」などと指示をするのではなく、「物語を読むときのポイントって何だったかな?」と子どもたちに問いかけることで、子ども主体の子どもたちで作りあげる授業になると感じました。


 今日の授業を通して、牧野さんが「物語を通して何かを感じてほしい」と国語科の授業観について話していました。今まで深く考えたことはありませんでしたが、国語科のゴールっていったいどこなのだろうと思いました。出口はどこで、どうすれば国語の授業は成功したと言えるのでしょうか。今日の評価の時間ではその答えははっきりと出ませんでした。国語は専門教科ではありませんが、教師になった際確実に授業をすることになります。今日の授業を通して、自分はどのような思いで国語の授業を受けていたのだろうかと考えました。明確な答えは出ていませんが、物語を学ぶ際に「今日もごんぎつね、明日もごんぎつね、あさってもごんぎつね。」と子どもたちが感じることの無いような授業を目指していきたいです。牧野さん授業お疲れさまでした。(吉田)

10月16日尾張旭市立渋川小学校での学び(丹羽)

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 こんにちは。3期生の丹羽亜由美です。先日は尾張旭市立渋川小学校の授業を見させていただき、検討会にも参加させていただきました。今回は私が特に印象に残った5時間目の特別活動の授業に関して学んだこと、検討会で先生方から学んだことを紹介します。

 5時間目の研究授業から学んだことはたくさんありますが、3つ紹介します。

 まず、1つ目は先生と子どもたちとのやりとりの中で先生が大切なことは2回聞いていたことです。導入の段階で大切な言葉である、「がまん玉、みつけ玉、しんせつ玉」という本時の活動において大切な人キーワードを1人の子に言わせて終わりではなく、もう一度全員にたずね、違う子に発言させていました。ここから大切なキーワードは繰り返し発言させることで子どもたちの中でも定着し、展開がスムーズに進むのだと学びました。また、本時のめあてである「気づきの活動」を振り返るというめあてを子どもたちが一人一人理解できているかということも全員が授業に参加するためには重要なのだと思いました。

 2つ目は、学習活動の定着についてです。4年生の段階で先生が全体で話し合いを進めるのではなく、子どもたちが主体となって司会や書記などを決め、授業が進んでいたのが本当にすごいと思いました。さらに、グループ活動でも14分という与えられた時間で各グループの司会者中心となって14分間をどのように使うかをマネジメントしながら交流が進められていて驚きました。私が注目して見ていたグループでは司会の女の子が中心となって5分で個人追究、8分で交流、1分でまとめと班員の子に伝え、自ら時間を管理する姿を見て、主体的な学びとはこういうことの積み重ねなのかなと、感じることができました。

 3つ目は付箋を効果的に使う工夫です。「がまん玉」「みつけ玉」「しんせつ玉」それぞれの振り返りを違う色の付箋に書いていくことによってグループで意見を分類しやすくなり、普段と少し違う活動を取り入れることは子どもたちの学ぶ姿勢が大きく変わるきっかけになるのではないかと思いました。付箋だけでなく、机の位置などもコの字型にしたりと子どもたち同士で学ぶ環境の大切さを学びました。

 検討会では、「3+1」という、3つ良いところと1つの改善点を出し合うというやり方で先生方の話し合いに参加させていただき、授業を見る難しさを感じました。また、意図的指名の大切さについても意図なく当てるのではなく、しっかりと意図して指名しなくては意味がないのだと改めて感じることができました。

 実際に授業をみることで学べることが本当に多いことに気づけた1日であり、4年生の石川さんや牧野さんの授業の見方からもたくさん学ぶことができました。このような機会を一回一回大切にしていきたいです。本当にありがとうございました。(丹羽)

10月12日犬山市立犬山西小学校授業業検討会に参加して(吉田)

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こんにちは、2期生の吉田です。
10月12日に犬山市立犬山西小学校の勉強会に参加させていただきました。学校に入らせていただくと、子供たちが「お客さんだ」と言って、温かい挨拶を沢山していただきました。今回は6年生の国語「やまなし」の授業後、授業検討、玉置先生の講演会の中で学ばせていただいたことを2つ書かせていただきます。

1つ目は先生が子供をしっかりと把握することの大切さです。
「やまなし」という教材を見させていただくと、比喩や擬音語等が多く、読み取るだけでも一苦労な教材であると感じました。しかし、そんな中でも子供たちが必死に活動、グループワークに取り組んでいます。私は疑問に思い、振り返って1つのことに気付きました。

子供の学べる秘密は「先生の姿」に合ったのではないかということです。
児童には文章表現等からの気付きを記したノートがあり、事前に先生は一人一人ノートを丁寧に把握されていました。そのため「○○さんはこんなこと気付いてたよね。」という声を授業中に何度も見受けられました。また児童のつぶやきを聞きながら板書していたり、机間指導時に子供達にもっと理解できるような発問をこまめになさっていました。
確かに難しく感じる教材ですが、先生が児童をしっかりと把握しているからこそ、学びたいと誰もが思える雰囲気ができていたように感じます。私もそんな先生になりたいです。

2つ目は対話することで深まる学びのよさです。
犬山西小学校では、「仲間とつながり、みがき合う児童の育成〜自ら考え、互いに伝えあう活動を通して〜」というテーマとし、「主体的対話的で深い学び」の先駆けを多くの授業で取り組まれているとお聞きしました。特に玉置先生の講演でも私から話させていただいた「伝えあう活動を通して学びが深まる、変化する」場面が私の心に残っています。

私は玉置先生の指示を受け、活発な話し合いをするグループの話し合いを聞き取らせていただきました。すべて書き取りたかったのですが、そんな余裕がないほど話し合います。そのグループは4人がバランス良い人間関係で、グループで意見をまとめようと頑張っていました。
Aさんが「こうじゃないの?」というと、Bさんが「違う。これは○で、こっちは△なんだ」と説明していきます。Bさんの説明を受け、内容を理解したAさんは他の2人によりわかりやすく伝えるために体を大きく使いながら、ジェスチャー交えて会話をしていました。
まさに対話するからこそ、理解ができ、新しい表現が生まれ、意見を磨き合う活動をしていたと思います。課題意識を明確に子供達が持つ中で対話すると、内容が深まります。また、人間関係が良好であるほど、その深まりが言語や動作としてより顕著に現れるのだということを学ぶことができました。

授業を見させていただく中で、新しく学ぶことが多く、また成長できたと感じます。
お忙しい中、ありがとうございました。(吉田)

10月10日2期生ゼミ記録(佐久間)

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 10月10日、2期生の後期2回目のゼミを行いました。今回は吉田君が「理科 てこのはたらき」の授業を、石川君が「算数 割合」の授業を行いました。私は、石川君が行った授業の学び合いをまとめます。

 石川君の授業は、一方を1と見た時の大きさを考える学習をもとに、割合についての問題を行いました。算数は解き方を言葉で説明してもなかなか上手く伝わらないイメージが私にはありましたが、石川君は問題を分かりやすく説明していたところがとても参考になりました。

 討議の時間では、授業で行った問題への発問について話し合いが行われました。
 今回の授業では4チームのドッジボールの試合で試合数と勝った試合数がそれぞれのチームごとに書かれていました。
(問題) 
 試合数   勝った試合数
A  10      7
B   8      6
C  10      1
D   4      2

 石川君はここで「どのチームが1番勝ってそうですか?」と発問しました。様々な意見が出ましたが、どれも答えの求め方にはつながりにくい意見が多いように感じられました。

 玉置先生に改善案として石川君の発問にプラスして、「どうして一目でどのチームが一番勝っているかわからないのか?」を考えさせ、「試合数がバラバラだから」ということに気付かせる案がでました。そうすれば、その後の解き方を子どもたちに考えさせたり、本時の内容である割合を理解させたりすることができます。問題にあった発問をよく考えることが重要だと学ぶことができました。

 ゼミ生みんなで授業について話し合い、様々な提案をすることで良い学びができていると感じています。この日のゼミでは寺坂君、石川君は積極的に討議に参加していました。私も負けないように頑張ります。次回からもゼミ生みんなで深い学び合いをしていきたいです。(佐久間)

10月10日2期生ゼミ記録(石川)

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 10月10日のゼミでは、私が授業提案を行いました。単元は「比べ方を考えよう」という割合の単元でした。設定は小学校5年生です。今回は、私が授業を行って感じたことや、検討会で学んだことをまとめます。

 今回学んだことは、大きく2つです。

 一つ目は、発問の言葉選びです。本来、「どのチームの成績が良いか?」という教科書通り発問から、自由に児童の意見や考えを引き出す予定でしたが、何気なく「どのチームが強いか?」と発問してしまいました。この発問から、児童の思考は、「強いって何?」という違う方向へと進んでしまいました。教師の発問は、どの児童も同じ課題について考えられるよう、シャープでなくてはなりません。その分、言葉をしっかりと選ぶ必要があります。私にはそこが欠けていました。

 二つ目は、次へ進むタイミングです。今回、児童の自由な意見から課題の焦点化を図りましたが、自由な意見を聞き出す時間が長すぎました。私の意図としては、この時間でもっと課題に近づいた意見を聞き出したかったのですが、ここで間延びしてしまった印象があります。その後、玉置先生から指導をいただきましたが。児童の自然な思考の流れを捉えることでテンポよく進めることができることを学びました。既習事項も含めて、児童はどこに疑問を持つのか、今以上に意識して教材研究を行う必要があると感じました。

 今回の授業、検討会を経て、玉置先生が最後に「やっぱり教材研究だよな。」と話されました。確かに、どのように発問するか?や、児童がどこに疑問を持つのか?などは、経験面も大きくありますが、今回の学びあいで、教材研究をすることで見えてくることもたくさんあるのだと感じました。今回のゼミで、教材研究の視点やコツのようなものを学ぶことができました。今回学んだことを少しでも自分のものにし、よりよい授業が行えるよう学び続けていきたいです。(石川)

10月6日小牧市立味岡小学校での飛び込み授業を参観して(静谷)

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こんにちは。3期生の静谷です。
10月6日に味岡小学校で玉置先生と和田先生の飛び込み授業を参観させていただきました。そこから学んだことについて紹介します。

まず初めに、和田先生からとにかく子どもの意見やつぶやき、先生の発問をそのままメモをするということを教えていただきました。そうすることによって、振り返りの時間に鮮明にその時の授業を思い出し、振り返ることができます。私は、小学校実習では先生の発問しかメモを取っていなかったため、中学校実習では生徒の意見までメモを取り、生徒実態をしっかりとつかめるようにしたいと思いました。

次に玉置先生の道徳の授業を2つ参観させていただきました。2つの授業ともエピソード前とエピソード後の主人公の気持ちの変化を主に授業を構成していました。また、玉置先生の授業は本当に授業リズムが良いと思いました。トントン子どもたちを当てていき、授業がとてもスムーズに進んでいました。どこか教室の雰囲気が玉置先生に左右されているなと思いました。道徳の授業は、どんどん子どもたちに想像させ、心の汗をたくさんかかせることが大切であると学びました。

和田先生の算数の授業も参観させてもらいました。まず、思ったことが和田先生は褒め方が本当に上手いと思いました。少し違ったアイディアを出してくれた子どもに対しても、うまく友達の意見と繋げながらその子のアイディアを利用して褒めていました。この他にもこれが繋ぐ授業であって全員参加の授業かと思う場面がたくさんあり、飛び込み授業のはずなのにしっかりと子どもたちの心を掴んでいました。このような授業がいつになったら私はできるのだろうかと遠い先を見てしまいました。

このような素晴らしい授業を今日は3時間も見れて、本当にこのセミナーに参加して良かったと思いました。できたら小学校実習の前に参加したかったです。ですが、実際に小学校実習を終えた今の状態だからこそ学べたこともたくさんありました。毎回、このようなセミナーに参加すると早く授業をして、このようなテクニックを使ってみたいという気持ちにさせられます。これまで、授業力が求められる中学校実習が少し不安でしたが、今では早く授業をして、学びたいという気持ちです。参加できて本当に良かったです。(静谷)

10月6日小牧市立味岡小学校での飛び込み授業を参観して(早川)

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こんにちは。3期生の早川です。
無事、4週間の小学校での教育実習も終わり、このセミナーの参加が後期初の参加でした。

今回は、玉置先生の道徳の授業2つと、和田先生の算数の授業を観察させていただきました。観察するにあたっては、観察上の注意点を1限の授業前に和田先生から指導して頂き、それに従って授業の観察をしました。すると、今まで自分がしてきた授業の観察は観覧程度のものでしかなかったのだとわかりました。先生のひとつひとつの発言、子どものうまく言葉にしようとする、詰まりながらの発言など、全てを記録用紙にメモしようと意識しながら授業をみるだけでも、授業を終えた後の手元にある授業記録用紙の出来上がりも違うし、見返した時にその授業がどんな授業だったのかがよくわかるメモに変わるなと感じました。

教室移動の際に和田先生が、「ちゃんとメモを取って授業観察をしていて、内容がしっかり頭に入っていれば同じ授業が自分にもできるはず」とおっしゃったのを聞いて、その考え方を今までの自分にあてはめるとひとつも授業観察をできたことがないな・・・と思っていまい、とても怖くなりました。

また、玉置ゼミに所属しながらも実際に玉置先生がどこかの学校に訪問し、授業を行う姿をみるのは初めてだったのでとても新鮮でした。自分の考えた指導の流れに沿うだけではなく、その子どもたちの反応や状況を見ながら、そして揺さぶりながら進めることが大切だということがみていてわかりました。揺さぶりの場面での玉置先生の表情のつくりかたなど、教師は役者だと言われる理由がわかった気がしました。授業に参加しているわけではない僕でさえも、意見を述べたくなりました。この感情にさせることができれば、道徳の授業はうまくいくのかと理論だけではなく、何かつかめたような気がしました。


玉置ゼミだからこそ様々なセミナーや、有名な先生方に授業を間近で見ることができるので、そのありがたさに感謝をしつつ、小学校教育実習の校長先生に言われたように「知見を広める」ことができたらいいなと思いました。(早川)

10月6日小牧市立味岡小学校での飛び込み授業を参観して(菱川)

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お久しぶりです。玉置ゼミ三期生のナマケモノ菱川です。
今回味岡小学校での玉置先生の道徳と和田先生の算数の飛び込み授業を参観させていただきました。
玉置先生が二時間目にやっていた『ある夏の日のこと』は僕も実習の最終日にやった単元でした。あのようにうまくは全くできなくて子供に考えさせる工夫があまりなかったし改めて玉置先生の授業を見させていただき自分の授業の反省点が浮き彫りになりました。

そして二時間分見させていただき思ったのが児童が時間を忘れるくらい授業ののめり込んでいたなと思えました。あれは玉置先生の授業だからこそだと思います。心情をはじめから最後にかけて目を用いて考える授業。
ぼくも実習では二回道徳の授業したので一回目はそのようにやりました。だけど読み取りばかりで終わってしまい散々な結果になってしまいました。
玉置先生の授業をこれからもみる機会はたくさんあると思います。それらを見て考えて児童達にとって良い授業をできるよう努力していきたいです。(菱川)

10月10日2期生ゼミで模擬授業からの学び(吉田)

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こんにちは、2期生の吉田です。
10月10日に2期生後期ゼミにて、模擬授業をやらせていただきました。
内容は6年生の「てこのはたらき」という単元の第一次「てこを使ってものを持ち上げる」という授業を行ったのですが、導入を1つやるだけでも、考えることがたくさんあるのだと思える時間となりました。
まずは簡単に良かった点、改善点をまとめ、そこから振り返っていこうと思います。(授業の流れに関しては古川さんの記事を参照してください。その記事を見ていただいた後に読むとよりわかりやすいと思います。)

・良かった点
物を実際に生徒役に提示すると、授業が盛り上がった(授業前から触るゼミ生あり)
実験で気付かせたいところを意図的に教師実験で隠す。

・改善点
 教師が一方的になってしまっていた。(導入時の強い疑問意識を抱かせれなかった。)
 現象提示からの課題化において、内容は同じだが、つながりが薄い。
 「支点」「力点」「作用点」の言葉はどのタイミングで出すべきか。
 教師実験時により変化がわかりやすい条件で提示できたのではないか。
 授業で使った「簡単に」持ち上げると教科書の「楽に」持ち上げるの意味の違いに気付けていなかった。
 子供たちが気付かせたい「条件制御」の内容を教師である私が話をしてしまった。
 
 沢山書くことはあるのですが、主に3つに絞り、学びを記事にしたいと思います。

 1つ目は「言葉にこだわる」教材研究です。私は板書の課題に「物を簡単に持ち上げるには」という言葉を使いました。私の考えとして子供が「簡単」という言葉を使うからと理由で採用したのですが、教科書で用いられている「楽に持ち上げるには」という文面には意味があるのだと気付かされました。

 「簡単に」という言葉は実験をする人にとって変わる言葉だったのです。例えば、体つきのいい男の子と華奢な女の子では簡単と思える基準が違うのです。しかし「楽に」という言葉を用いることで「さっきの事象に比べて」という1つの楽かどうかという1つの基準で物事を見ることができること言えます。たった一言で見え方が変わり、思考が異なるというのは恐ろしいですが、だからこそ教材を見つめることが大切なのだと気付かせてもらいました。

 2つ目は気付かせたいことと伝えることを明確に意図的にすることです。私は今回の模擬授業で一番悔しいことでした。あれほど「明確な目的を持つことが大切だ」と記事に書いていたのに、実際できない。それが今の自分の実力だと思います。だからこそ、もう一度ここで書かせてください。

 模擬授業の中で子供たちが実験を通して気付いてほしいこと(支点、力点、作用点の位置を変えていくこと)を実験する前に話してしまいました。「教師実験を見ていれば、やり方がわかるからこそ、気付かせる内容だったのでは」という意見や「条件制御は5年生で身に付けている科学的な見方考え方なら、言わなくても子どもはできる」という考えをいただきました。目的を明確に持っているからこそ「気付かせること」と「伝えること」の線引きができるのだと身をもって感じました。

 3つ目はシンプルに疑問を抱くことができるように、比べる内容を焦点化させるです。
これは教師実験を行っている時の場面から出てきた意見でした。私は2人の児童役に実験をさせ、「1人には軽く」「もう1人は重く」という仕組みを作り、意見の食い違いから実験を行う意義を見出すような展開を想定していました。確かにそのような方法をとる授業例もあるのですが、この教材には適していなかったと思います。2人が違う条件でもそれがさっき現象とどう違うのかが明確になっていないからです。実際深い疑問を生み出せませんでした。1人の児童が2つの事象を比べれば、よりシンプルに比べられ、そこから疑問を抱きやすくなったのかもしれません。「気付かせ方」も重要であると思います。

 ゼミの仲間に見てもらったからこそ、こんな学びをすることができたのだと思います。
生徒役のゼミ生と玉置先生に感謝するとともに、次への強い意欲を持って前進していきたいと思います。(吉田)

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