【6月8日ゼミ記録】私の発表(牧野紘子)
先日のゼミで、自分の研究がどれだけ進んでいるのかを発表しました。私の研究テーマは、「学級づくりを、基本となる活動に重点を置いて考える」ことです。今回は、係活動の例を挙げて説明しました。(レポートはこちら)
玉置先生に貸していただいた、野中先生の『学級づくりの三原則』を参考に、みんなが一人一つの役割を持つことにおいて、自分の考えをまとめました。みんなからは多くの質問をしてもらいました。 ◯配付係のように、毎日しなければならない係があるが、一人では大変ではないか →班の中で、一人を決め、班専門の配付係にする ◯毎日しない他の係活動はどうするのか →別で設ける、これはグループ編成にしてグループのみんなで仕切ることを大切にする ◯日常当番と日直がかぶらないか →クラスの状況を見て、どこまでを日直の仕事にするか、先生が決める みんなから、質問をしてもらって、とても刺激になりました。また、玉置先生からは今後調べてみると、私のテーマの解釈に役に立つことも教えていただきました。 今後は、多くの文献を読み、具体的な例を集めることを進めていきたいです。最終的には、自分なりの原則を見つけたいと思っています。(牧野) 【6月8日ゼミ記録】私の発表(大澤彩佳)
先日、”私の研究への歩み”という形で、研究の途中経過を発表しました。
わたしの研究テーマは、「教師と児童との信頼関係を大切にする学級づくりのあり方」です。今回は、玉置先生が薦めてくださった、田中博史先生著書の「子どもが変わる接し方」から学んだことを発表させていただきました。 わたしは、子どもとの距離を縮める方法として、手をタッチしながらあいさつすることとささやき戦術を取り上げました。また、田中先生のほめること叱ることにおける考え方についても発表しました。 発表後、ゼミ生から多くの質問をいただきました。 ○普通にあいさつをするよりも、子どもと手をタッチしてあいさつすることで、教師と子ども間の距離が縮まると言っていたが、手をタッチするような行為が苦手な内気な子にはどのように接するのか。 →手をタッチしながらあいさつをすることを、強要してはいけないし、子どもの実態に応じて行わなければならない部分があると思う。今後、内気な子が心をひらいてくれるような、教師側の働きかけも、研究していきたい。 ○子どもは3段階でほめるのがよいと書かれているが、優秀な子ばかりが、みんなの前でほめられるような事態はおこらないか。 →どんな子にもいいところは必ずある。教師側が努力すれば、毎回ほめられる子とほめられない子がいるというような格差はうまれないはず。1人ひとりのいいところを探し、ほめて自信をもたせるべき。 ○叱るのは全体の場でするべきか。 →全体の場で叱るべき場と個別で叱るべき場がある。 ○叱るとき感情的になってしまう。叱ることをなるべく減らしたいがどうすればよいか。 →一定の基準をもって子どもを叱ることや、その基準に幅をもたせることに気をつければ、自然と叱る機会が減る。 ○叱る基準に幅をもたせるとはどういうことか。 →子どもがいくら努力してもそれだけではどうしようもないこともある。基準を守れなかったからといって、ただやみくもに叱るのではなく、その子どもの背景にあるものを理解したうえで、対応しなければならない。 今後は、玉置先生からのアドバイスにもあったように、学級経営をされてきた先生方の本をたくさん読み進め、教師が児童に対してどのように働きかけていけば、教師・児童間に信頼関係のある学級がつくられるのか、研究していきたい。(大澤) 初等教科教育法 生活名前もわからないような草木がたくさん。自分が生活していく中で必ず目に映っているものなのに、知らないことたくさんあるんだなと改めて感じた。 子供にもなんの木か、なんの草か聞かれるだろう。子供と一緒に勉強していくのもいいと思うが、今のうちに覚えておいて、聞かれた時にパッと答えれるようにし、先生すごいなと思われるようにしたい。 具体的な活動を通して学ぶ生活という授業は、授業の名の通り生活で活かせることを学べる教科だと思った。この教科こそ、「生きる力」を最も育むことができる教科ではないだろうか。(中田昂) 継続は力なり
土曜日にインターンシップで、生徒の学力サポートとして活動させていただきました。
個別で生徒の様子を見回っていると、毎日の宿題をためて1週間分を1授業の時間の中で終わらせようとがんばっている生徒もいました。その子に話を聞いてみると、塾や部活で忙しくてなかなかできないようです。私は、確かに忙しかったらできないよね。と納得してしまいました。継続することは難しいことです。しかし、この継続の力は将来自分の武器になります。なので宿題でも部活でも他のどんな場面でもいいので何か一つ欠かさず継続するものを持ってほしいなと思いました。(小川) 部分肯定
来週開催の教師力アップセミナー講師である志水廣先生の『子ども、教師、学校が変わった「○つけ法の」の奇跡 ー「どうせできねーもん」からの脱却ー』を読みました。
この本では○つけ法の理論や実践が書かれています。 その中で印象に残っているのは「部分肯定をする」ということです。○つけ法では×をつけず、部分肯定の○をつけます。 例えば3桁の筆算で答えが間違っていたとしても、「なるほどね、1の位は合ってるよ」と部分肯定の声かけをして1の位に○をつけます。算数が苦手な子にとってたとえ一部分であっても自分のノートに○があるということはとても嬉しいことだと思います。 この本には実際に○つけ法を実践したノートの写真も載っていて先生方がどのように○をつけているかを知ることができます。 私は今まで算数のノートで○がある場所は答えのところだけだと思っていました。しかし、子どもたちのノートには考える過程で書かれた絵や図、途中の式などいろいろなところにたくさん○がついています。 私も子どもたちの「できる」を見つけて認めることのできる先生になりたいと思いました。(渡部) 書くことを通して
「ゼミのホームページを作ろう」という玉置先生のひと声から始まったゼミ学生と先生で作り上げるホームページ。玉置先生が様々な場面で情報を発信してくださっていることもあり、今では大学の友人に限らず、学校の先生や教育に従事されている多くの方々にホームページの記事を読んでいただけている。
先日、中林則孝先生が玉置先生宛てにホームページへのコメントを寄せてくださった。「他の人に見られるということがより質の高い学びにつながる」ということを教えていただき、「自信がある文章だけでなく、日常的な学びを発信していくことが大切である」というアドバイスもいただいた。 正直に言うと、いつも自分が書いた記事には自信がなかった。「これで伝わるだろうか、文章はおかしくないだろうか…」という思いは常にある。そして、良い記事を書きたいという気持ちがあったことも確かだ。そんな自分にとって(他のゼミ学生にとっても)中林先生のコメントは記事を書くときの気持ちを前向きに変えてくれるものだった。やはり書くことからがスタートなのだ。 まだホームページ開設から2ヶ月だが、読んでくださる方々がいることで私たちはより深く学ぶことができている。書くことを通して12名がより今後も学びを深めていけるホームページにしていきたい。いつも記事に目を通してくださる方々に感謝します。ありがとうございます。(松井) ※ 写真は7号館前から見る本館風景です。(玉置) 【6月1日ゼミ記録】私の発表(堀江恵里花)
先日のゼミで、自分の研究がどれだけ進んでいるのかを発表しました。
私の研究テーマは「子どもの個性を尊重する学級経営のあり方」です。 今回は、『個性について自分なりの定義』と『個性を発揮できる環境』について発表しました。(レポートはこちら) 私は菊池省三先生の本を参考にして、個性の定義を「一般性を身につけた上で出てくる自分らしさ」と定めました。そして、個性が発揮できる環境としては、「子ども一人ひとりが安心し、自信を持っている学級」である必要があるということを発表しました。 発表後、次のような質問があり、以下のように答えました。 ○一般性を身につけると言っても、それが難しい子どもにはどのような指導をするのか。 →今後の課題にする。 ○一般性を身につけるためにはどうしたらいいのか。 →「3・7・30の法則」で学級の中でのルールを守るようにする。 ○一般性を身につけないと個性は本当に出ないのか。 →一般性を身につけていない上での個性は、自由奔放となってしまい、学級においての個性発揮と言うには少し違うと思われる。 他にも質問はありましたが、上記の3つの質問に対して、少し曖昧な答えとなってしまったので、今後、研究していって、はっきりさせたいと思います。 また、「個性というものを、能力面で見るのか、見た目で見るのか、表現方法で見るのか…など、ある程度絞ったほうがいいのではないか」という意見をもらいました。 今後の課題も見つかり、研究を深めていく内容も分かったので、これからどんどん進めていきたいと思います。(堀江) 【6月1日ゼミ記録】私の発表(浦珠美)
先日のゼミの時間から、ゼミ生1人1人が今まで研究してきた内容を順番に発表し合うことになりました。
私が今回発表したことは、「学校で起きているいじめ問題にどう向き合うか」。 いじめの定義、現在のいじめの特徴を中心に調べ、そこから教師はどうしていくべきなのかを考え自分なりにまとめてみました。(レポートはこちら) その後、ゼミのみんなから多くの質問をもらいました。 「ネットいじめはどう発見するか。」→確かに発見しにくいなと感じた。(要調査!) 「子どもは例えばどのような方法でSOSを送っているのか。」→目で訴える、辛そうである、顔が暗いなどがあると考える。(自分が辛い時どのように人に伝えようとするかで考えてみる。) 「今は差異を生み出すためにいじめが行なわれているのならば、昔はどうしていじめがあったのか。」→自分より劣っている人をいじめることで、自分が優位な立場にいると感じたかったからだと考える。(今も昔も、“差異”が鍵!?) はっきりと答えることのできない質問もあったのですが、改めて調べたことに向き合うよい機会がもらえました。 調べ、まとめ、発表し、質問を受け、さらに考える…。このサイクルを活かして、研究のテーマにしている「居心地のよい学級づくりのあり方」に迫っていきたいです。(浦) ユニバーサルデザインの授業
私は最近、志水廣先生、大羽沢子先生著書の「算数授業のユニバーサルデザイン」という本を読み始めました。
第2回教師力アップセミナーの講師の先生が書かれた本だから、という軽い気持ちで読み始めたのですが、自分の研究のヒントとなるようなことが多く書かれていました。 ユニバーサルデザインの授業とは、どの子も「分かる、できる」と感じることのできる授業だと書かれています。 学習環境、フォローする一言があるかないか。 少しの工夫や教師の行動で授業の中身は変わっていきます。 私は研究内容の1つでもある学校でのいじめ問題について調べていく中で、いじめが起きてから対処を始めるのではなく、前もっていじめが起こらないような対策を教師はすべきであるということを考えました。 授業でそのような対策をするならば、劣等感などをあまり感じさせないユニバーサルデザインを考えた授業はとても有効なのではないかと思います。 読み進め、気付いたことをまた記事にまとめたいと思います!(浦) 【6月1日ゼミ記録】教師が大切にすべきこと学生2名が研究テーマについて発表、お互いに質問をし合って研究を深めた後に、玉置先生が36年間の教師人生をふり返り、教師人生が大きく左右された出来事を話してくださった。 それは「数学の神様」と呼ばれた馬場康雄先生とのエピソードであった。一宮市に勤めておられた馬場先生の勉強会に、玉置先生は小牧市から参加されていたそうだ。同じテストの平均点を比べてみても馬場先生の平均点が7,8点も高く、テストの点を上げることに自信があった当時の玉置先生でも敵わなかったそうだ。 コンピューターを使った授業を行っていた玉置先生は、一宮市のある学校で行われたコンピューターを使った研究授業に助言者として招かれた話をされた。その時のもう一人の助言者は馬場先生だったとのこと。 コンピュータ室に入ると、生徒の中には金髪の生徒が一人。あのような生徒がいては、さぞかし「授業はやりにくいだろうな」と玉置先生は思ったそうだ。 無事に授業は終わり、研究会で助言者に話が振られた。すると馬場先生は突然、 「お前なんか教師を辞めちまえ!」 と怒鳴った。 「あなたは50分間金髪の生徒に一言も声をかけなかった。それは50分間かけて他の生徒に、ああなったら見捨てられるということを伝えたと同じだ」 静まりかえった教室で、次に玉置先生に助言を求められたが、何も言うことはできなかったと仰った。 心のどこかで「できない子はしょうがない」と思っていた自分を反省し、それが授業を見直すきっかけになったと玉置先生は仰った。子どもを伸ばすことが教師の大切な仕事。一人一人を伸ばしていこうとしなければならない。授業づくりや学級経営を考えていく前に、教師とは何かという原点に立ち返るようなお話を聞くことができた。(松井) ※ このエピソードは、2012年度発行の「VIEW21(pdf)」でも読んでいただけます。写真は、その一部です。 生きる力の基礎はコミュニケーション
菊池省三先生は、「生きる力の基本にコミュニケーションがある」と本の中で言われていた。
つまり、コミュニケーションができなければ「生きる力」がないということか。 確かにコミュニケーションができなければ、社会で生きていくことは難しい。現在はグローバル化により、さらなるコミュニケーション能力が求められていると感じる。 自分も、人前に立ったり、街中で人に道を聞いたりするのが、とても苦手だ。 「知徳体」どれを伸ばそうとしても、言葉によるコミュニケーションがとても大切であると感じた。(中田昂) 群れから集団へ
私は先日のゼミで、学級を群れから集団にすることを少しお話しました。私が今読んでいる野中信行先生の、学級づくり3原則という本に、集団について書かれていたので、ご紹介します。
まず、学級を集団化することは、子どもたちが自分たちで自分たちを動かしていくこと、だとありました。私はなるほどと思いました。今まで集団というのは、教師の指示を聞いて子どもたちが的確に動くことをイメージしていたのですが、最終的には、子どもたち自身が動かしていくことが大事なのだと考えさせられました。 また、集団に近づけていくために、「ちょこちょこ学級会」を行うと良いとありました。これは、学級の中で困ったなと思うことがあったら、すき間時間を用いて、学級のみんなで話し合うというものです。私が小学生だったころを思い出すと、学級会は年に数回で、意見も少なく、形式的なものだったと思います。しかし、この「ちょこちょこ学級会」は、学級の決まりや目標をこまめに話し合う機会になり、学級が集団へと近づく一つの手段になると強く感じました。(牧野) 動機づけのタイプ
外発的動機づけと内発的動機づけを自己調整タイプを中心にした自己決定連続体のモデルを元にタイプ分けできることを知った。このことは、自律的かどうかで分類できる。
外発的動機づけの中で、自己決定的(自律的)が強い順に、統合による調整、同一化による調整、取り入れによる調整、外的調整だ。 外的調整のレベルとしては、お母さんに言われるから仕方なくや、やらないと叱られるからと言った具合だ。 取り入れによる調整のレベルは、自分の価値観ではなく、恥をかきたくないからや、馬鹿にされるのが嫌だからと言った具合である。 同一化による調整のレベルは、将来海外で働きたいから英語を学ぶといった自分にとって重要であるからである。 統合による調整は、電車で高齢の方に席をゆずるものだからゆずるといった、ゆずらないことを考えたこともない。そういったやりたいと思うから行うといったものだ。 そして内発的動機づけは内発的調整に分け、これは楽しいからや、興味があるからといったものである。 私はこれを受け、外発的動機づけの中でも学習意欲は十分にあるのではないかと考える。例えば同一化による調整で将来のことを考え、今できることをやるという姿勢は意欲があることであると思う。子どもの学習意欲を高める上で、外発的動機づけの中でもうまく内的にもっていくことで学習意欲を高めてあげられるのではないかと感じた。(小川) ※ 写真はこの4月から設置された看護学部が主に使う9号館を研究室から撮影した。(玉置) 必要だから学ぶ
玉置先生に参考文献として貸していただいた「人はいかに学ぶか」を読み始めた。
人が学ぶ動機はいくつかあるなかで、本書の第2章では生活上必要だから人は学ぶと書かれていた。 ブラジルでは子どもたちが道端で大人を相手にキャンディーを売っている場面を見ることができるそうなのだが、その子どもたちは学校に行ってないのにも関わらず足し算引き算や割合の考え方を知っている。誰に教わったわけでもないのだが、学校に行っている子どもよりも工夫して計算を行う傾向もあったそうだ。 なぜ計算能力が身についたのか、それは言うまでもなく彼ら彼女らにとってそれが必要なことだっただからである。人は必要性を感じるものには自ら学ぶ傾向があり、さらに「必要」を越える域まで学ぶことができるそうなのだ。 「数学って大人になって本当に使うの?」と子どもが思うような授業ではなく、少しでも生活につながるような工夫をし、子どもに少しでも数学の必要性を感じてもらえるような授業づくりをしていきたいと思った。(松井) 不登校は子供がとる本能的な防衛反応
先週から風邪をひいていて、鼻水が止まらない。いつも風邪をひいてから、手洗いうがいして予防しておけばよかったと後から思うのである。
本日の教育相談の授業において、ビデオを見た。その中で、とても心に残った言葉がある。 「不登校は子供がとる本能的な防衛反応」 もうこの言葉に何か説明を付け加える必要がないくらい、不登校について説明していると思った。 不登校の子が出てしまってからどうこうする教師が多いと思うが、不登校の子が出ないように予防的に何かしていく必要がある。 風邪と似たとこがあると思った。(中田昂) 【5月25日ゼミ記録】子どもの言葉を生かす授業とは?
月曜日のゼミにおいて、玉置先生ご自身の授業のDVDを見せていただきました。
このDVDは、先生が教員になったばかりの時にされていた授業と、試行錯誤を重ねて作り上げた授業の二つの実践を見ることができ、ゼミのみんなで比較をしながら観賞しました。 前者は、「赤ペンで大事だと思うところに線を引かせる→教科書をみんなで読む→テストに出る所にマーカー→大事な所をみんなで読んで確認」という流れで、まるで塾のような、先生主体の授業でした。効率的で早く進めることはできますが、勉強するということに、意味や楽しさを見い出すことができない授業のように思いました。 うって変わって後者は、生徒主体の自分達で探っていくような授業で、見ている私もわくわくしました。 今回は直線について学ぶ授業で、先生が答えを言ってしまえば一瞬で終わってしまう内容なのですが、玉置先生はそんなつまらないことはされません。まず生徒に課題を与え、自由に書かせる。そして生徒達の意見発表を通して、法則を見つけていく。そしてそれを先生が、数学的には何というのか教えてくれます。自分達で見つけた法則なら愛着がわいて忘れないだろうし、感動いっぱいの授業になるだろうなと思いました。 また、玉置先生の素晴らしいところは、生徒一人ひとりの発言をとても大切にしているところです。予想外な発問もけしてないがしろにせず向き合い、首をかしげた子を逃さず、必ず意見を聞きます。つぶやきをここまで大事にしてくれるのだから、生徒達も意見を言いたくなるはずです。一人のつぶやきが全体に広がり、新たな面白い発見をする。数学は広げる学問と先生がおっしゃっていましたが、なるほどと思いました。 他にも、黒板に書いた子とは違う子を指名して説明させる、みんなの書いた線を書いていない子にも書かせ、全員経験したことにする等、全員参加型授業を作るためのテクニックをたくさん学ぶことができ、とても勉強になりました。 今回DVDを見せていただき、巻き込み型授業とはどういうものか学ぶことが出来たし、私もこんな授業を受けられたら数学が嫌いにならなかっただろうと思いました。 最後に、玉置先生が講義と授業の違いは、一番大切なことを先生が言うか、子どもが気づけるよう先生がしかけるかということだとおっしゃっていました。私はぜひ後者の、「授業」ができる教師になりたいと思います。(杉下) ※授業DVDは、「教育ルネサンス読売教師力セミナー名古屋2」で行った数学授業でした。このときのテーマは「子どもを伸ばすコミュニケーション力」でした。(玉置) 『魔法の言葉』探しの旅へ
私は当初、ゼミでの研究テーマを「安定した学級づくりのあり方」と設定した。しかし、そもそも「安定した学級」とは何なのか定義できずにいた。
そんな時、5/25(月)のめざましテレビのココ調が私に鮮明な印象を残した。それは、出演された坪田信貴先生(ビリギャルで話題の青藍義塾の塾長さん)の『魔法の言葉』である。生徒のやる気を引き出したり、生徒のネガティブな考えをポジティブな考えに転換したり、ちょっとした一言で生徒を変える坪田先生の言葉に、私も影響された。 その後、研究テーマの変更について玉置先生に相談すると、背中を押していただいた。 「シャープでいいんじゃないか。」 教育書に限らず、スポーツや芸能など幅広い分野から『魔法の言葉』を探し、最終的に自分のものにして、ゼミの仲間と共有していけたら良いというアドバイスをいただいた。 新たな研究テーマで再出発である。『魔法の言葉』探しの旅へ。(佐藤) 生きる力今日の哲学の授業で、「生きる力」という単語が出た瞬間に、中田の「生きる力」レーダーがビビッと反応。 哲学の先生も、「よく」生きる力などの「よく」の部分が大切だと言っていた。これは、当たっていたみたいだ。 その話がどんな流れで出てきたのかというと、ベーコンの「知は力なり」というところで、余談として出てきた。このベーコンが「生きる力」を語ったら、知徳体の「知」が大切だと言うに違いない。 図書館で2冊本を借りた。 ぶらぶら見てたら、自分にぴったしではないかと思った本があった。写真の2冊はそれである。菊池先生の本は以前読み、記事にも書いたが、「生きる力」を意識して読んでいなかったので、再び読みたいと思う。(中田昂) クリーン作戦から学ぶ
本日は朝から市内で一斉に行われた、クリーン作戦に参加。家の前だけに限らず、綺麗にできるとこはできる範囲で綺麗にした。
正直言って、朝早く起きて草抜きなんかやりたくなーと思いながらやっていた。 そんな僕に父が一言。 「植物が発芽するのに必要な三要素は何か」 草を抜きながら考えてたけど、ダメでした。習ったはずなのに、、、 机に向かって覚えたものは頭から抜けていってしまう。それは自分の体験の中で学習してないからだと思う。 学びの場は、学校の中だけではない。子供たちに考えさせ、興味・関心を持たせるような一言がどれだけ大切なのかわかった。(中田昂) ちなみに答えは、水、空気、適度な温度 知=徳<体?
最近「生きる力」とは何かに注目している。
いろんな人に、聞いているがみんながみんな違うことを言う。 指導要領を読んでも、たくさんのことが書かれていて、上手くまとまっていないように感じる。 だから、「生きる力」をそう簡単に言い表すことはできないのだろう。そういうことはわかる。 以前、名古屋大学の学生が友達の飲み物に毒物を混入させ、失明させようとしたというニュースがあった。 この学生は頭もいいし、毒物を手に入れることができている。実際に試みる過程で、様々なことを学んだはずだ。 ある意味「生きる力」があるのではないだろうか。 だから、重要なのは「生きる力」の部分ではなく、「どうやって」「どのように」「どういう」の部分ではないかと思う。 例:健やかに生きる力、思いやりを持って生きる力 など 先日実家に帰った時、母と生きる力とは何かについて話をした。母は、「自らの健康課題に気づき、主体的に課題解決に取り組むことができること」だと言った。 人間だけに限らず生物は、身体が健康的でなくては、何もすることができない。人間であったら健康でないと、学習することもできない。母は、知徳体のうち最も大切なのは「体」だとした。 大学でよく聞く意見は「食べること」というものだ。これも適当に言ってるかもしれないが、食べることで栄養を得て、体を健康に保つことで、より良く生きていくことができるという考えに基づいているだろう。 だからますます「生きる力」がわからなくなった。抽象的すぎるのだ。 この晴れない気持ちでここ数日を過ごしている。 記事にしてもまとまらないのが、辛いのである。(中田昂) |
|