気付いたこと(吉田)

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タイトルを見て、「なんだ?」と思い、クリックされた方も多いのではないでしょうか。

ここ最近のゼミでは、沢山の教採の問題を解いたり、教育の話題に対してみんなで深めていく活動をしています。
どこにいても、いつでも勉強…。
それでも足りていないと感じる毎日を過ごしているのですが、そんな中でも心の支えになってきているものに気付きました。

それは、ゼミの仲間です。

「教採の問題を解くたびに、少しでもみんなに追いつきたい」「話題1つ、面接の言葉1つでも自分の考えを広げたい」とゼミ中は必死になります。
学校にある自習スペースに行けば、ゼミ生のだれか一人は勉強していて、「あの人も頑張ってるから、もう少し」と感じています。
学内ですれ違ったり、授業が一緒になると声をかけたくなり、リフレッシュして机に向かっています。

助けてもらってばかりで、力不足な私ですが、今は下を向いてる暇はありません。
力を借りつつ、少しでも私自身が誰かの力になれるように、またゼミの仲間がいてくれて、よかったと自信を持って言えるように頑張ります。(吉田)

石川復活?!(石川)

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皆さんは覚えているだろうか?
玉置ゼミに所属し、2期生のゼミ長を務めながらも記事をアップしないあの男を。

そう、私、石川である。
《かなり》久しぶりに記事をアップします。

私は春休みに入ってから、ただボンヤリと1日を過ごす事が多くなりました。教採も近付きつつある2月、3月を殆ど何もせずに過ごしました。
友達にはスチューデントアパシーじゃないかと疑われるほどでした。

玉置先生にも心配されながらも、それに応えることもできず、2期生の仲間にも心配されていたそうです。ご迷惑をお掛けしました。

春休みから学校がスタートするまで、非常に悩みました。何に悩むかと決まっているわけではなく只々頭の中がモヤモヤとグルグルとしていました。
こんな私でも悩むのです(笑)

私だけではどうする事もできず、今年度最初のゼミ直前に研究室へ向かいました。もちろん玉置先生に相談するためです。私は頭の中のモヤモヤを全て話しました。すると玉置先生は、

『そうなる事は誰でもある。先生もなった事もある。少しずつエンジンかけていけばいいじゃないか。』と、声を掛けて下さいました。

その瞬間、私の悩みはものすごくちっぽけなものの様に感じました。私は考え過ぎていたのかもしれません。それほど先生の言葉は心強く、安心感を与えてくれました。

それから2週間が経ちました。週2回のゼミでは遅れながらも皆と同じ目標を持って演習・面接練習に取り組んでいます。1人でいた春休み中とは違い大人数だと刺激が多く、楽しく学べています。ここに大人数ゼミの良さが出ているのかもしれません。

本当にいいゼミに入りました。ひしひしとそう思います。

最後に。
玉置先生曰く、2期生の仲間の中でも寺坂君は一段と心配をしてくれていたそうです。
その気持ちは十分届いており、ある時学校で、

「何かあったら相談にのるから!」

と声を掛けてくれたのを覚えています。
いい仲間を持ちました。ありがとう。(石川)
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授業研究の大切さ(古川)

2016年12月
中央教育審議会の答申において「主体的・対話的で深い学び」いう言葉が出されました。

「主体的・対話的で深い学び」の実現とは何かを答申で読み、改めて授業研究の大切さを感じました。

私はこれを知ったときに授業での「導入」が鍵になるのではないかと考えました。
授業の始めでいかに児童生徒が見たい、知りたい、学びたいと思ったかでその1時間が決まると思ったからです。
そのときにどんな授業をしたら良いのだろうかと考えたとき、自分の教育実習を振り返りました。そこで、1つの話をしたいと思います。

私は中学校実習で一年生を担当し、反比例の授業内容全てを任されました。その1つが反比例のグラフをかく授業です。ただ点をグラフ上にとっても面白くないと思い、どうしたら生徒が興味をわくのだろうと考えた結果、中数研のサイトの反比例のグラフを用いてどんどん点を取っていく様子を見せようと考えました。

そして授業の導入で
「今日は反比例のグラフの形の秘密を考えるよ」
と言いました。秘密と聞くと、なになにと言った言葉が飛び交い周りで様々な意見が飛び交いあいました。
実際にどんどん点を取っていく様子を見せると次々に前に来てデジタル黒板を見に来ました。「面白い」「この先反比例をどうなっていくの」「どれだけXとかYの数を大きくしても軸にくっついていない」「比例と比較してみよう」などとという意見が自然と飛び交いあいました。そして発表では私が想像している以上の意見が出て来ました。

最後のまとめではすべての意見を大切にしたいと思い、すべての意見を赤で囲みまとめとすると、「僕(私)が書いたのがまとめになってるとニコッとした生徒がたくさんいました。

これは完璧とは全然言えませんが少し主体的な授業に近づけれたのではないかと思いました。まだまだ私は未熟で、これを読んでこんな授業いけないと感じられる方も多いと思います。だから教師になったら授業研究をたくさんしたり先生方の授業をたくさん吸収して、授業が楽しくて仕方ないと言わせられる教師になりたいです。(古川)
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わたしの個性(白井)

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桜が少しずつ散り、風が心地良く感じるようになりました。そんな今、私は、自己ピーアールを考えています。面接に向けて、自分の良さや個性は何かを見つめ直しているところです。

しかし、なかなかまとまらず、悩んでいます。そんな時にある言葉を見つけました。「キャラはつくるものではなく 他者が決めるもの」という言葉です。『落語家直伝 うまい!授業のつくりかた』という本から見つけました。玉置先生が監修され、立川談慶さんが書かれた本で、他にも読んでみると考えが広がっていき、とても勉強になりました。
その言葉を受け、自分の良さは何か友人に聞いてみると、自分が考えたものに、新たな視点を教えてくれました。「キャラはつけるものではなく 他者が決めるもの」を実感しました。

このことから、私も、他者の個性を見つけ出せるようになりたいと感じました。子供たちが自分の良さに気づけずに困っている時に、その子の良さに気づき、価値づけできる教師を目指したいと思います。
また、先日牧野さんの記事にもありましたが、仲間との高め合いも大切であると感じました。私1人だけでは気づくことができなかったことを今回、気づくことができました。互いに高め合っていく仲間を大切にしたいと思います。(白井)

岐阜を全力で伝えます宣言 第二弾 「あれから○○年」(吉田)

今回のテーマは「あれから○○年」です。

私は出来事を振り返る時「もう○年経つのか。」としみじみと感じることがあります。
懐かしさと共に、悪いこともよかったことも積り積もって、今があるのだと気付かせてくれる機会になっているのだと感じます。

実は、今年は岐阜にとってある節目の年になるのですが、ご存知ですか?

それは岐阜という名前になって450年目を迎えるのです。
所説あるのですが、元々この地は「井口(いのくち)」という名でした。しかし450年前、織田信長が現在の岐阜城に入城し、この地を「岐阜」という名前を命名したと言われています。織田信長は岐阜にとって大きな存在でもあり、それはJR岐阜駅にある金色の信長像にも表れています。彼はこの地から天下統一を目指していったのです。
織田信長が愛した岐阜城の天守閣からは清流長良川を中心に広がる街並みが堪能できます。

また、岐阜城が建っている金華山は岐阜県の県木「ブナの木」が多く植えられ、五月上旬になると金色に輝いて見えることから金華山という名がついたとも言われ、チャートという岩石が多く見られます。

そして、ふもとに広がる街並みは川原町といわれ、織田信長の進めた「楽市楽座」の街づくりを感じることができます。
この町は長良川の上流から木を運び、紙を作るということで栄えており、木を運搬するために作られた道、洪水の被害を防ぐための街づくりなど昔の名残にも注目することができます。

あれから何年経っても変わらないもの、変わっていくものに触れ、岐阜を知るということはその地に愛着を抱く1つの姿なのかもしれません。(吉田)


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伝える難しさ(牧野友)

先日、集団討論の練習をしました。その時私が面接官役をしていて感じた「伝えることの難しさ」について話したいと思います。

題は遊園地のアトラクションを話し合って決めること(一部省略)でした。話し合いの中で「トロッコ」のアイデアが出ました。その具体的なルールや仕組みについて話し合いを深めていくことになったのですが、なんだかフワフワしたまま話が進み、中には話についていけていない人もいるように感じました。その原因はその後の反省会でわかりました。実は人によって想像していた「トロッコ」が違ったのです。今回の討論では、1.地面をゆっくりはしるトロッコ2.室内をはしるトロッコ3.空中をはしるトロッコの3つが存在していました。一人一人が想像していることが違うので案を出しても話が膨らまなかったのだと全員が気づき笑ってしまいました。

自分が想像していることを相手も想像していることは、絶対ではないと分かっていますが確認を怠ってしまったことが伝わらなかった原因だと考えます。自分の考えを伝えることは本当に難しいです。私が書いているこの文章もどのように伝わっているのだろうと不安になります。しかし同時にたくさんの捉え方があるのは面白いと感じています。相手が今何を想像しているだろうと考えながら自分の想いを伝えるようにしたいと思います。(牧野友)
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ニュースを見てpart.2(寺坂)

 4月11日の西日本新聞に「『日本製』頼りは外国人 変わる仕事場 日本人の新卒入社0人も」という記事があがっていた。これまでは、日本のメーカーが海外に工場を建て、現地の方を日本より低い賃金で雇う、という流れが一般的であったと思う。そこに、日本人が赴き技術指導などを行っていた。しかし、今はもともとの専門技術を評価され日本で働く海外の労働者が増えてきているという現実がある。九州の工場では、工場で働く42人のうち17名が、とある飲食店では日本人の新卒社員は一人もとらず、海外の方を雇っているという。

 自分の得てきた技術が認められ、出身の国よりも多くの賃金がもらえるのであれば、これからもそういった労働者の数は増えてくると考えられる。そこで一つ生まれる問題が、日本語が話せない子供も同じような数だけ増えてくると言うことである。実際に、私の教育実習でも日本語が話せない子供が学校にいた。ADHDなどの障害を抱えた子と同じように当たり前にいるようになってくるかもしれない。

 言語活動の充実ももちろんだが、教師の英語力も大きく求められてくる。ますます学び続ける教師が求められてくる時代になってきていると感じた。

 それにしても、たくさんの労働者が入ってくるとますます日本人の働き口がなくなってきそうです。大学でも、これまで以上に専門性の高い授業が求められ、詰め込み教育に戻っていきそうな…。アメリカと同じような香りがしてきます。(寺坂)

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友人との会話から気づいたこと(百瀬)

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先日帰省して、いつも地元に帰ると会う小中高と一緒だった友人2人とご飯に行きました。気づけばあっという間に5時間。昔の話や大学での話、将来の話などいろんな話ができてすごく落ち着くことができた私の居場所でした。そんな友人との会話で思ったことを2つ書きたいと思います。

今までずっと同じ学校だったからこそ、昔の話ができると書きましたが、その時にはいつも“先生”の話が話題に挙がります。子どもからしたら先生はいつまでも先生なんだと思い、誰かの記憶の中に残る教師って素敵な職業だなと改めて感じました。また、嬉しかったことややりがいを感じて取り組んでいたクラスでの取り組み、先生の一言などは10年以上前のことでも覚えているものです。教員という職の魅力に、児童生徒側の目線からして気づけたような気がします。


もう一つは、友人に言われた言葉です。その友人は数学が大の苦手でした。そのため、テスト前になると私がその子にマンツーマンで教えていました。高校の時も毎回「ありがとう」や「分かりやすい」という言葉を言ってくれていたのですが、今回改めて、「教え方うまいし分かりやすいし、レベルにあった教え方をしてくれるし、とことん付き合ってくれる」と言ってもらいました。すごく嬉しかったし、そう言われることにやりがいを感じ、やっぱり教師になりたいなと思いました。


最近、教員採用試験に向けて勉強していて、正直不安が大きくありました。「教師になりたいという熱意が大切」だとよく言われますが、その熱意よりも最近は不安が上回っていました。しかし、2つのエピソードから、やっぱり教師になりたいなと気持ちを再確認することができました。友人に感謝するとともに、これからも大事にしていきたいなと思いました。また、友人も自分の道に進んでいるから私も頑張ろうとも思いました。(百瀬)

ニュースを見てpart.1(寺坂)

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私は温泉が好きである。みな様はどうだろうか。私はこの春も、城崎・串本・伊豆と3つの温泉地を巡って来た。裸の付き合いなんて言葉があるように、知らないおじさんと何故か仲良くなったりする。その土地の情報を交換しあったり、お風呂上がりに、飲み物をご馳走してもらったりして、自分の中で好きな場所のひとつになっている。

特にヒノキ風呂はとてもいい香りと、独特のお湯の感じがして、ヒノキがあるだけで温泉の質が1つ上がるように感じる。

先日、インターネットサイトYahoo!のニュースをなんとなく読んでいたら、こんな記事を見つけた。それは、「日本のヒノキ風呂か存亡の危機!」というものである。

将来、家を建てる時はヒノキのお風呂をつけたいと考えていた私にとっては、死活問題である。

存亡の危機として、大きく2つの理由が挙げられている。1つは、短期間で大量に伐採してしまったこと、もう1つは中国・韓国でのヒノキブームの到来である。

特に2つ目の理由は、知らなかった事実だった。今日の、中国は劇的な経済成長を遂げていて、住宅建設ラッシュが来ているらしい。資本を持つ方は、日本高級木材 ヒノキ をふんだんに用いて家を建てることがステータスになって来ているようだ。また、韓国ではヒノキは健康に良い、勉強頑張ってできるようになる、などの情報が流れていて、内装家具で需要が高まって来ている。

「平成24年(2012年)に123億円だった林産物の輸出額は、平成27年(2015年)に270億円となりました。」(林野庁)

と、あるように日本の経済を大きく動かしている品目の1つになってきてきる。しかし、このまま出荷を続けこれからの未来にヒノキが残らないというのは少し寂しさも感じる。数十年後、数百年後にまたおおく採れるように、保護していくことも大切だと思う。(寺坂)

岐阜を全力で伝えます宣言 第一弾「宝石のような和菓子!?」(吉田)

皆さんにとって岐阜といえば何が思い浮かびますか?

私はここへ来るまで岐阜は雪がたくさん降る県という認識しかなく、小学校での都道府県テストでは「岐阜」という字が書けず、苦戦したというイメージでした。
そんな私が3年間で触れた岐阜の魅力をご紹介します。

第一弾のテーマは「宝石のような和菓子!?」です。

宝石のように固い和菓子ではなく、キラキラと輝く和菓子なのです。

この和菓子は岐阜県大垣市で作られます。大垣市は古くから豊かで質の良い地下水があり、江戸末期の頃から有名な和菓子でした。まんじゅうという形になったのは明治時代で、地元で愛されています。つるつるとした表面の中にはこしあんが入っており、和菓子の食べているような気がしない触感で「見て楽しい、食べておいしい夏の風物詩」なのです。

その名は「水まんじゅう」

私が出会ったのは1年生の夏で、あまりの感動に山口へのお土産にしたくらいです。
夏ごろになると大垣駅前に水まんじゅうを売る屋台が出ており、岐阜の文化に触れることができること間違いなしです!!

また、大垣市は豊かな地下水と述べたように澄んだ川、大垣城、秀吉で有名な墨俣一夜城や昨年映画化された「聲の形」の舞台になった場所でもあり、素敵な街です。

是非、一度行ってみてください。(吉田)

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共に頑張ること(牧野友)

最近私が実感した「共に頑張ること」のよさを話したいと思います。

今私は自分の夢を叶えるために勉強しています。ほとんど一人で図書館や家にこもり勉強をしていました。これが一番効率がよいと考えていたからです。しかし、一人では苦しい時どこにもはけ口がなくモヤモヤした気持ちになります。そこで私は人と一緒に勉強することにしてみました。面接練習を自ら企画し大学の友達を集めて行ったり、他大学の方の面接練習に積極的に参加したり、座学はなるべく大学へ行って友達の近くで勉強したりしました。すると一人でする時よりも楽しく、時間が早く過ぎることに気がつきました。それはきっと、わからない時にすぐ誰かに聞ける、目標に向かって頑張る仲間の姿が見られるという環境があるからだと考えています。「共に頑張ること」のよさにやっと気づくことができました。

もっと早く気付けばよかったと思うと同時に、これは学級づくりにいかせるかもしれないと感じました。授業中に「わからない。」が言える学級、目標に向かって刺激しあえる仲間がいる学級をつくれば、その過程にある努力を楽しめるのではないかと考えます。ただ、今の段階ではどのようにしたらその学級がつくれるのかわからないので調べたり、たくさん経験をするなかで考えていこうと思います。(牧野友)
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提出物 春休みのアルバイト(丹羽)

私は長期休みの春休みや夏休みを利用して近所の小学校に学童のアルバイトをしに行っています。

なにをするかというと学習時間に一緒に勉強したり、外で遊んだり、お弁当を食べたりします。小学1年生から4年生までの子たちが50〜60人くらい来ていて毎回とても元気です。私はこのアルバイトを大学1年生の夏からしています。そのため、子どもたちも私のことを覚えてくれて私がドアを開けると走ってよって来てくれるのがとても嬉しいです。
子どもたちと一緒に遊ぶとヘトヘトになりますが、みんなかわいくて私が元気をもらってしまいます。(笑)

ある日、子どもたちがケンカをした時、私はどうすればいいのか分からなくて近くの先生に助けてもらいました。
その先生は子どもたちの話を1人ずつ丁寧に聞いてあげて2人が納得するように仲直りをさせていました。
私は何もできず、まだまだだと思うとともに、先生のすごさを改めて実感することができました。

春休みの最後の日に子どもたちからお手紙や折り紙をもらいました。決してどれも上手というわけではないですが、私にとって宝物が増えました。
4月になり、春休みも終わってしまったのでこのアルバイトは当分できませんが、夏休みにまた子どもたちと一緒に勉強したり遊んだりするのが今から楽しみです。
子どもたちが成長するように私もこれからの大学生活でたくさん成長したいです!(丹羽)
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やる気を上げるために(佐久間)

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新年度を迎え、気づけば自分も4年生になりました。入学してから、多くの人と出会い、多くのことを学んできました。きっと入学した時の自分よりもとても成長したと思っています。残り1年、悔いのないように採用試験に向けた勉強はもちろん、部活、アルバイト、すべての時間を大切にしていきたいです。

しかし、残り1年という現実に少し逃げたくなる気持ちも恥ずかしながらあります。そこで、私のやる気を上げる(やらなければならないと思わせる)方法を1つ紹介をしたいと思います。
それは、自分と同年代の人について知り、自分に刺激を与えることです。
例えば今の時期であれば、就職活動をしている友人がたくさんいます。会うことはなかなかできませんが、東京や大阪など様々な場所へ説明会を聞きにいき、多くの会社に入社試験を受けに行っている話を聞きました。
自分の周りの人も頑張っているという事実を知ることで、自分も頑張ろうと強く思うことができます。

他にも、私はスポーツ観戦が大好きなので、同世代のスポーツ選手の活躍も刺激になります。例えば、男子バレー日本代表の石川祐希選手です。石川選手は自分と同学年で中央大学でプレーしています。石川選手のインタビューの中に、自分は今後代表を背負っていくという自覚を持って練習に励んでいる話がありました。将来を見据えて全力で努力する姿は自分も、採用試験に合格し、立派な教師になるという目標を持って勉強に励まなければいけないと思わされました。同世代の人の向上心、意識の高さは自分も見習いたいと素直に思うことができます。

教員採用試験まで残り4カ月ほどになりましたが、自分だけでなく、自分と同年代の人はこの時期が頑張りどころなのです。
必死で教員採用試験に合格できるように努力します!
(佐久間)

地元(林)

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4月2日、法事のため帰省しました。バイトの後にお母さんに柳津まで迎えにきてもらい、また法事の後にバイト先に送ってもらい…お母さんには感謝です。
少しの帰省だったのに、お母さんがたくさんのご馳走を作ってくれて、兄弟と近所の友達たちとWiiの太鼓の達人で遊んで、今1人で柳津にいるのがとっても寂しいです。

兄弟で地元を散歩して、「ここで○○ちゃんと遊んだなあ」とか「ここでおばあちゃんが野菜作ってたなあ」とか懐かしい思い出がたくさん思い浮かびました。
時間経つのって早いな、私は後悔してばっかで成長してないな、としみじみと考えさせられました。
こんな感じで大学のあと2年間もあっという間だと思うと、もっと1日1日を大切にしようと思います。

そして、いつ友達や家族、先生、近所の人などと会えなくなったり、離れ離れになったりするか分かりません。
この生活が当たり前じゃないんだなあと改めて思いました。
だからもっともっと周りの人も大切にしたいと思います。(林)


岐阜に来て…(吉田)

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こんにちは。2期生の吉田です。
一期生のみなさんも卒業され、これから私は4年生になります。
「もう4年生なんだ」と思う間も無く、年度末勉強絶賛セール中の日々ですが、さすがに岐阜に来て四年も経つのかと思うと感慨深いものがあります。

山口から出て来た私は当然、友達がいませんでした。
一人暮らしが不安で何度か家に電話をかけたのも、節約しようとして、1ヶ月1万円生活をしたことも今では笑い話です。今では友達もたくさん、親への連絡は雑になり、贅沢な生活をしています(笑)
しかし、岐阜での生活はあと残り一年です。住めば都と言うように少し寂しさがあります。

そんなある日、わたしはこのようなことを思いました。
「この四年間で学んだ岐阜の良さを形として残したい、伝えたい」

一期生の牧野先輩とは少し違いますが、この記事を使って岐阜での学びを一年間かけて連載していこうと思います。
そして岐阜のことを好きに、好きな人はもっと好きになってもらえたら幸いです。

近いうちに第1弾を発信するので、是非読んでください。(吉田)

4年間の学生生活(渡部)

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今日で4年間の学生生活が終わります。
4年は長いと思っていましたが、あっという間でした。
振り返ってみると、楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、大変だったこと、がんばったこと…
ここには書ききれないほどたくさんの思い出ができました。
充実した4年間を過ごすことができたのは友だち、先生方、先輩、後輩との出会い、家族の支えがあったからだと思います。本当にありがとうございました。

特に3年生からの2年間ではゼミを通して新たな仲間と出会い、共に学び、同じ目標に向かって切磋琢磨しながらがんばることができました。ゼミのみんな、本当にありがとう。
また、玉置先生との出会いをはじめとし、多くの先生方のお話をお聞きすることができ、どのような教師になりたいか、どのような学級にしたいか、どのような授業をしたいか目指したいものが具体的になりました。
先生方、本当にありがとうございました。

明日からは社会人として新しい生活が始まります。不安なこともたくさんありますが、
とにかく一生懸命がんばります!!!

4年間本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

(渡部)

【20161217口演】市之久田会館で落語

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 市之久田会館で依頼を受けて落語。11年ぶり。いつものようにまくらを30分間。あと15分のところで、久々の「子ほめ」。よく笑っていただいた。

(三楽の仕事日記より)
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