【6月1日ゼミ記録】教師が大切にすべきこと![]() 学生2名が研究テーマについて発表、お互いに質問をし合って研究を深めた後に、玉置先生が36年間の教師人生をふり返り、教師人生が大きく左右された出来事を話してくださった。 それは「数学の神様」と呼ばれた馬場康雄先生とのエピソードであった。一宮市に勤めておられた馬場先生の勉強会に、玉置先生は小牧市から参加されていたそうだ。同じテストの平均点を比べてみても馬場先生の平均点が7,8点も高く、テストの点を上げることに自信があった当時の玉置先生でも敵わなかったそうだ。 コンピューターを使った授業を行っていた玉置先生は、一宮市のある学校で行われたコンピューターを使った研究授業に助言者として招かれた話をされた。その時のもう一人の助言者は馬場先生だったとのこと。 コンピュータ室に入ると、生徒の中には金髪の生徒が一人。あのような生徒がいては、さぞかし「授業はやりにくいだろうな」と玉置先生は思ったそうだ。 無事に授業は終わり、研究会で助言者に話が振られた。すると馬場先生は突然、 「お前なんか教師を辞めちまえ!」 と怒鳴った。 「あなたは50分間金髪の生徒に一言も声をかけなかった。それは50分間かけて他の生徒に、ああなったら見捨てられるということを伝えたと同じだ」 静まりかえった教室で、次に玉置先生に助言を求められたが、何も言うことはできなかったと仰った。 心のどこかで「できない子はしょうがない」と思っていた自分を反省し、それが授業を見直すきっかけになったと玉置先生は仰った。子どもを伸ばすことが教師の大切な仕事。一人一人を伸ばしていこうとしなければならない。授業づくりや学級経営を考えていく前に、教師とは何かという原点に立ち返るようなお話を聞くことができた。(松井) ※ このエピソードは、2012年度発行の「VIEW21(pdf)」でも読んでいただけます。写真は、その一部です。 生きる力の基礎はコミュニケーション![]() つまり、コミュニケーションができなければ「生きる力」がないということか。 確かにコミュニケーションができなければ、社会で生きていくことは難しい。現在はグローバル化により、さらなるコミュニケーション能力が求められていると感じる。 自分も、人前に立ったり、街中で人に道を聞いたりするのが、とても苦手だ。 「知徳体」どれを伸ばそうとしても、言葉によるコミュニケーションがとても大切であると感じた。(中田昂) 群れから集団へ![]() まず、学級を集団化することは、子どもたちが自分たちで自分たちを動かしていくこと、だとありました。私はなるほどと思いました。今まで集団というのは、教師の指示を聞いて子どもたちが的確に動くことをイメージしていたのですが、最終的には、子どもたち自身が動かしていくことが大事なのだと考えさせられました。 また、集団に近づけていくために、「ちょこちょこ学級会」を行うと良いとありました。これは、学級の中で困ったなと思うことがあったら、すき間時間を用いて、学級のみんなで話し合うというものです。私が小学生だったころを思い出すと、学級会は年に数回で、意見も少なく、形式的なものだったと思います。しかし、この「ちょこちょこ学級会」は、学級の決まりや目標をこまめに話し合う機会になり、学級が集団へと近づく一つの手段になると強く感じました。(牧野) 動機づけのタイプ![]() 外発的動機づけの中で、自己決定的(自律的)が強い順に、統合による調整、同一化による調整、取り入れによる調整、外的調整だ。 外的調整のレベルとしては、お母さんに言われるから仕方なくや、やらないと叱られるからと言った具合だ。 取り入れによる調整のレベルは、自分の価値観ではなく、恥をかきたくないからや、馬鹿にされるのが嫌だからと言った具合である。 同一化による調整のレベルは、将来海外で働きたいから英語を学ぶといった自分にとって重要であるからである。 統合による調整は、電車で高齢の方に席をゆずるものだからゆずるといった、ゆずらないことを考えたこともない。そういったやりたいと思うから行うといったものだ。 そして内発的動機づけは内発的調整に分け、これは楽しいからや、興味があるからといったものである。 私はこれを受け、外発的動機づけの中でも学習意欲は十分にあるのではないかと考える。例えば同一化による調整で将来のことを考え、今できることをやるという姿勢は意欲があることであると思う。子どもの学習意欲を高める上で、外発的動機づけの中でもうまく内的にもっていくことで学習意欲を高めてあげられるのではないかと感じた。(小川) ※ 写真はこの4月から設置された看護学部が主に使う9号館を研究室から撮影した。(玉置) |
|