弥富中学校道徳飛び込み授業を参観して(岩田)

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 6月6日(火)玉置先生による弥富中学校での道徳の飛び込み授業を2期生寺坂君とともに、参観させていただきました。午後からの授業の前に玉置先生に昼食をごちそうになりました。おしゃれなカフェで、店内は奥様がた女性客ばかりの中にスーツの3人(笑)。おいしいお昼をいただき、今日の授業のポイントを聞き、弥富中学校に向かいました。

 お昼中に玉置先生に聞いてはいましたが、弥富中学校に着くやいなや驚きで叫んでしまいました。「きれいすぎる、、、」建てかえをしてとてもきれいな校舎。授業の後には、教頭先生に校舎内を案内していただきました。言いたいことはたくさんありますが、ここではとにかくすごかったという一言にしておきます(笑)。

 さて、本題です。今日の学びについて深めていきたいと思います。本日の教材は「あるレジ打ちの女性」という、何をしても続かない女性が、自分の過去の日記から人生を変えていくというお話です。昨日のゼミで発問については先生からお聞きしていましたが、大学生が真剣に考えてもなかなか答えの見つからない、少し難しい印象を覚えました。

 しかしながら、先生の子どもたちを引きつけるというテクニックである、価値付け、独特の間、演技力などすべてが重なり、後ろから見ていて次第に子どもたちが、授業にのめり込んでいくのがわかりました。

 先生の揺さぶりに困った表情を見せながらも、真剣に考える子どもたちは、まさに「深い学び」を体現しているようでした。

 また、先生が主導のはずの授業ですが、あれ?と思ったら生徒中心の授業になっていました。言葉のキャッチボールの中で、はじめはキャッチするだけだった子どもたちが、次第に自分たちから言葉を投げてかけていました。与えるけど、与えすぎない、わかりそうでわからない、そんなどこかもどかしいような思いを抱かせることが、子どもたちの本心からの、なんで?を生むのかなと思いました。そして、やはり自分から感じたなんで?にはどんな小さななんで?でも、教師から教えられる以上の価値があるのだと思いました。


 本日も、ここには書き切れないほどの学びをしましたが、詳しい分析は寺坂君にお任せして、(笑)わたしは先生のお話から、本日最も印象に残った一言を記録しておきます。

 「人の生き方を参考にしたい。それが道徳。」

 人の人生が、思いが、行動が変わった瞬間を感じ、自分が何を考えるか。人の生き方を感じ取り、見方・考え方を養う。改めて、道徳の重要性、影響力を実感した一日でした。できることならこの言葉を中学生の頃の自分に教えてあげたいと思います。道徳が大嫌いだったわたしも今日の授業を受けたら、先生の思うツボにはまっていただろうなと自分に置き換えて考えたりしていました。玉置先生、弥富中学校の先生方本日は、ありがとうございました。ますます教師になり、やりたいことが増えました。これは、絶対に教師になるしかないなと決意を新たにした一日でした。(岩田)
 

弥富中学校道徳飛び込み授業を参観して(寺坂)

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6月6日に、弥富市立弥冨中学校で行われた玉置先生による飛び込み授業を見させていただいた。教科は道徳だった。教採前ではあるが、私は中学校実習で「考え・議論する」道徳の展開の仕方が全然わからなかったので、その答えを探すという目的で参加した。

先生の飛び込み授業を見させていただくのは2度目だが、初めて会う子供との関係の作り方がすごい。実習で、うまく関係を作れずくよくよしていた自分はなんだったのか。自分の力量を痛感した。当たり前だが…先生は、授業をするうえでの子供理解と、子供の教師理解がスムーズに行っていた。また、表情発言の説明もしていて、楽しく話をするという裏にしっかりと布石が打たれていた。
 題材は、「あるレジ打ちの女性」というものだった。なにをやっても続かない女性が、子供のころの日記を見て、レジ打ちの仕事に対して真剣に向き合うと言う話である。

登場人物を確認するだけの導入を終え、先生の朗読から始まる。多くのことを学び感じたので、箇条書きになるが羅列していく。

1.子供に読み物を持たせない。
→これは、道徳を国語にしないためである。手元に資料があると、考える場面でどうしても文を追ってしまう。文の中に答えを探すのではなく、心の中に答えを探すことが大切。また、手元にないことで、想像力も鍛えることができる。

2.読み物は全部読まない。必要に応じて、取捨選択を。
→子供に考えさせたいことに、より持っていきやすくするための工夫。授業後いただいた台本には、イラストを黒板に貼るタイミングや強く読むとこ・弱く読むところなど詳細に記載されていた。私の観察メモには、「役者だなー」と書いてあった。

3.読んでいる最中には子供の集中を切らさない工夫を。
→ずっとインプットの時間は、大人でもしんどい。今回の授業だと、女性がレジ打ちの仕事が続くかどうかを、考えさせていた。自分の意見を持つことで、最後まで興味をもって聞くことができる。

4.発問1 日記を見付けて、彼女はどんな気持ちになった?
→日記には、ピアニストになりたかった過去が書いてあったが、子供の意見もそこからで、昔のように頑張るや、自分が情けないといった意見が多かった。ちなみにこの発問の時に、先生はオープンカンニングをしている。ちょうど私は、反対側にいたので先生の声を聴いて、目の前の子供がどうするのかを見ていたが、自分の言葉に変えてしっかり書いている姿を見ることができた。

5.子供の本音を聞き出す。モノ分かりの悪い教師に。
→オープンカンニング→全体発表という流れの中で、先生は受容を繰り返していた「これに気付いたか」「いいなー。なるほどなー。」子供は、とてもいい雰囲気を感じていたと思う。と、同時に「外から来た先生だけどいつも通り、いいこと言っておけばいいんだ」なんて思った生徒もいたかもしれない。しかし、次の先生の一言で教室の空気が一変した。

「本当に日記見ただけで変われるか?」

この後の子供は、ほんとに泣きそうで困っていた。本音を言ってもいいのか?という葛藤もあったかもしれない。しかし、答えのない一つの問題に対して、深く考えさせるということは、子供のうちに経験させ慣れておくべきである。
また、モノ分かりの悪い教師は、演技がうまくない先生がやると、答えを知っている感じが子供の伝わってしまう、と言われたことがあるが、先生は「俺は本当に分からないんだ。一緒に考えよう」という雰囲気が伝わってくる。だからこそ、本音が言いやすくなったのかもしれない。まさに役者だと感じた。

6.子供をうまく使う
→これが、私の課題の答えだった。深めの発問から、どのようにまとめていくのか考えていると、先生はある生徒にこう言った。「〇〇君が、納得したら今日の授業終わり。納得できなければ終わらない。」その子は、最初に「日記を見ただけで変われるかな?」とつぶやいた生徒だった。教師に説明するよりも、子供同士で説明し合った方がいいと思う。それは、教師は答えを握っているが子供は持っていないからである。先生がまとめていかなければいけない場面もあるが、子供を使うことで全員が降りることのできる着地点をつくることができるのだと分かった。

 セミナーの記事などは、学ぶことが多くてどうしても文章量が多くなってしまうが、もし最後まで読んでいただいた方がいたら、心からお礼を言いたい。ありがとうございます。この学びをもって、もう一度実習に行き道徳をやりたい。(寺坂)

6月5日第8回3期生ゼミ記録(嶋藤)

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 こんにちは。三期生の嶋藤菜月です。今回のゼミは突然でしたが、一期生の松井さん、中田さんが来てくださいました。お二人からは、教員採用試験の一次試験、二次試験の内容を細かく教えていただきました。知らなかったことがたくさんあって、そんなこともあるのかという驚きと、あと一年で私たちも受けるのだなという不安の気持ちでいっぱいになりました。これから努力していくしかないなと感じました。
 
 さて、今回のゼミで私が紹介した本は、山田洋一先生の『発問 説明 指示を超える 説明のルール』です。この本は、子どもの様子を見て、「もっとこう育てたい」という思いを持った時に、どのように説明すれば、子どもたちがよりよく理解し、心動かされ、行動を起こすことができるのかを解き明かした本です。この本を読んで印象に残ったものを二つ紹介したいと思います。
 
 まず一つ目は、「わざと否定したくなるように」というものです。本に書かれていた場面は「理科の実験に使う実験用具を大切に扱う説明をするとき子どもたちに集中して聞いてほしい。そんな時の先生の言葉かけはどうしたら良いか?」という時です。そんな時に普通なら「試験管はたいへん割れやすいので両手で持ちましょう。」などのような説明をすると思います。この説明の仕方は初回の授業ではやらなければならない方法です。しかし、以前教えた事柄をもう一度確認したいときその説明より「試験管は、指にはめて持ち歩きます。」などのような、わざと子どもが否定したくなるような言い方をする方が良いそうです。子どもたちのほうから「先生、そんなことしたら落ちたり、ぶつかったりします!!」と否定してこれば、先生の話をしっかりと聞いていることになるからです。こうした説明をすることで、先生は間違ったことを言うかもしれないと注意深く聞くようになるそうです。教師がちょっとおかしなことを言うかもしれないという期待感を子どもに持たせることは、人の話を聞くことを好きにさせるということだそうなので、私も実践したいなと思いました。

 この「わざと否定したくなるように」というのは、一期生の中田さんが実際に学校で実践されていることでしたので、効果をお聞きしたところ、小2ではとても効果があって、子どもたちは集中して話を聞いてくれるそうです。高学年でもやるかどうか質問したら、「高学年では成功するかはわからないけど僕はやろうと思う。」とおっしゃっていたので、私も試していこうかなと思いました。現場の貴重なご意見をいただけてとても勉強になりました。
 
 二つ目は、「一人ツッコミしながら」というものです。理科実験の手順をしっかり子どもたちに理解させたいときは、普通なら「同じビーカーを二つ用意します。そして、同じ量の水を入れます。こんな風に、、、」というように説明していくと思います。そうではなく、「同じビーカーを二つ用意します。なんで二つやねん!比べるからなんですねえ。そして同じ量の水を入れます。なんで同じ量やねん!とか思いながら入れます。これは違う量だと比べる意味がなくなるからですねえ。」のように「なんで〜なんだろう?」という形を多用し、続く次のセンテンスが答になるようにすると良いそうです。子どもが頭の中で「本当になんでなんだろう、、、。ああ、そういうことか」と論理や手順を組み立てながら聞けるので、良い方法だと書かれていました。こうやっていちいち突っ込まないと子どもはなぜ?と疑問に思うこともないビーカーの個数、同じ量は意外と重要なことで、対照実験の時には使う考えなので、こういうことを気づかせるためにも「一説明一ツッコミ」という方法はとても良いと思いました。ぜひ私も現場で使ってみたいと思いました。
 
 今回読んだ本のように、場面場面で教師がどうした方が良いのかが書かれている本は、教員採用試験の場面指導の時に役に立つなあと感じました。実際、どうしたら良いのかは、分からないので、たくさん本を読んで自分の中の引き出しを増やしていきたいなと思いました。(嶋藤)


6月5日第8回3期生ゼミ記録(静谷)

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 こんにちは。ゼミの前の授業である、初等体育のバトミントンで空振りをしまくり、相方に迷惑をかけた三期生の静谷です。わたしの中でバトミントンは、スポーツの中で三本の指に入る苦手なスポーツです。

 6月5日に第8回ゼミがありました。今回は、わたしが発表した池田修先生の「教師になるということ」という本に書かれていた、「エスカレーター逆走の法則」を発表だけではわかりにくかったと思うので、ここで補足させていただきます。

 エスカレーター逆走とは、その字の通り、上から下に向かって降りてくるエスカレーターに乗り、上に向かって駆け上がることです。上にたどり着くには相当のエネルギーを必要とします。一気に駆け上がらなければなりません。途中で休んでしまうとまた元の位置まで戻ってしまいます。これが成績が伸びない子どもの現状と似ているのです。エスカレーターで下から上る時、1階から2階にたどり着けば、下に戻されることはありません。これを勉強でいうと、学習内容が定着し、できるようになった状態のことです。この状態を作りながら、1階から2階。2階から3階へと駆け上がっていくと、少しずつ休みながら確実に上に上ることが出来るのです。

 ところが、勉強というのは突然出来るようになる時があります。それをエスカレーターの場合だと、下りだったのが急に上りになるのです。その瞬間からそのままの勢いでエスカレーターを駆け上がるとどんどん上に上ることが出来るのです。これがエスカレーター逆走の法則です。

 これでも少しわかりにくいと思いますが、誰でも急に自転車に乗れるようになった経験があると思います。その時、何回もこけたと思います。このようになんどもなんども下りのエスカレーターを駆け上っていたのです。そして、急に出来るようになった時は、下りのエスカレーターが上りのエスカレーターへと変わり、どんどん成長していきます。こちらの方がわかりやすいかもしれませんね。

 わたしは、勉強をすればするほど成績は伸びていくものだと思っていました。この考えで子どもたちを指導していたら、子どもたちは絶対に勉強が嫌いになっていたと思います。教師は、勉強を教えるにあたって、このようなことをしっかりと理解した上で、指導していかないといけないのだと思いました。

 この本を読んで、わたしの勉強に対しての誤解に気づくことが出来て良かったです。この本に出会えて良かったです。(静谷)

6月5日第8回3期生ゼミ記録(林)

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 私が今回紹介した本は、佐藤正寿さん、長瀬拓也さんの『ゼロから学べる小学校社会科授業づくり』というものです。

 今まで受けてきた社会の授業は、暗記科目としての社会がほとんで、今では忘れていることの方が多いです。だけど1人だけ、授業が思い出せる先生がいます。その先生は、高校の授業なのに、詰め込みではなくて、いつも面白い授業をしてくれ、私たちはみんな興味津々でした。当時は、面白いながらも「入試大丈夫か?」と少し思っていましたが、先生のおかげで社会に興味を持てたのだと思います。

 暗記科目というイメージが強い社会だけど、私は、社会は教師の工夫次第で、子供達の力をすごく伸ばすことができる教科だと思っています。そこで、子供たちが社会に興味を持ってくれるために、特になるほどと思った点を紹介します。

 まず1つ目は、授業開きは「なぜ学ぶの?」という問いかけから始めるということです。なぜ学ぶのかを考えることで暗記科目という意識から、社会に生かす科目という意識に変えることができます。今でもどうしても時間をかけて暗記をして覚えてしまうけど、意識が変わるだけで全然違うと思いました。

 2つ目は、学習用語を身につけるための工夫です。これには3つのポイントがあります。1つは、教科書で扱う時に意味や関連する用語を教えることです。板書で色チョークを使って強調するだけでなく、意味も考えさせるのです。例えば、領土の領の字を辞書でひかせると、「手に入れる。支配する。」という意味になります。これをもとに、領土は「国で支配している土地のことか!」となります。さらに領土に関連して領空や領海の意味もおさえることができます。もう1つは、違いを教えるということです。山地と山脈などのように、子供にとっては違いが分かりにくいものがあります。これを1つの言葉がでてきたら、具体的に教えます。最後は、辞書をこまめにひかせることです。このことにより、子供たちが自ら用語にこだわり、自分たちで意味を辞書で調べるようになったら、どんどん吸収することができます。普段使っているゴミという用語は、役に立たない汚いものという意味です。この意味を調べさせるだけではなく、「資源ゴミも役に立たない汚いものなのだろうか」と新たな問いが生まれ、学習が広がるきっかけにもなります。

 3つ目は、まとめ・振り返りの時間に大切にしたいことについてです。これには3つのポイントがありますが、今回は次時への意欲を高めるというポイントについてお話します。そのために、オープンエンドという手法を使います。これは授業の終末部分で授業を通して見えてきた問いを生み出し、次時の冒頭は、その問いから始め、また違う問いで授業を終えるというものです。このことにより、子供が調べてきたことから授業が始まるので子供が主役の授業になりやすいです。

 負けず嫌いな私は、「社会は暗記すれば良いだけだから、努力次第で他の子においつけるかも」という理由で社会専修を選んだけど、ようやく社会の面白さに気づいてきました。また、子供達に社会の楽しさを教えたいと思えるようになってきました。(林)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(山下)

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 こんにちは!3期生の山下です。

 私は今回も前回に引き続き桂聖先生の「国語授業のユニバーサルデザイン」という本について紹介しました。

 授業を視覚化(ビジュアルに)する、授業を共有化(シェア)するという2点についてお話ししましたがその中でも共有化するの中から参考にしたいと思ったことを1つだけ書きたいと思います。

 それは表現せざるを得ない状況に追い込むということです。「挙手-指名」方式ではできる子や積極的な子しか活躍することができません。しかし「作業-確認-指名」方式では一度全員立たせて「答えをノートに書いたら座りなさい」などと指示することで座った子は全員当てることができるので意図的指名を行い全員がわかる・できる授業に近づけることができます。また、「手で数字を出しなさい」や「賛成の人は◯、反対の人は×を書きなさい」等、小刻みに表現活動を取り入れたりペアワークを多くすると授業の参加率が上がるので参考にしたいと思いました。

 発表自体についてですが、私は緊張しやすい性格で人前に立つとなにを話していいかわからなくなってしまいます。今回で3回目の発表になりましたがまだうまく話せません。原稿を書いて読んでいたので「、を少なく。を多く」は実践することができましたが、聞いている人の様子を見ることができず話すのがどんどん早くなってしまいました、話し方や人前に立つことに慣れるという意味でもとてもいい経験ができていると思います。教育実習では何十人という生徒の前に立って授業をしなければならないので少しずつ緊張しないようになりたいと思いました。(山下)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(静谷)

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 こんにちは。最近、一目惚れした時計を買って少しオシャレに芽生えてきた静谷です。

 第7回のゼミでは、まずわたしがアイスブレイクをしました。やった内容は「あー階段チャレンジ」です。これは、グループで「あー」と一人ずつだんだんと高い声を出していきます。そして声が出なくなったらチャレンジ失敗です。その後グループで話し合い、1回目で高い声を発せた回数よりも多く高い声を発せられるように並び方などを工夫します。グループで話し合い、1回目よりも多く高い声を発することができたら、「あー階段チャレンジ」は成功となります。どうしたらより多く高い声を発することができるのか、グループで考え意見を交流し、チャレンジ成功した時の喜びをみんなで分かち合うゲームです。実際にやってみて、相手チームという競い合えるチームがいるとよりゲームが盛り上がるなと感じました。ただ、1グループだけでも十分盛り上がることができたので良かったです。

 今回、本を紹介してくれた方は、岡田さん、丹羽さん、山下さんの3人です。わたしは岡田さんが紹介してくれた「子どもが変わる授業」(田中博史)から学んだことについてひとつ書きます。

 岡田さんは、「誰がわかっていないのか」を知る方法を教えてくれました。例として、ある子どもが良い回答をしました。それについて先生は「全員立ちなさい。今の話をちゃんと言えるようになったら座りなさい。」と言い、1度目は3分の1の子どもが座り、2度目は3分の2の子どもが座る。そして、最後4〜5人になったところで「よし、じゃあ後でゆっくり考えよう。みんないったん座ってね。」と言います。最後の4〜5人は覚えておき、授業を進めながらノートチェックします。その時にできていれば、後からその子に名誉挽回のチャンスを与えます。

 「手を挙げなさい」と言ったとき、子どもによってはすぐに反応しないことがあります。つまり「手」よりも「体」のほうが子どもの決断を引き出しやすいのです。一人一人の子どもたちの参加度、理解度を細かく把握するためには、とても良い方法だなと感じました。

 発表も3周目となり、たくさんの先生の教育本を学び、とても有意義な時間を過ごしているなと感じています。ただ、その時その時では覚えてることも何週か経つと忘れてしまいます。もう一度これまで学んだことを自分なりにまとめて、深い学びへと繋げていきたいです。教育実習までにたくさんの引き出しを備えたいです。(静谷)

卒業式の意義(寺坂)

 こんにちは。先日のゼミで、こんな内容について話し合いました。

「運動会で組み立て体操をやるかやらないか」


 さて、みなさんはどうお考えでしょうか。ここでは、この論議はしませんが、今は廃止の流れが強まってきているらしいですね。
ん??記事のタイトルとどう関係あるんだ?と、思われた方。安心してください。ここから繋がってきますよ(笑)

 話し合いの中で、運動会をやる意味についての意見が出ました。当たり前すぎて、考えたことなかったですが、当然意味があるからやるのですよね。私は、その意義について教師になるのに恥ずかしながら知りませんでした。

 こうなると、性格上ほかの行事の意義についても知りたくなります。知りたいに遠慮がありません。地で主体的な学びを体現できています。
 ぱっと出てきた、行事は「卒業式」。厳かな儀式ですが、卒業式の子供の持つ正直なイメージは、「めっちゃ練習させられる。」ではないでしょうか。正確なアンケートをとっても、かなり上位に食い込んでくると思います。僕も、練習嫌いでした。入場して校長先生や来賓の方の話聞くだけで、なんでこんな練習しなくちゃいけないのか。卒業の日が近づくにつれて、練習のために学校に行くなんていう日もありました。もう、とっとと卒業させて遊ばせてくれよ。そんなことを、小・中学生寺坂は考えていました。

 でも、大学生寺坂は、「どうして、あんなに練習するんだろう」。こんな風に考えることができるようになりました。我ながら、心の面で成長を感じます。単純に考えれば、最後の大舞台だから、だと思います。でも、それだけであんなに練習するでしょうか。考えているうちに、もう一つ不思議なことを思いつきました。なんで入学式は練習しないのでしょうか。入学する人は分かっているのだから3日前くらいから、子供を集めて練習もできますよね。でもしません。そこから考えると、入学前と後で違いを出したいのかなと思います。おそらく、入学前の教育されてない状態から6年ないし3年の学校生活を経て成長した姿・できるようになった姿、「僕・私、大人になったよ。」「こんなに成長したよ」を保護者の方に示す日なのだと思います。だから、学校は子供がかっこいい姿を見せることができるようにたくさん練習させ、たくさん怒鳴るんです。あくまで、僕の個人的見解です。でも、そこまで外していないのではないかと思います。

 しかし、きちんと意義を理解して臨んでいる子供って少ないのではないでしょうか。教師になったら、「どうして卒業式ってやるんだろうな」と物わかりの悪い教師を演じ、子供に自ら考えさせたいなと思います。(寺坂)

 ※ 写真は玉置先生が校長時代の卒業式風景です。
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5月29日第7回3期生ゼミ記録(嶋藤)

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 こんにちは。初等体育の授業で50m走で老いを感じた、三期生の嶋藤です。

 今日は第7回ゼミがありました。前回と同様、山下さんが発表した「国語授業のユニバーサルデザイン(桂 聖)」という本について紹介したいと思います。

 今日山下さんが発表してくれた内容は、「授業を視覚化(ビジュアルに)する」「授業を共有化(シェア)する」でした。その中の「授業を共有化(シェア)する」の内容の一つについて私は書いていきたいと思います。

 私が是非教育実習や現場で使いたいなと思ったのは、「表現せざるを得ない状況に追い込む」というやり方です。これは、簡単に言えば、「挙手」させて指名するのではなく、「作業」をさせて指名するというやり方です。
 
 ほとんどの授業は挙手制だと思いますが、それでは、手を挙げていない子は表現しずに授業が進んでいってしまいます。またその子は表現しないだけでなく、よく分からない状態で授業がどんどん進んでいっているのかもしれません。そういうことを避けるために、挙手ではなく、全員に、隣の子と話し合っても良いのでノートに思っている答えを書かせ、表現させるという方法をとることがとても良い方法だと思いました。そしてその表現したノートを教師が見て回って、だいたい理解度を把握して、意図的指名をするといった流れで授業を行なっていくことで、普段挙手をしない子も、「自分の考えも先生は見てくれているんだな」と思えるのでとても良いと思いました。このやり方であれば、いつも決まった人の発言ばかりでなく、全員参加の授業ができるなと感じました。

 また、賛成の人は○、反対の人は×をノートに書かせるというやり方も、自分はどっちの考えを持っているのかを教師やクラス全体に表現できるので良いと思いました。

 このように全員が楽しく「わかる・できる」授業をするには、全員参加の授業にすることがまずは前提であるなと感じました。レベルの高い子、低い子も退屈しないような授業づくりは私も興味があるので自分も調べていきたいと思いました。(嶋藤)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(林)

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 今日、丹羽さんが紹介してくれたのは、大村はまさんの『教えるということ』という本です。
大きく4つの内容を取り上げてくれましたが、その中でも特に「教師の仕事の成果〜一級の教師とは〜」という内容が印象に残ったので、この点の感想を書かせていただきます。

 「仏様がある時、道端に立っていらっしゃると、1人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車はそのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうとしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は動こうとしない。その時、仏様はしばらく男の様子を見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はするっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いて行ってしまった。」という文章を引用してくれました。

 わたしは最初、この文章が指す意味がよく分かりませんでした。この文章で仏様は一級の教師に当たるそうです。そして、男に気づかれないように人助けをしたように、教師も子供に気づかれないように裏で子供達のサポートをしてあげるべきだそうです。確かに、ありがとうという感謝されることを求めるのではなく、子供の将来を見据えて行動しなくてはいけないなあ、と感じました。

 さらに、大村はま先生は、卒業する子供達に「私のことは忘れてね」というそうです。これには、「後ろを向いて先生をすがるのではなく、自分の将来に向かって突き進んでね」という思いがあるそうです。これを聞いて私は、大村はま先生のすごさを知りました。本当に子供達の思っての教育はまさにこれなのかなあ、と感じました。

 小学校教育実習特講で、「8割の子が達成できる指導案を書いてね」と言う課題が出されて納得できなかったけれど、大村はまさんの「中くらいの生徒を目当てに授業を進めれば良いと言う言葉は子供一人一人をみつめて話をしない人の空論だ。子供は常に一人一人をみるべきだ」という考えを聞いて、自分の疑問は正しかったのかなと思いました。

 以前から、読んでみたいと思っていた本なので、丹羽さんが紹介してくれてとても勉強になりました。本を読むより、その時間で勉強した方がいいかな、と言う理由で後回しにしていたけれど、私も自分で読んでみようと思いました。

 また、授業の最後に玉置先生が、大村はま先生の「優劣の彼方に」という詩を紹介してくれました。確かに、学校教育は優劣をつけるために行われてるのではなく、子供一人一人の力を伸ばすために行われています。このように、他人と比べないことは大事だけれど、スポーツや勉強など、競い合う中で自分が成長できたり、もっと頑張ろうと思えたりと、私は優劣は悪いことだらけではないのではないかと思いました。ただ大会に勝つためだけでなく、毎日の夜遅くまでの練習や、朝早くからの練習、またメンバーに選ばれるために仲間と切磋琢磨しながら頑張った部活は、宝物だと思います。(林)

5月29日 第7回3期生ゼミ記録(岡田)

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こんにちは。3期生の岡田です。

いよいよ3期生ゼミの発表も3周目に突入。
ローテーションが早い分、よりたくさんの本を読み、よりたくさんの考えを学ぶ機会をいただいています。とってもありがたいことです。

さて、今回は私が発表した田中博史先生の「子どもが変わる授業 算数の先生が教える授業づくりの秘訣」という本の一部に書かれていた、「1分以内でクラス全員のノートを見て回る」というものに触れたいと思います。

これは、机間指導に時間をかけすぎてしまうと、始めの方に見た子ほどその後意見が変わってしまうことが度々あるというものでした。つまり、いざ意図的に指名して発表してもらうと自分が言ってほしい内容とは違うことを言ってしまうこともあるのだとか…。
これを防ぐために、40人のクラスであれば、1分以内に戻ってこなくてはならないという意識が大切だそうです。
そのコツとして、3人をいっぺんに見て、「ピピピ」と指差し確認をしながらU字型に回ることが挙げられています。

この話を読んで、私はこれまでゼミで学んできた丸つけ法も少し似ているところがあると思いました。テンポよくいくというスピード感、素早く子どもの実態把握をするということ、共通点は多々あります。
やはり素敵な教師の技というのは、どこかで繋がってくるのかな、と思いました。

学び続けていけば、今バラバラになっているものも大きなまとまりになってくるということを信じて、これからも頑張りたいです。

*今回のアイスブレーキングは静谷(しずや)くんの「あー階段チャレンジ」というものでした。
みんなで玉置先生の名前を呼び続け、いつものように大笑いして始まるゼミ。
今回も絶好調でした。(岡田)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(吉田、牧野、岡田)

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 5月20日池田修先生が講演される教師力アップセミナーに参加しました。今回先生は3つのテーマを元に講演されていましたので、それぞれの感想を2期生吉田、牧野、3期生岡田の3人で以下に述べたいと思います。

1.「距離感」
 このテーマについて2つの事柄をあげたいと思います。
 1つ目は理由で説明するのではなく、主張を伝えるということです。私も様々な子どもと接する中で、頭を抱えることがありました。その中でよく行ってしまうことが「いけない理由」を説明するということです。説明することにも意味があります。しかし、理由を知っている子、それでもやってしまうことに対して説明だけでなく、「私は○○と思う」「△△を君はしているんだ」という主張を混ぜることで、意思のこもった指導・対話になると感じました。玉置先生がおっしゃられている「Iメッセージ」に近い感覚と似ていると思います。私は意志の中に知識とユーモアが詰まった幅を広い視点を育てたいです。

 2つ目は距離感です。1つの声のかけ方でも子どもとの距離感が感じられます。時期、状況、立場や信頼関係などの条件が関係します。様々な条件の中で先生と子どもという適切な距離を保つこと、話し方・内容に渡るまで1つ1つ私らしさを残しつつ、考える必要があると感じました。子どもと接するうえでも大切なスキルですが、一人の大人として身に付けるべきスキルでもあると思います。そして、私自身が体現することで、子どもに適切な言語環境を育てることにもつながるのではないかと私は考えました。(吉田)
 
2.「信じてる、心配している」
 このお話を聞いて私は自身の教育実習を思い出しました。ある児童にあきらかな嘘をつかれた時、私は児童の「信じてくれないの?」の言葉に上手く答えられませんでした。しかし、今回の講演をきいて「信じているけど、心配なんだ。」の気持ちを相手に伝えることで相手の心にすっと言葉が入ることを学びました。それは、教師が児童を気にかけていることが児童に伝わるからだと私は考えます。玉置ゼミでも大切にしているIメッセージをより相手に伝わりやすい形で使えるようになりたいと思いました。(牧野)

3.「こんな時どう言い返す」
 これは、論理で切り返す、知識で切り返す、ユーモアで切り返すという3点を押さえること、そして全てにおいて5秒で切り返すということがポイントとなっていました。

 実際、私たちも練習としていくつかペアでやってみたのですが、5秒で切り返すことに苦戦してしまいました。どうにも頭の回転が追い付かず、話始めても少しまごまごしてしまったり、理にかなっていなかったり…。これではどんな問いを投げかけられても、子どもはもやっとした状態で終わってしまうと思います。

 瞬時にスパッと言い返すことは非常に困難ではありますが、子どもとの会話を通してお互い納得のいく終着点に辿り着けるようになれたらと思います。(岡田)

 私たちは先生という職に憧れ、日々取り組んでいますが、先生として子どものために今できる努力を忘れず、多くの先生方から学ばせていただこうと思います。池田先生ありがとうございました。

5月29日第7回3期生ゼミの記録(丹羽)

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 こんにちは。3期生の丹羽亜由美です。玉置ゼミに入ってからいろんな先生方の本を読む機会ができてとても勉強になっています。今回わたしが紹介させていただくのは大村はま先生の「教えるということ」という本です。家にあったのですがなかなか読む機会がなくて置きっぱなしだったのできちんと向き合ういい機会になりました。

 今回は3つ大村はま先生の教えを紹介したいと思います。
 まず1つ目は"無責任な教師"です。どういうことかというと、「一生懸命に指導したんですけど、、、」というのは教師として許されないということです。一人前の教師として胸を張るのであれば、うまくいかない責任は自分にあると考えて子どもの学力が伸びないのは子どものせいではない、と考えるべきなのです。子どもができるようになるまで自分がとことん指導してあげることが大切であると学びました。

 2つ目は"ほんものの教師"です。みなさんもよく「中ぐらいの生徒をめあてに授業を進めればよい」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし、それは本当に教えたことのない人の空論、または子どもを一人一人見つめて話をしない人の考え方なのである。子どもは常に一人一人を見るべきであって束にして見てはいけないのです。また、子どもを大事にするというのは優しくするのではなく、自分を超えていく存在だとして子どもの力を信じて大切にしてあげられることこそがほんものの教師だと書かれていました。

 3つ目は"一級の教師とは"です。一級の教師とは子どもたちから感謝されるのを期待して物事を教えたり、助けたりするのではなく、子どもたちに気づかれないように子どもたちを助けるということです。教えたり、助けたことを子どもたちが知ったら感謝されるとは思うけれど、子どもたちに自分の力で頑張ったと思わせることができたら、これから先生きていくための自信に満ちた、真の強さにつながるということです。見返りを求めず、あくまでも子どもたちのためにしてあげるという気持ちが大切なのだと学びました。

 最後に玉置先生が大村はま先生が亡くなる前に書いた「優劣の彼方に」という詩を紹介して下さいました。

 そこには優れているとか、劣っているという考え方はやめて、その先にあるものこそ、大切にしなくてはならない、という内容だったと思います。実際、集団社会の中で優劣をつけずに生活していくことは本当に難しいと思いますが、意識するだけでも少しは違ってくるのかなと思うので、少しずつ習慣づけていこうと思いました。(丹羽)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(石川、岩田、静谷)

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私たちは、石川、岩田、静谷の3人で記事を書きました。

こんにちは。静谷です。
5月20日に池田修先生の教師力アップセミナーに参加しました。
わたしは、玉置先生の勧めで池田修先生の「教師になるということ」という本を読んでいます。この本は、とても読みやすく1日で全部読めてしまいました。それもあって、セミナーではより内容を理解することができました。その中でも一番学びを深めれたと思うことは、子どもとの距離感という内容です。この距離感は本当に難しく、教師はよく子どもとの距離感を掴めなくなってしまいます。そこで池田先生は、基準を設定することが大切であるとおっしゃっていました。その基準とは、「大人であるか、子どもであるか」「先生であるか、児童であるか」というものです。つまり、立場をしっかりわきまえて指導することで正しい距離感を作り出せるとおっしゃっていました。
わたしもよく子どもと関わる時に、若さを利用し過ぎて、距離感が近すぎるなと思うことが多々あります。なのでしっかりと基準を設定して、正しい距離感を掴めれるよう子どもたちと関わっていきたいと思いました。(静谷)

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 わたしは、本日の池田修先生の講演の学びより、特に2番目の「信じると心配する」について記事にしていきたいと思います。

 ここでは、教師は子どもたちに対し、信じているけれども心配であるという姿勢を見せることが大切であるというお話をお聞きしました。信じているのになぜ声をかけるのか。それはあなたのことが心配だから。という教師から子どもへのIメッセージがとても明確でわかりやすいと感じました。

 また、子どもが述べるいいわけについても、たくさんの仮説を立てる必要があるというところにとても共感する部分がありました。いじめている加害者が実は被害者であった。朝学校に来られないのには家庭環境が原因だった。など理由にはその子を全面的に否定することができない事例も多くあるということに気がつきました。講演後には、視点を多く持ちたくさんの仮説を立てるために、「落語」で力をつけることができる!ということも学ばさせていただきました。落語の奥の深さについては、教採後にじっくりと学ばさせていただきたいと思います。

本日はありがとうございました。(岩田)

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私は今回の講演を受けて、3番目の『こんな時どう言い返す』について記事を書きます。

ここでは、池田先生が実際に経験したエピソードをもとに「どう言い返すか」を考え、言い返しのポイントをお聞きしました。5秒の間を大切にした池田先生の無駄のない言い返しからは学ぶべきことが多くありました。

言い返しのポイントは3つありました。
一つ目は「論理で返す」
二つ目は「知識で返す」
三つ目は「ユーモアで返す」でした。

特に「ユーモアで返す」では、『なんでこんにゃくにはつぶつぶがあるの?』という問いに対して事実ではなく、クスッと笑える言い返しを考えました。池田先生や池田先生が経験した回答には会場全体が笑いに包まれました。

私も教育実習などで子どもから聞かれると、どうしても正論で返してしまうことが多くありました。今思い返して見るとユーモアで返せる場面もあったのではと思います。いざ教壇に立った際は「理論」「知識」「ユーモア」を使い分けられる先生になりたいと感じました。
「教える」ということに対して肩肘張ってしまいますが、一呼吸おいて力を抜くことの大切さに気づけた講演でした。

ありがとうございました。(石川)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(佐久間、丹羽、早川)

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5月20日池田修先生による教師力アップセミナーに参加させていただきました。セミナーで学んだことを以下にまとめたいと思います。


池田先生のセミナーで特に学んだことは、子どもが教師に何を言ってもらいたいのか、視野を広く持ち、子どもの考えの可能性を何通りも考える必要があることです。
池田先生はお話の中で「子どもは分かってほしいのに教師の前では隠す」とおっしゃいました。自分にもそんな時期があったな、と恥ずかしくなりながら聞いていましたが、なかなか自分のことを素直に話す人は多くないと思います。子どもたちが何に気づいてほしいのか、多くの可能性を教師が考えることで子どもたちの気持ちを知れることが分かりました。

私は、少しでも子どもの変化に気づけるような教師になりたいと思っています。今回のセミナーで、その変化に気づくために必要な子どもたちの気持ちを考える方法を練習問題を用いて学ぶことができました。子どもの気持ちを考えて言い返すことは簡単なことではないと思いますが、様々な場面を想像して練習していきたいです。
池田先生、ありがとうございました。(佐久間)

第一回目の教師力アップセミナーに参加させていただきました。今回は池田修先生の「こんな時どう言い返す?」ということをテーマに特に印象に残ったことを紹介します。
それは、信じると心配するということです。これは子どものことを信じているからこそ心配してしまう、ということです。子どもの分かって欲しいのに隠す、隠すのに分かって欲しいという気持ちに気づけるか、ということをペアワークを通して学び、子どもの言葉の裏に隠されている苦しみを何通りも考えることが求められるのだと知りました。

今回の池田先生のお話を聞いて、子どもとの距離感からどこで苦しんでいるのか、というストライクゾーンを探して論理、知識、ユーモアといった返しを5秒以内にできるように池田先生が読んでいたという落語の本を私も読んでみようかな、と思いました。(丹羽)

今回のセミナーについて、特に印象に残ったことを書きます。
それは今回のセミナー全体です。子どもたちの素朴な質問・発言に5秒以内で考え、その後に返すということを何度もやりましたが、1度もそれらしい回答はできませんでした。
論理的な回答、ユーモアのある回答、子どもたちの思惑に乗らないさっぱりとした回答。そんな回答の切り替えが瞬時にできるような、先生としての力を付けたい。面白いだけでなく深く考えさせられたセミナーでした。

池田先生ありがとうございました。(早川)

自分の経験から思ったこと(古川)

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ある朝、新聞で命の大切さを教えるという記事を読んで思ったこと書こうと思います。今から書く内容は記事と直接は関係ありません。

いきなりですが、
私の一番嫌いな言葉、
それは友達がかるいノリでいう「死ね」です。

教育実習に行った際に、友達は口癖のように「死ね」と言っていました。
友達に「笑って平気で言うけど、その言葉は本当に使っていいのか、それはノリであったとしても使っていいのか」と私は問いかけました。
注意しても、「実際に死ぬわけやないから」と言われる始末です。
「死ね」という言葉の卑劣さはどうやって教えたらいいのだろうと思います。

恥ずかしながら、私も中学生のときまでは平気で友達同士で遊び半分で言ってることがありました。その時の気持ちは、友達が教育実習のときに口にしていた、「本気で思ってないし死ぬわけじゃない」です。その言葉を言わなくなったのはある1つのきっかけです。

それは友達の死でした。ある朝ニュースを見ていたら交通事故で亡くなったという内容で幼馴染2人の名前が目に飛び込んできました。その瞬間、違う人だと自分に言い聞かせながらもすぐに地方の友達に電話で聞き事実だと知りました。私はつい2日前に今度遊ぼうと言っていたばかりで、現実を受けられませんでした。2人の顔をみて初めて死という重さを痛感したと同時に当たり前のように毎日会うことは当たり前ではないということに気づかされました。そして、死ねという言葉は絶対に使ってはいけないと強く思いました。今近くにいる大切な人が明日亡くなって自分の前からいなくなる可能性は100パーセントないという保証なんてないからです。

また、ある記事では人は死んだらリセットしてまた生き返るという考えている子供もいるという衝撃内容を読んだことがあります。子供がゲーム感覚での死と現実の死の境界が付いていない、人間の生死の実感がないからではないかと考えました。

命を教えること、生きることを教えることはとても難しいことであるけれど、人として絶対に学ばなければいけないことだと感じ、その学びに携わる教師の重さを実感しました。実際にわたしのように経験して学ぶということは出来ないしむしろあっては欲しくないことです。その中でどのように実感を伴って理解させるのか考えてみようと思いました。(古川)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(寺坂、山下、江口)

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池田先生のセミナーでは、「教師とはどんな仕事なのか」について私は考えました。なんと、子供のうちに学校にいる時間はたったの3割しかないそうです。その限られた時間の中で、教科指導から生活指導、また新たに英語や道徳コンピューターなども教えていかなければなりません。本当に大変な仕事だなと思います。しかし、池田先生はこんなことを述べられていました。「教育は時間だけではない。教師のたった一言で変わることもある。」

学校で教採に向けての面接練習をしていると、志望動機のところで「恩師に言われた言葉をきっかけに目指しました。」という人はとても多いです。印象に残る言葉は、狙って言うものではないと思います。これまでの人生で、多くの経験をしてきた人格のある人の口から溢れてくるものだと考えます。適切な指導の力を身につけるとともに、人格の力も身につけていきたいともいます。(寺坂)


こんな時どう言い返す?〜指導の優位性を保つための切り返しを考える〜という池田修先生のセミナーに参加しました。池田先生ご自身がとても面白く、切り返しもユーモア溢れる楽しくてためになったセミナーでした。
その中でも信じると心配するというのが1番強く印象に残っています。これは指導のストライクゾーンを広げることを指し、わかってほしいのに隠したり、隠すくせにわかってほしい子供達の気持ちを予測するための練習でした。たとえば、目の周りにアザのある生徒にどうしたの?と聞くと生徒は野球のボールが当たりましたと言い訳するが実は親に殴られていたり、すごく香水の匂いがする生徒は兄貴に香水かけられてしまいましたと言い訳するが実はタバコの匂いをもっと強い匂いで消すためにつけていたという例が挙げられます。もしかしたら子どもの嘘に気づけないかもしれないし気づけたとしてもどうしたら子どもの口から言わせることができるのか、生徒からの信頼と教師の言葉かけがとても重要だと改めて感じました。(山下)

池田先生の講演会に参加させていただき、信じることに加え、心配していることを伝えることが大切であるということが分かりました。子どもたちが、言ったことを信じることは、当たり前のことです。しかし、子どもたちは、正直に想いを伝えることができず、時に心配を掛けまいと嘘をついてしまっていると分かりました。実際に練習問題をやった時に、どれも身近に起こりそうな出来事ばかりでした。「先生に伝えたい!気づいて!」という想いで、子どもたちは、教師に話しかけています。それに対し、教師がいくつもの返答を考え、子どもたちが本当に伝えたいことを見破っていくことが大切であるということが分かりました。その想いを読み取ることが、子どもたちの悩みを早期発見することに繋がり、毎日笑顔で学校に来ることのできる方法でもあると感じました。
池田先生、ありがとうございました。(江口)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(林、松田、百瀬)

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5月20日、教師力アップセミナーに参加し、池田修先生の講演をお聞きしました。さまざまな具体的な場面を想定して、「こんな時どう言い返す?」と子どもへの指導方法を学びました。自分自身で考える活動があることで、より深い学びになったと思います。
今回は、3期生の林、松田、2期生の百瀬でまとめさせていただきます。


教師になりたいと思ってはいても、教師の仕事は何かと問われた時に自信を持って答えることができませんでした。先生の定義では、【主に学校教育を通して子供を大人に育てる仕事】だそうです。子供を大人にするためには、いつまでも子供をかばうばかりではなく、自立に向けて教師から離していく必要があるのだと気付かされました。
また、子供の見方を広げていくために、自分自身の視野も広げていかなければと感じました。
私も子供がどこで苦しんでいるのか分かる教師になりたいので、とても学びのあるセミナーでした。(林)


今回のセミナーでは子どもに何かを聞かれたときの言葉の返し方を学びました。お話の中で私が最も印象に残ったことは「こんな時どう言い返す」というワークの中であった、教師と児童生徒の会話のときに、「大人ー子ども」「指導者ー児童生徒」「人間ー人間」のどのレベルで会話をするのかということです。そのときの練習問題は部活をさぼりがちな中学1年生の女子学生に「先生はランニングをしていない、頑張ってない人に頑張れと言われてもがんばる気になれない」と言われたときにどう言い返すかという問題でした。私は先生は確かに走っていないから生徒にそう言われてもしょうがない、しかし走る必要もないとも思い、返す言葉に悩みました。この問題に対して池田先生は、生徒は「人間ー人間」の立場で言ってきたことで、教師は「指導者ー児童生徒」の立場で言葉を返すようにするとおっしゃっていました。「いいだろう、先生は走らなくて」というような返し方をし、その立場で会話を進めることが大切であるということが分かりました。
5秒で言い返すことが重要であることを学びましたが、実際に隣の人とやってみると思いの外難しく、言い返す練習が必要であると感じました。(松田)


私は、子どもの行動や考えを、教師の主観で決めつける教師にはなりたくないと思っています。今日の講演を経て、主観で決めつけないという思いに加えて、教員としてもっと視野を広くしていかなければならないということを、最も感じました。
練習問題の中で、先生の質問と生徒の返答から、どのような事実が予想されるかを考えていきました。自分では一つの視点だけではなく多方面から考えたつもりでしたが、ペアの人や先生の考えには自分では思いつかなかったものが多くありました。教師の主観で決めつけないためには、もっと多くの視点から考えられるようにならなければならないと感じました。
また、「あなたを信じている。だから、心配するんだよ。」と言う言葉を教えて頂きました。「ほんとに?」と疑わず、子どもの真の考えを引き出せる魔法の言葉だなと思い、これから子どもに指導をする時には使っていきたいなと思いました。また、言葉がけ一つで相手の気持ちは変わっていくことを強く感じました。(百瀬)


池田先生、とても面白いお話と具体的な実践例を交えた、楽しく学べる講演をしていただきありがとうございました。

教師論へ飛び込み授業参加(岩田、寺坂)

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 こんにちは。今日は、2限にゼミを終え、玉置先生の教師論に初参加させていただきました。お昼に面接の打ち合わせが長引き、3限も始まってしまったしどうしようと考えていましたが、「まだ間に合う!」と寺坂君に教えていただき、滑り込みセーフで参観させていただきました。以下に学びをまとめます。


 本日見た授業DVDは盛山先生の算数の授業でした。単元は、小学校二年生のかけ算。「かけ算なんて九九の表を覚えるだけじゃん。」そう思っていませんか?あまいです。(笑)先生の行う一つ一つの動作に意味があり、流れのある授業。すごい!という言葉しか見つからなかったです。
 盛山先生の授業技術については、以下に寺坂君がしっかりと書いてくれていますので、彼の記事を熟読してください(笑)。


 では、わたしからは最も印象に残った一言を。


「見えないもの隠れているものがあると、子どもは燃える。その見えないところにこそ学びの本質がある。」
 教師として、子どもに何を考えさせたいのか。それに尽きると思いました。


  また、それよりも教師論の授業の雰囲気の良さ。生意気ながら、後ろの席から感心してみていました。教師次第で生徒は変われるんだなと。玉置先生ってすごいです。教師論を受けているみなさん、これからもぜひよい学びをしてください。
 また、学びをすぐアウトプットすることはとても大切だと感じました。3限後すぐに寺坂君から記事が届きました。(笑)「誠意はスピード」同時に大切にしたいです。(岩田)



 1年生の「教師論」に転がり込んで、盛山先生の授業を見させていただきました。 

 単元は「かけ算」の導入でした。この表現が正しいか分かりませんが、憎たらしいほどスマートで聞いていて心地良い授業でした。「仕組みを理解する」というのは、子供にとっても教師にとっても1番難しいところなのではないでしょうか。実際私は、嫌いでした。そんなこと、覚えるだけだと思っていました。しかし、この授業は楽しく、正確に仕組みを理解させる授業でした。

 図を用いての授業だったので、内容の説明は難しいので、学んだことをあげていきます。

1、対話で深い学びを

 授業をするのは教師ですが、学びを生むのは子供かなと思いました。言葉足らずな意見でも、丸ごと復唱法で、子供が本当に伝えたかったことを引き出す力が大切。

2、タイミング

 全員を立たせて、分かったら座らせるというシーンがありました。つまり、座った子供は心や頭になにかしらの変化が起きているということです。意見を言わせるならここしかない。座らせたままだとできない、意図的指名までできると思いました。

 ノートを書かせる時も、常にたくさん書かせるのではなく、1番考えさせたい時こそ使う。書くことによって、自分の考えがまとまるというのは、多くの先生も仰っていますね。

 事前に、教師論だから教師としての指導観についてよく見ろと言われていたのですが、まだまだ表面しか見れてません。まだまだ見る力足りていないなと思いました。

 もう1つ、驚いた話を。一緒に受けた1年生の授業への意識の高さには本当に驚きました。玉置先生が、話しながら後ろの方へ行くと、自然と体で追っているのです。大学の講義でです。そして、1番後ろに座っていた僕と岩田さんが意見を言う機会があったのですが、その時も、全員が体を向けて聞いてくれました。話しやすいです。こういう雰囲気を作っていきたいと思います。しかし、1年生がすごいのか、玉置先生の指導の賜物なのか。どっちもにしておきます(笑)。(寺坂)

5月19日第11回2期生ゼミ記録(岩田)

 こんにちは。ゼミ記録2週目です。5月に席替えをしてから、ぼっち席のつらさをひしひしと感じています。また、隣に玉置先生ということで、右半身がいつも緊張で凍っている岩田です(笑)。

 さて、今日から問題も2週目に入りました。「ああ、この問題見たことあるな。」と思いながらも、答えが曖昧で、なんとなく回答している問題も少なからずあるなと感じました。しかし、初めの頃と比較すると、正答率も随分上がってきたのではと思います。自分自身で成長を確認できることで、安心してはいけませんが、自己肯定感が高まるきっかけになりますね。

 後半戦は、初!論作文講座でした。自分が考える魅力的な学級について、論作文をどのように展開していくのか。一人一人根拠をもって考えていきました。それは根拠なのか、具体性はあるのか、最終的な論の根幹が揺らいでいないか、様々な視点から1つの論作文を作り上げていきました。考えれば考えるほど、ぐるぐると迷走している気がして難しいなと感じました。

 先生のご都合によりゼミは早く終わり、最後は2期生だけで、意見交換をしていきましたが、「これってどうなんだろう。先生〜〜。」という場面が多かったです。まだまだ、玉置先生に頼りっぱなしの2期生です。これからも高め合って行きましょう!

 最後に、わたしが考える魅力的なゼミとは、「自分だけでは無く、みんなのために頑張りたいと思えるゼミ」です。これからもそんなゼミを目指していきましょう(岩田)
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