教室をいきいきと(1)大村はま著 (丹羽)

◯P209 9行目、P210 7行目より
無理に場を作って、ここはどういう場のつもりかといったようにしてしまいますと、そこは作りごとの場になってしまいますから、本当のことばが育つ場にならないと思います。
ことばとは、そういうふうに知識として入っただけのものでは、ほんとうには使いこなせないものだとおもいます。

●以上のことから
大村はま先生は国語教師として生徒にその時期にあった言葉を使うように指導していることがわかる。実際に教師は、「お客様に言ったつもり」「表彰式のつもり」というように架空の世界でやらせるのではなく、実際の場を通してことばを教えていく、使わせていくことが大切だと読み取れる。

教室をいきいきと(1)大村はま著 (丹羽)

◯P135 6行目より
指導者の方にそこまで持っていく自信がなくて、発表会では下手な発表をし、プリントは整わないとかそうさせてしまうのだったら、そういうグループを編成する授業をする力が教師の方に、まだなかったのだと思います。

●以上のことから
授業でのグループ学習では、一人一人の得意や苦手とする部分をしっかりと把握し、内容によってグループを変えるなどという工夫をする必要がある。この時間を教師が惜しんで子どもたちに決めさせたり、毎回同じにすることで発表がうまくいかなかったら子どもたちのせいにしてはいけないのだと学んだ。授業が教師にとっていかに重要かを考えて一人一人に合ったグループ編成や関わり方をすることが大切だと読み取れる。

「スペシャリスト直伝!小1担任の指導の極意」(宇野弘恵著)から1(岡田)

〇 P.10〜
「教師自身が哲学をもつことです。教師自身がどういう教育観や子ども観、指導観をもつのか、どういう指導を必要とし、どういう指導方法を選択していくのかを、自分自身で考えることだと思います。誰の受け売りでもない教育哲学をもつことが、ぶれない一貫した教育をすることになると考えます。」

● このことから、ただ色々な先生方の技術や実践等を真似していくのではなく、きちんと自分の頭で考え、納得したことを、意図を持って指導にあたっていくことが大切だと学んだ。それこそが、ぶれない指導をすることに繋がり、また、全員に同じ指導が出来るようになることで、児童からは不信感を得ることはないはずだ。信頼関係を築くための一つの要素になると考えられる。(岡田)

坪田耕三の算数授業のつくり方」(坪田耕三著)から5(早川)

◯ P119 中段〜P120上段より部分抜粋「おもしろい問題の条件」

 1つめの条件は、問題の意味がすぐわかる。問題の意味は誰でもわかる。子どもにとっても「あっ、解けそうだなと思う」ことです。
 2つ目は、やってみると手ごわい。要するに、難しい問題なんです。6年生では「9+6はいくつですか」という問題はすぐわかるし、やってみてもおもしろくも何ともない。できそうだと思ってやり始めるけれども、上手く解けない。「どうしよう」という疑問を持つ。なんとか解けそうな気もする。そういう状況に至らせる問題は、非常にいい問題だということです。
 第3の条件は、答えが出た暁には、そこに有意義な知見が得られる。答えが出たとき、答えが問題なのではなくて、通ってきた過程において、優れた解法に出会ったとか、いいアイデアを思いついたというのは力になるということです。



● 以上の記述から、ただ公式を詰め込み、数字をあてはめればできる計算問題をやらせ続けるような授業ではだめであるとわかる。答えがわかりそうなんだけれども、あと1歩のところで知識が足りず解くことが出来ないもどかしさ、何とかして解いてやりたいという感情にさせることが大事。授業を進める上で、教師としての授業技術も大切ではあるが、問題一つにしても工夫を凝らすことが、子どもを夢中にする授業をする上で必要不可欠であると考える。(早川)

「教室をいきいきと1 」大村はま (丹羽)

◯ 71ページ14行目から
生徒に「〜を教えてやる」ということばづかいは正しいのですけれども、何か施しでもするような感じ、そしてことばのひびきに品がないような感じで私は使えません。といって、「教えてあげる」というのは間違いだと思います。

● 以上のことから
国語教師として、生徒に対する言葉遣いを誰よりも意識していたことがわかる。生徒を下に見るのではなく、ひとりの人間として敬意をもって接していくことが大切なのだと考える。それとともに、国語教師としても多くの言葉を知り、使いたくない言葉は言い換えるなど工夫をする必要があると思った。

坪田耕三の算数授業のつくり方」(坪田耕三著)から4(早川)

◯P96 2行目
(子どもは)不思議を感じると自分で動き出す。そこが大切です。

●以上の記述より、教科書の流れに沿って学習をすすめることが大事ではあるが、子どもが不思議・疑問にも思わないような問題設定では、取り組もうとする意欲は引き出せないと考える。子どもの「なんでこうなるんだろう」の心のモヤモヤを作り出すことこそが授業に引き込むコツであると感じた。(早川)

「学級づくりカレンダーをもとに創る わくわく算数授業」(志水廣 編著 和田裕枝 著)から 4(嶋藤)

○P34 21行目より
 一方、動ばかりの授業では、実験をする、操作をする、作業をする、話し合うなどの体験活動が主流となる授業です。この授業は受け身の授業よりはよいと思われます。ところが、この授業も問題があるのです。
 動ばかりの授業では、絶えず誰かが話しており、ごく一部の子どもの意見で授業内容が進んでしまいます。他の子どもは「聞いている」という活動が長く、「自分で考える」「自分の考えを検討する」「自分で判断してみる」という時間が確保されません。その結果、学習の理解度が今ひとつということがおこりかねません。

●以上のことから
 自分の考えを発表するなど、子ども同士が声を出して学び合うばかりの授業では、一部の子どもだけで授業が成り立ってしまうので、静と動ばかりのある授業が大切であると考える。じっくりと考えさせる時間を作ってあげることで、それぞれに考えを持つことができるのである。(嶋藤)

「子どもを勇気づける教師になろう!アドラー心理学で子どもが変わる」(岩井俊憲、永藤かおる著)から2(菱川)

◯p40 勇気づけの3カ条から
1、「劣等感」は「向上心」の母であり、劣等感があるからこそ成長できる。
2、焦点を当てるのは「今のダメな自分」ではなく劣等感を克服した「未来のデキる自分」
3、100点を取ることが目標ではない。100点とった自分がどう嬉しいのかが大切。

●以上のことから
これらの3カ条を意識することで子供たちの劣等感を限りなく少なくしてあげることができると考える。そして劣等感は必ずしも過去に一度は経験していて、そこから向上心が生まれると言うことから子供たちに劣等感が生まれた時はその子供が大きく成長するチャンスと考える。

「学級づくりカレンダーをもとに創る わくわく算数授業」(志水廣 編著 和田裕枝 著)から 3(嶋藤)

○P30 15行目より
間違った答えを書いた子に対して、「もう一度よく考えてごらん」と言っていませんか。子どもは自分なりにしっかりと考えた結果、発表しています。だから「もう一度よく考えてごらん」と言われても、子どもには納得がいきません。発言の中には、必ず「授業にいかせる点」が含まれています。それを聞いてあげてほしいのです。子どもの発言の中から素晴らしいキーワードを見つける耳を教師が発揮すれば、それを手本として、他の児童も友達の意見を活用するすばらしい学級が育ちます。

●以上のことから
間違った答えでも、子どものその発言の中からキーワードを見つけて授業にいかしていくことが大切であると考える。しかし、教師がしっかりと子どもの発言に耳を傾けていないとできないことであるし、当然間違った答えだから的外れなときもあるから、そんなときはどうやってその発言をいかしていくのかわからない。難しいが、せっかく発言したことを「もう一度考えてごらん」と言うのは良くないので、素晴らしいキーワードを見つける耳を教師は持たなければならないと考える。(嶋藤)

「坪田耕三の算数授業のつくり方」(坪田耕三著)から3(早川)

◯P40 中段から下段にかけて抜粋
経験の未熟な頃は「こういうことを何とか伝えたい」という思いを強く持ちます。ですから、はっきり言うと、そこから外れている子どもの考えは無視しがちになってしまいます。自分が目標とするものしか見えない。経験を積み重ねると、この目標に至る過程はいろいろあってしかるべきで、子どもの考えを聞いていると横道にずれるけれども、教師が気づいていないことも多々あるのではないかという思いを持つようになります。

◯P42 最下段から抜粋
教師が子どもの考えに触れて、「これが使えるぞ」ということに気がつくかどうかは、教材研究をしっかりしておくかおかないかにかかっています。

●以上の記述より、学校で行う授業とはただ教師の知識の押し売りではなく、子どもの素直な発想を取り入れながら、行うべきだと読みとった。教師として各授業において到達させたいレベルを設定しながらも、発問や課題に対して子どもがどのような考えをもって授業に取り組もうとするかを、事前にしっかりと考えた授業づくりを行わなければならないと考える。(早川)
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