「勉強」 (矢崎)

こんにちは。
五期生の矢崎です。

「死ぬまで勉強不足」
この言葉に私は聞き覚えがありました。
この言葉は私の祖母がよく言っている言葉だからです。

私の祖母は定年してから、パン教室、英会話教室、料理教室、パソコン教室など学ぶことを続けるパワフルな人です。
そんな祖母はよく「ずっと勉強、死ぬまで勉強」と小さい頃から私に言っています。

小さい私は、その祖母の言葉を聞いて、「算数とか、英語とか、ずっとやらなくちゃいけないんだ」と正直、げっそりした気持ちになっていました。

でも、最近になって、祖母が言う「勉強」って小さい私が思っていた「勉強」と違うんじゃないかって思えてきました。
「勉強」とは、学問のことを指すだけじゃないんじゃないかと。

毎日、生きていく中で、「ああ、なるほど」とか、「えー、すごい!」と感じる何かに出会うことが「勉強」なんじゃないかと思うようになったのです。

これを私の祖母は「勉強」と言っているんじゃないかと。

でも、まだ20年と少ししか生きていない私なので、答えに辿り着けていないと思います。

だから、この「勉強」の意味をこれから少しずつ理解していくために、たくさんの人や物と出会いたいなと思っています。
(矢崎)

※ 写真は林文通先生から提供いただいたものです(玉置)
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「ありがとう」(木下)

 こんにちは。5期生の木下です。

 今日は週に一回、地元でさせていただいている小学校ボランティアで心温まることがあったので記事を書きます。

 私はいつも小学校低学年のクラスや支援学級にボランティアとして入ることが多いです。週に一回だけですが、子どもたちは名前を覚えてくれていて「明日も来ないの?」とよく聞いてくれます。その中でも特に人懐こく、駆け寄ってきてくれる子がいます。支援学級に入っている2年生のR君です。

 R君は普段の授業は支援学級で受けますが、図工や体育の時間は普通学級の子どもたちと授業を一緒に受けます。今日の図工の時間、担任の先生に「R君が少しアイデアを出せず困っているから、何かアドバイスしてあげて欲しい」というように言われました。ほんの少しのアドバイスでしたが、R君は作品の制作を授業中に進めることができました。授業が終わり、支援学級に2人で戻っている時に「先生、今日は手伝ってくれてありがとう。先生の力がなかったら進まなかったなあ」と自然とR君から言葉が出てきました。私がアドバイスとしてできたことは、ほんの少しです。なかなか2年生で、ここまでのことを言葉にできる子どもはいないのではないかと思います。心がホッと温まった瞬間でした。そして私が担任を4月から持った時に、自然と「ありがとう」という感謝の気持ちを言葉にできる子どもを育てたいとあらためて感じました。
(木下)
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子ども心(大久保)

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こんにちは!5期生の大久保です!
先日徳島県へ旅行に行きました。
そこでふと思うことがあったので、記事にします。

小学生の頃、親が旅行好きということがあり、色々な場所に行きました。ですが、私自身は特に旅行が好きではなく、めんどくさい、ゲームしたいという気持ちばかりでした(笑)
そんな私ですが、旅行先でちょっとした楽しみがありました。
それは、ホテルにあるゲームセンターへ行くことです。ホテルに着くと、すぐにゲームセンターへ行きたいと駄々をこねる、そんな子どもでした。

ホテルのゲームセンターの何が良いかと言うと、普段行くゲームセンターとは一風変わったゲームがあったり、レトロ感が良かったりと雰囲気にワクワクして、すごく好きでした。

今回旅行に行って、あることに気づきました。
それは、ゲームセンターにいつの間にかワクワクを感じなくなっていたということです。
「あ、ゲームセンターだ」という何ら変わらないテンションで見ていました。それに気づいた時、何だか悲しい気持ちになりました。

大人になると子ども心がなくなっていくと言いますか、こういうことなのかなと実感しました。
私の中で子ども心とは、どれだけ些細なことにも一生懸命になり、全身全霊で今を生きられるという子どもの才能だと考えています。

私は教師になる身として、子ども心という才能をグングンと伸ばすことのできる教師になりたいと思いました。
子どもが何に興味をもつのか。子どもが興味をもったものを否定することなく、才能が発揮できるようきっかけを与えられるような教師になりたいです。
そのためには、どのような些細なことにも一生懸命になる姿を教師自身が姿として見せていく必要があると思います。

今はもう無くなってしまったかもしれない子ども心ですが、私はそれを取り戻すために残りの大学生活を有意義なものにし、教師として子ども心に寄り添える、大切にできるようになりたいです。

最後に子ども心について調べていたら、とても素敵な一文に出会えたので紹介します。

「おとなはみんな、だれしも、かつてこどもだった。それを覚えているのは、ほんのひと握りだけ。」
これは星の王子さまに書いてあるものです。覚えていられるひと握りでありたいなと思わせる一文でした。

最後までご高欄いただき、ありがとうございました。(大久保)

4期生の中澤でーす笑(中澤)

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 お久しぶりです。四期生の中澤佑太です。寒さが強くなってきた頃になります。皆様の健康の無事を願っております。(この記事の内容は六期生や七期生にはよくわからないと思いますが、ご了承願います。)

 大学を卒業して八ヶ月が過ぎました。八ヶ月が過ぎてようやく心身も状況も良くなってきたなと感じています。

 まず心身については、大学だけでなく学校という環境にいたことで生じていたうつ病の症状がほぼ完全に回復しました。具体的には、笑顔で表情が豊かになったといえばわかっていただけると思います。今振り返って、よく大学卒業まで不登校にならず生き残ってこれたなってつくづく思います。誰が悪いわけではないけれども、いや本当に生きづらかっただろうな過去の自分って思っています。玉置ゼミが無かったらどうなっていたことかと感じています。

 次に状況ですが、公務員予備校生としては、おそらく順調に進んでいます。頭の回転が速くなったし、全科目全分野わかるようになりました。また世の中のことを知ることができました。先日大卒レベルの模試がありましたので、結果はどうなることやら。

 そしてもう一つ、以前紹介したもう一つの居場所(金山ブランチ)で、高校生や障害者、就活に困っている人たちなど多くの人と交流していますが、そこではもう頼れるお兄ちゃんになっています(笑)。なぜなら全科目全分野わかるのだから理系文系関係なく高校生さに教えることができますし、就活に困っている人に対しては、教採対策と予備校で培った自己PR、面接の組み立て方を教えていたり、もともともっていたカウンセリングマインドとゼミで培ったメタ認知、価値づける、物事の本質を見抜き伝える能力で、さまざまな人が自分に心を開いて悩みを打ち明けて私の言葉に耳を傾けようとしているのですから。面白くてたまらない。
 
 最後に今後については、どうやら大学卒業後二年以内に決着がつく見通しが立っています。いや公務員になるんでしょって思うところですが、どうやら私は環境適応能力が著しく低いことが明らかになり、(教育実習で潰れたのもそれが原因だと判明。)公務員になって一年以内に潰れる予感がしてならないのです。まぁその辺の話はいずれ報告ができると思いますが。

 この報告から私が言いたいことは、人生何か行動している限り悪いようにならないということです。大学卒業してからも何名の方が私を生かそうと働きかけ、「どうやらそう簡単には死なせてはくれないみたいだな」と生意気ながら思わずつぶやいてしまうほどです。その方々との交流模様は、また別の機会にお話ししたいと思いますが。いやぁわからないものだなぁ。学生時代は四期生で結婚が一番遅いって思い込んでいたけれども、もしかしたら意外とはやいかもしれないし。

 今回はこんな感じで終えたいと思います。玉置先生再会したくて待ち遠しいです。大分印象変わっているので楽しみにして欲しいです。次に会えるのは教師力アップセミナーなのかな。それではお読みいただきありがとうございます。(中澤)

牛乳と「思いやり」 (矢崎)

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こんにちは。
5期生の矢崎です。

私の最近の悩みを聞いてください。
「思いやり」ってなんだと思いますか。

最近、この言葉に悩んでいます。

人と関わる上でこの「思いやり」はとても重要だと思います。

でも、ふとした時、自分が「あの時、私はあの人のためにこれをやってやったのに」と感じてしまうのです。
それで、その考えから離れたときに自分の醜さに苛立ちます。
だって、「あの時」私がした「思いやり」は「思いやり」ではなくなるなからです。
じゃあ、「思いやり」ってなんなんだと。

簡単に「思いやり」とは言うけれど、これってとっても難しいことじゃないかと。

そんなことを考えていた時、ふと、「あれ、私疲れてる?」と思いました。
よく考えたら、最近、「誰かに気を遣う」ことが多いなと。
別に「気を遣う」ことが悪いことと言いたいわけではありません。
「気を遣う」ことは「思いやり」の一種だとも思っています。
でも、明らかに私は自分の中の「思いやり」に疲れていました。

そこから、私は「思いやり」の量には限りがあるんじゃないかと思いました。
イメージとしてはヨハネス・フェルメールの「牛乳を注ぐ女」がぴったりです。
この絵画の牛乳が「思いやり」で、その「思いやり」を誰かの器に注いでいるような感じです。
この絵画の女性が注ぐ牛乳も永遠に注げません。限りがあります。
だから、この女性は牛乳が足りなくなったら、牛のところに行って牛乳をもらってくるでしょう。
牛に牛乳をもらえば、また新たな器に牛乳を注ぐことができます。
だから、「思いやり」も限りがあるし、足りなくなったら誰かに「思いやり」をもらわなくてはいけないのではないでしょうか。
逆に言えば、「思いやり」は誰かからもらったものを誰かに注いでいるのじゃないかと思います。
その素敵な連鎖の中に自分はいるんじゃないかと。

だから、今は自分の注げる「思いやり」が足りなくなっている時期なんだなと思います。
足りないのに無理やり注ごうとしているから、「やってやったのに」と感じてしまうのだなと。

だから、注ぐのは休憩して、家族や友達と話して、「思いやり」をもらいに行こうと思います。
また「思いやり」がたまったら、だれかに注ぎに行きます。

(矢崎)

教壇に立つにあたって今の正直な気持ち(古川)

 こんにちは。5期生の古川です。今日は、来年度から教員になるということで、今の正直な気持ちについて書いていこうと思います。

 採用試験が終わり、周りの多くの方から「良かったね」「来年から、夢が叶うんだね」と笑顔で声を掛けてかけて頂きました。非常に嬉しい気持ちになると共に不安な気持ちもとても大きいのが正直なところです。

 子ども達は、学級担任を選べません。その教員によって、生き方が変わる子どもだっています。私自身、採用試験が終わってから、本当に自分が教壇に立つことができるのかということを改めて考えさせられました。周りには、現在も悩んでいたり、違う道を進むことを決めたりした友人もいます。

 私は教員になるという決断をしましたが、教員になるにしても、異なる道を選ぶにしても、そこに関わる誰かがいます。学生ではなく、社会人になるということで、今以上に責任も伴ってくきます。

 そんな不安もありますが、新しい生活が始まるということで、楽しみな気持ちも多くあります。楽しみが不安を上回るようにする為にも、自分なりに現在作成中の卒業論文を来年度に活かすことができるようにまとめたいと思います。(古川) 
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いよいよ教壇へ(生田)

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 こんにちは!五期生の生田です!最近は筋トレにとてもハマっています。

 さて、今回は来年教壇に立つということで今の素直な気持ちを書いていこうと思います。

 私は横浜市への採用が決まりました。自分が小学校6年生からの小学校の先生になるという夢が、玉置先生初め、沢山の先生方に支えられ叶いました。憧れていた先生方と同じ教壇に立てれるなんて素直にとっても嬉しいです。
 
 しかし来年からいきなり「先生」と呼ばれるようになるわけです。そしてその時点からクラスの沢山の命を私が預かるわけです。さらにはその子どもたちの未来をも預かることにもなるわけです。正直それを考えた時ゾッとしました。「本当に子どもの心の底から先生と呼んでもらえるのか?『先生』という名前になってやしないか?」「本当に子どもの命を守れるのか?」「未来のためになるようなことを子どもと一緒に考えていけるか?」この玉置ゼミで沢山学ばせていただいたからこそこの重大さに気付きました。
 
 まだまだ全く学び足りないことを最近痛感しています。努力も他の皆んなと比べたらサボりまくりです。先週玉置先生に指導をいただいた時、「社会、どう教えたらいいですか?」とお聞きしたところ、「教える、という考えがそもそも間違ってる。子どもにどう興味・関心を持たせるかが大事なんだ」と言葉をいただいた時は頭をドンキで殴られたようでした。自分が授業を考える上で大事にしていたことを忘れていたのです。本当にひどく落ち込みました。3年前の大学の講義で玉置先生がこのことを仰っていたのをはっきりと覚えていたのに。
 
 まだ卒業までには時間があります。本当の意味で「生田先生」と子どもに認めてもらうために、そして嘘偽りない教師になるためにも頑張っていこうと思います。卒業する時には不安は消え切らないとは思いますが、何かあった時にしっかり堂々と対応できるようにするためにも沢山学び、沢山偉大な方から技術、考えを盗んでいこうと思います。

 余談ではありますが、最近筋トレをしっかりやっています。何故始めたかというと
1.先生は体力がいる
2.学校に1人以上物理的に強い教師も必要と感じた
3.かっこよくなりたい(笑)
という理由です。めちゃくちゃキツいですがメンタルのトレーニングにもなります!頭も身体も強くしていこうと思います!写真は20キロのダンベルが上がった時の写真です。(生田)

来年教壇に立つにあたって思うこと。(遠藤)

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 こんにちは、五期生の遠藤です。今日は、私が来年から教壇に立つにあたり考えていること、感じていることについて書こうと思います。

 今の気持ちを一言で言うと、とても不安です。学級経営を一から自分一人で行うことも、すべての授業を自分が行うということも、何もかもが未知数で想像も出来ません。何年生に配属になるかまだ分かりませんが、学年によって行事も様々ですし、授業で教える範囲も違います。正直、考え始めると不安が溢れてしまうので、目を逸らし続けているのが現状です。

 ようやく長年の夢が叶うのだから、もっと前向きになりたいという気持ちもあります。しかし、とにかく予測できないこの先が不安で、どうしても楽しみという気持ちになれません。

 そこで、最近は図書館に行って児童書や絵本に触れることを始めてみました。もともと私は本が大好きで、学級文庫の本を入れ替えたり図書室のポップを書くのが好きだったので、教員になったら読み聞かせやおすすめの本紹介をぜひやりたいと思っていました。図書館で様々な本に触れることで、「教壇に立ったらこれを紹介したいな。」「これを読み聞かせたら、子どもはどんな反応をするのかな。」というように、担任になった時の楽しみを思い浮かべることが出来ました。それだけでなく、久しぶりに児童書を読み返すきっかけになったり、まだ読んだことのない本に出会えたりするので、自分自身のリフレッシュにもなっています。

 心配ごとや不安は山ほどありますが、私なりに楽しみを見つけて、教壇に笑顔で立てるよう頑張りたいと思います。とはいえ、まだまだ気持ちが前を向かないので、何かおすすめの気分転換や楽しみがあるという方、ぜひ教えて頂けると嬉しいです(笑)(遠藤)

※ 写真は、私が初めて親にねだって買ってもらった児童書です。「クレヨン王国」シリーズはどこから読み始めても面白いのでオススメです!

ダイキのアルミ風鈴(玉置)

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 なんと!ダイキのアルミ風鈴は、我がゼミのお母さんの斎藤さんからお贈りいただき、研究室入り口で軽やかな音を鳴らしてくれています。

 この音色の心地よさをぜひ皆さんに効いていただきたいです。ぜひ研究室にお越しを。(玉置)

子どもたちが笑顔になった理由(矢崎)

 こんにちは。5期生の矢崎です。今日見たニュースについて書かせていただきます。

 今日、愛知県のある小学校で地元の名産であるさつまいもや無花果を使ったパンを商品開発するという活動を行っているというニュースを見ました。小学校四年生の児童が地元の名産を使ったパンを考え、イラストを描き、それを地元のパン屋さんに見ていただき選ばれたパンは実際に商品化されていました。

 児童のパンにはただ地元の名産を使うというだけでなく
「最近くらいニュースが多いから、このパンを食べてみんなが笑顔になってほしいと願いを込めた」
「いつかみんながマスクを取って笑い合えますようにと願いを込めた」
と素敵な願いも込められていました。

 その素敵なパンの案たちを無駄にしないように、できるだけ多くの児童の案を一つにまとめられるようにと地元のパン屋さんも一生懸命に考えていらっしゃいました。

 そうしてできた6つのパンを試食した児童たちの顔には笑顔がありました。

 この活動をニュースキャスターの方が
「子どもたちが考えたっていうだけでも胸があったかくなりますね」とおっしゃっていました。私も全くその通りだと思いました。

 私はちょうど先週の水曜に教育実践演習で総合的な学習の時間についての学習をして、実際にどのような活動を行いたいかのレポートを書いたところでした。この愛知県の小学校の活動はまさにこの総合的な学習の時間の活動にぴったりなのではないかと思いました。また、この活動で子どもたちが笑顔になったポイントは「自分の想いが形になった」ことにあるのではないでしょうか。想いが形になることは誰でも嬉しいことです。それが実現した今回の活動は子どもたちにとって、一生思い出に残ることだと思います。

 今回このニュースを見てこのような活動をするためには、地域との連携が必要不可欠だとわかりました。この愛知県の小学校では日々、先生方が地域の方々と交流をされているから実現したことなんだろうなと感じました。

 私もいつか子どもたちが笑顔になる活動を作るために、コミュニケーション能力をもっと磨いていきたいなと思いました。(矢崎)
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世界一の幸せ者です

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 5期生からの特製誕生お祝いケーキです。確かに世界一の幸せ者です。ありがとうございました。

「『知』と『学び』の授業エンジン」を読んでの学び(矢崎)

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 こんにちは。5期生の矢崎です。今回は岩下修先生の「『知』と『学び』の授業エンジン」を読んだ学びを書かせていただきます。

 実はこの本は何ヶ月も前に先生に読んでみなさいと貸していただきました。それから自分の怠けから読まずに今日まで経ってしまいました。それをわたしは今とても後悔しています。この本をもっと早く読めば良かったと思いました。

 来年から教師となる身にとって、学びになる「授業エンジン」がたくさん載っていて、こんな授業がしたいと思える私にとっての「授業エンジン」になったからです。だから、ぜひ、わたしのような来年教師になる人に読んでほしいと感じました。

 この本を読んで感じたのは、これからはインプットだけでなく、インプットしたことをアウトプットする力が必要だなということです。

 今まで、玉置先生に多くの教育講演会に参加させていただく機会をいただきました。その一つひとつで毎回授業に関する様々な学びをインプットさせていただきました。でも、これからはこのインプットした事を教師としてアウトプットしていかなくてはなりません。この本の著者の岩下修先生はご自身の講演会や飛び込み授業を受ける子どもたちや講演会を聴きに来る大人の反応を見て、毎回「授業エンジン」の上書きをされます。

 これは岩下先生が一つひとつの場所で学びをインプットするだけではなく、その場で改善したり、後で考え直したり、常にアウトプットしていらっしゃるという事だなと感じました。岩下先生は「日々、授業をしていますので…、この今の時代の子どものために必要だとおもって…」とおっしゃっています。この言葉から、常に授業もその時代の子どもたちに合った授業に変わるべきだと納得がいきました。

 これから教師になるために、インプットだけじゃなく、アウトプットできる力をつけていきたいです。(矢崎)

見てるだけじゃわからない (矢崎)

 こんにちは。5期生の矢崎楓子です。

 突然ですが、私はテレビドラマを見るのが趣味です。各局のドラマを全てチェックしていると言っても過言ではないくらいです。

 そんな私は、今日、「おカネの切れ目が恋のはじまり」というドラマの最終回を見終えました。ご存じの方も多いかと思いますが、この作品は三浦春馬さんが出演された最後のドラマです。

 最終回に三浦さんは数秒しか登場されていませんでしたが、主演の松岡茉優さんがまるでずっと三浦さんが近くにいらっしゃるような素敵な演技をされ、心がキュッとなる素敵な最終回でした。

 そんな素敵な最終回を見て思い出したのは、数日前に玉置先生がスラックに載せてくださった、「『一滴の涙』ある夏の出来事」というある生徒さんが書いた作文でした。この作文はある生徒さんが旅行先で犯罪加害者の家族の方と関り、人の人権についておじいさまと一緒に考えたお話が書かれています。

 では、この作文と三浦さんの最後のドラマが何故私の中でつながったのか。それは、人の人生は見ているだけでは分からないということが繋がっていると思ったからです。

 三浦さんは私にとってかっこいい演技の上手な俳優さんでした。亡くなったとき人生について悩んでいらっしゃったそうだとニュースで耳にしました。私にはそんな風に見えなかったのになと思いました。当たり前です。だって、私は話したこともないんですから。
これは生徒さんの作文に出てきた犯罪加害者の家族の方を世間が見る目と通ずることがあると思いました。

 そのご家族がどんな風に今までを過ごされて今を生きているかなんて、ニュースや噂だけで判断できるわけがありません。いえ、してはいけないと思います。今回この作文を書いた生徒さんは自分の五感を使って、このご家族と関わろうとしました。だから、このご家族も涙を流されたのだと思います。

 私自身、シングルファーザーの家庭で育ち、周りの人に「おかあさんいなくてかわいそう」と言われたことが何度かあります。その言葉をかけられたとき、毎回こう私は思いま
す。

「私のことちゃんと見ていてくれていないね」と。

 私はかわいそうではありません。むしろ、幸せです。何倍もの愛情を父をはじめ色々な人から頂いて育つことができたのですから。だから、私は人と関わるにはちゃんと自分の五感を使うべきだと思います。その五感でその人を見なくてはいけないと思います。

これって、本当に難しいことです。根気もいりますしね。正直、自分もできていないことが多々あります。でも、この五感で人を見ることをこれからの時代、忘れてはいけないと思います。

 教師になる人間として、忘れたくないと思い、今日このお話を書かせていただきました。読んでいただき、ありがとうございました。(矢崎)

 ※写真は、火曜ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」のサイトより(玉置)
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〇〇の秋(酒井)

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 こんにちは。5期生の酒井です。この頃朝晩がとっても涼しくなってきて秋を感じつつ、おいもや秋刀魚、栗など秋には美味しいものがあるのでわくわくしています笑

 では、今回は心を動かされた絵本について書かせていただこうと思います。タイトルは「ヤクーバとライオン」です。1は勇気、2は信頼というテーマで書かれています。

 実は、岐阜聖徳学園大学の教授である水川和彦先生の研究室を訪れた際、紹介してくださったのがこの本との出会いでした。はじめ表紙の絵を見た時正直怖そうだなあと思いました。しかし読み進めていくと心のがあたたまるそして、考えさせられる内容がぎゅっとつまっていました。

 ぜひ読んでほしいのでここに詳しいストーリーは書きませんが、信頼の方の見せかけの格闘のシーンはとくにぐっと来ました。見ていたライオンや聞こえていた人々にはわからない2人だからこその行為だったのだろうと感じました。ライオンと人は言葉でコミュニケーションができるわけではありませんが、お互いを尊重しあう態度だったからこそあのような信頼関係が築かれたのかなあと思いました。

 お話の最後、主人公のキブウェは村から去ってしまいます。彼はどうなったのでしょうか。イメージがなかなか湧きませんがきっと、心の中にヤクーバが生き続けたはずです。またヤクーバの心にもキブウェが生き続けていると私は思っています。

 さて、この絵本の読みどころは本文だけではありません。翻訳者のあとがきまで読むとまた違った後味になります。さらに、1だけでなく2も読むとさらに違う気持ちになれます。本当の信頼とはなにか、本当の勇気とはなにか数ページの絵本でこんなにも深く考えさせられるとは夢にも思いませんでした。1と2と行ったり来たりして何度も読み返したくなる作品です。読みながら、22歳の私が読むのと5年後10年後の私が読むのとでもきっと違う解釈をして、違う気持ちになっているんだろうなあとも思いました。

 外に簡単に出かけられなくても、本は読んでいると色々な経験をさせてくれます。活字がたくさんの本ももちろんですが、絵本も手にとって多くの作品と出会い、自分の糧にしたいです。卒業までに読みたい本がたくさんあって、うまく時間をつくってよみきりたいと思っているので今年の秋は「読書の秋」になりそうです。(酒井)

幸せのオムライス(酒井)

 こんにちは。最近食欲が全開の5期生の酒井です笑

 教員採用試験の2次前からずっと書きたくて書きたくてたまらなかった話を今回は書かせていただきます。

 教員採用試験2次前日のことです。試験まで一週間をきった頃からナーバスな気分が続いていて、あの日は前日ということもあり特に随分煮詰まっていたような気がします。それでも、教職員の方々や先輩方からたくさんエールをいただいて、友人と励ましあってなんとか自分を保っていました。ただ大学がお盆休み期間で閉鎖されていた期間は正直どことなく寂しさと心に穴が空いた様な気持ちになっていました。
 そんなゆらゆらした気持ちで家で机に向かっていると「もえちゃーん」と次女から呼ばれ、時計を見ると正午すぎ、お昼ご飯かなあと思いながら階段をおりました。すると机にはオムライスがあって、次女はせっせとケチャップで文字を書いていました。父のオムライスには「パパ」、母のオムライスには「ママ」、三女のオムライスには「あこ(三女の名前)」、次女は自分のオムライスに好きなアイドルグループの名前を書いていました。私のオムライスには明らかに名前より多い文字が書いてあるように見えました。席についてよく見るとこそには一生懸命書いた様子が目に浮かぶ字でこう書かれていました。

 「がんばれ」

 予想もしない出来事で驚きましたがそれ以上にとてもとても幸せな気持ちになりました。次女に伝えきれない感謝を必死に伝えようと言葉にしたり態度でしめしているといつも済ましている次女も照れくさそうにしていました。愛おしくてしかたない気持ちになりました。あまり家にいなくて、最近遊んであげられなかったので妹たちと関わる機会が減っていることをずっと気にしていましたが、自分のことを応援してくれている、思ってくれている幸せを心から感じたのを昨日のことのように覚えています。

 こうしてたくさんの方々のおかげなんとか2次試験を終えることができたことを記事を書きながら改めて感じました。いやあ、私って周りに恵まれてる幸せ者だなあ。これからもこの感謝を忘れず過ごしたいです。(酒井)
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最近の私のエネルギー源(遠藤)

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 こんにちは、5期生の遠藤です。教員採用試験が終わり、次は幼稚園実習に向けて意識を切り替えねば、と思っている日々の中で、私はしばしばあることを考えています。

 それは、去年の教育実習でお世話になった小学校の子どもたちのことです。ちょうど今、一つ下の後輩たちが小学校の実習中ということで、頑張ってほしいと思うと共に、自分の時のことを思い出す機会が増えました。
一ヶ月間、あの場所で一緒に学ばせて貰った3年生の子どもたちは、みんな本当に良い子たちで、ふとした時に会いたくてたまらなくなります。

 教員採用試験では、一次試験も二次試験も、実習で子どもたちから貰った手紙をお守りがわりに持っていきました。休憩時間にはその手紙の束をそっとめくって、子どもたち一人一人の文字をなぞったり、写真の笑顔を見たりして、絶対に教師になるのだ!という決意を強めていました。

 その中の最後の集合写真では、黒板の前に子どもたちと先生方と集まって、ソーラン節の決めポーズをしている私が写っています。今思うと、こんな風になんの躊躇いもなく子どもたちとくっついて、大きな声で笑いながら写真が撮れた日々が、奇跡のように感じます。

 小学校のホームページを見ると、ソーシャルディスタンス運動や、健康チェックカードなど、コロナ対策に励む子どもたちの頑張りが伝わってきます。その様子を見ていて、コロナに対してつい緩みがちだった気持ちが引き締められました。

 教育実習での思い出や、初めての事にも懸命に取り組む子どもたちの姿が、いつも私にエネルギーをくれます。教採の結果は不安ですが、どんな結果であっても来年から教壇に立つことに変わりはありません。あの子たちに見られて恥ずかしくないような、立派な先生にならなくては!と、子どもたちに勇気を貰う日々が続いています。ということで、まずは来月に迫った幼稚園実習でより多くのことを学べるよう、頑張ります!(遠藤)

人生のヒントは”過去”にある(宮野)

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 こんにちは。5期生の宮野です。今日は先日、読んだ本で心に残った言葉を紹介します。

 それは、PHPという雑誌に掲載されていた「人生のヒントは”過去”にある」という言葉です。これは、友吉鶴心さんという琵琶奏者の方が、自らの人生から学んだことだと述べていました。

 私は、人と比較したり、ふいにあの人は〇〇ができていいなあ、でも私は…と考えてしまったりすることがあります。しかし、友吉さんは、誰もが一人一人異なる過去を持つ違う人間。だから比べたって仕方ない。それぞれの過去を大切にすることで、私たちは自分も人も認めて、許し、自信を持って人生を歩めるのではないでしょうか。と述べていました。

 その言葉を見たとき、心が軽くなり、自分の今までを振り返ってみました。教採では、あきらめず、粘り強く取り組み、また、これまでも何事にもやろうと思えば、挑戦して、頑張ってきた自分がいると、感じることができました。これから、不安になったときや教師になって、子供と向き合うとき、自分の過去や相手の過去に思いを寄せ、自分も相手も大切にできる人でありたいと思います。(宮野)

教採報告(杉山)

 こんにちは。5期生の杉山です。記事を書く期間が空いてしまいました。すみません。この記事では、教採に関する報告をしようと思います。

 私は愛知県と横浜市の中学社会を受験しました。2つとも一次試験は無事合格し、先日、全ての二次試験が終了しました。手応えとしては正直言って微妙です。横浜の模擬授業では生徒役の面接官の想定外の答えに動揺してしまい、愛知では筆記試験での漢字ミス、面接では私自身の良さをアピールすることのできる質問がなく、淡々としたものとなってしまったような気がしています。しかし、ゼミや友人と幾度となく練習してきた面接練習を思い返し、何度も何度も合格できるとを心の中で信じています。仮に残念な結果となってしまった場合は、講師として働くか、もともとは高校の地歴がやりたいと思っていたので、教採浪人をしようか未だ検討中ですが、どのような結果であれ、一生懸命勉強したことは必ず役に立つので、そのことを誇りに生きていきます。

 正直な気持ちを言うと、この教採期間中は若干寂しかったです。定期的なゼミでみんなの顔を見てはいるのですが、ゼミ生で私以外は全員小学校志望だったので、みんなの教採の話(筆記試験や場面指導、面接の内容など)に関する基準が小学校を意識したものでした。小学校と中学校では試験内容が大きく違うため、ゼミ生内で中学校の試験内容を共感できる人がいなかったので、そこは少し寂しかったなという思いでした。(笑)

 前代未聞のコロナ禍の中で、人と接する機会が大きく減った今年度前期でした。その中で、人と接することがこんなにもありがたく、元気をもらえることだということを改めて感じましたが、主に5期生のゼミの仲間や玉置先生とのやり取りで、実際に面と向かってしゃべっているような、濃密なネットゼミの時間があり、教採対策は特に支障なくできたと思っています。改めて、このような状況でも充実した学びを提供していただいた玉置先生やゼミの仲間に感謝を申し上げたいと思います。この教採期間は人生の中でわずかな期間ではありましたが、今後の人生を創る上で重要な部分を占めるでしょう。(杉山)
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本学オープンキャンパスでゼミ生活躍(玉置)

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 3回にわたる本学のオープンキャンパスも無事終了しました。

 1回目は私の模擬授業の動画配信があり、2回目はかつての玉置ゼミの早川君、4年生ゼミ生の矢崎さんが動画出演をしています。玉置ゼミはあちこちで活躍です!

 玉置授業動画配信はこちらをクリック

 早川君、矢崎さんが教育学部について対談している動画配信はこちらをクリック

上半期報告(四期生中澤)

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 お久しぶりです。四期生の中澤佑太です。皆様元気でいらっしゃいますでしょうか。さて今回は、上半期報告をさせていただきたいと思います。(写真は私の新たにできた居場所です。詳しくは名古屋市子ども若者総合支援センター金山ブランチにて)

 手始めに酒井先生、岐阜聖徳学園大学就職課の大杉さん。4月から5月にかけて、ご心配をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。下記に記していきますが、今のところ問題ないと判断できる状態でいます。ありがとうございました。

 三つのことを伝えます。

 一つ目は公務員試験対策についてです。大学を卒業し、予備校ではありますが環境に慣れない日々が続きましたが、講師の方々にも覚えてもらい、親身に勉強のことだけでなく人生経験などいろいろなことを教えていただいています。どうやら私のことが気にかかるみたいです。模試では初級レベルですが、(東京アカデミーは4月から8月まで初級クラス9月から上級クラスの授業・模試を受けるカリキュラムになっています。)偏差値65、校内模試三位という人生初めての数値を自分の模試結果に残しました。成績がインフレしていると判断しています。上級に繋がればと思っています。また、筆記試験だけでなく、名古屋市について、面接について調べています。その結果合格する見通しは立っています。後はその通りに自分が行動できれば良いなと思っています。

 二つ目は、学び続ける教師の会での勉強会に対する感謝です。この会は月に一回、松井さん主催、ズームを活用して、一期生二期生の方が多く参加していて、授業で使えるICTを探求していくという会です。四期生が新任で参加しにくいため、四期生の誰かが参加できるようになるまで私がその場にいようという思いをきっかけに参加してきました。緊張というよりはどういう心持ちで参加しているべきかで不安でした。けれども何度か参加していく中で、参加者の輪に入れてもらい、気がつけばまるで何でも話せる友達かのように関るようになってしまいました。本当にありがとうございます。

 三つ目は、『名古屋市子ども若者総合支援センター』という名前を紹介したいです。これはぜひ一度ネットで検索し、ホームページをメニューをクリックしつつ隅々まで見てほしい場所です。ふとしたご縁で私はこの場所を紹介してもらいました。

 この場所は一言で言いますと、『ハローワーク(場所)よりハローワーク(就労支援)している場所』です笑。二十代を中心に一人一人の性格適正を明らかにし、企業と密接に繋げ、負担なく就職させ、その後続いていく見通しが立つまで見届けきるという場所です。まさに今の時代に求められた結果、財が豊富な名古屋市が生み出した環境です。こんな場所があることもですが、この施設ができたのが7年前であり、就労支援に特化し出したのがなんと令和元年10月。私が公務員試験に移ったタイミングです。施設の方から「中澤さんが引き寄せたかのような偶然ですね」と笑っていましたが、自分自身驚きました。抽象的な表現になっていますが、また記事を書く時に詳しく書ければ良いかなと思っています。

 この施設の方々にも私は覚えてもらい、これから公務員試験と同時にダメだった時に就職して続いていけるように親身にサポートしていただけるみたいです。どうやら私のことが気にかかるみたいです笑。

 このように気がつけば多くの人が私の周りに集まってきました。玉置ゼミで培ったメタ認知によって自分のことを丁寧に説明したことで興味を持っていただいたからだと思っています。また、大学を卒業し、自己肯定感が下がることもなくなり、学生のノリに頭を抱えることがなくなりました。

 その結果、のびのびと笑えるようになってきました。またなんといいますか、ようやく自分の人生に集中できる、人生が動き出したと感じています。

 玉置ゼミがきっかけで私の人生が大きく変わりましたが、さてどうなることやらと思っています。感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

 流れを読み、最善手を打ち、飄々と生きていきたいと思っています。

 このような感じです。公務員試験は来年の6月です。応援願います。あとすみません、学生時代の記憶がほぼ薄れていることを申し上げます。それではお読みいただきありがとうございました。(中澤)

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