USJに行ってきました(丹羽)

こんにちは。丹羽亜由美です。
私は先日大好きなユニバーサルスタジオジャパンに行って来ました。
乗り物にたくさん乗ったり、美味しいご飯を食べたりするのはもちろんなのですが、
私は15周年のリボーンパレードが一番の楽しみです。
このパレードはお客さんが参加できるパレードでキャストの人たちと一緒になって
みんなで盛り上がれるパレードです。
私はこのパレードを最初に見たときからパレードのファンになってしまい、
年間パスポートを買ってしまったほどです。(笑)

このパレードに参加するとすごく元気になれるし、周りの人たちとも自然と仲良くなれるのです。
パレードに出てるお姉さんやお兄さんからすごく元気をもらえます。
私も誰かに元気を与えられる存在になれたらいいな、と思わさせられます。

そして、夜には松岡修造さんが来ていて話されているのを聞きました。
テレビで見るよりも迫力があって何事も積極的に後悔しないように全力で取り組むことが大事で
そういう人を僕は全力で応援している、とお話されていました。
もうすぐ私は3年生になり、実習など大変なことがたくさんあると思うけど、
後悔しないように全力で頑張りたいと思いました。

最後に、大好きなこのパレードは3月いっぱいで終わってしまうみたいなので
急遽、このパレードに参加するために来週も行って来ます(笑)

くだらない話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。(丹羽)

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教訓を生かして(岩田)

 先日先輩方の卒業式も終わり、いよいよ4年生のスタートと教員採用試験に向けてのカウントダウンが始まってきました。面接練習も本格的に始まり、不安でいっぱいですがそんな中3月11日に第2回の教員採用模試を受けてきました。結果には触れませんが、少し感じたことがありましたので記事にしたいと思います。

 『災害発生時に、教師の指示を待たずに児童生徒等が自ら判断することは、危険性が高いので、避けるようにしなければならない。』学校防災マニュアルからの出題でした。答案は「児童生徒が自ら判断し行動できるように繰り返し訓練することが大切。」ということで、必ずしも教師の指示を待たなくてもよいということでした。

 これを見て、ふと東日本大震災のことを思い出しました。模試の日は震災からちょうど6年が過ぎた日でした。6年前の今日、わたしは高校入試の入試日休みで家で宿題をしていたのを覚えています。津波が街を飲み込んでいく映像は今でも鮮明によみがえってきます。 宮城県石巻市立大川小学校は全校児童の約7割にあたる74名が死亡・行方不明になりました。これには学校側が具体的な避難場所を決めていなかったこと、避難先の選択ミス、危機意識の低さなど、教職員の対応が問題に挙がっています。あの日、教師の指示を待っていた多くの子どもたちが犠牲なりました。避難が始まったのは地震発生から40分が経過した時でした。

 しかし自分自身はどうかと考えたとき、災害時どこに避難するのか、何が必要なのか全く考えたことがありません。まさに危機意識の低さであると思います。「自分の身は自分で守る」だけでなく児童生徒の命も預かる教員という立場より、防災について考えなくてはと思いました。自らの命を守り社会を生き抜く力を子どもたちにつけることが、教員の本当の使命なのかなと考えさせられました。2期生寺坂君の記事を読んで、そういえば、、、と思って書かせてもらいました。(笑)

 犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。(岩田)
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卒業しました(大澤)

春。別れの季節。
3月15日は卒業式でした。
振り返ってみると、大学生活4年間はとても充実したものでした。後悔はありません。こう思えるのは、在学中にたくさんの素敵な人たちに出会い、たくさんの貴重な経験をさせてもらったおかげだと思います。
その中でも、玉置ゼミは特別です。最初は、どんな先生でどんなゼミ生が集まるのか不安と緊張しかありませんでした。しかし、ゼミの回数を重ねていくうちにゼミが大好きになりました。
玉置先生には、教師として大切なことも、人として大切なこともたくさん教えてもらいました。
一期生とは、教員採用試験全員合格に向けて、また、卒業研究をより良いものにするために、高め合ってきました。合宿や飲み会、旅行などでの思い出もたくさんできました。
4年生になると、かわいい後輩ができました。彼ら(彼女ら)のためなら何でも力になってあげたいと思えます。
セミナーでは、尊敬する先生方やわたしたちのことを応援してくれる人たちに出会い、こんなに恵まれたゼミはないと思いました。
本当に感謝しかありません。
ありがとうございます。
これからもぜひよろしくお願いします。(大澤)
※二期生よりプレゼントをいただきました。ありがとう。宝物にします!(下の写真)
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4年間を振り返って(浦)

3月15日、ついに卒業しました…!
授業にサークルにアルバイト。そして、初めての一人暮らし。
本当にあっという間の4年間でした。
しかし、やりたい事をやり切ったこの大学生活に後悔はありません!

何よりも、2年生のゼミ決めで玉置ゼミを選んだ自分を褒めてあげたいです。(笑)
私は学級経営について学びたいという思いと、「いじめ」についての研究をしたいという思いがありました。
しかし、専門の数学をもっと学びたいという思いもあり、ゼミ決めの際も数学ゼミと本当に悩みました。
しかし、教職ゼミの説明会で玉置先生のゼミは学級経営が研究テーマであること、そして玉置先生は数学の先生であることをお聞きし、学びたいことが全部学べるのではと思い、玉置ゼミに入りたい!と思いました。(欲張りですね…笑)

結果、学びたいことがしっかりと学べ、またそれ以外にも先生から、ゼミの仲間から、そして様々なセミナーなどから、多くのことを学ぶことができました。
研究についても、初めはただ漠然としたものではありましたが、先生のアドバイスの基、「居心地の良い学級」というテーマに絞ることができました。
この研究について、質疑応答にもありましたが、まだまだ不十分な点もあります。
「居心地の良い学級づくり」をこれからも私の学級づくりのテーマにし、改善を加えながら、より研究を進めていきたいと思います。

玉置先生をはじめ、1期生・2期生・3期生のゼミの仲間、数学専修の仲間、サークルの仲間、その他にもこの大学で、岐阜で、セミナー等で出逢えた皆さんに感謝、感謝です。
これから、すぐに会えるという距離ではなくなりますが、集まりがあれば駆けつけたいと思います!
なので、ぜひ福井にも遊びに来てください。お待ちしております。(笑)

この大学で4年間を過ごすことができ、本当によかったです。ありがとうございました!
そして、これからもよろしくお願いします!
(浦)
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最後のお祭り(白井)

3月11、12日に所属している大学のよさこいサークルで浜松がんこ祭りというものに出場しました。目指していた結果を達成させることはできませんでしたが、学生の部 3位という結果をいただきました。

このことから感じたことは、仲間と目標に向かって一生懸命になる素晴らしさです。私は、3年生で夏に引退をして、久しぶりであったため、一生懸命になる恥ずかしさもありました。しかし、顔がくしゃくしゃになるほどの笑顔と大声を出す仲間の姿に私も負けてられないという気持ちになりました。本番では、仲間とともに恥じらいなど捨て、一生懸命になって踊りました。

大人になった今だからこそ、一生懸命になるということを改めて感じる良い機会となりました。この一生懸命に気づけたのも仲間の存在があったからです。これで、引退となりますが、サークルの永久コンセプトである『出逢えたキセキに感謝』を私も忘れずに、ここで出逢えた仲間を大切にしていきたいと思います。そして、このような経験を子どもたちに伝えていける教師を目指していきたいと思います。

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アルバイト(江口)

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私は、1年生の時から塾でアルバイトをしています。
はじめは本当に教えられているのか、子どもたちは理解しているのか不安でした。テストが返ってくるたびに「これ授業でやったのに。。。やっぱり伝わってなかったのか」と、心配と申し訳なさで一杯でした。そのため教えたあと、必ず似た問題を自分で考え本当に分かったのか確認するようにしました。そうすることで、お互いに不安な気持ちを払拭することが出来ます。そのため「先生!点数上がったよ!」と言ってもらえる回数が増えた気がします。

1年生から担当していた子どもたちは、先日受験を迎えました。3年生の子どもたちは、本当に明るくいつも気さくに話しかけてくれます。担当ではない時も話し、学校のことなどを話してくれます。特に私は、151cmしか身長がないため、1年生のときに私が勝っていた子も今では、大幅に抜かされています。そのためいつも「先生背また縮んだ?」などとからかってきます。そのやりとりもまた楽しい1つのエピソードでもあるのですが(笑)

その3年生たちに会ったことで更に教師っていいなと思うようになりました。合格に向けて、分からないところを分かるように努力し、友達が頑張ってるから負けないくらい勉強するという強い思いをもって必死に勉強する姿を見ることが出来ました。夢に向かって頑張る姿は、とてもカッコよく、私自身も頑張ろうという気持ちにさせてくれました。結果は、どうなったかまだ分かりませんが、どうか全員志望校に受かってますように。
あと1年塾でのアルバイトを頑張ります。 (江口)

旅立つ背中に抱く覚悟(吉田)

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3月15日、大切な日がやってきた。
世間では「WBCで日本が決勝ラウンドへ」か「森友学園」かが新聞の一面だろう。

しかし、このゼミにとっての一面は「一期生の卒業」これに尽きる。

思えば、私の目標は先輩たちからスタートするものだった。

先輩たちのような意見が活発に出ていくゼミに憧れ、二期生のゼミに来ていただき、みんなでゼミの雰囲気を変えていった。
セミナーや勉強会の先輩たちの動きを見て、もっと高みを目指した。
先輩たちみたいな授業目線や姿に近づきたくて、必死に授業を見るようになった。
先輩たちと同じ舞台に立ちたくて、今努力をしている。

「先輩たちは凄い」と2期生は揃えて口にする。

そんな先輩たちが今日、卒業された。
いつも前にいた先輩はもういないと思うと寂しいが、私に大切なことを思い出させた。それは寺坂の記事に書いてあることだ。
「一期生を超えるくらいの努力はしないと追いつけない」という内容である。

もう迷っていられない。
自分自身が目標を高く持ち、貪欲に前へ進んでいこうと心に決めたのだ。

先輩の背中が小さくなると共に増す想いは、素敵な先輩方がいたから抱ける覚悟だった。

ご卒業おめでとうございます。
本当にありがとうございました。(吉田)


靖国神社参拝(寺坂)

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先日、1期生の中田昂樹さんと東京へ行ってきました。本当の目的は、ディズニーシーに行くことだったのですが、予定があったので前日から東京入りをしました。

半日程度の時間でしたが、多くの観光地に行くことができました。中でも、靖国神社はとても感じるものがありました。あまり簡単にこの言葉を使いたくはないのですが、英霊たちが眠っていて一度行かないと分からないものがあります。

敷地内にある遊就館にも行きました。そこでは、戦争についての細かな記録と命を落とされた方の遺品が整理されていました。当時着用されていた、衣服や身につけていた小物、愛する家族に当てた手紙など未来へ残していかなければならないものばかりでした。どの方も、愛する家族・日本のために命を惜しまなかったことが伝わってきました。

しかし、一つ難しさを感じることもありました。それは、戦争教育についてです。日本は、戦争について当事者であるため、どうしても偏った見方をしてしまいます。特に、遊就館でのビデオを見て感じました。戦争に対しての日本や外国の善し悪しではなく、戦争が起きて、多くの方がなくなったという事実を考えさせることが大切なのかなと思いました。

現在の教育を批判するわけではないですが、もし戦争が起きたとき国のために命を惜しむことなく働くことができるかとなると、そうではないのかなと感じます。教育の影響の大きさを感じました。

写真は、靖国神社をバックにした後光の差し込む中田さん(寺坂)

ゼミの仲間紹介〈番外編〉(牧野紘)

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ゼミの仲間紹介、番外編としてもう1人紹介したいと思います。


そのもう1人とは、玉置先生です。


実は明日卒業式なのです。学生としていられるのも明日まで。先生にゼミ生として可愛がっていただけるのも明日まで。だから思い切って先生を紹介しちゃおう!と思ったわけです。(笑)

以前、色んな場で私は話したことがありますが、玉置先生は私の第2のお父さんのようです。大学3年で出会い、たった2年でそれは大げさではないか?と思われる方もいるかもしれませんが、私は本当に思うのです。
もちろん、教採のこと、卒業研究のこと、セミナーに参加しての学び、たくさんのことを玉置先生から教えていただきました。それだけではやはり、「尊敬するゼミの先生」ではないか、「お父さん」はどこから来るのか。

私は考えてみました。

それは、玉置先生が私たちを我が子のように可愛がってくださったからだ、と思いました。
卒業研究を見てくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の自由研究を見てくれるお父さんのようでした。教採指導をしてくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の進路を心配するお父さんのようでした。たくさんのセミナーに連れていってくださる玉置先生は、まるで我が子に色んなことを経験させたいと願うお父さんのようでした。

だから私も玉置先生をお父さんのように慕っていたのだ、と気づきました。
研究室はまるでお父さんの部屋でした。研究室に相談に行くと、仕事の手をとめ、私の相談や他愛もない話を真剣に、楽しんで聞いてくれるお父さん(玉置先生)がいました。セミナーの帰りには、お疲れ様とごはんに連れていってくれ、一緒に美味しそうにカツカレーを食べるお父さん(玉置先生)がいました。教採の後、メールの文面だけで私の元気のなさを感じ取り、電話しなさいと言ってくれたお父さん(玉置先生)がいました。

今思い出して記事を書いていると、うるっときちゃいますね。(笑)

もうすぐゼミを卒業する一期生(長女)として、後輩のみんなに伝言です。
・玉置先生はとってもお忙しいです。会いたいときにはアポをとること。
・玉置先生はたくさんメールをくださります。なるべく早く反応をすること。誠意はスピードです。
・玉置先生は甘いものが好きです。先生が疲れていそうだなって思ったら、甘いものを差し入れること。

えらそうに伝言するのはここまでにします。(笑)後輩のみんななら、きっと大丈夫ですね。

以上で、本当に最後のゼミの仲間紹介を終わります。
玉置ゼミに入って良かった!というありきたりな言葉は言わないでおきます。
これからもこの繋がりは続いていくのですから。(牧野紘)

美味しい!の代償に…(堀江)

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先日、鳥羽の方へ行き、牡蠣の食べ放題に行って来ました。

牡蠣の食べ放題は初めてだったので、友達とワイワイ楽しみながら、たくさん牡蠣を食べていました。
幸せな気分で家へ帰り、次の日も何もなく過ごしていました。

すると、牡蠣を食べて2日後の朝方、ひどい吐き気と腹痛で目を覚ましました。
なんと、牡蠣にあたってしまったのです。
焼き牡蠣だったし、大丈夫だろうと思っていたのですが、焼きがあまかったのか、あたってしまいました…。

私は大学1年生の頃、胃腸風邪にかかったことがあるので、ほぼ同じ症状だったのですが、あの辛さは何度経験しても、慣れないもので、本当にしんどかったです。

体調が悪くなると、普段健康でいることのありがたさや、家族のありがたみを感じます。
たくさんの人に迷惑や心配をかけてしまったし、とても辛かったですが、ありがたみを感じることができて、良かったです。

皆さんも牡蠣を食べることがあったら、あたらないように、十分注意して食べてください。
(堀江)

教採模試の問題で(寺坂)

3月11日に第2回教採模試がありました。結果は、あれですがまたここから頑張ります。前回(12月)からの成長はありましたが(笑)

小学校全科の国語の問題の中に、国際労働機関(ILO)のフィラデルフィア宣言についてがありました。その一部を抜粋します。
 
 「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」

という、文がありました。これを見たときに、2015年に開かれたCOP21を思い出しました。CO2の削減についてです。世界全体で、CO2を削減しようというものですが、今思うとあまりにも都合がよいなと。イギリスで起きた産業革命から始まり先進国が、次から次に燃やして地球の環境を悪くしてきたという大きな事実があります。そこへ、時間がかかりましたが国内の情勢も落ち着き、国力をつけていこうとしていた中国やインドなどは納得がいかないと思います。極端な例を出すと、先進国の尻拭いをしているように思えます。ODAなどで、援助もしていますが国家間での本当の平等って何なんだろう、なんて模試の最中に考えてしまいました。

現在、北朝鮮とマレーシアをはじめ、少し昔より国通しの関係というのは良くないのかなと思います。全部が全部ではないですが、すこしは経済格差というものがかかわってきて起こっている問題なのかと思います。

これも、だいぶ偏った意見なので、記事を読んでいただいた方、私に新しい角度での見方を教えてください。(寺坂)
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目標を立てること(浦)

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3月になり、来年度の勤務地が決まった仲間も多くなり、いよいよかとドキドキの日々を過ごしています。

そんな中、私の元には勤務地のお知らせではなく、1月末の研修で受けた英語の確認テストの結果が届きました。

このテストに向けて、教育委員会から目標点数を定めるよう指示がありました。
高校卒業程度の問題。目安は70点。英語に対して中学生の時から苦手意識を持っている私は、その目安の70点を目標点数に設定しました。

正直、7割も取れるかな…という気持ちでした。受けたくないと言い続けました。それほど英語が苦手なのです。(笑)

しかし、逃げてはいけないと言い聞かせ、問題集の解き直しを行ったり、英語のラジオ講座を聴いたりしました。

結果、70点を超えることができました!
とても嬉しかったです。逃げずに、出来ることをやってから挑んでよかったなと思いました。

目標点数という具体的な目標があったことが、頑張れた要因だったと思います。ただがむしゃらに勉強するのではなく、目標を立てることで、「達成したい!」という強い思いが生まれました。

これからも、苦手なことに立ち向かわなければならない場面が多くあると思います。そんな時こそ、こうしたい、こうなりたいという目標を立て、その達成に向けて努力していきたいです。(浦)

特別な帰省が気づかせてくれたこと(吉田)

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私の実家 山口に久しぶり帰ることができます。
最近は学校で行われている勉強会、ゼミの活動、アルバイトと立て続けの予定の中でやっと確保することができた時間でした。体を休める、久しぶりに会えるという喜びもありますが今回はもう1つ大切なことがあるのです。
それは「これからの自分」を伝えることです。

私はもう少しで四年生、社会に出て行くのはあと一年になります。
今の私がいるのは、親や周りの人に大切にしてもらえたからだと思うので、そんな人にこれからどうやって生きて行くのか、どこで生きて行くのかということを伝えたいのです。

しかし、不安です。
親に話すことではなく、自分の決断にそう感じてしまいます。
その決断に恥じない私に今後なれるのか、言い切って大丈夫なのかと…。
決断が近づいてくるにつれ、私という人間をどうコーディネートしていくのか考えきれていない自分に気づきました。
それと共に今やれること、1日を大切にするしかないと今まで以上に思うきっかけになりました。

山口ではいい日々を過ごしたいです。笑

3月11日(渡部)

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3月11日午後2時46分、テレビは被災地を映していました。
私は黙祷する人々の映像を見つめていました。
ふと後ろを見ると、父が立ったまま下を向き目を閉じて黙祷をしていました。
はっとしました。
私は黙祷する人々の映像を見つめているだけで、自分は黙祷をしていないのです。
「あの日のことを忘れてはいけない」と言うことは簡単かもしれません。しかし、一年に一度だけの3月11日午後2時46分の黙祷を私はしていなかったのです。
どこかで自分は関係ないと思ってしまっていたのではないかと自分が恥ずかしくなりました。
いつもはテレビを見ながら冗談を言う父です。そんな父が目を閉じて黙祷していた姿は忘れられません。
毎年3月11日の午後2時46分ちょうどに黙祷することは難しいかもしれません。
しかし、3月11日に目を閉じて被災地の方々ことを思い、祈ることを忘れてはいけないと思いました。(渡部)

※写真は朝日新聞サイトから引用しました。(町内の全犠牲者名を書いて流したとうろう=大槌町赤浜)

附属中時代の数学授業感想(玉置)

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 先日、附属名古屋中学校時代の教え子である今井一徳さんと会いました。現在は、あいち小児保健医療総合センター・集中治療科の医師です。今井さんが自分の仕事をイメージしてもらうときに見せられる写真を掲載しました。「また一緒に走ろう」という言葉に集中治療科の医師魂を感じます。

 今度、母校での「職業人から学ぶ」というイベントで話をすることになったので、その内容について助言してほしいという依頼があって、久しぶりに会い、楽しい時間を過ごしました。

 その中で、当時の私の数学授業の話となりました。私の授業はどうであったかと聞いたところ、後日、以下のようなコメントを送ってくれましたので、ここで紹介します。

 ***

 先生の授業は、基本的に「発言を引き出す」という手法に特化した授業であったと考えています。「数学なんて社会に出て何か役に立つの?」とは中学生の常套句ですが、これに真っ向から立ち向かっていたと感じます。つまり、数学を通して「考える力」「考える喜び」「発見する楽しさ」を教えていただいていたと感じます。それらは私たちが生きていくためにとても重要な力だと思います。

 今でもファシリテーションをするときに先生の立ち方、表情、声のトーンなどが思い出されることがあります。ビジネススクールでファシリテーションを学ぶ機会がありましたが、一つの理想形として自分の振り返るときの型になっています。(一つ一つの所作はさすがに20年前の記憶になりますが、「巻き込まれている」感覚はやはり一つの理想形ですね。。。)

 一方で、発言ができない子、発言するまでに考えがまとまらない子への対応はどうだったのでしょうか。私自身がとにかく発言する方であったと思うので、「乗れない子」にとってどう映るのか?という点は考慮すべきでしょうが、あまりコメントができません。

 ***

 25年ほど前の授業について、こうしたコメントがもらえるなんて、教師冥利に尽きます。ありがとうございました。(玉置)

3月3日…(林)

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春休みに入って、日にちと曜日の感覚が無くなっているのですが、今日バイトに行ったら、ひな祭りのちらし寿司が売られていて、『あっ!今日はひな祭りかあ!』と感じました。だけどそれよりも、『ということは、大好きな妹の誕生日じゃん!』と、とても嬉しい気持ちになりました。

妹の名前は愛菜(あいな)と言い、『周りから愛され可愛がられる子になってね』という意味が込められているそうです。本当にその通りに育っていて、本当に姉妹かな?と思うほど私とは正反対です。身近に尊敬できる人がいるから、元気をもらえます。

実は私は4人兄弟なんです。
三女は七星(ななせ)と言い、『北斗七星の中にある一等星のように、人々を明るく照らして、みんなの道標のような存在になってね』という意味が込められているそうです。
確かに七星がいると家の中が明るいです。それに、姉の私も頼ってばかりです。

長男は瑛翔(えいと)と言い、『瑛(玉のように磨かれた)のように、人より何か1つ秀でたところがあって、更にそこに磨きをかけてね』という意味が込められているそうです。
私の弟は本当に優しくて、自分より周りを大切にします。これからも、そんな自慢の弟でいてほしいです。

私(美月)には、『暗闇でも明るく静かに照らす月のように大きく暖かくみんなを包み込んでね』という意味が込められています。
名前には親の願いが込められているし、本当にそのように育つのだなあと思います。
だけど私は全然なので、親の願いに応えられるように大きく暖かい心を持ちたいです。

残念ながら、バイトがあってなかなか帰省することができないのですが、次帰省した時に、一緒にケーキを作って、お弁当を持ってピクニックに行く約束をしました。
私は人と関わることがあまり好きじゃありません。
だけど、兄弟はやっぱり特別です。

それと、友達の赤ちゃんも産まれました。
3月3日はひな祭りだけじゃなくて、私にとってすごく大切な日です。
これから先もずっと大切にしていきたいです。(林)

ようこそ長野県へ!!!(百瀬)

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先日、玉置先生と1期生の先輩方がゼミ卒業旅行に行ったそうで、事前に「どこに行くのですか?」と聞いても企画者以外は秘密にされていて私たちも知りませんでした。どこに行くのだろう?と私もわくわくしながら思っていて、玉置研究室ホームページを見ました。

するとまず目に入ってきたトップページの写真の風景に見覚えが、、、

まさか!?これは!?松本城!?

そして、先生が更新された記事を読んでみると、旅行先が長野県松本市だと分かりました。

タイトルの通り、実は長野県松本市は私の地元です。松本城は高校に通う時毎朝自転車で横を通ってたくらい実家が近いです(笑)
ワイドビューしなの帰省する時乗るな〜!とか、縄手通り懐かしい!とか、そば食べたいな〜!とか、旧開智学校の横の図書館でよく勉強したな〜!とか思いながら先生の記事を読みました。たくさんの写真に写る先輩方の楽しそうな雰囲気に、やっぱり先輩方は仲良しだなと感じました。

大好きで誇りに思う先輩方や玉置先生が私の地元に訪れてくれたこと、なんだか嬉しく思いました!!(百瀬)

※写真は私が思う松本城のベストショットです!!

朝からドキドキ(寺坂)

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3月になりました。日差しが暖かくなってきて、心も暖かくなってくる季節になりました。そんな、優雅な朝に玉置先生から、「【最重要】集団面接指導を終えて2期生へ」という題のメールが届きました。

私たち3年生は、2月に1人一回集団面接の指導を受けました。私は、玉置先生の日にちではなかったのですが、大平先生に温かく厳しい指導をしてもらい、やりきったなーなんて思っていた矢先でした。

スマホの画面をスクロールしていくと、「ぜひ教師になりたいという気持ちが伝わって来ない」「回答の一貫性のなさ」など10項目の指導がありました。自分はどうだったのか。とても、不安になりました。1番パンチをくらったのは、「関心のある教育問題がなさすぎる。 教育学部の学生とは思えない」という言葉です。しかし、教採のために読む・知るのではなく、職についた時の自分の糧になるように知っていこうと思います。

また、玉置先生は本当に教えること?鍛えること?が好きなのだなと、メールの最後に思いました(笑)(寺坂)

最近嬉しかったこと(百瀬)

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私は子ども会や学校で行われる宿泊研修のキャンプファイヤーに参加して、レクリエーションなどを行うボランティアサークルに所属しています。レクリエーションの他にも、大学生から子どもへプレゼントとして『火舞い』というものを披露します。

『火舞い』とは、棒の先端にタオルが巻かれていて、それを灯油に浸し、火をつけたものを曲に合わせて回すものです。(写真を見てください!)

火舞いは技が26個あり、その技を曲に合うよう組み合わせて披露します。写真を見ての通り、綺麗ですが、体の周りで火を回すので危険を伴います。そのため、安全に行えるか、火が綺麗に円を描いて見えるかを観点とし、技1つ1つにテストがあります。

大学1年生から始め、ついに26個目の技に合格しました!!本当に嬉しかったです!寒くても1人でも練習し、努力したからこそ喜びは大きなものでした。挑戦する前向きな気持ち、努力すること、成し遂げること、そして達成感。1つのことを通してたくさんの事を感じました。

努力は人を裏切らない

このことを強く感じたため、教員採用試験に向けてもコツコツと頑張っていきたいです。(百瀬)

初挑戦(山下)

先日人生初のスノーボードに行って来ました。

大学の友人たちと行く予定を立てたのですが前日まで時間も場所も決まっておらず本当に行くのか不安でした。当日朝8時に大学の駐車場に集合しグッパージャンケンをして配車を決めました。なんと運悪く(運良く?)あまり喋ったことのない男の子2人と同じ車でスキー場へ向かうことになりました。何を話そうかなと考えていましたがそこは同じ専修ということもあり思いのほか会話が弾み話が途切れることはありませんでした。

板やブーツをレンタルしいよいよだとワクワクしていたのですが最初は立つことすらできなくて苦戦しました。初心者3人と経験者3人で行ったのでマンツーマンで教えてもらってなんとか一応は滑ることができるようになりました。しかしやはり初めてなので行きたい方向に行けず他の人にぶつかってしまいそうになることも多々ありその度少し会話を交わして初対面の人と話す難しさを感じました。しかし、最後にはそれなりには滑れるようになり諦めず教えてくれた友人に感謝しています。

新しいことに挑戦するのが久々で、できない時の悔しさやできた時の喜びを久々に感じました。これはなににおいても同じで、勉強ができない時の悔しさを理解し、できる喜びを子どもたちに味あわせてあげるのが教師の役目だと感じました。新しいことに挑戦する子どもたちを全力で応援できる教師になりたいと思いました。(山下)
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