縁の下の力持ちに

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今年も駅伝シーズンがやってきました。今日は大学に入ってから今年で3度目の参加となる駅伝大会がありました。

…と言っても、実は選手ではなく補助員として『ぎふ清流駅伝』に参加したのです。仕事内容は交通規制のお手伝いで、走路に車が入らないように規制及び案内をしました。

思っていたよりも車が通ったので忙しかったですが、選手が頑張って走っている姿を間近で見ると、「この人たちを支えたい」という気持ちで私も頑張ることができました。最終的には大きなトラブルもなく大会は終了したので良かったです。何百人といるスタッフのうちの、私は一人に過ぎなかったかもしれません。ただ、選手が気持ち良く競技に取り組めるように、支える側として貴重な経験が今年もできたので、この気持ちを大切にしたいです。(佐藤)

今さらですが…(その2)

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 小学校実習明け、久々に玉置ゼミのホームページを見た時のことです。

 私が所属する陸上部は、岐阜聖徳学園大学のホームページ『SHOW!TALK!TV増刊号(8月号)』で紹介されました。その動画を玉置先生は見て下さっていて、しかも宣伝までしていただきました。まさかゼミのホームページで紹介されているとは知らず、正直驚きました。

 しかし、せっかく宣伝していただいたので、今さらですが私からも宣伝です。私たち陸上部の取り組みをぜひ見ていただけるとありがたいです。この場を借りてよろしくお願いします。(佐藤)

今さらですが…(その1)

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先週のことになりますが、成人式でもらった招待券で初めてJ2サッカーの試合を観戦しました。自宅からすぐ近くの長良川競技場で、地元チームのFC岐阜が徳島ヴォルティスと対戦するのを、父と一緒に応援してきました。

試合開始前、想像以上にサポーターの応援が熱狂的で驚きました。大きく動く旗やタオル、息のあった掛け声からは、やはり地元らしい一体感を感じました。
そんな中で始まった前半は、両チームとも攻め合いながら決定力を欠き、無得点で折り返します。試合が動いたのは後半の残り5分前。ついに均衡が破れて先制されます。もうダメかと思って諦めかけたアディショナルタイムでは奇跡が起きたのです。なんと土壇場で同点に追い付いたのです!今日一番の盛り上がりに、それはもう大興奮でした。しかし、無念にもその直後に勝ち越されて試合終了となってしまいました。

残念ながら試合には負けたものの、サッカー観戦を思う存分楽しむことができて良かったです。また行く機会があれば、次は勝ち試合を観てみたいです。(佐藤)

関のお祭り

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皆さん、刃物祭りというお祭りをご存じですか?
よく勘違いされますが、けして刃物を振り回す危ないお祭りではありません。
これは、私の住む関市で毎年開催されているお祭りで、700有余年の伝統を持つ刃物のまちが、限りなく発展していくことを祈って行われています。まつりの期間中、本町通りをメイン会場として刃物大廉売市が行われ、市内では古式日本刀鍛錬や技術師の実演、刀剣展、ナイフショーなど刃物のまちならではの催しが行われます。
世界の料理人も注目する関の刃物が破格の安さで買えるということで、外国人観光客含むたくさんのお客さんでいつも賑わいます。

実習先の子どもが、地元の祭りを知る学習でお祭りに行く宿題が出ているそうなので、(子どもたちに会いたくて)何年ぶりかに訪れてみました。
久しぶりでしたが、よくよく見てみると、地元の人の工夫や努力がわかって、関市ってすごいな、頑張ってるなと思いました。子どもたちとも話しましたが、地元の学習をすることでより地元に誇りを持ったり好きになったりすることができるのではないかと思います。将来地元を離れてもずっと大事にできるように、地元について知る学習をすることは大切だと思いました。(杉下)

バンクーバーの朝日

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今日は空き時間を利用して、レンタルDVDで『バンクーバーの朝日』を観ました。ずっと気になっていた映画だったので、実際に観ることができて良かったです。

1900年代初め、カナダに渡った日本人は過酷な肉体労働や貧困、さらに差別を受けていました。そんなの日本人にとって希望の星となったのが、野球チーム「バンクーバー朝日」でした。万年リーグ最下位だったチームは、大胆な戦法とフェアプレー精神でひたむきに戦い抜き、ある年のリーグ最終戦では優勝争いをするまでに成長しました。野球をするのに立場なんて関係ないことを改めて感じました。また、国境をも越えられるスポーツの素晴らしさを実感しました。

しかし、その後日本軍の真珠湾攻撃により、日系移民は敵性国民として収容されることになってしまうのです。彼らが収容所から出たのは終戦後5年後、さらに「バンクーバー朝日」という野球チームの功績が称えられるのに、実に60年の歳月が掛かることとなってしまいました。野球というスポーツを通して国境の壁がなくなりつつあっただけに、戦争によって再び敵対視しなければならなかったのは、本当に悲しいことです。

今改めて思うのは、何不自由なく生活することができ、かつ自分の好きなことを思いっきりすることができる現代が、本当に平和で幸せだということです。同時に、当時を必死に生き抜こうとしていた日系移民の方々のことを決して忘れてはならないと思いました。映画鑑賞のみによる感想になってしまいますが、いろいろと考えさせられることが多く充実した時間となりました。(佐藤)

秋の風物詩?

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10月3日は実習校での運動会。児童の輝く姿を見届け、テントなどの片づけも終わってから帰宅。そのあと急いである会場へ向かった。

それは地元江南市の花火大会。江南市の花火大会は毎年10月にあり、音楽と花火のコラボレーションが見所である。

3年連続のボランティアは打ち上げ場所付近の階段警備。あまりの迫力に、打ち上がるたび私も一緒に花火を見上げてしまった。(しっかり警備もしています 笑)

縁があって参加しているボランティアだが、今年も大好きな地元の花火大会を少しでも支えられて良かった。来年もぜひ秋の花火を見たいと思う。(松井)

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お礼状

天高く馬肥ゆる秋、皆様にはますますご壮健のことと拝察いたします。

これは時候の挨拶の例です。
先日、教育実習のお礼状を書いていたのですが、手紙ってむずかしい・・・
頭語、時候の挨拶、安否の挨拶から始まり、結びの挨拶、結語で終わる。日付や署名は最後に書く。

手紙の書き方、知らないことばかりでした。

さらに、敬語がむずかしい・・・
手紙ということで、会話とはまた違う感じがして書いているうちに文章がおかしくなったりしてしまいました。

私は専門が国語なので手紙も敬語も、もっと勉強しなくてはいけないと強く感じました。
また、様々なことについて専門が〜という話でなく、一般常識としてもっともっと勉強していかないといけないと思いました。

写真は伊吹山です。
この土曜日に友達といきました。
無事晴れて、琵琶湖も濃尾平野もどちらもとてもきれいに見ることが出来ました。
伊吹山へ行った感想は、とても寒かった・・・(中田啓)
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秋の便り

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実家にいると甘い、いい香りが部屋の中にやってくる。
そう、金木犀。
家の庭には二本の金木犀がいる。それぞれ自分と姉と同い年のものである。
生まれたときに親が植えたもので、毎年この時期になるといい香りを漂わせてくる。
この香りがすると秋がきたと感じる。

と、この記事を書きながら「ん?香り?匂い?この場合どちらが正しいのか。」という疑問が浮かんできた。
説明できる方はいるだろうか。「香り」はなんとなくいいにおいで、「匂い」はいろんな匂いなのかな?と、雰囲気で解釈していたので自信をもって説明することが出来ない。
調べてみるととても分かりにくい。「香り」は漢字の成り立ちが「かぐわしい香り」であるのでそのまま「かぐわしいにおい、いい香り」という意味である。
次に「匂い」である。「よいかおり」というのは辞書に書いてあるが、それでは香りとの違いは何なのか。
いろいろと調べてみたが分からない。使い分けにはっきりしたものがなく、個人個人の感覚でそれぞれ使い分けているらしい。ただ「におい」には「臭い」も含み、これは「くさいにおい」のことをいう。

結局金木犀の香りなのか、金木犀の匂いなのか・・・
金木犀は名前の「金」や花の見た目の美しさからも高級そうなイメージ。そして「香り」は漢字の成り立ちが「黍(きび)のかぐわしいかおり」。
金木犀にふさわしいのは「香り」だ!と、思いました。(中田啓)

写真は実家の金木犀です。
もっと写真を上手にとれるようになりたい・・・

仙台のお土産いただきました

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 いつも我がゼミ生にお土産を持って来ていただける特別支援教育専修の松本和久先生ですが、今回は仙台で開催された学会に参加された折に、買ってきていただけました。

 同じ専修の安田和夫先生も、「私も加わりますよ」ということで、お二人からのお土産でした。

 ちなみにゼミ生へのメッセージ付きです。「一致団結してくださいよ」(お土産の包装紙に注目!)とのことでした。(玉置)

気分転換に

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実習の気分転換として、休みの日になると、親と一緒にモーニングに行きます。ゆっくり話しながら、美味しいものを飲んで食べるこの時間が大好きです。
また、家族そろって話すことのできる、貴重な時間となっています。このような、家族で話すちょっとした時間を大切にしたいと、改めて思いました。(牧野)

※写真は、笠松近くのカフェです。競馬場近くにあるので、店内には馬のモチーフのものが多いです。モーニングも美味しくて、かわいい雑貨も少し置いてあり、お気に入りです。

SHOW!TALK!TV増刊号(8月放送分)にゼミ生・佐藤君登場

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 本学では、動画配信SHOW!TALK!TVがされています。

 8月放送には、陸上部が登場。ゼミ生の佐藤広樹部長のコメントが秀逸です。

 どうぞここをクリックしてご覧ください。1分50秒から佐藤部長のコメントが始まります。

大須演芸場の思い出

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 落語などの演芸に興味がまったくない方は、このたび、名古屋の大須演芸場が再開されたことにも関心がないと思います。

 私にとっては、この大須演芸場はとても思い出深いのです。

 小学校4年生のときに、母親に連れられて、大須演芸場に入ったことを覚えています。出演者の一人、落語家・月の家円鏡のことも覚えています。毎日、テレビで顔を見る人が目の前で落語をやっていたからです。

 大学生のころには、落語研究会に入ったこともあって、演芸場に数回か足を運びました。お客さんはいつ行ってもほとんどおらず、この状態が続くならつぶれてもおかしくないと思っていました。

 教員になって先輩方と「復活寄席(先生たちの落語会)」を年に一度開催していましたが、その最終回(10回目)には、大須演芸場を借りて開きました。席亭から「円生、小さん、米朝、松鶴といった名人が上がった高座ですよ」と言われ、思わず床をなぜたことを覚えています。

 その後は、古今亭志ん朝師匠出演のときの記憶が鮮明です。さすが志ん朝師匠です。満席、立ち見は当たり前でした。立ち見も満員電車状態の込み具合でした。

 いよいよ演芸場閉鎖が決まり、最終日に桂九雀師匠が落語会を開かれることを知りました。これで名古屋から演芸場が消えるに違いないと思い、目に焼き付けておこうと出かけたのが正直な気持ちです。九雀師匠もきっと同じようなお気持ちだったと思います。「記念に写真を撮っておきましょう」と言っていただき、一緒に撮ったのが上の写真です。

 予想に反してというとお叱りを受けるかもしれませんが、9月22日に大須演芸場が新生しました。そのニュースを見て、大須演芸場との関わりを思い出し、記事にした次第です。(玉置)

三ツ渕校区(三区)合同敬老会にて弟子と落語

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 9月21日(敬老の日)は、小牧市三ツ渕校区(三区)合同敬老会にて、弟子の「愛狂亭ふくら」とともに落語を演じてきました。

 今回は時系列で、稽古から反省会までお伝えします。

○ 8時30分 
味岡児童館に集合。ふくらの落語稽古を30分間。上下の確認。手ぬぐいの使い方指示。歩いてくる人を呼ぶときの立膝伝授。

○ 9時から9時30分
車で三ツ渕小学校へ向かう。車の中で、稽古で言い間違えたところの復習。最初に二人でミニ漫才をやることを打ち合わせ。ふくらにインタビューしながら、その内容を決定。一度練習する。ふくらは1回で段取りを飲み込む。

○ 9時30分から10時まで
着替え。ふくらは家から浴衣姿で着替えなし。ふくら緊張感なし。校長室掲示の写真を見て、いろいろと質問する。お父さんから、ふくらの算数問題の解答を聞く。これはネタになると思い、確認。

○ 10時に二人で高座へ
打ち合わせを1回しかしていないのに、ふくらの受け答えはばっちり。よく受ける。間がとてもいい。弟子の凄さを感じる。(あとで聞いてみると、忘れていたとのこと。思い出すまでの間が実によく、予想以上に受ける)

○ 10時10分から20分間
ふくらの「平林」。この噺でこれだけ受けたら言うことなし。袖でプレッシャーを感じる(笑)。ふくらは朝の稽古で教えたことをクリア。

○ 10時30分から25分間
ふくらをネタに干支の話へ。いつものまくらをたっぷり振って、「子ほめ」の短めバージョン。汗をたっぷりかく。

○ 11時15分から12時まで
ふくらとお父さんと一緒に喫茶店でお疲れ様会。今日の高座で良かったことを伝え褒める。「好きなものを頼めばいい」というと、いちごのかき氷のリクエスト。ふくらのおかげで今日の高座は助かった。弟子とお父さんに感謝。

 以上、9月21日午前の出来事でした。(三楽こと玉置)

シルバーウィーク

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今、シルバーウィーク真っ只中で、旅行などを楽しんでいる人も多いと思います。
しかし、ネットニュースで目にしたのですが、次にシルバーウィークが来るのは、なんと11年後だそうです!!
今は実習中ですが、貴重なシルバーウィークを、充実したものにしようと思います。(牧野)

福!列車かもめ

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 9月15日、博多駅ホームに写真の「福!列車かもめ」が止まっていました。

 この列車は、福山雅治デビュー25周年を記念する列車とのこと。福山ファンにはたまらない列車だろうと思います。多くの人がシャッターを切っていました。(玉置)

小牧・堀の内交流会で落語

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 9月13日(日)、小牧・堀の内交流会で落語を演じてきました。

 この地区はあるときから、敬老会や子供会などがなくなり、地域の方々が集まる機会がなくなってしまっていたとのこと。区長さんらが地域の集まりを作ろうと「交流会」を昨年から企画されたとのことでした。

 この地区の皆さんには、小牧中学校教頭・校長時代に格別お世話になりました。お礼をしっかり述べた後、小噺をたっぷりさせていただき、落語「子ほめ」をやらせていただきました。大いに笑っていただきました。(玉置こと愛狂亭三楽)

100回目の「小牧・落語を聴く会」で世話人引退

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 昭和63年から始まった小牧落語を聴く会の世話人を28年間にわたって務めてきました。

 100回目までは世話人を続けることを目標にやってきましたが、9月12日の会で、無事100回目となりました。心に決めておいたとおり、お客様に「世話人をおります。長い間ありがとうございました」と挨拶をしました。

 28年という長きにわたりましたので、いろいろなことがありました。時には続けることができるのだろうかと思ったこともありますが、応援をしていただける方があって、自己の目標を達成することができました。

 小牧落語を通して知り合えた方々は多数、特に大好きな落語を生業としておられる多くの落語家さんとつながりができたことで人生がとても豊かになりました。忘れられない28年間でした。

 なお、世話人として取材を受けたこともありました。以下は、平成11年7月13日に中日新聞に掲載された記事です。授業と落語の関係について聞かれた記事です。少々長いですが、お読みいただければ幸いです。(玉置)

 ***

 「小学生のころから漫才や落語が大好き。漫才の台本を書いて月一回、学校のお楽しみ会で友人とトリオ漫才を演じていました。それで受ける喜びを知ってしまい、高校、大学では落語研究会に所属。大学(愛教大)時代は四年間で高座に上がった回数が四百回以上という新記録を作りました」

 小牧市の「小牧落語を聴く会」世話人の玉置崇さん(42)=同市岩崎。おしゃべりが大好きという感じで、話しだすと次々と言葉が続く。無理に遮らないと、こちらも言いたいことを切り出せないほどだ。相当の落語ファンで、しゃべりの名人。しかし、街で出会ったとしても、この人が小牧中学校の教頭で数学教師だと分かる人は少ないだろう。

 最初の勤務地、小牧市米野小で教師を務めながら、大学時代の仲間と名古屋市で落語の会を開いた。アマチュア落語家と教師の二足のわらじは十年間続き「義理で聴きにきてくれる友人たちに迷惑を掛けられない」と、大須演芸場(中区)での高座を最後に演じる方は打ち切り。平成元年、落語仲間と小牧落語を聴く会を発起させた。

 中堅落語家たちを招き年に四回開いている会は、今月四日で三十九回目を迎えた。始めのころに呼んだ落語家の中には、最近脚光を浴び始めた人もおり、「小牧寄席」は専門誌の「地方寄席十傑」に選ばれるほどになっている。

 ★★★

「最盛期はレパートリーは三十席ぐらいあったが、今は四席ぐらいですかね」と噺(はなし)家としての実力は、なりをひそめたが長年培ったしゃべりのテクニックは数学の授業でいかんなく発揮されている。

 「客の反応を見ながら話す落語と同様、授業も子どもの反応を見ながら進めるもの。授業は高座と同じ」と話し、声の抑揚、間(ま)の取り方に気を使う。「落語ではもちろん言えないが、授業で静かにしなさい』とは言いたくない」。教師の話術(能力)で生徒を引きつけたいという自負心がのぞく。

 「五十分の授業で二、三回は笑わせないと」と笑うがそれも計算の上。四年前、そんな授業のシナリオを提案し、仲間と一緒に「数学の授業を感動の連続に」と題した本も出版した。

 ★★★

 玉置さんはパソコンの名手でもある。教師になってすぐに始めたが「生徒二百人の成績を順に並べる処理に三十分かかった」という時代だった。

 現在ではパソコンを使った校内外との情報伝達や授業への導入などで、小牧中はリーダー的存在となっている。

 今春からは、全国的にも珍しい、パソコンのある生徒の家庭と学校が電子メールで一斉に連絡が取れる「牧中メール配信サービス」も始めた。「子どもは家に帰っても学校のことをあまり話さない。気軽な情報公開です」。伝統芸能と最先端技術の混在。

 しかし、難なくこなす玉置さんにミスマッチは感じない。一見、相いれそうもないものを一緒にしてしまうマジックも得意のようで、今月三日には落語を聴いた後、地域教育をテーマに話し合うシンポジウムを市まなび創造館で開いた。

 大阪の落語家桂雀松さんを招いたシンポは、毎年三回開催していた同中学校区青少年健全育成会の会合を思い切って衣替えしたもの。「落語の中の日本人は隣人に話し掛け、子どもをしかり、夫婦げんかの仲裁をしたりと、温かさがある。ご隠居が世の中のしきたりを教えるような教育的要素もある」というのが、落語を組み合わせた理由。シンポでは、地域が温かい心を持って子どもを育てようと、意見がまとまった。

 不登校など、学校を取り巻く問題は山積するが「数学の問題一つを取っても、子どもたちはいろんな解き方(見方)を考え、これをみんなで聞いて感動し、共有できるのが学校。一人で勉強していてはだめ。学校の存在価値はそこにあるんです」。最後は教頭先生の顔になった。(荒城聡)

母の優しさ

教育実習前に母がチョコレートが入った袋をくれました。
その時は中身を確認ぜず、すぐに冷蔵庫に入れました。
実習が始まり、母がくれたあのチョコレートのことを思い出し、食べようと思って取り出したらチョコレートの裏にメッセージが書いてありました(^^)

小学生の時、お弁当のご飯の上に海苔でメッセージが書いてあったり、センター試験の時、おにぎりと一緒に手紙が入っていたり、母はもちろん直接応援してくれますが、このように時間差で優しさを届けてくれたり、時間差で背中を押してくれるプロです(笑)

私も母のようにちょっとした気遣いのできる、ちょっとした優しさを届けられる人になりたいです。
(渡部)
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漢字の読み方

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私はクイズ番組を一緒に考えながら見るのが好きです。よく家族で競争しながら楽しく見ています。
最近、あるクイズ番組を見ていたら、今まで知らなかったことがありました。
「女王蜂」とは何と読むか知っていますか?
私は、「じょうおうばち」だと思いましたが、問題に出るくらいだから何か捻った答えだろうと気になっていました。
答えは、「じょおうばち」です。
私は今までその読み方は聞いたことがなかったし、携帯などの変換でも「じょうおう」で変換されるので、それが間違いとは驚きました。しかし、確かに「女」という字だけを見ると、「じょ」と読みます。
私は、このような小さな発見を積み上げて、知識を増やすことを大切にしたいです。また、その発見を、このような形で他の人にも発信したいと思います。(牧野)

松本先生からのお土産

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 松本和久先生から広島出張のお土産をいただきました。

 さすが大の広島カープファンです。

 「広島カープもみじ饅頭」をいただきました。

 ゼミ生の皆さんは、教育実習中ですので、私が一人でいただくことにします。

 ゼミ生への報告を兼ねたおいしい記事でした。(玉置)
 
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