見てるだけじゃわからない (矢崎)

 こんにちは。5期生の矢崎楓子です。

 突然ですが、私はテレビドラマを見るのが趣味です。各局のドラマを全てチェックしていると言っても過言ではないくらいです。

 そんな私は、今日、「おカネの切れ目が恋のはじまり」というドラマの最終回を見終えました。ご存じの方も多いかと思いますが、この作品は三浦春馬さんが出演された最後のドラマです。

 最終回に三浦さんは数秒しか登場されていませんでしたが、主演の松岡茉優さんがまるでずっと三浦さんが近くにいらっしゃるような素敵な演技をされ、心がキュッとなる素敵な最終回でした。

 そんな素敵な最終回を見て思い出したのは、数日前に玉置先生がスラックに載せてくださった、「『一滴の涙』ある夏の出来事」というある生徒さんが書いた作文でした。この作文はある生徒さんが旅行先で犯罪加害者の家族の方と関り、人の人権についておじいさまと一緒に考えたお話が書かれています。

 では、この作文と三浦さんの最後のドラマが何故私の中でつながったのか。それは、人の人生は見ているだけでは分からないということが繋がっていると思ったからです。

 三浦さんは私にとってかっこいい演技の上手な俳優さんでした。亡くなったとき人生について悩んでいらっしゃったそうだとニュースで耳にしました。私にはそんな風に見えなかったのになと思いました。当たり前です。だって、私は話したこともないんですから。
これは生徒さんの作文に出てきた犯罪加害者の家族の方を世間が見る目と通ずることがあると思いました。

 そのご家族がどんな風に今までを過ごされて今を生きているかなんて、ニュースや噂だけで判断できるわけがありません。いえ、してはいけないと思います。今回この作文を書いた生徒さんは自分の五感を使って、このご家族と関わろうとしました。だから、このご家族も涙を流されたのだと思います。

 私自身、シングルファーザーの家庭で育ち、周りの人に「おかあさんいなくてかわいそう」と言われたことが何度かあります。その言葉をかけられたとき、毎回こう私は思いま
す。

「私のことちゃんと見ていてくれていないね」と。

 私はかわいそうではありません。むしろ、幸せです。何倍もの愛情を父をはじめ色々な人から頂いて育つことができたのですから。だから、私は人と関わるにはちゃんと自分の五感を使うべきだと思います。その五感でその人を見なくてはいけないと思います。

これって、本当に難しいことです。根気もいりますしね。正直、自分もできていないことが多々あります。でも、この五感で人を見ることをこれからの時代、忘れてはいけないと思います。

 教師になる人間として、忘れたくないと思い、今日このお話を書かせていただきました。読んでいただき、ありがとうございました。(矢崎)

 ※写真は、火曜ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」のサイトより(玉置)
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〇〇の秋(酒井)

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 こんにちは。5期生の酒井です。この頃朝晩がとっても涼しくなってきて秋を感じつつ、おいもや秋刀魚、栗など秋には美味しいものがあるのでわくわくしています笑

 では、今回は心を動かされた絵本について書かせていただこうと思います。タイトルは「ヤクーバとライオン」です。1は勇気、2は信頼というテーマで書かれています。

 実は、岐阜聖徳学園大学の教授である水川和彦先生の研究室を訪れた際、紹介してくださったのがこの本との出会いでした。はじめ表紙の絵を見た時正直怖そうだなあと思いました。しかし読み進めていくと心のがあたたまるそして、考えさせられる内容がぎゅっとつまっていました。

 ぜひ読んでほしいのでここに詳しいストーリーは書きませんが、信頼の方の見せかけの格闘のシーンはとくにぐっと来ました。見ていたライオンや聞こえていた人々にはわからない2人だからこその行為だったのだろうと感じました。ライオンと人は言葉でコミュニケーションができるわけではありませんが、お互いを尊重しあう態度だったからこそあのような信頼関係が築かれたのかなあと思いました。

 お話の最後、主人公のキブウェは村から去ってしまいます。彼はどうなったのでしょうか。イメージがなかなか湧きませんがきっと、心の中にヤクーバが生き続けたはずです。またヤクーバの心にもキブウェが生き続けていると私は思っています。

 さて、この絵本の読みどころは本文だけではありません。翻訳者のあとがきまで読むとまた違った後味になります。さらに、1だけでなく2も読むとさらに違う気持ちになれます。本当の信頼とはなにか、本当の勇気とはなにか数ページの絵本でこんなにも深く考えさせられるとは夢にも思いませんでした。1と2と行ったり来たりして何度も読み返したくなる作品です。読みながら、22歳の私が読むのと5年後10年後の私が読むのとでもきっと違う解釈をして、違う気持ちになっているんだろうなあとも思いました。

 外に簡単に出かけられなくても、本は読んでいると色々な経験をさせてくれます。活字がたくさんの本ももちろんですが、絵本も手にとって多くの作品と出会い、自分の糧にしたいです。卒業までに読みたい本がたくさんあって、うまく時間をつくってよみきりたいと思っているので今年の秋は「読書の秋」になりそうです。(酒井)

幸せのオムライス(酒井)

 こんにちは。最近食欲が全開の5期生の酒井です笑

 教員採用試験の2次前からずっと書きたくて書きたくてたまらなかった話を今回は書かせていただきます。

 教員採用試験2次前日のことです。試験まで一週間をきった頃からナーバスな気分が続いていて、あの日は前日ということもあり特に随分煮詰まっていたような気がします。それでも、教職員の方々や先輩方からたくさんエールをいただいて、友人と励ましあってなんとか自分を保っていました。ただ大学がお盆休み期間で閉鎖されていた期間は正直どことなく寂しさと心に穴が空いた様な気持ちになっていました。
 そんなゆらゆらした気持ちで家で机に向かっていると「もえちゃーん」と次女から呼ばれ、時計を見ると正午すぎ、お昼ご飯かなあと思いながら階段をおりました。すると机にはオムライスがあって、次女はせっせとケチャップで文字を書いていました。父のオムライスには「パパ」、母のオムライスには「ママ」、三女のオムライスには「あこ(三女の名前)」、次女は自分のオムライスに好きなアイドルグループの名前を書いていました。私のオムライスには明らかに名前より多い文字が書いてあるように見えました。席についてよく見るとこそには一生懸命書いた様子が目に浮かぶ字でこう書かれていました。

 「がんばれ」

 予想もしない出来事で驚きましたがそれ以上にとてもとても幸せな気持ちになりました。次女に伝えきれない感謝を必死に伝えようと言葉にしたり態度でしめしているといつも済ましている次女も照れくさそうにしていました。愛おしくてしかたない気持ちになりました。あまり家にいなくて、最近遊んであげられなかったので妹たちと関わる機会が減っていることをずっと気にしていましたが、自分のことを応援してくれている、思ってくれている幸せを心から感じたのを昨日のことのように覚えています。

 こうしてたくさんの方々のおかげなんとか2次試験を終えることができたことを記事を書きながら改めて感じました。いやあ、私って周りに恵まれてる幸せ者だなあ。これからもこの感謝を忘れず過ごしたいです。(酒井)
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最近の私のエネルギー源(遠藤)

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 こんにちは、5期生の遠藤です。教員採用試験が終わり、次は幼稚園実習に向けて意識を切り替えねば、と思っている日々の中で、私はしばしばあることを考えています。

 それは、去年の教育実習でお世話になった小学校の子どもたちのことです。ちょうど今、一つ下の後輩たちが小学校の実習中ということで、頑張ってほしいと思うと共に、自分の時のことを思い出す機会が増えました。
一ヶ月間、あの場所で一緒に学ばせて貰った3年生の子どもたちは、みんな本当に良い子たちで、ふとした時に会いたくてたまらなくなります。

 教員採用試験では、一次試験も二次試験も、実習で子どもたちから貰った手紙をお守りがわりに持っていきました。休憩時間にはその手紙の束をそっとめくって、子どもたち一人一人の文字をなぞったり、写真の笑顔を見たりして、絶対に教師になるのだ!という決意を強めていました。

 その中の最後の集合写真では、黒板の前に子どもたちと先生方と集まって、ソーラン節の決めポーズをしている私が写っています。今思うと、こんな風になんの躊躇いもなく子どもたちとくっついて、大きな声で笑いながら写真が撮れた日々が、奇跡のように感じます。

 小学校のホームページを見ると、ソーシャルディスタンス運動や、健康チェックカードなど、コロナ対策に励む子どもたちの頑張りが伝わってきます。その様子を見ていて、コロナに対してつい緩みがちだった気持ちが引き締められました。

 教育実習での思い出や、初めての事にも懸命に取り組む子どもたちの姿が、いつも私にエネルギーをくれます。教採の結果は不安ですが、どんな結果であっても来年から教壇に立つことに変わりはありません。あの子たちに見られて恥ずかしくないような、立派な先生にならなくては!と、子どもたちに勇気を貰う日々が続いています。ということで、まずは来月に迫った幼稚園実習でより多くのことを学べるよう、頑張ります!(遠藤)

人生のヒントは”過去”にある(宮野)

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 こんにちは。5期生の宮野です。今日は先日、読んだ本で心に残った言葉を紹介します。

 それは、PHPという雑誌に掲載されていた「人生のヒントは”過去”にある」という言葉です。これは、友吉鶴心さんという琵琶奏者の方が、自らの人生から学んだことだと述べていました。

 私は、人と比較したり、ふいにあの人は〇〇ができていいなあ、でも私は…と考えてしまったりすることがあります。しかし、友吉さんは、誰もが一人一人異なる過去を持つ違う人間。だから比べたって仕方ない。それぞれの過去を大切にすることで、私たちは自分も人も認めて、許し、自信を持って人生を歩めるのではないでしょうか。と述べていました。

 その言葉を見たとき、心が軽くなり、自分の今までを振り返ってみました。教採では、あきらめず、粘り強く取り組み、また、これまでも何事にもやろうと思えば、挑戦して、頑張ってきた自分がいると、感じることができました。これから、不安になったときや教師になって、子供と向き合うとき、自分の過去や相手の過去に思いを寄せ、自分も相手も大切にできる人でありたいと思います。(宮野)

教採報告(杉山)

 こんにちは。5期生の杉山です。記事を書く期間が空いてしまいました。すみません。この記事では、教採に関する報告をしようと思います。

 私は愛知県と横浜市の中学社会を受験しました。2つとも一次試験は無事合格し、先日、全ての二次試験が終了しました。手応えとしては正直言って微妙です。横浜の模擬授業では生徒役の面接官の想定外の答えに動揺してしまい、愛知では筆記試験での漢字ミス、面接では私自身の良さをアピールすることのできる質問がなく、淡々としたものとなってしまったような気がしています。しかし、ゼミや友人と幾度となく練習してきた面接練習を思い返し、何度も何度も合格できるとを心の中で信じています。仮に残念な結果となってしまった場合は、講師として働くか、もともとは高校の地歴がやりたいと思っていたので、教採浪人をしようか未だ検討中ですが、どのような結果であれ、一生懸命勉強したことは必ず役に立つので、そのことを誇りに生きていきます。

 正直な気持ちを言うと、この教採期間中は若干寂しかったです。定期的なゼミでみんなの顔を見てはいるのですが、ゼミ生で私以外は全員小学校志望だったので、みんなの教採の話(筆記試験や場面指導、面接の内容など)に関する基準が小学校を意識したものでした。小学校と中学校では試験内容が大きく違うため、ゼミ生内で中学校の試験内容を共感できる人がいなかったので、そこは少し寂しかったなという思いでした。(笑)

 前代未聞のコロナ禍の中で、人と接する機会が大きく減った今年度前期でした。その中で、人と接することがこんなにもありがたく、元気をもらえることだということを改めて感じましたが、主に5期生のゼミの仲間や玉置先生とのやり取りで、実際に面と向かってしゃべっているような、濃密なネットゼミの時間があり、教採対策は特に支障なくできたと思っています。改めて、このような状況でも充実した学びを提供していただいた玉置先生やゼミの仲間に感謝を申し上げたいと思います。この教採期間は人生の中でわずかな期間ではありましたが、今後の人生を創る上で重要な部分を占めるでしょう。(杉山)
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本学オープンキャンパスでゼミ生活躍(玉置)

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 3回にわたる本学のオープンキャンパスも無事終了しました。

 1回目は私の模擬授業の動画配信があり、2回目はかつての玉置ゼミの早川君、4年生ゼミ生の矢崎さんが動画出演をしています。玉置ゼミはあちこちで活躍です!

 玉置授業動画配信はこちらをクリック

 早川君、矢崎さんが教育学部について対談している動画配信はこちらをクリック

上半期報告(四期生中澤)

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 お久しぶりです。四期生の中澤佑太です。皆様元気でいらっしゃいますでしょうか。さて今回は、上半期報告をさせていただきたいと思います。(写真は私の新たにできた居場所です。詳しくは名古屋市子ども若者総合支援センター金山ブランチにて)

 手始めに酒井先生、岐阜聖徳学園大学就職課の大杉さん。4月から5月にかけて、ご心配をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。下記に記していきますが、今のところ問題ないと判断できる状態でいます。ありがとうございました。

 三つのことを伝えます。

 一つ目は公務員試験対策についてです。大学を卒業し、予備校ではありますが環境に慣れない日々が続きましたが、講師の方々にも覚えてもらい、親身に勉強のことだけでなく人生経験などいろいろなことを教えていただいています。どうやら私のことが気にかかるみたいです。模試では初級レベルですが、(東京アカデミーは4月から8月まで初級クラス9月から上級クラスの授業・模試を受けるカリキュラムになっています。)偏差値65、校内模試三位という人生初めての数値を自分の模試結果に残しました。成績がインフレしていると判断しています。上級に繋がればと思っています。また、筆記試験だけでなく、名古屋市について、面接について調べています。その結果合格する見通しは立っています。後はその通りに自分が行動できれば良いなと思っています。

 二つ目は、学び続ける教師の会での勉強会に対する感謝です。この会は月に一回、松井さん主催、ズームを活用して、一期生二期生の方が多く参加していて、授業で使えるICTを探求していくという会です。四期生が新任で参加しにくいため、四期生の誰かが参加できるようになるまで私がその場にいようという思いをきっかけに参加してきました。緊張というよりはどういう心持ちで参加しているべきかで不安でした。けれども何度か参加していく中で、参加者の輪に入れてもらい、気がつけばまるで何でも話せる友達かのように関るようになってしまいました。本当にありがとうございます。

 三つ目は、『名古屋市子ども若者総合支援センター』という名前を紹介したいです。これはぜひ一度ネットで検索し、ホームページをメニューをクリックしつつ隅々まで見てほしい場所です。ふとしたご縁で私はこの場所を紹介してもらいました。

 この場所は一言で言いますと、『ハローワーク(場所)よりハローワーク(就労支援)している場所』です笑。二十代を中心に一人一人の性格適正を明らかにし、企業と密接に繋げ、負担なく就職させ、その後続いていく見通しが立つまで見届けきるという場所です。まさに今の時代に求められた結果、財が豊富な名古屋市が生み出した環境です。こんな場所があることもですが、この施設ができたのが7年前であり、就労支援に特化し出したのがなんと令和元年10月。私が公務員試験に移ったタイミングです。施設の方から「中澤さんが引き寄せたかのような偶然ですね」と笑っていましたが、自分自身驚きました。抽象的な表現になっていますが、また記事を書く時に詳しく書ければ良いかなと思っています。

 この施設の方々にも私は覚えてもらい、これから公務員試験と同時にダメだった時に就職して続いていけるように親身にサポートしていただけるみたいです。どうやら私のことが気にかかるみたいです笑。

 このように気がつけば多くの人が私の周りに集まってきました。玉置ゼミで培ったメタ認知によって自分のことを丁寧に説明したことで興味を持っていただいたからだと思っています。また、大学を卒業し、自己肯定感が下がることもなくなり、学生のノリに頭を抱えることがなくなりました。

 その結果、のびのびと笑えるようになってきました。またなんといいますか、ようやく自分の人生に集中できる、人生が動き出したと感じています。

 玉置ゼミがきっかけで私の人生が大きく変わりましたが、さてどうなることやらと思っています。感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

 流れを読み、最善手を打ち、飄々と生きていきたいと思っています。

 このような感じです。公務員試験は来年の6月です。応援願います。あとすみません、学生時代の記憶がほぼ薄れていることを申し上げます。それではお読みいただきありがとうございました。(中澤)

大丈夫。(二宮)

 こんにちは、五期生の二宮です。突然ですが、タイトルにもある「大丈夫」という言葉の意味をご存知でしょうか?



 危なげがなく安心できる様、強くてしっかりしている様、まちがいがなく確かな様。が主な意味だそうです。色々な場面で何気なく使っていたこの言葉ですが、教員採用試験に臨む私は「大丈夫」と言える状況ではありませんでした。今日はそんな自分が試験勉強を経て成長したことについて書いていきます。

 私は試験勉強を経て、精神面が大きく成長したと思っています。そのきっかけとして、自分の過去の苦しさや、コロナウイルスの自粛生活のストレスを自分の中に溜め込んでしまうことがありました。しかしある時限界がきて、玉置先生にその苦しさの一部を話した時「大丈夫」と言われました。その一言があったおかげで立ち直ることができ、多くの成長に繋がりました。

 その成長の多くは面接、模擬授業で現れたと私は思っています。面接の中で目を逸らさないように話をしたり、考えたりすること、模擬授業で笑顔のキープや揺さぶりかける時の声のトーンや表情の変化など、多くのことが昔に比べできるようになりました。それ以上に試験の本番ではかなり悔しい失敗もありましたが、その失敗を受け止めることができました。それは、自分の長年の短所である「完璧を追い求めること」の克服の一歩であり、最大の精神面の成長だと感じています。
 
 正直私は自分の成長を認めることが苦手です。ですが、玉置先生から何度も褒められたこと、面接練習を一緒にやったゼミ生や仲間からのアドバイスのおかげで少しは自分を認めることができました。ありがとうございます。

 この記事を書いていて、今の自分なら「大丈夫」と言えること、教員採用試験の成長で終わらず、残りの大学生活でさらに成長することの2点を大切にしたいと思いました。そして、これから生きていく上で「大丈夫」とこれからの自分に、将来自分が関わる子どもや周囲の人に言えるように様々な力をつけていきたいです。(二宮)
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教員採用試験を終え(生田) 8/23

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 こんにちは!五期生の生田朋也です。今回は教員採用試験を終えた自分の素直な気持ちを書いて行こうと思います。

 私は2つの自治体を受け、一つは二次試験の結果待ち、一つは残念ながら落ちてしまいました。

 教員採用試験を終えてすぐに記事に自分の気持ちを書こうと思っていたのですが、予想もしなかった結果になにも言葉が出てきませんでした。この二週間やっと少しずつ気持ちに整理ができ始め、こうして記事を書かせていただいています。

 正直まだ立ち直れていません。ひどく劣等感を感じてしまいます。どう気持ちを保てばいいかもわかりません。しかしまだ一つ合否発表が残っています。講師をやるのか、ご縁のあった自治体で正規でやるのかまだなにもわかりません。とりあえず結果がでるまではじっくりもう一度自分と見つめ合って行きたいと思います。
 
 この教員採用試験での学び、ゼミでの学びは必ず現場で生かしていきたいと考えています。ここで学びを止めないようにもう一度頑張っていこうと思います。
 
 教員採用試験は思うような結果は出ませんでしたませんが、まずは真摯に結果を受け止めます。そしてここまでやってこられたのも支えてくださった玉置先生はじめ、沢山の先生方、ゼミ生の皆様本当にありがとうございました。ここで終わりにしないよう諦めず、立派な先生になれるようこれからも精進していきます。(生田)

教員採用試験を終えて(大久保)

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こんにちは!5期生の大久保です!
教員採用試験の区切りがついたので、久しぶりに記事を書きます。

8月19日、教員採用試験が終了しました。
私なりに小学校全科、一般教養、教職教養を勉強して、面接も様々な先生方にやっていただいて、しっかり準備をして挑めました。

しかし、面接本番は緊張し過ぎて、正直何を言ったかも覚えておらず、結果はどうなるか分かりません。やれるだけのことはやったと捉え、気持ちに整理をつけていこうと思います。

教員採用試験に向けて勉強している中で、苦しかったことが1つあります。
どのような教師になりたいのか、どういう学級にしたいのかを面接に向けて、ずっと自問自答し続けました。ずっと考えていると、学級経営の難しさが常に私の心を遮りました。

「素直に気持ちを言えるクラスにしたい」
そのクラスにするには具体的に何をする?
それでも中々素直に意見が言えない児童にはどうする?
素直に言うことでマイナスな面もあるのでは?
など、様々な難しさが頭の中に降りかかりました。いくら壁を乗り越えても、乗り越えても、その先には壁がそり立っている、そのような感覚でした。

このような数多くの難しさに直面しながらも、柔軟に対応して、クラスを支える現場の先生方は改めて凄い方ばかりだと感じました。

もし私が担任を受け持ち、学級経営をしていくとなったら、本当にできるのだろうか私で大丈夫なのだろうかと何度も自分には向いていないと思うことがありました。

しかし、教育実習で感じた児童一人一人の圧倒されるほどのパワフルさ、短い期間でもグングンと成長していく姿、それら全てが教師としてのやりがいだと実習を振り返った時、やはり教師になりたいという思いが強く残りました。

上でも述べましたが、結果はどうなるか分かりません。もし残念な結果になったとしても、現場に出ることはできるので、目の前の児童に「このクラスで良かった!」そう思って貰えるように、残された大学生活を私自身の教師力の向上の時間に費やしていこうと、前向きに過ごしていきます。

教員採用試験に向けて多くの時間を掛けてくださった玉置先生、お忙しい中話をしてくださった4期生の先輩方、一緒に勉強した5期生13名、本当にありがとうございました。(大久保)

今考えないといけないこと (矢崎)

こんにちは。5期生の矢崎です。
今日の夕方見たニュースについて書かせていただきます。

明日、日本は終戦75年を迎えます。
今年は、コロナウイルスという予想がつかなかった事が起こりました。
日本人はこのウイルスとの共存にあたって、戦時と同じことを繰り返してしまいそうなのだと、戦争を経験された方はおっしゃいます。

何を繰り返してしまいそうなのか。それは「他人を監視すること」です。

戦時中、戦争に勝つ為に様々な制度ができ、多くの人が耐えながら生活していました。
その耐える生活で心に芽生えるのは「私は我慢しているのに何故あの人は我慢しないの」という思い。
そして、その思いは「他人を監視すること」に変わります。
常に誰もが誰かを監視する日本が生まれました。

今の日本はどうでしょうか。
感染を広めない為、多くの人が「我慢」しています。
この「我慢」は感染を広めない為には必要であることは確かです。
しかし、この「我慢」が「他人を監視すること」に変化してきてはいないでしょうか。
日本に住んでいる人は一人ひとり容姿が違うように、一人ひとり違う生活スタイルを持っています。
それを全て統一することは不可能です。統一すれば誰かが生きづらくなります。
その「我慢」がその人の生活を左右することにもなりかねないのです。

だから、今大切にすべきことは「誰かに何かを求める」ことではなくて、「自分にできることをする」だと思いました。

このコロナウイルスと生活する中で、この問題はとても難しい問題です。
私が感じた事が100%正しいとは思っていません。
ですが、日本人が誇れる「周りと共存する力」が「周りに強制し合う力」に変わってはいけないと感じます。

コロナウイルスが広まる今だからこそ気づくことができた、人と関わる大切さをもう一度思い出して、自分自身、誰かを想いながら生活していきたいです。(矢崎)

※ 写真は、林文通先生撮影のある学校の一コマです。記事とは関係ありません。学校のワンシーンがとてもうまく切り取られていますので、使わせていただけるようにお願いをしました。
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作文で感動した話(矢崎)

 「日本のいじめ対策は間違っている」

 私は、論述対策で「いじめ」について色々調べたいと思い、ネットで「いじめ対策」と調べた時、この言葉に出会った。

 正直、とても驚いた。私が調べたいと思っていたことを否定している言葉だったからだ。更に、この言葉は中学2年生が書いた人権作文のタイトルだった。あまりにインパクトのありすぎる言葉に惹き付けられ、私は気づけばそのサイトを開いていた。

 この作文を書いた中学2年生の生徒さんは、いじめを受けた生徒をカウンセラーの協力を得ながら支援することやいじめを行った生徒を別室で授業させる、道徳教育の充実は本当にいじめの根本的解決につながっているのかということを問題視していた。

 そして、その解決したいと願う日本の「いじめ」は「長期的に陰湿化しやすい」ことを一番の問題点として挙げていた。

 では、なぜ日本の「いじめ」は「長期的に陰湿化しやすい」のか。その生徒さん曰く、二つ原因が考えられるという。

 一つ目は「日本のいじめは精神的苦痛を主とし、表面上分かりにくく、教師などに気づかれにくい」こと。

 二つ目は「いじめを見ている人の反応」。

 この二つにより、いじめを止めるための「いじめのストッパー」がなく、どんどんエスカレートし、いじめが長期化してしまうということだ。

 だが、三つの要素があれば、誰でも「いじめのストッパー」になれるという。
一つ目の要素は「善悪の判断ができること」。
二つ目の要素は「自分の意見をもつこと」。
三つ目の要素は「他人の意見を尊重すること」。
一つ目と三つ目の要素は既に備えている日本人は多いという。

 しかし、二つ目の要素である「自分の意見をもつこと」が日本人は備えきれていないことが多いという。

 私自身、「周りに合わせること」が良いこととされている空気が日本には流れていると感じる。その空気は周りの人と上手く楽しく生きていくには必要な空気だとも思う。でも、その空気は時として、黒く重い空気になることはないだろうか。私はその代表的な「時」は「いじめ」の場だと考える。

 いじめが行われる場で流れる黒く重い空気を吸うこと、「周りに合わせること」で周りの者は自分を守ろうとする。でも、その空気は重いから、いつまでも吸った人間の中に居続ける。だから、いじめは長く存在し続ける。

 だからこそ、この作文を書いた生徒さんの仰る通り、「自分の意見をもつこと」要素を持つことが重要なのだ。自分はこのいじめは認めない、許さない、黒く重い空気は吸わないと「自分の意見」を一人ひとりが持つことができればいいのだ。

 この生徒さんは日々の生活の中で、集団で一つの課題に対して真剣に話し合い、取り組む活動を取り入れることで三要素が培われると最後に仰っている。これは日々の学校生活の中のどんなときでも、教師の意識次第でどれだけでも取り入れることができるのではないだろうか。つまり、子ども達が三つの要素を獲得できるかは、教師の働きかけも大きく影響するのだ。

 だから、道徳教育であろうとなんであろうと、自分が教師として子どもたちに対して行う活動はこの三要素を意識して構成していきたいと思う。この三要素を網羅するのは簡単なことではないし、今の自分には難しいとはわかっている。でも、この作文を書いた生徒さんが大人になられて、見る教育現場に、周りに合わせて黒い重い空気を吸う子がいないようにしたいと思った。(矢崎)

※ 写真は、林文通先生撮影のある学校の一コマです。記事とは関係ありません。学校のワンシーンがとてもうまく切り取られていますので、使わせていただけるようにお願いをしました。

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共に頑張る仲間(宮野)

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 こんにちは!5期生の宮野です。先日、教員採用試験の1次試験が終わりました。
 私は、地元の滋賀県を受験しているのですが、ほぼ毎日、滋賀を受験する仲間と面接練習等を重ね、切磋琢磨してきました。試験前日最後の面接・討論練習で、滋賀の仲間たちの「このメンバーで頑張って来れて本当に良かった」「この仲間だから、話を繋いでくれる安心感がある」という言葉に心が熱くなり、全員で受かって滋賀の教師になりたいという思いがますます強くなりました。
 
 現在、まだ1次試験の結果は分かりませんが、2次試験に向けて、また滋賀の仲間と1歩踏み出しました。教員採用試験を通じて、人と繋がる喜びと、自分自身が、色々な人に支えてもらって今頑張れているのだという感謝の気持ちをひしひしと感じています。
 
 ここまで切磋琢磨してこれた大切な仲間と、1日1日を大切に、玉置ゼミで学んだ”分福”精神を忘れず、最後まで諦めず、努力していきたいです。(宮野)

7/13 教員採用試験、1つ目の筆記試験を終えて。(生田)

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 こんにちは!玉置ゼミ五期生生田朋也です!四方山話は久しぶりの投稿となってしまいましたが今回は現状と今の気持ちを書いていこうと思います。

 コロナが第2波が来ている中、前日入りで1泊して一つめの筆記試験を受けてきました。コロナで模試などがなくなってしまったため、受験は久しぶりの感覚でとても緊張しました。

 いよいよ始まったという気持ちです。あれほど遠い存在だった教員採用試験が始まりました。

 正直毎日不安で押し潰されそうになっています。しかし勉強の不安は勉強することでしか消えません。

 そのような中でも3つのものに支えられています。それは家族、友達、そして玉置ゼミ。この3つです。玉置ゼミでやってきたこと、玉置先生に指導していただいたこと、教わったことすべてが自分の教師になりたいという思いを一層強くしました。もし、玉置ゼミに入っていなければ夢への思いが薄くなって、厳しい状況で折れていたかもしれません。

 そして最後に、この教員採用試験が終わっても学び続けることをわすれないようにしたいです。

 母親に「教採教採ばっか言ってるけど、教採終わったら終わりじゃないよ。受かることはもちろん大切。でもそこで勉強しなくなったら受かった意味ないよ。」と言われました。本当に最近は目の前のことしか考えていませんでした。しっかり周りに感謝の気持ちを忘れずに、先を見据えて、教採が終わってもしっかり学び続けていきたいです。(生田)

「命を守る」ということ(矢崎)

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こんにちは。5期生の矢崎です。
今回は5期生の古川さんに誘っていただいた、東日本大震災の津波で息子さんを亡くされた田村さんご夫妻にお話を聞く機会をいただきました。そこでの学びを書かせていただきます。

息子さんは女川の津波警報が出ているなか、会社の業務命令により会社の屋上に逃げ、津波にあい、亡くなりました。
田村さんご夫婦は目の前にあった高台になぜ逃げさせることができなかったのかという会社への訴えと息子さんの命を繋ぐ活動を「健太命の教室」で続けていらっしゃいます。

田村さんご夫妻のお話しから、「命を守る責任」を強く感じました。
私が目指す教員という職業は子どもたちを守る責任があります。
田村さんご夫妻のお話を聞いて、この「守る」という言葉の重さを実感しました。
自分の指示や言葉が子どもたちの命を左右してしまうことに怖さを感じました。

息子さんは震災から6ヶ月後に見つかりました。しかし、面会は叶わなかったそうです。お母様は「抱きしめてあげればよかった。」と仰いました。
この言葉を自分が受け持つ子どもたちの保護者の方に言わせないように、子どもたちを「守る」という責任と想いを強く持ち、日常の防災を怠ってはいけないと感じました。


田村さんご夫妻が「私たちの活動の根源は息子への愛情がある」と仰いました。
そして、「息子を亡くしてから人生が一転しました。」とも仰いました。
大切な人を亡くすという経験はその人の人生に良くも悪くも作用します。
田村さんご夫妻はこの経験と共に生きてるいらっしゃると感じ、言葉では言い表せない気持ちになりました。

子どもたちにはもちろん、大人の方々にも田村さんご夫妻のお話しを聞いてほしいと強く感じました。
ぜひこの記事を読んでくださった方は「健太いのちの教室」のホームページを覗いてみてください。
きっと、感じることがあるはずです。

http://kenta-inochiclass.com/


貴重な機会を作ってくださり、初めての私を快く迎えてくださったaichikaraの皆さん、ありがとうございました。

https://m.facebook.com/%E4%B8%80%E8%88%AC%E7%A4...

そして、田村さんご夫妻、貴重なお話を本当にありがとうございました。

講師からいただいた素敵な言葉(中澤)

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 お久しぶりです!四期生の中澤佑太です。今回はアカデミーの先生からいただいた言葉をお裾分けします。

 5月6日まで休校にならざるを得なかったなか5月7日からzoomを用いて再開されました。受講者と事務員、講師の方が一体となって授業を作って行きました。

 その中である先生が授業後にこう話していました。
「この数週間授業ができなくて、みんなに会えない日が続きました。その中で改めて私にとって皆さんはかけがえのない存在だと思っています。今この世の中で不安な中勉強をしていると思いますが、モチベーションが上がりにくいと思います。そんな時はこう思ってみてはどうでしょうか?

 受かった時に喜んでくれる人、あなたにとって大切な人を思い浮かべてください。

 そうすれば何のために取り組んでいるのか初心を思い出すことができると思います。」

 この言葉は試験への合格を意識した言葉ではあります。しかし私にとってこの言葉は、より深い言葉として染みました。

 現場で働いている仲間ほどではありませんが、新環境になり私は潰れていました。学生として扱われない中働いていません。働いてなくても、お金を稼ぐことの精神的な厳しさを思い知る日々が続いていました。「冷たい。寂しい。怖い。誰かに相談しても仕方がない。そしてこの日々が永遠に続く。人のせいにしてばっかで、甘やかされてきた。でもそうでなければ生きていけなかった」脅かすつもりではありませんが、当たり前に気付くべきことが気付いてなく、心が精神的に未発達であると痛感し。授業を聞くだけでも体が震えて毎日怖いと思う日々が続いています。人生間違えてしまったと。

 だからこそこの言葉は染みました。そうだ。ゼミのみんなが、家族が、多くの人から期待されてここに来たんだ。一気に気付いたことが多くて、内面を根本から変えなければならないからすぐには切りかえれないけれど、一ミリずつ一ミリずつ。人と話すことで変わっていければ。そう私は今考えています。

 教採を前にしているみんなへ、現場で耐えているみんなへ、説得力が乏しいですがエールを。お読みいただきありがとうございます。(中澤)

※写真は2019年11月6日ゼミでの中澤君です(玉置)

子ども達に魔法を!(酒井)

 こんにちは。だんだんそうめんや冷やし中華が美味しい時期になっていて嬉しい5期生の酒井です。

 学校は、子どもの「未来」の夢を叶える「魔法」を身につけるところ

 この言葉に出会ったのはあるオンラインの講義を受けていた時です。聞いた瞬間とっても心がわくわくしました。教師になって自分も魔法を磨いてるつもりでこども達と心躍る学校生活を送りたい、今自分が感じたわくわくを授業やそれ以外の時間に子ども達に味わってほしい。うまく言葉にできませんがそう思いました。
 選ぶ言葉によって誤解を招いたり、幸せにしたりするのは知っているはずでした。それでも普段話す時は何も考えずに言葉を使ってしまっています。
 あの講義を機に心から子ども達が未来の夢に向かって魔法を身につけられるようにサポートするためにも言葉選びに敏感な自分でありたいなあと思いました。

 今日は心がわくわくすることがあったので久しぶりに四方山話を書かせていただきました。学生最後の一年、大学や様々な場所でたくさんの人との時間を楽しんでいるもんだとついこないだまで思っていました。これからどうなっていくか分かりませんが当たり前は当たり前じゃないことを痛感している今、些細な幸せがとっても心の支えになっています。
 こんな状況下でも私たちの生活や学習を支えてくださっている方々、本当にありがとうございます。その感謝を噛み締めながら、一刻も早い事態の収束を願おうと思います。(酒井)

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このご時世に思うこと(杉山)

 こんにちは。5期生の杉山です。記事を書くのが久しくなってしまいました。すみません。この間に色々と私自身が感じたことや、四方山話を記事にしていきます。

 新型コロナウイルスが蔓延し、政府による緊急事態宣言が出され、私達も大学に行けなかったり、これまで通りの日常が送れなかったりと、多大な影響が出ています。オンライン授業で講義が行われていますが、やはり対面の講義のほうが集中もできますし、より学びになると思いますが、今は仕方がないことです。

 私自身も、バイトや銀行に行くこと以外の「不要不急」の外出を避けて、ほとんど家にいるのですが、ふと思ったのが「学ぶことって楽しい」ということです。教員採用試験の勉強をすすめていくなかで、教職教養、一般教養、専門科目(私の場合は社会科)問わず、新たな知識を得ることや忘れていた記憶が蘇る感覚がどうも癖になるのです。今は友達と一緒に勉強することはできないので、ビデオ通話をしながら勉強しています。

 コロナ禍の中で感じているのが、「教養は大事」であるということです。ネットの掲示板やYahooニュースのコメント欄を見ることが私の日課になっており、世の中の人がどんな考えを持っているのかを確認しています。その中で、周りに流されただけの薄っぺらい知識で自分語りをする人や、この状況の中でとにかくストレスを他人にぶつけたい人などを何人も見てきました。私自身も、このコロナのことや政治のことなどについて、個人の意見をしっかりと持っているつもりですが、何が正解で何が不正解なのかが本当にわからないこのご時世、やはり「社会で生きていく上での一定の教養」は、本当に武器になるので、社会科の教師になって、こういった教養の大切さを生徒に伝えていけたらいいなと思っています。

 次に、こういうときこそ「思いやり」の精神を持つということです。私は普段から、コンビニや飲食店などを利用したときは、必ず「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言うようにしています。特にこんな状況の中で、私達に様々なサービスを提供してくれる人たちには、本当に頭が上がりません。私も飲食店と塾のバイトを掛け持ちして働いていますが、飲食店で、客の言動で気分を害されたことは何度もあります。なんでそんなことをするのか私は到底理解に苦しみますが、「残念な人だなあ」と思うようにしています。そんな中で、感謝の言葉を一言言えば、大変な従業員の人たちも少しは良い気持ちになると思います。

 「9月始業論」が噂されている中、世界や日本はどうなってしまうのか、私達の教員採用試験はどうなってしまうのかなど、不安なことが多いですが、普段の玉置ゼミや趣味をすることで元気でいます。こんな状況でも「深い学び」を提供してくださる玉置先生やゲストの講師の先生(和田先生など)、新たな視点で刺激をくれるゼミ生の仲間や友達に感謝を申し上げて、終わりにします。長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。(杉山)

 写真は、最近読破した歴史の本です。日本人として知るべき内容がたくさん詰まった、杉山おすすめの本たちです。とても面白く、なにより「教養」が身につくので、ぜひ読んでみてください。
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今日の夢について (矢崎)

こんにちは。5期生の矢崎です。

今回は、私が今朝見た夢について、私の備忘録も込みで書かせていただきます。



今日の夢は母が出てきました。

母は闘病中の姿で、寝室の布団の上でアルバムを見ていました。

母はアルバムを見ながらとても優しく笑っていました。

夢の中の私は、こんな風に笑ってくれるなら、闘病中の母ともっとアルバムを見ればよかったなあ。もっと、笑わせてあげればよかったなあと思っていました。

すると、アルバムを見る母の手が止まって、一番の笑顔になりました。

絵が得意な私の叔母(母の妹)に「かえちゃんが生まれてきた時、手をぎゅって握ってたよね!」と叔母が描いたであろう私の拳の絵を見せながら話していました。



そこで夢は終わりました。



気が付くと私はボロボロと寝たまま泣いていて、起きてからも涙がいっこうに止まりませんでした。今も実際に泣きながら記事を書いています。(笑)



最近、実を言うと、小学校前科の勉強が上手くいかず、あと80日程度しかないという事実だけが頭をぐるぐると支配し、ゼミの仲間や大学の友人と自分を比べて、自分の出来なさに情けなさを感じて、身が入らない毎日でした。

そんな中に見た夢でした。



アルバムに叔母が描いた絵などは実際ありません。

ですが、わざわざ母は私の生まれた瞬間の時の拳の話をしてくれました。

「ぎゅっと握ってたよね」というワードに私は母から「あきらめずに頑張れ」と言われているように感じました。

ちゃんと母は見てくれているのとわかったので、期待を裏切らないように、残りの日数、後悔しなくていいように頑張りたいです。(矢崎)
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