今考えないといけないこと (矢崎)

こんにちは。5期生の矢崎です。
今日の夕方見たニュースについて書かせていただきます。

明日、日本は終戦75年を迎えます。
今年は、コロナウイルスという予想がつかなかった事が起こりました。
日本人はこのウイルスとの共存にあたって、戦時と同じことを繰り返してしまいそうなのだと、戦争を経験された方はおっしゃいます。

何を繰り返してしまいそうなのか。それは「他人を監視すること」です。

戦時中、戦争に勝つ為に様々な制度ができ、多くの人が耐えながら生活していました。
その耐える生活で心に芽生えるのは「私は我慢しているのに何故あの人は我慢しないの」という思い。
そして、その思いは「他人を監視すること」に変わります。
常に誰もが誰かを監視する日本が生まれました。

今の日本はどうでしょうか。
感染を広めない為、多くの人が「我慢」しています。
この「我慢」は感染を広めない為には必要であることは確かです。
しかし、この「我慢」が「他人を監視すること」に変化してきてはいないでしょうか。
日本に住んでいる人は一人ひとり容姿が違うように、一人ひとり違う生活スタイルを持っています。
それを全て統一することは不可能です。統一すれば誰かが生きづらくなります。
その「我慢」がその人の生活を左右することにもなりかねないのです。

だから、今大切にすべきことは「誰かに何かを求める」ことではなくて、「自分にできることをする」だと思いました。

このコロナウイルスと生活する中で、この問題はとても難しい問題です。
私が感じた事が100%正しいとは思っていません。
ですが、日本人が誇れる「周りと共存する力」が「周りに強制し合う力」に変わってはいけないと感じます。

コロナウイルスが広まる今だからこそ気づくことができた、人と関わる大切さをもう一度思い出して、自分自身、誰かを想いながら生活していきたいです。(矢崎)

※ 写真は、林文通先生撮影のある学校の一コマです。記事とは関係ありません。学校のワンシーンがとてもうまく切り取られていますので、使わせていただけるようにお願いをしました。
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作文で感動した話(矢崎)

 「日本のいじめ対策は間違っている」

 私は、論述対策で「いじめ」について色々調べたいと思い、ネットで「いじめ対策」と調べた時、この言葉に出会った。

 正直、とても驚いた。私が調べたいと思っていたことを否定している言葉だったからだ。更に、この言葉は中学2年生が書いた人権作文のタイトルだった。あまりにインパクトのありすぎる言葉に惹き付けられ、私は気づけばそのサイトを開いていた。

 この作文を書いた中学2年生の生徒さんは、いじめを受けた生徒をカウンセラーの協力を得ながら支援することやいじめを行った生徒を別室で授業させる、道徳教育の充実は本当にいじめの根本的解決につながっているのかということを問題視していた。

 そして、その解決したいと願う日本の「いじめ」は「長期的に陰湿化しやすい」ことを一番の問題点として挙げていた。

 では、なぜ日本の「いじめ」は「長期的に陰湿化しやすい」のか。その生徒さん曰く、二つ原因が考えられるという。

 一つ目は「日本のいじめは精神的苦痛を主とし、表面上分かりにくく、教師などに気づかれにくい」こと。

 二つ目は「いじめを見ている人の反応」。

 この二つにより、いじめを止めるための「いじめのストッパー」がなく、どんどんエスカレートし、いじめが長期化してしまうということだ。

 だが、三つの要素があれば、誰でも「いじめのストッパー」になれるという。
一つ目の要素は「善悪の判断ができること」。
二つ目の要素は「自分の意見をもつこと」。
三つ目の要素は「他人の意見を尊重すること」。
一つ目と三つ目の要素は既に備えている日本人は多いという。

 しかし、二つ目の要素である「自分の意見をもつこと」が日本人は備えきれていないことが多いという。

 私自身、「周りに合わせること」が良いこととされている空気が日本には流れていると感じる。その空気は周りの人と上手く楽しく生きていくには必要な空気だとも思う。でも、その空気は時として、黒く重い空気になることはないだろうか。私はその代表的な「時」は「いじめ」の場だと考える。

 いじめが行われる場で流れる黒く重い空気を吸うこと、「周りに合わせること」で周りの者は自分を守ろうとする。でも、その空気は重いから、いつまでも吸った人間の中に居続ける。だから、いじめは長く存在し続ける。

 だからこそ、この作文を書いた生徒さんの仰る通り、「自分の意見をもつこと」要素を持つことが重要なのだ。自分はこのいじめは認めない、許さない、黒く重い空気は吸わないと「自分の意見」を一人ひとりが持つことができればいいのだ。

 この生徒さんは日々の生活の中で、集団で一つの課題に対して真剣に話し合い、取り組む活動を取り入れることで三要素が培われると最後に仰っている。これは日々の学校生活の中のどんなときでも、教師の意識次第でどれだけでも取り入れることができるのではないだろうか。つまり、子ども達が三つの要素を獲得できるかは、教師の働きかけも大きく影響するのだ。

 だから、道徳教育であろうとなんであろうと、自分が教師として子どもたちに対して行う活動はこの三要素を意識して構成していきたいと思う。この三要素を網羅するのは簡単なことではないし、今の自分には難しいとはわかっている。でも、この作文を書いた生徒さんが大人になられて、見る教育現場に、周りに合わせて黒い重い空気を吸う子がいないようにしたいと思った。(矢崎)

※ 写真は、林文通先生撮影のある学校の一コマです。記事とは関係ありません。学校のワンシーンがとてもうまく切り取られていますので、使わせていただけるようにお願いをしました。

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