教室をいきいきと2 大村はま (丹羽)

◯P16 3行目より
私は、少年が、物事に打ち込めないでうつろな顔をしていると、いたたまれなくなるのです。何もせず、困った子だなという気持で傍観していることがとてもできないのです。

● 以上から
大村はま先生はできない子、やらない子に対して可哀想などとは決して思わず、自分は教師として何ができるかを夢中に行動することが読み取れる。教師として子どもと関わる上で子どもを困った子などとは思わず、できるようになるための行動を起こすことが大切であると学んだ。

「名人への道-社会科教師」(有田和正著)から(静谷)

◯P132 4行目
 自分の問題(ねがいともいえる)を確かにもち、それを授業中のみならず、全生活を通して執ように追究していく-これは、人間がねがいを実現し、生き方を深めようとしている姿でもある。このような姿を自主的な学習態度というのではないかと思う。

●以上のことから
 自主的な学習態度とは、授業中だけでなく、授業を離れた自由な時間に自分で追究していくことだと考えられる。そのために、子どもの身近な社会と照らし合わせた問題を取り上げ、子どもに問題をもたせることが大切であると考える。

教室をいきいきと(1)大村はま (丹羽)

◯ P351 1行目
「自由に」と言って探させたり考えさせたりするとき、持つべき考え・答は指導者の胸に全部あるように。それがなければ、そういう授業をする資格がないと考えたいと思います。

● 以上のことから
授業をするにあたって、教師は常に生徒たちの意見を全て予測するくらいの知識と教材研究をしなくてはならないことが読み取れる。「自由に」と言っても生徒に任せるのではなく、むしろ教師がよく考えることが大切である。教え込むのではなく、生徒たちが自分で発見したような印象を与えることで達成感を味わわせることができるのだと読み取れる。

教室をいきいきと(1)大村はま (丹羽)

◯ P336 9行目
ほんとうに大事なこと、ぜひという基礎的な勉強をどういう姿でやったか、ということを知らないで、結果だけ、やってあればよかったと思うことが、落ちこぼれを作っていくことにつながると、思います。

● 以上のことから
宿題はやってきてあればよし、とするのではなく、子どもがどういう姿、環境でやったのかという背景までも教師は考えなくてはならないということが読み取れる。その宿題がぜひしなければならない基礎的な大事なことであると、きちんとやらない子は空白ができ、落ちこぼれていくことにつながるため、教師は子どもがどんな姿でやったのかまで考えなくてはならないことがわかる。

教室をいきいきと(1)大村はま (丹羽)

◯ P300 2行目
文章を書くとき、ことに意見を書く時には、たるんだような気持や、しぶしぶといったような気持では、自分らしい考えが掘りだせません。人から聞いたことでも、平版に書き並べているのでは、形だけは整っていても、特にその人らしいところもなく、人を動かすものが出てきません。そのたるんだような気分をなんとかしたいといつも思っていたのですが、教師が自分の文章を書いてという方法になりますと、その教室の中が動いてくるのがわかり、やっぱりこれはいい方法なのだと私は思いました。

● 以上のことから
教師も子どもたちと同じテーマで作文を書いてみることが大切であり、必要であればことばで指導するよりも書き出しを書いてあげるなどその子にあった工夫をすることで自分自身の気持ちだったり、個性が出る文ができるのだと読み取れる。子どもが書きたくなるような身近なテーマや題材を用意することが大切であると読み取れる。
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