卒業式の意義(寺坂)

 こんにちは。先日のゼミで、こんな内容について話し合いました。

「運動会で組み立て体操をやるかやらないか」


 さて、みなさんはどうお考えでしょうか。ここでは、この論議はしませんが、今は廃止の流れが強まってきているらしいですね。
ん??記事のタイトルとどう関係あるんだ?と、思われた方。安心してください。ここから繋がってきますよ(笑)

 話し合いの中で、運動会をやる意味についての意見が出ました。当たり前すぎて、考えたことなかったですが、当然意味があるからやるのですよね。私は、その意義について教師になるのに恥ずかしながら知りませんでした。

 こうなると、性格上ほかの行事の意義についても知りたくなります。知りたいに遠慮がありません。地で主体的な学びを体現できています。
 ぱっと出てきた、行事は「卒業式」。厳かな儀式ですが、卒業式の子供の持つ正直なイメージは、「めっちゃ練習させられる。」ではないでしょうか。正確なアンケートをとっても、かなり上位に食い込んでくると思います。僕も、練習嫌いでした。入場して校長先生や来賓の方の話聞くだけで、なんでこんな練習しなくちゃいけないのか。卒業の日が近づくにつれて、練習のために学校に行くなんていう日もありました。もう、とっとと卒業させて遊ばせてくれよ。そんなことを、小・中学生寺坂は考えていました。

 でも、大学生寺坂は、「どうして、あんなに練習するんだろう」。こんな風に考えることができるようになりました。我ながら、心の面で成長を感じます。単純に考えれば、最後の大舞台だから、だと思います。でも、それだけであんなに練習するでしょうか。考えているうちに、もう一つ不思議なことを思いつきました。なんで入学式は練習しないのでしょうか。入学する人は分かっているのだから3日前くらいから、子供を集めて練習もできますよね。でもしません。そこから考えると、入学前と後で違いを出したいのかなと思います。おそらく、入学前の教育されてない状態から6年ないし3年の学校生活を経て成長した姿・できるようになった姿、「僕・私、大人になったよ。」「こんなに成長したよ」を保護者の方に示す日なのだと思います。だから、学校は子供がかっこいい姿を見せることができるようにたくさん練習させ、たくさん怒鳴るんです。あくまで、僕の個人的見解です。でも、そこまで外していないのではないかと思います。

 しかし、きちんと意義を理解して臨んでいる子供って少ないのではないでしょうか。教師になったら、「どうして卒業式ってやるんだろうな」と物わかりの悪い教師を演じ、子供に自ら考えさせたいなと思います。(寺坂)

 ※ 写真は玉置先生が校長時代の卒業式風景です。
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5月29日第7回3期生ゼミ記録(嶋藤)

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 こんにちは。初等体育の授業で50m走で老いを感じた、三期生の嶋藤です。

 今日は第7回ゼミがありました。前回と同様、山下さんが発表した「国語授業のユニバーサルデザイン(桂 聖)」という本について紹介したいと思います。

 今日山下さんが発表してくれた内容は、「授業を視覚化(ビジュアルに)する」「授業を共有化(シェア)する」でした。その中の「授業を共有化(シェア)する」の内容の一つについて私は書いていきたいと思います。

 私が是非教育実習や現場で使いたいなと思ったのは、「表現せざるを得ない状況に追い込む」というやり方です。これは、簡単に言えば、「挙手」させて指名するのではなく、「作業」をさせて指名するというやり方です。
 
 ほとんどの授業は挙手制だと思いますが、それでは、手を挙げていない子は表現しずに授業が進んでいってしまいます。またその子は表現しないだけでなく、よく分からない状態で授業がどんどん進んでいっているのかもしれません。そういうことを避けるために、挙手ではなく、全員に、隣の子と話し合っても良いのでノートに思っている答えを書かせ、表現させるという方法をとることがとても良い方法だと思いました。そしてその表現したノートを教師が見て回って、だいたい理解度を把握して、意図的指名をするといった流れで授業を行なっていくことで、普段挙手をしない子も、「自分の考えも先生は見てくれているんだな」と思えるのでとても良いと思いました。このやり方であれば、いつも決まった人の発言ばかりでなく、全員参加の授業ができるなと感じました。

 また、賛成の人は○、反対の人は×をノートに書かせるというやり方も、自分はどっちの考えを持っているのかを教師やクラス全体に表現できるので良いと思いました。

 このように全員が楽しく「わかる・できる」授業をするには、全員参加の授業にすることがまずは前提であるなと感じました。レベルの高い子、低い子も退屈しないような授業づくりは私も興味があるので自分も調べていきたいと思いました。(嶋藤)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(林)

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 今日、丹羽さんが紹介してくれたのは、大村はまさんの『教えるということ』という本です。
大きく4つの内容を取り上げてくれましたが、その中でも特に「教師の仕事の成果〜一級の教師とは〜」という内容が印象に残ったので、この点の感想を書かせていただきます。

 「仏様がある時、道端に立っていらっしゃると、1人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車はそのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうとしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は動こうとしない。その時、仏様はしばらく男の様子を見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はするっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いて行ってしまった。」という文章を引用してくれました。

 わたしは最初、この文章が指す意味がよく分かりませんでした。この文章で仏様は一級の教師に当たるそうです。そして、男に気づかれないように人助けをしたように、教師も子供に気づかれないように裏で子供達のサポートをしてあげるべきだそうです。確かに、ありがとうという感謝されることを求めるのではなく、子供の将来を見据えて行動しなくてはいけないなあ、と感じました。

 さらに、大村はま先生は、卒業する子供達に「私のことは忘れてね」というそうです。これには、「後ろを向いて先生をすがるのではなく、自分の将来に向かって突き進んでね」という思いがあるそうです。これを聞いて私は、大村はま先生のすごさを知りました。本当に子供達の思っての教育はまさにこれなのかなあ、と感じました。

 小学校教育実習特講で、「8割の子が達成できる指導案を書いてね」と言う課題が出されて納得できなかったけれど、大村はまさんの「中くらいの生徒を目当てに授業を進めれば良いと言う言葉は子供一人一人をみつめて話をしない人の空論だ。子供は常に一人一人をみるべきだ」という考えを聞いて、自分の疑問は正しかったのかなと思いました。

 以前から、読んでみたいと思っていた本なので、丹羽さんが紹介してくれてとても勉強になりました。本を読むより、その時間で勉強した方がいいかな、と言う理由で後回しにしていたけれど、私も自分で読んでみようと思いました。

 また、授業の最後に玉置先生が、大村はま先生の「優劣の彼方に」という詩を紹介してくれました。確かに、学校教育は優劣をつけるために行われてるのではなく、子供一人一人の力を伸ばすために行われています。このように、他人と比べないことは大事だけれど、スポーツや勉強など、競い合う中で自分が成長できたり、もっと頑張ろうと思えたりと、私は優劣は悪いことだらけではないのではないかと思いました。ただ大会に勝つためだけでなく、毎日の夜遅くまでの練習や、朝早くからの練習、またメンバーに選ばれるために仲間と切磋琢磨しながら頑張った部活は、宝物だと思います。(林)

5月29日 第7回3期生ゼミ記録(岡田)

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こんにちは。3期生の岡田です。

いよいよ3期生ゼミの発表も3周目に突入。
ローテーションが早い分、よりたくさんの本を読み、よりたくさんの考えを学ぶ機会をいただいています。とってもありがたいことです。

さて、今回は私が発表した田中博史先生の「子どもが変わる授業 算数の先生が教える授業づくりの秘訣」という本の一部に書かれていた、「1分以内でクラス全員のノートを見て回る」というものに触れたいと思います。

これは、机間指導に時間をかけすぎてしまうと、始めの方に見た子ほどその後意見が変わってしまうことが度々あるというものでした。つまり、いざ意図的に指名して発表してもらうと自分が言ってほしい内容とは違うことを言ってしまうこともあるのだとか…。
これを防ぐために、40人のクラスであれば、1分以内に戻ってこなくてはならないという意識が大切だそうです。
そのコツとして、3人をいっぺんに見て、「ピピピ」と指差し確認をしながらU字型に回ることが挙げられています。

この話を読んで、私はこれまでゼミで学んできた丸つけ法も少し似ているところがあると思いました。テンポよくいくというスピード感、素早く子どもの実態把握をするということ、共通点は多々あります。
やはり素敵な教師の技というのは、どこかで繋がってくるのかな、と思いました。

学び続けていけば、今バラバラになっているものも大きなまとまりになってくるということを信じて、これからも頑張りたいです。

*今回のアイスブレーキングは静谷(しずや)くんの「あー階段チャレンジ」というものでした。
みんなで玉置先生の名前を呼び続け、いつものように大笑いして始まるゼミ。
今回も絶好調でした。(岡田)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(吉田、牧野、岡田)

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 5月20日池田修先生が講演される教師力アップセミナーに参加しました。今回先生は3つのテーマを元に講演されていましたので、それぞれの感想を2期生吉田、牧野、3期生岡田の3人で以下に述べたいと思います。

1.「距離感」
 このテーマについて2つの事柄をあげたいと思います。
 1つ目は理由で説明するのではなく、主張を伝えるということです。私も様々な子どもと接する中で、頭を抱えることがありました。その中でよく行ってしまうことが「いけない理由」を説明するということです。説明することにも意味があります。しかし、理由を知っている子、それでもやってしまうことに対して説明だけでなく、「私は○○と思う」「△△を君はしているんだ」という主張を混ぜることで、意思のこもった指導・対話になると感じました。玉置先生がおっしゃられている「Iメッセージ」に近い感覚と似ていると思います。私は意志の中に知識とユーモアが詰まった幅を広い視点を育てたいです。

 2つ目は距離感です。1つの声のかけ方でも子どもとの距離感が感じられます。時期、状況、立場や信頼関係などの条件が関係します。様々な条件の中で先生と子どもという適切な距離を保つこと、話し方・内容に渡るまで1つ1つ私らしさを残しつつ、考える必要があると感じました。子どもと接するうえでも大切なスキルですが、一人の大人として身に付けるべきスキルでもあると思います。そして、私自身が体現することで、子どもに適切な言語環境を育てることにもつながるのではないかと私は考えました。(吉田)
 
2.「信じてる、心配している」
 このお話を聞いて私は自身の教育実習を思い出しました。ある児童にあきらかな嘘をつかれた時、私は児童の「信じてくれないの?」の言葉に上手く答えられませんでした。しかし、今回の講演をきいて「信じているけど、心配なんだ。」の気持ちを相手に伝えることで相手の心にすっと言葉が入ることを学びました。それは、教師が児童を気にかけていることが児童に伝わるからだと私は考えます。玉置ゼミでも大切にしているIメッセージをより相手に伝わりやすい形で使えるようになりたいと思いました。(牧野)

3.「こんな時どう言い返す」
 これは、論理で切り返す、知識で切り返す、ユーモアで切り返すという3点を押さえること、そして全てにおいて5秒で切り返すということがポイントとなっていました。

 実際、私たちも練習としていくつかペアでやってみたのですが、5秒で切り返すことに苦戦してしまいました。どうにも頭の回転が追い付かず、話始めても少しまごまごしてしまったり、理にかなっていなかったり…。これではどんな問いを投げかけられても、子どもはもやっとした状態で終わってしまうと思います。

 瞬時にスパッと言い返すことは非常に困難ではありますが、子どもとの会話を通してお互い納得のいく終着点に辿り着けるようになれたらと思います。(岡田)

 私たちは先生という職に憧れ、日々取り組んでいますが、先生として子どものために今できる努力を忘れず、多くの先生方から学ばせていただこうと思います。池田先生ありがとうございました。

5月29日第7回3期生ゼミの記録(丹羽)

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 こんにちは。3期生の丹羽亜由美です。玉置ゼミに入ってからいろんな先生方の本を読む機会ができてとても勉強になっています。今回わたしが紹介させていただくのは大村はま先生の「教えるということ」という本です。家にあったのですがなかなか読む機会がなくて置きっぱなしだったのできちんと向き合ういい機会になりました。

 今回は3つ大村はま先生の教えを紹介したいと思います。
 まず1つ目は"無責任な教師"です。どういうことかというと、「一生懸命に指導したんですけど、、、」というのは教師として許されないということです。一人前の教師として胸を張るのであれば、うまくいかない責任は自分にあると考えて子どもの学力が伸びないのは子どものせいではない、と考えるべきなのです。子どもができるようになるまで自分がとことん指導してあげることが大切であると学びました。

 2つ目は"ほんものの教師"です。みなさんもよく「中ぐらいの生徒をめあてに授業を進めればよい」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし、それは本当に教えたことのない人の空論、または子どもを一人一人見つめて話をしない人の考え方なのである。子どもは常に一人一人を見るべきであって束にして見てはいけないのです。また、子どもを大事にするというのは優しくするのではなく、自分を超えていく存在だとして子どもの力を信じて大切にしてあげられることこそがほんものの教師だと書かれていました。

 3つ目は"一級の教師とは"です。一級の教師とは子どもたちから感謝されるのを期待して物事を教えたり、助けたりするのではなく、子どもたちに気づかれないように子どもたちを助けるということです。教えたり、助けたことを子どもたちが知ったら感謝されるとは思うけれど、子どもたちに自分の力で頑張ったと思わせることができたら、これから先生きていくための自信に満ちた、真の強さにつながるということです。見返りを求めず、あくまでも子どもたちのためにしてあげるという気持ちが大切なのだと学びました。

 最後に玉置先生が大村はま先生が亡くなる前に書いた「優劣の彼方に」という詩を紹介して下さいました。

 そこには優れているとか、劣っているという考え方はやめて、その先にあるものこそ、大切にしなくてはならない、という内容だったと思います。実際、集団社会の中で優劣をつけずに生活していくことは本当に難しいと思いますが、意識するだけでも少しは違ってくるのかなと思うので、少しずつ習慣づけていこうと思いました。(丹羽)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(石川、岩田、静谷)

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私たちは、石川、岩田、静谷の3人で記事を書きました。

こんにちは。静谷です。
5月20日に池田修先生の教師力アップセミナーに参加しました。
わたしは、玉置先生の勧めで池田修先生の「教師になるということ」という本を読んでいます。この本は、とても読みやすく1日で全部読めてしまいました。それもあって、セミナーではより内容を理解することができました。その中でも一番学びを深めれたと思うことは、子どもとの距離感という内容です。この距離感は本当に難しく、教師はよく子どもとの距離感を掴めなくなってしまいます。そこで池田先生は、基準を設定することが大切であるとおっしゃっていました。その基準とは、「大人であるか、子どもであるか」「先生であるか、児童であるか」というものです。つまり、立場をしっかりわきまえて指導することで正しい距離感を作り出せるとおっしゃっていました。
わたしもよく子どもと関わる時に、若さを利用し過ぎて、距離感が近すぎるなと思うことが多々あります。なのでしっかりと基準を設定して、正しい距離感を掴めれるよう子どもたちと関わっていきたいと思いました。(静谷)

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 わたしは、本日の池田修先生の講演の学びより、特に2番目の「信じると心配する」について記事にしていきたいと思います。

 ここでは、教師は子どもたちに対し、信じているけれども心配であるという姿勢を見せることが大切であるというお話をお聞きしました。信じているのになぜ声をかけるのか。それはあなたのことが心配だから。という教師から子どもへのIメッセージがとても明確でわかりやすいと感じました。

 また、子どもが述べるいいわけについても、たくさんの仮説を立てる必要があるというところにとても共感する部分がありました。いじめている加害者が実は被害者であった。朝学校に来られないのには家庭環境が原因だった。など理由にはその子を全面的に否定することができない事例も多くあるということに気がつきました。講演後には、視点を多く持ちたくさんの仮説を立てるために、「落語」で力をつけることができる!ということも学ばさせていただきました。落語の奥の深さについては、教採後にじっくりと学ばさせていただきたいと思います。

本日はありがとうございました。(岩田)

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私は今回の講演を受けて、3番目の『こんな時どう言い返す』について記事を書きます。

ここでは、池田先生が実際に経験したエピソードをもとに「どう言い返すか」を考え、言い返しのポイントをお聞きしました。5秒の間を大切にした池田先生の無駄のない言い返しからは学ぶべきことが多くありました。

言い返しのポイントは3つありました。
一つ目は「論理で返す」
二つ目は「知識で返す」
三つ目は「ユーモアで返す」でした。

特に「ユーモアで返す」では、『なんでこんにゃくにはつぶつぶがあるの?』という問いに対して事実ではなく、クスッと笑える言い返しを考えました。池田先生や池田先生が経験した回答には会場全体が笑いに包まれました。

私も教育実習などで子どもから聞かれると、どうしても正論で返してしまうことが多くありました。今思い返して見るとユーモアで返せる場面もあったのではと思います。いざ教壇に立った際は「理論」「知識」「ユーモア」を使い分けられる先生になりたいと感じました。
「教える」ということに対して肩肘張ってしまいますが、一呼吸おいて力を抜くことの大切さに気づけた講演でした。

ありがとうございました。(石川)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(佐久間、丹羽、早川)

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5月20日池田修先生による教師力アップセミナーに参加させていただきました。セミナーで学んだことを以下にまとめたいと思います。


池田先生のセミナーで特に学んだことは、子どもが教師に何を言ってもらいたいのか、視野を広く持ち、子どもの考えの可能性を何通りも考える必要があることです。
池田先生はお話の中で「子どもは分かってほしいのに教師の前では隠す」とおっしゃいました。自分にもそんな時期があったな、と恥ずかしくなりながら聞いていましたが、なかなか自分のことを素直に話す人は多くないと思います。子どもたちが何に気づいてほしいのか、多くの可能性を教師が考えることで子どもたちの気持ちを知れることが分かりました。

私は、少しでも子どもの変化に気づけるような教師になりたいと思っています。今回のセミナーで、その変化に気づくために必要な子どもたちの気持ちを考える方法を練習問題を用いて学ぶことができました。子どもの気持ちを考えて言い返すことは簡単なことではないと思いますが、様々な場面を想像して練習していきたいです。
池田先生、ありがとうございました。(佐久間)

第一回目の教師力アップセミナーに参加させていただきました。今回は池田修先生の「こんな時どう言い返す?」ということをテーマに特に印象に残ったことを紹介します。
それは、信じると心配するということです。これは子どものことを信じているからこそ心配してしまう、ということです。子どもの分かって欲しいのに隠す、隠すのに分かって欲しいという気持ちに気づけるか、ということをペアワークを通して学び、子どもの言葉の裏に隠されている苦しみを何通りも考えることが求められるのだと知りました。

今回の池田先生のお話を聞いて、子どもとの距離感からどこで苦しんでいるのか、というストライクゾーンを探して論理、知識、ユーモアといった返しを5秒以内にできるように池田先生が読んでいたという落語の本を私も読んでみようかな、と思いました。(丹羽)

今回のセミナーについて、特に印象に残ったことを書きます。
それは今回のセミナー全体です。子どもたちの素朴な質問・発言に5秒以内で考え、その後に返すということを何度もやりましたが、1度もそれらしい回答はできませんでした。
論理的な回答、ユーモアのある回答、子どもたちの思惑に乗らないさっぱりとした回答。そんな回答の切り替えが瞬時にできるような、先生としての力を付けたい。面白いだけでなく深く考えさせられたセミナーでした。

池田先生ありがとうございました。(早川)

自分の経験から思ったこと(古川)

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ある朝、新聞で命の大切さを教えるという記事を読んで思ったこと書こうと思います。今から書く内容は記事と直接は関係ありません。

いきなりですが、
私の一番嫌いな言葉、
それは友達がかるいノリでいう「死ね」です。

教育実習に行った際に、友達は口癖のように「死ね」と言っていました。
友達に「笑って平気で言うけど、その言葉は本当に使っていいのか、それはノリであったとしても使っていいのか」と私は問いかけました。
注意しても、「実際に死ぬわけやないから」と言われる始末です。
「死ね」という言葉の卑劣さはどうやって教えたらいいのだろうと思います。

恥ずかしながら、私も中学生のときまでは平気で友達同士で遊び半分で言ってることがありました。その時の気持ちは、友達が教育実習のときに口にしていた、「本気で思ってないし死ぬわけじゃない」です。その言葉を言わなくなったのはある1つのきっかけです。

それは友達の死でした。ある朝ニュースを見ていたら交通事故で亡くなったという内容で幼馴染2人の名前が目に飛び込んできました。その瞬間、違う人だと自分に言い聞かせながらもすぐに地方の友達に電話で聞き事実だと知りました。私はつい2日前に今度遊ぼうと言っていたばかりで、現実を受けられませんでした。2人の顔をみて初めて死という重さを痛感したと同時に当たり前のように毎日会うことは当たり前ではないということに気づかされました。そして、死ねという言葉は絶対に使ってはいけないと強く思いました。今近くにいる大切な人が明日亡くなって自分の前からいなくなる可能性は100パーセントないという保証なんてないからです。

また、ある記事では人は死んだらリセットしてまた生き返るという考えている子供もいるという衝撃内容を読んだことがあります。子供がゲーム感覚での死と現実の死の境界が付いていない、人間の生死の実感がないからではないかと考えました。

命を教えること、生きることを教えることはとても難しいことであるけれど、人として絶対に学ばなければいけないことだと感じ、その学びに携わる教師の重さを実感しました。実際にわたしのように経験して学ぶということは出来ないしむしろあっては欲しくないことです。その中でどのように実感を伴って理解させるのか考えてみようと思いました。(古川)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(寺坂、山下、江口)

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池田先生のセミナーでは、「教師とはどんな仕事なのか」について私は考えました。なんと、子供のうちに学校にいる時間はたったの3割しかないそうです。その限られた時間の中で、教科指導から生活指導、また新たに英語や道徳コンピューターなども教えていかなければなりません。本当に大変な仕事だなと思います。しかし、池田先生はこんなことを述べられていました。「教育は時間だけではない。教師のたった一言で変わることもある。」

学校で教採に向けての面接練習をしていると、志望動機のところで「恩師に言われた言葉をきっかけに目指しました。」という人はとても多いです。印象に残る言葉は、狙って言うものではないと思います。これまでの人生で、多くの経験をしてきた人格のある人の口から溢れてくるものだと考えます。適切な指導の力を身につけるとともに、人格の力も身につけていきたいともいます。(寺坂)


こんな時どう言い返す?〜指導の優位性を保つための切り返しを考える〜という池田修先生のセミナーに参加しました。池田先生ご自身がとても面白く、切り返しもユーモア溢れる楽しくてためになったセミナーでした。
その中でも信じると心配するというのが1番強く印象に残っています。これは指導のストライクゾーンを広げることを指し、わかってほしいのに隠したり、隠すくせにわかってほしい子供達の気持ちを予測するための練習でした。たとえば、目の周りにアザのある生徒にどうしたの?と聞くと生徒は野球のボールが当たりましたと言い訳するが実は親に殴られていたり、すごく香水の匂いがする生徒は兄貴に香水かけられてしまいましたと言い訳するが実はタバコの匂いをもっと強い匂いで消すためにつけていたという例が挙げられます。もしかしたら子どもの嘘に気づけないかもしれないし気づけたとしてもどうしたら子どもの口から言わせることができるのか、生徒からの信頼と教師の言葉かけがとても重要だと改めて感じました。(山下)

池田先生の講演会に参加させていただき、信じることに加え、心配していることを伝えることが大切であるということが分かりました。子どもたちが、言ったことを信じることは、当たり前のことです。しかし、子どもたちは、正直に想いを伝えることができず、時に心配を掛けまいと嘘をついてしまっていると分かりました。実際に練習問題をやった時に、どれも身近に起こりそうな出来事ばかりでした。「先生に伝えたい!気づいて!」という想いで、子どもたちは、教師に話しかけています。それに対し、教師がいくつもの返答を考え、子どもたちが本当に伝えたいことを見破っていくことが大切であるということが分かりました。その想いを読み取ることが、子どもたちの悩みを早期発見することに繋がり、毎日笑顔で学校に来ることのできる方法でもあると感じました。
池田先生、ありがとうございました。(江口)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(林、松田、百瀬)

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5月20日、教師力アップセミナーに参加し、池田修先生の講演をお聞きしました。さまざまな具体的な場面を想定して、「こんな時どう言い返す?」と子どもへの指導方法を学びました。自分自身で考える活動があることで、より深い学びになったと思います。
今回は、3期生の林、松田、2期生の百瀬でまとめさせていただきます。


教師になりたいと思ってはいても、教師の仕事は何かと問われた時に自信を持って答えることができませんでした。先生の定義では、【主に学校教育を通して子供を大人に育てる仕事】だそうです。子供を大人にするためには、いつまでも子供をかばうばかりではなく、自立に向けて教師から離していく必要があるのだと気付かされました。
また、子供の見方を広げていくために、自分自身の視野も広げていかなければと感じました。
私も子供がどこで苦しんでいるのか分かる教師になりたいので、とても学びのあるセミナーでした。(林)


今回のセミナーでは子どもに何かを聞かれたときの言葉の返し方を学びました。お話の中で私が最も印象に残ったことは「こんな時どう言い返す」というワークの中であった、教師と児童生徒の会話のときに、「大人ー子ども」「指導者ー児童生徒」「人間ー人間」のどのレベルで会話をするのかということです。そのときの練習問題は部活をさぼりがちな中学1年生の女子学生に「先生はランニングをしていない、頑張ってない人に頑張れと言われてもがんばる気になれない」と言われたときにどう言い返すかという問題でした。私は先生は確かに走っていないから生徒にそう言われてもしょうがない、しかし走る必要もないとも思い、返す言葉に悩みました。この問題に対して池田先生は、生徒は「人間ー人間」の立場で言ってきたことで、教師は「指導者ー児童生徒」の立場で言葉を返すようにするとおっしゃっていました。「いいだろう、先生は走らなくて」というような返し方をし、その立場で会話を進めることが大切であるということが分かりました。
5秒で言い返すことが重要であることを学びましたが、実際に隣の人とやってみると思いの外難しく、言い返す練習が必要であると感じました。(松田)


私は、子どもの行動や考えを、教師の主観で決めつける教師にはなりたくないと思っています。今日の講演を経て、主観で決めつけないという思いに加えて、教員としてもっと視野を広くしていかなければならないということを、最も感じました。
練習問題の中で、先生の質問と生徒の返答から、どのような事実が予想されるかを考えていきました。自分では一つの視点だけではなく多方面から考えたつもりでしたが、ペアの人や先生の考えには自分では思いつかなかったものが多くありました。教師の主観で決めつけないためには、もっと多くの視点から考えられるようにならなければならないと感じました。
また、「あなたを信じている。だから、心配するんだよ。」と言う言葉を教えて頂きました。「ほんとに?」と疑わず、子どもの真の考えを引き出せる魔法の言葉だなと思い、これから子どもに指導をする時には使っていきたいなと思いました。また、言葉がけ一つで相手の気持ちは変わっていくことを強く感じました。(百瀬)


池田先生、とても面白いお話と具体的な実践例を交えた、楽しく学べる講演をしていただきありがとうございました。

教師論へ飛び込み授業参加(岩田、寺坂)

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 こんにちは。今日は、2限にゼミを終え、玉置先生の教師論に初参加させていただきました。お昼に面接の打ち合わせが長引き、3限も始まってしまったしどうしようと考えていましたが、「まだ間に合う!」と寺坂君に教えていただき、滑り込みセーフで参観させていただきました。以下に学びをまとめます。


 本日見た授業DVDは盛山先生の算数の授業でした。単元は、小学校二年生のかけ算。「かけ算なんて九九の表を覚えるだけじゃん。」そう思っていませんか?あまいです。(笑)先生の行う一つ一つの動作に意味があり、流れのある授業。すごい!という言葉しか見つからなかったです。
 盛山先生の授業技術については、以下に寺坂君がしっかりと書いてくれていますので、彼の記事を熟読してください(笑)。


 では、わたしからは最も印象に残った一言を。


「見えないもの隠れているものがあると、子どもは燃える。その見えないところにこそ学びの本質がある。」
 教師として、子どもに何を考えさせたいのか。それに尽きると思いました。


  また、それよりも教師論の授業の雰囲気の良さ。生意気ながら、後ろの席から感心してみていました。教師次第で生徒は変われるんだなと。玉置先生ってすごいです。教師論を受けているみなさん、これからもぜひよい学びをしてください。
 また、学びをすぐアウトプットすることはとても大切だと感じました。3限後すぐに寺坂君から記事が届きました。(笑)「誠意はスピード」同時に大切にしたいです。(岩田)



 1年生の「教師論」に転がり込んで、盛山先生の授業を見させていただきました。 

 単元は「かけ算」の導入でした。この表現が正しいか分かりませんが、憎たらしいほどスマートで聞いていて心地良い授業でした。「仕組みを理解する」というのは、子供にとっても教師にとっても1番難しいところなのではないでしょうか。実際私は、嫌いでした。そんなこと、覚えるだけだと思っていました。しかし、この授業は楽しく、正確に仕組みを理解させる授業でした。

 図を用いての授業だったので、内容の説明は難しいので、学んだことをあげていきます。

1、対話で深い学びを

 授業をするのは教師ですが、学びを生むのは子供かなと思いました。言葉足らずな意見でも、丸ごと復唱法で、子供が本当に伝えたかったことを引き出す力が大切。

2、タイミング

 全員を立たせて、分かったら座らせるというシーンがありました。つまり、座った子供は心や頭になにかしらの変化が起きているということです。意見を言わせるならここしかない。座らせたままだとできない、意図的指名までできると思いました。

 ノートを書かせる時も、常にたくさん書かせるのではなく、1番考えさせたい時こそ使う。書くことによって、自分の考えがまとまるというのは、多くの先生も仰っていますね。

 事前に、教師論だから教師としての指導観についてよく見ろと言われていたのですが、まだまだ表面しか見れてません。まだまだ見る力足りていないなと思いました。

 もう1つ、驚いた話を。一緒に受けた1年生の授業への意識の高さには本当に驚きました。玉置先生が、話しながら後ろの方へ行くと、自然と体で追っているのです。大学の講義でです。そして、1番後ろに座っていた僕と岩田さんが意見を言う機会があったのですが、その時も、全員が体を向けて聞いてくれました。話しやすいです。こういう雰囲気を作っていきたいと思います。しかし、1年生がすごいのか、玉置先生の指導の賜物なのか。どっちもにしておきます(笑)。(寺坂)

5月19日第11回2期生ゼミ記録(岩田)

 こんにちは。ゼミ記録2週目です。5月に席替えをしてから、ぼっち席のつらさをひしひしと感じています。また、隣に玉置先生ということで、右半身がいつも緊張で凍っている岩田です(笑)。

 さて、今日から問題も2週目に入りました。「ああ、この問題見たことあるな。」と思いながらも、答えが曖昧で、なんとなく回答している問題も少なからずあるなと感じました。しかし、初めの頃と比較すると、正答率も随分上がってきたのではと思います。自分自身で成長を確認できることで、安心してはいけませんが、自己肯定感が高まるきっかけになりますね。

 後半戦は、初!論作文講座でした。自分が考える魅力的な学級について、論作文をどのように展開していくのか。一人一人根拠をもって考えていきました。それは根拠なのか、具体性はあるのか、最終的な論の根幹が揺らいでいないか、様々な視点から1つの論作文を作り上げていきました。考えれば考えるほど、ぐるぐると迷走している気がして難しいなと感じました。

 先生のご都合によりゼミは早く終わり、最後は2期生だけで、意見交換をしていきましたが、「これってどうなんだろう。先生〜〜。」という場面が多かったです。まだまだ、玉置先生に頼りっぱなしの2期生です。これからも高め合って行きましょう!

 最後に、わたしが考える魅力的なゼミとは、「自分だけでは無く、みんなのために頑張りたいと思えるゼミ」です。これからもそんなゼミを目指していきましょう(岩田)
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5月15日第6回3期生ゼミ記録(山下)

こんにちは、3期生の山下です。

今回は前回に引き続き「授業がうまい教師のすごいコミュニケーション術」という本の後半を松田さんが紹介してくれました。第5章の子供の学力を伸ばす「言葉」の技術というところの中から学んだことを2つ書きたいと思います。

1つ目は子供の間違いを活かす教師の言葉というものです。これは授業内で当たった子がもし間違えてしまっても「◯◯くんのおかげで学べたね、学んだことをノートに書いてみましょう」や「◯◯さんを助けてくれる人はいますか?」などと言葉かけをして間違えた子どもに失敗感を持たせないようにするということです。子どもに失敗感を持たせないことで発言しやすい雰囲気を作り、授業が活発になると思いました。

2つ目は授業終末の教師の言葉です。これは授業の感想を書かせるときにただ感想を書きなさいというのではなく例えばキーワードを3つ与えてこれとこれとこれを使って書きなさいと内容を指示したり、書き始めや書き終わりなどの書き方を指示するなどすることで子どもたちが感想を書きやすく内容もよくなるということです。また、そのとき落ち着いてかけるような指示をするということも書かれていました。そのとき静かに書きましょうや集中して書きましょうではなく鉛筆の音だけにしましょうなどと指示するとよりよくなるそうです。キーワードを与えられるのはテスト問題によく出るし、書き始めが決められていればなんと書き始めたらいいのかわからなくて内容にたどり着けない子が減るのでよい方法だと思いました。

松田さんは今回の発表にあたり著者の菊池省三先生が出演されている番組を見たそうです。自分の勧められた本を読むだけではなく本を書いた人がどのような人か知るためにその人が書いた他の本を読んだり出演しているテレビ番組を見るのは学びを深めるためによい方法だと思いました。追いかけたい先生を1人決めてその人の本をたくさん読むのも自分の授業づくりの方向性が決まっていれば手段の1つなのかなと思いました。(山下)
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5月15日第6回3期生ゼミ記録(岡田)

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こんにちは。3期生の岡田です。

先日のゼミで早川くんが発表していたことについて今回は書きたいと思います。

早川くんは志水廣先生の「算数好きにする授業力」という本について発表していました。既に前半は発表し終えていたため、今回は後半です。

私は「鏡の理」というものが印象に残りました。なぜならそれは、どんな人に対しても当てはまるからです。
これは、他人の自分への態度は自分の他人への態度の反映であるということ、好かれたいならまずは自分から好きになれということ、相手が弱っている時こそより優しく接するということでした。
こうすることで、信頼関係を築けるそうです。

早川くんも言っていましたが、これは教師と生徒に限らず、人間なら誰しも当てはまることです。私は自分の中で考えてみたとき、困っている時に助けてくれる人こそありがたいと感じますし、信頼度が増します。そうされることで、お返ししようという気にもなります。これがずっとお互いに続いていくことで、当たり前にもなり、信頼関係がぐっと深まるのだろうと実際に頭の中でいろんな人を思い浮かべながら考えました。

素敵な話だと思いました。私がクラスを持ったら、そういう子たちでいっぱいにしたいです。「好かれたいならまずは自分から好きになれ」ではありませんが、「そうなってほしいならまずは自分からそうなれ」と思って、より意識的に過ごしていきたいです。(岡田)

友達の存在(古川)

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教採まで残り2ヶ月きりました。
毎日勉強をしている中で感じるのは友達の大切さです。
私は毎日友達と学食で勉強しています。

大学に入る前の私には考えられません。
私は大学受験の時はいつも塾にこもり静かな場所でもくもくとやっていました。
教採を始めた最初の頃も図書館にこもっていました。静かな場所でしか勉強出来ないと思ってたからです。

あるとき、よさこいサークルが終わったあと8人ほどで友達と勉強をしてみました。ふと疲れたときに周りを見たらみんなが真剣な表情でやっていて私も頑張ろうと思いました。また、わからないとこかあったら聞きあうということもしました。そこから毎日私は、友達と毎日勉強をするようになりました。
面接も毎日いろんな人たちとやっています。

頑張っている仲間がいるから私も頑張れる!
受験は団体戦!
本当に強く実感しています。

一緒にいつも勉強をしてくれる友達。
ともに高め合う友達に出会えたことに感謝しっぱなしの毎日です。

毎日の勉強で苦しいとか逃げ出したいときに目の前にいる友達の「あと少しだけ一緒に頑張ろう」笑顔でいう一言ほど私の心を奮い立たせてくれる言葉はないです。友達って偉大な存在なんだととても実感します。

あと残り2ヶ月大好きな周りの友だちと一緒に頑張って教採を乗り切ります。(古川)

5月15日 第6回 3期生ゼミ記録(菱川)

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こんにちは。でかい図体して泣き上戸な菱川です(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
意外なギャップですね(笑)

はい。今回は自分の二回目となる発表でした。
前回に引き続き平田オリザさんの『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力〜』から学び得たことをここに綴らせてもらいます。

今回は大きく2つのことについて学びました。

1つ目に『対話の基礎能力』についてです。

<対話の基礎能力>
『対話の基礎能力』とは説明しなくてもわかってもらえる事柄をその虚しさに耐えて説明する能力のことです。
日本人の芸術家が海外に出て、必ずしも才能を伸ばせないのは対話の時間に耐えられなかったため。と著者は推測していました。
日本型のコミュニケーションに慣れてしまうと海外の対話の時間に耐えきれずに(なんでわからないんだ)と切れるか、(どうせ、わからないだろう)とあきらめてしまうらしいです。

2つ目に冗長率についてです。
ん?冗長率?ってなりますよね?あまり聞かない言葉だと思います。けどみなさんの普段話をする時に関係する言葉なんですよ(笑)
冗長率とは1つの段落、1つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係ない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したものであります。

簡単に説明すると、
冗長率の低い会話と言うものが要点だけを言って簡潔に説明したりするときの会話。
冗長率が高い会話は会話の途中に無駄な話(ちょっとした小話を話の途中に入れたり)が多い人のことです。
僕は冗長率が高い方ですね。きちんと話がまとまらず1つの質問に10で返してしまうからです。これは前回の玉置先生からご指摘された点です。現在治す努力をしています(笑)

これを聞くとなんか僕って私ってもしかしたら冗長率が高いから話が下手なのかもしれないって思う方もいるかもしれませんがそれは違います。真に話が上手い人は冗長率を時と場合に合わせて操作する人なんです。

日本では『簡潔に話せ』『きちんと話せ』といった冗長率を低くする教育がまだまだ行われている学校が少なくはないようです。冗長率の操作を将来大人になったとき困らないように幼い時から冗長率を気にして教育を行って行くといいかもしれませんね。

最後に『みんな違ってみんないい』金子みすゞさんの詩の『私と小鳥と鈴と』の最後に出てくる言葉にちなんだ話を綴っていきます。

みんな違ってみんないい
→ 何かに秀でている人だけが素晴らしいのではなく、みんなが同じである必要もない、それぞれが、それぞれの個性なりに素晴らしい
と言う意味と僕は解釈しています。

今回平田さんは『みんな違って、たいへんだ』と本で述べていました。この言葉だけでその通りだなと思いました。違う個性を待っていてそれをそれぞれに合った形で伸ばしていかないといけない。教師ってすごいな。と思いました。けどこのたいへんと言う言葉から目を背けるといけないんだと思います。『みんな違ってみんないい』んです。だからその『みんないい』になるように『たいへんだ』から目を背けないように教師生活を頑張っていかないといけないんだと思いました。(菱川)

こんなところに「説明責任」(石川)

いきなりですが、皆さんは「説明責任」の意味を知っていますか?私を含め知らなかったそこのあなた!安心して下さい、調べました!(以下、国語辞典引用)

せつめいせきにん【説明責任】
行政機関や企業が、社会に対して事業計画や収支などについて情報公開する責任。アカウンタビリティー。

ふむ。なるほど。

私は、この言葉を玉置先生からよく聞きます。
手術の体験談と絡めながら「今は教育現場でも説明責任が求められる時代」と繋げていく話は、面白く、分かり易く、印象に残っている話の一つです。

実際に、子供の状況やその保護者、社会の多様化に伴って学校が指導の在り方についての説明を求められる場面が多くなっているそうです。いずれ私にも説明責任を果たす場面が来るのでしょう。正直、自信はありません。
しかし、何事にも意図を持って取り組む事で、この自信の無さが少しでも解消されるのではないでしょうか。普段から無意味な行動が多い私ですが、まずは今の生活から意図を持って行動をしたいものです。

あと数ヶ月後、
「こんな風に過ごしてたら落ちたよ」ではなく、
「こんな風に勉強したら受かったよ」と『良い形で』後輩への説明責任が果たすことが出来るよう、努力していきたいです。

以下、記事を書くきっかけとなった写真です。
1枚目:玉置先生と寺坂くんと行ったお寿司屋さんにて
2枚目:あるお菓子のパッケージにて
これもある意味企業の「説明責任」なのでしょう。意外と身の回りに「説明責任」は溢れているのかもしれませんね。

(石川)
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5月15日第6回3期生ゼミ記録(松田)

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 こんにちは。3期生の松田です。
 私は前回に引き続き、「授業がうまい教師のすごいコミュニケーション術」(菊池省三著)という本を紹介しました。今回は全6章のうちの第4章から第6章の中で印象に残ったものを紹介しました。

 第4章では『子どもをグングン成長させる「質問」の技術』が書かれていました。ここでは「子どもが自ら考え始める質問」を紹介しました。生徒指導の場面で、「先生が言っていることが分かっているの?」という問いかけではなく、「今の自分に必要なものは何かな?」と子どもに自分を考えさせる問いかけを心がけると良いということが書かれていました。

 第5章では『子どもの学力を伸ばす「言葉」の技術』について書かれていました。ここでは「子どもの間違いを活かす教師の言葉」「授業終末の教師の言葉」の2つを紹介しました。間違えてしまった子どもに失敗感を持たせないように「○○君のおかげで学べたね。何を学んだのかノートに書いてみましょう。」と1人の学びをみんなの学びに変えることや、授業の終わりに感想を書くときに「キーワード3つで今日の授業の感想を書きましょう。」と書き方の指示をすることで感想が書きやすくなること、落ち着いて書けるように「鉛筆の音だけにして」と指示することなどが書かれていました。

 第6章では『同僚・保護者とのコミュニケーション』について書かれていました。会話が次につながらない若い教師が増えてきていると菊池先生は述べていて、同僚とのコミュニケーションでは「双方向のコミュニケーションの関係をつくる」こと、保護者とのコミュニケーションでは「クレームへのうまい対処法」を紹介しました。双方向とは教師同士の「教える」「教えられる」という関係で、「教えを乞う」ことが双方向の良い関係を築くそうです。心理的に人は教えることが好きなので、その心理を利用することでうまくコミュニケーションを取ることができるようになるそうです。保護者との関係は、まずはしっかり保護者の話を最後まで聞くこと、そして笑顔で対応することが大切であると書かれていました。
 
 本以外に、菊池先生が出演されていた番組を動画で見たことを話しました。菊池先生は子どもが自分に自信がないから学級崩壊が起こるとおっしゃっていました。「どうせできないから」と投げやりになり、人目を気にして攻撃的になる子どもたちがでできてしまうそうです。その投げやりになる気持ちを直すために「ほめ言葉のシャワー」と呼ばれる活動を日課にしたそうです。毎日1人の児童に間髪を入れずにほめるという活動です。ほめる内容がとても具体的で、よくその人のことを見ているのだなと驚きました。子どもたちは「ほめる」「ほめられる」ことでお互いを認め合い、もっとほめられたいという気持ちになり、積極的に頑張るようになるそうです。

 この本にも子どもに自信をつけさせるための教師の働きかけについてたくさん書かれていました。分かりやすい説明の仕方や、ほめ方、子どもがやる気になる教師の言葉や行動、1冊の本からこんなにも学ぶことができるのだなということを感じました。(松田)

5月15日第6回3期生ゼミ記録(丹羽)

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 こんにちは。3期生の丹羽 亜由美です。今日は6回目のゼミでした。早速ですが、記憶が新しいうちに菱川くんが発表してくれた、「わかりかえないことから〜コミュニケーション能力とは何か〜」という本の後半を紹介したいと思います。

 今回の発表でなるほどと思ったことを2つ紹介します。

 まず、1つ目は対話の基礎能力です。これは、説明しなくてもわかってもらえる事柄をその虚しさに耐えて説明する納涼ことだそうです。例えば、日本人の芸術家が海外に出て、必ずしも才能を伸ばしたり成功したりできないのは、対話の時間に耐えられないからなのです。日本型のコミュニケーション型、つまり、説明することに慣れていない日本人は説明を相手は分かっているものだと思って省略しがちですが、それは良くなくて相手と対話することを諦めずに続けることが大切だということです。この力は大学生や社会に出てから学ぶものではなくて、小学校や中学校できちんと先生が教えてあげることが大切だと学びました。わたし自身分かっているだろうと勝手に相手のことを決めつけて話をしてしまうことがあるので日常会話から意識していきたいです。

 2つ目は冗長率を操作するということです。まず、冗長率とは、1つの段落、1つの文章にどれくらいの意味伝達とは関係ない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したもので、「メシ、フロ、シンブン」という単語の会話は冗長率が低いということになります。私は今まで話が上手い人=端的に話す人だと思っていました。しかし、本当はそうではなくて、端的に話す人は話の盛り上がりに欠けるのです。話の途中に言葉を入れられるひと、つまり冗長率を操作できる人こそが会話が上手いのであり、コミュニケーション能力が高い人なのです。余計な言葉をたくさん入れすぎても聞いている相手が飽きてしまったりするのでそれを調節するのは難しいことだと思いますが、先生になるにあたってコントロールできたら子どもたちもたくさん反応してくれるのかな、と思いました。

 今回の菱川くんの発表からコミュニケーション能力について知らないことをたくさん学ぶことができ勉強になりました。これらの学んだことを生かして生活していきたいです。(丹羽)

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