4月18日第1期生ゼミ記録(小川)
前回のゼミに続き、教員採用試験の教職教養科目から過去問を行い、その問題で話題となっている事柄の背景について考えました。その後、場面指導を行いました。
過去問では、様々な県の過去問を解くことで狙われやすい問題やひっかかりやすい問題が見えてきました。中でも、語尾に「〜することに務める。」や「〜しなければならない。」の違いで正誤を問う問題があり、細かく法令を見ておかなければならないなと感じました。 また、私は場面指導で前に出て実際に取り組ませていただきました。「掃除をしなくなってきた学級にどのような話をするか」という場面です。私は、小学校5年生を想定して行いました。 まず、掃除の時間に最後まで取り組めていた児童をみんなの前で褒めました。そして、クラスのみんなに最後まで掃除に取り組めていたかを問いかけ、自分を見直すきっかけを作りました。そして、掃除をすることで環境だけでなく、自分の心もきれいになると締めくくりました。 玉置先生からは、高学年になるにつれて全体で褒めることを嫌がる児童も出てくるので気をつけること、場面指導なので、その場面だけを切り取った指導をするべきなので、掃除とはどうあるべきものかなどは、学級づくりの始まりに使う話なので場面に即してないなどの助言をいただくことができました。大いに参考にさせていただき、今後の面接練習に活かしていきたいと思います。(小川) 4月18日第2期生ゼミでの発表(江口)
私は調べてきたことを発表してみて、調べ切れていないところが多いと実感しました。
今回はいじめを未然に防止する方法を話しましたが、防げていないからこそ苦痛に感じたり、自殺してしまう子供たちが多いのだと改めて感じました。そのため未然に防ぐ方法に加えて起きてしまった後についてもう少し調べておくべきだったと思いました。 また、ストレスというストレス症状をもたらす原因のストレッサーでは、教師が一番関与していることは三位については詳しく説明しましたが、一位・二位について具体的に説明できていなかったため例を提示しておくべきだったと思いました。 競争意識を持つことはいいことと今までよく言われてきました。テストなども○○さんには負けないようにしようや他のグループよりもいいものを作ろう、たくさんみつけようなど勉強やゲームにおいて競争は不可欠なものです。しかし兄弟で比較されたり、仲の良い友達と競争して毎回負けてしまっていたらやる気はどんどん低下していき、自分はダメな人間なんだと思う人も多く過度の競争意識が芽生えてしまうのもよくないことだとわかりました。 競争意識は自分自身を成長させるものでもあるので時と場合に応じて競争意識を燃やさせることが大切だと思いました。そのために教師が社会体験や交流の場を設けていくことが大切で、子どもたちがストレスを感じない程度にして強く、たくましくしていかなければなりません。教師がしていることが子どもの負担にならないように考えていく必要があるのだと感じました。これからいじめの何について調べていくのかもう少し調べて考えていきます! 前に立って話すことはあまり機会がないのでこれからこういった経験を積んで教壇に立った時にテンパらないようにしたいです。またどんな質問が来ても焦らないように事前に深く調べなければならないと感じました。次回も頑張ります。(江口) 4月18日第2期生ゼミでの発表(古川)
4月18日、今日はゼミで私が発表する役目でした。
初回で最初の発表者ということで、最初は緊張していましたが、他のゼミ生が真剣に話を聞き、たくさんメモをとってくれていましたたので、自信をもって発表することができました。 私が今回発表したのは、「授業の原則十か条」という内容です。「授業の腕をあげる法則」(向山洋一著、明治図書)という本を参考にしました。 ★ 授業の原則十か条 第1条:趣意説明の原則 第2条:一時一事の原則 第3条:簡明の原則 第4条:全員の原則 第5条:所時物の原則 第6条:細分化の原則 第7条:空白禁止の原則 第8条:確認の原則 第9条:個別評定の原則 第10条:激励の原則 発表後の話し合いの際に、特に「第9条の個別評定の原則」について議論しました。今回は体育についての個別評価の際に行う一人ひとりへの点数化について私達は考えました。 「一人一人を見て的確なアドバイスをすることは大切だが、私は体育が苦手だからあなたは何点といわれたらやる気がなくなってしまう」「得意だから高く評価されて目立ちたい」などと、様々な意見を出し合い深めていきました。 最後に玉置先生の教育実習での体験談を聞きました。実習では当然ですが、たくさんの失敗をすると思いますが、その失敗から学び、十か条を意識して教育実習を行うことが大切であると感じました。(古川) 4月13日第1期生ゼミ記録(大澤)
先日、今年度になって初めてのゼミが開講されました。
まず、玉置先生より日本教育新聞に載っている教員採用試験の過去問を解くように言われました。「いじめ」についてさまざまな問題が記載されていました。間違えてしまったところについてどうしてそう考えたのかや、知っておくべきことなどを押さえながら、「いじめ」問題そのものについて全員で考えました。 次に、場面指導の練習を通して、教師としての伝えるべき事柄について考えました。場面の設定は、「あなたは小6の担任です。ある朝、小6の児童がいじめにより自殺したニュースがありました。その日の朝の会であなたは子どもたちにどんな話をしますか」というものでした。自分だったらどうするかを隣の人と話し合った後、実際に先生とゼミ生の前で行いました。 初めて場面指導を行ったのですが、難しかったです。玉置先生からは私たちの取組についての評価、伝えるべき事柄、そして気持ちを伝えるときの表情、目線、声の抑揚など、場面指導を行うにあたって大切なことを教えていただきました。 教員採用試験は団体戦。ゼミに行くと、たくさん刺激をもらえます。信頼できる先生と仲間と共に、あと3ヶ月全力で走り抜きたいと思います。(大澤) 第1期生卒業論文「はじめに」を読み合う
昨年12月末の合宿で
作成した卒業論文目次案。 それにしたがって、 3月末までに書いてみた 「序章(はじめに)」。 まずは、それを読み合う。 気づいたことを伝え合う。 「いのちの授業」を拝見して(浦)
玉置先生からサイトを紹介していただき、先生が実際に行った「いのちの授業」を拝見しました。
昨年度のゼミで生徒役としてこの授業を受けさせていただいたので、話の内容は知っていたものの、聞き入ってしまい、また、考えさせられる授業でした。 私が授業を見て思ったことは、画面を通してでも分かるぐらい、生徒が真剣に考えているということです。その理由の1つとして、先生が生徒の発言を生徒同士で深めていけるような問いかけや指名をしているからだと思いました。 例えば、最後の方で「当たり前のことを大切にする」という発言から、「どういうこと?」と自分達の生活の中での具体例を挙げさせ、さらにそこで出た「生きていくことを大切にする」という発言を、また、どういうことかと聞き返していました。抽象的な言葉が、生活する上で感じる具体的なものになったことで、全生徒にとってイメージしやすくなったのではないかと思います。指名についても、発言した生徒に聞き返すのではなく、他の生徒に聞いていたことから、学級全員で考えるという環境がつくられているのだと感じました。 ケイコちゃんとマイさん、死ぬことと生きること。この2つの対の話を取り上げるからこそ、自分が大切にしていきたいことをより深く、しっかりと考えることができるのだと思います。そして、それが「いのちの授業」なのだと思いました。黒板に「生」、「死」とはっきりと書いてあることも印象的で、正面から生徒に向かっているようにも思えました。 命は大切なものです。しかし、世の中には自ら命を絶つこと、命を軽視する言葉などが多くあります。だからこそ、学校の授業で命について扱うことが大切なのだと思います。ただ読み聞かせで終わるのではなく、児童生徒に訴えかける工夫をして、しっかり、じっくり考えさせる必要があるのだと思いました。 実際の授業を見させていただくことはできませんでしたが、動画を通して、「命」という大きなテーマに迫るための授業展開や生徒の考えを深める教師の働きかけを知ることができました。動画の見れるサイトを教えていただき、また、このような学ぶ機会をいただき、ありがとうございました。 私も、心に汗をかかせる道徳、その他の授業ができるようになりたいと強く思いました。(浦) 4月13日第1期生ゼミ記録(浦)
4月13日、本年度初の1期生のゼミがありました。
今後の方針について玉置先生からお話があった後、すぐに教員採用試験に向けての対策が始まりました。 今回は、先生が用意して下さったいじめを扱った問題を解き、その後場面指導の練習を行いました。 場面指導のお題は、「あなたは小学校6年生の担任です。他県の小学校でいじめ自殺があり、今朝のニュースで取り上げられました。朝の会で子ども達に何を話しますか」です。 初めて場面指導をしたのですが、限られた時間でまとめること、伝わる話し方など、練習の必要性を感じました。 先生から教えていただいた場面指導をする上でのポイントを、4つまとめました。 1.声に抑揚を付ける(強調したい言葉はゆっくり、はっきりと) 2.表情や真剣な目で気持ちも伝える(表情豊かに) 3.演技をする(真剣さを伝えるために厳しい演技をするなど、姿で示す) 4.ゴタゴタと話すのではなく、端的に分かりやすく話す(遠回りせず、はっきりと言う) 面接練習をしてても思ったことですが、自分の中でキーワードを持つことが大切だと思いました。いじめ問題ならこれ、学級づくりならこれ、といったキーワードを持つことで、話したいことがまとめやすくなり、また、様々なところで活かすことができると考えます。そのために、今一度自分の考えをしっかりと整理する必要があると実感しました。 久しぶりにゼミ生全員が集まり、真剣に問題に向かい、時には笑い声も溢れ、とても居心地の良い学びの時間でした。教員採用試験まであと約3ヶ月。目標に向かって、みんなと一緒に頑張っていきたいです。(浦) 「いのちの授業」を拝見して(牧野友)
私にとって「いのち」を扱う授業は、とても難しいイメージがあります。題材を何にするかということも大事ですし、言葉や読み方など気を使わなければいけないことがたくさんあると思うからです。ですから、今回の「いのちの授業」を自分の学びにつなげたいという気持で拝見させていただきました。
まず題材の小児がんにかかり、6歳で亡くなってしまったケイコちゃんと、今も生きているマイさんの取り上げ方について私は興味をもちました。 ケイコちゃんとマイさんは死と生という対称的な存在と私はとらえたので、私なら「死」と「生」にわけた授業を考えてしまうと思います。しかし先生は、二人の共通しているところから、大切にしようと思ったところにポイントをもっていかれたので、「当たり前を大切にするこことは何か。」「生きていくことを大切にするとはどのような事なのか。」という深めの質問を生徒の発言から抜き出していらっしゃりました。ですから、生徒がより深く「いのち」について考えられたのだと感じました。私は題材の活かし方をもっと学び、生徒がより考えられる授業を作りたいと思いました。 次に生徒とのかかわり方については、挙手発言がなくなった時の意図的指名に注目しました。 先生は生徒の独り言のような呟きを聞き漏らさず、発言を促していらっしゃいました。そのため、新たな意見を引き出すことができ、授業を展開させやすくなっていたと思いました。また、生徒の意見を肯定的にとらえることで、その生徒は意見に自信を持てるし、この難しい課題に対して発言しやすい空気にクラス中がなったのではないかと感じました。私も同じような場面になったら先生のように子どもたちの声をよく聞いて、表情をよく見て意図的指名をしてみたいと思います。 私はこの授業を拝見して、主に子どもたちが考える授業づくりと、意図的指名についてのヒントをいただけました。このヒントを自分の授業づくり、学級づくりに生かしたいと思います。貴重な授業を拝見させていただきありがとうございました。(牧野友) 「いのちの授業」を拝見して(渡部)
先日、「いのちの授業」の映像を見させていただきました。
私はこのDVDに収録されている授業を実際に見させていただいたので、映像を見るとあの時の教室の雰囲気を思い出しました。 玉置先生の「心に汗をかこう」という言葉で授業は始まります。「いのち」がテーマということもあり、教室にピンと張り詰めた空気があったような気がします。 ケイコちゃんとマイさん、「生」と「死」というまったく反対のものの中から共通することを見つけるという活動の中で生徒たちから出できた言葉は「当たり前のことを大切にする」、「生きていくことを大切にする」という言葉です。 もし、私がその言葉を聞いたら「そうだね。当たり前のことを大切にしていかないといけないね。」と言って終わってしまうような気がします。 しかし、玉置先生は「当たり前のことを大切にするってどういうこと?」、「生きていくことを大切にするってどういうこと?」とさらに問いかけていらっしゃいました。 考えてみると「当たり前のことを大切にする」ということはぼんやりとしていると思いました。具体的に問いかけることでさらに自分の生活と結びつけて考えることができるのではないかと思います。生徒たちからの言葉を聞いても「当たり前のこと」、「生きていくこと」は人それぞれ違うと感じました。その違いが一人一人の価値観ともつながるのかなと思いました。 また、以前記事にも書かせていただきましたが、玉置先生の授業の最後に発言した女子生徒の言葉は改めて聞いてもドキッとさせられるものでした。 それは、言葉に詰まりながら言った「いのちは弱いようなもの」という言葉です。 教室で授業を見ているときよりもあの女子生徒の何と言おうか迷っている時間が長く感じられました。その時間きっとあの生徒は心に汗をかいていたと思いました。 私もいつか心に汗をかく道徳の授業ができるようになりたいと思いました。 この授業を実際に見させていただく機会を与えて下さりありがとうございました。(渡部) 「いのちの授業」を拝見して(江口)
玉置先生の授業を拝見しての感想です。「いのち」という深く、真剣に考えなくてはならない題材でした。そのため日頃からクラスの雰囲気がよくなければ、今回の授業のように生徒たちが真剣に授業を聞き、意見を述べることはないのではと思い、改めてクラスづくりの大切さを感じました。また先生がお話をされている際に生徒が中央を向いて意見交流をしやすい形にしたり、先生が質問を投げかけて自由にあてていき、さらに突っ込んで質問をし生徒自身の言葉によって授業を展開していくことが印象的でした。
二人の写真や資料を提示することで具体的に考えることができると思いました。亡くなってしまったケイコちゃんと元気になって生きることができているマイさんを比較することで生と死について深く考えることができると思いました。 普段当たり前に生きて、生活していることが病気になってしまうと一気に崩壊してしまう。中学生の時期に深く考える機会はあまりないのこのような道徳の時間に当たり前について見直すことが大切であると思いました。自分・他人の命のついて考え、自殺をしたり、殺してしまう人がいなくなってほしいです。そのために生徒の心に響くような「いのち」の授業を行いたいです。 今回の授業では、二人方共通していえる「大切にすることは?」において感謝・命・普通に暮らすことなど当たり前に行っていることを大切にするべきだと生徒の言葉で述べられたので生徒の心に届き、心の変化があったのだと思いました。 玉置先生の授業を拝見して、「いのち」・道徳の授業の仕方を学ぶことができました。これからも多くの授業を拝見して学びたいです。ありがとうございました。(江口) 「いのちの授業」を拝見して(牧野)
玉置先生が関わっていらっしゃる、「いのちの授業プロジェクト」の、道徳の授業が、実際の中学校で行われた様子を、動画で見させていただきました。
私は、ゼミでこのお話を聞いていたので、内容としては知っていたのですが、実際の子どもの反応を見るのは、今回が初めてです。 子どもの反応で1番印象に残っていることは、1番前に座っていた、男子学生のことです。その生徒の、意見を言うときや、玉置先生と話している姿を見たところ、私はその生徒は、クラスのムードメーカーのような明るい存在であると感じました。そんな生徒が、ケイコちゃんの話を聞いている時は、とても真剣な表情をしていて、顔つきの変わりように驚きました。 また、道徳の授業というと、子どもはあまり進んで感想を書きたがらないこともありますが、線いっぱいに書いている姿も印象に残っています。 「いのちの授業」が、このように生徒の心に響く理由を、私なりに2つ考えてみました。 1つ目は、この授業が「ケイコちゃん」と「マイさん」、2人の構成になっているということです。「ケイコちゃん」の話からは、がんという病気の怖さ、悲しさが、「マイさん」の話からは、病気に対して、希望を持つ前向きな気持ち、を主に感じることができます。そして、2人の話から共通して考えられる、「今の自分たちが大切にしなければならないこと」が、この授業の軸になっていると感じました。どちらか1人の話だけでも、道徳の授業は成り立つと思いますが、2人を取り上げたからこその「いのちの授業」だと思います。 2つ目は、玉置先生の、生徒に対する訴えかけ方です。玉置先生がお話を読んでいる時の声には、聞いている私たちの胸に響くものがありました。重すぎず、それでいて生徒に迫っていくような印象を受けました。また、印象に残っているのは、先生の板書です。はっきりと「生」と「死」という2つの言葉が対称に書かれていました。私が授業者でしたら、「死」という言葉を、何か別の言葉に置き換えていたかもしれません。しかし、大切なところを、遠回しにせず、正面から向き合うからこそ、生徒たちも正面から向き合ってくれるのだと、その板書から学びました。 今回は玉置先生の授業を見させていただいたので、他の先生方の授業も拝見し、自分なりの気づきをしたいです。サイトを紹介してくださった玉置先生、ありがとうございます。(牧野) フレンドシップ3を終えて(松井)
フレンドシップ3年目、今年はサイエンス・クラフトコースの委員長として活動してきた。この1年はワーキングが多くの時間をかけて考えだした企画を100%実現したいという思いで取り組んだ。委員長という立場であるため様々な選択を迫られることもあったが、念頭に置いてきたことはやはり企画の実現である。ワーキングリーダーや幹部内でしっかりと話し合い、学生が話し合って作り上げた企画を最大限実現することができた。反省点も多々あるが、1年間の活動を企画力・運営力・指導力の観点から振り返りたい。
まずは企画力についてである。今年度はワーキングに所属していなかったため、直接企画を作るということはできなかった。そのため企画力が高まったという実感はないが、執行部会議や班長会議でワーキングリーダーの企画説明を聞きながら企画の中身を検討していった。子どもの安全面や1日の流れを配慮した際に、どこまでワーキングの思いを実現できるか考えることが大変苦労した点である。しかし、この苦労はワーキングで企画を作る側にいたときには感じることができない。委員長になり企画以外のことにまで視野を広げることができたのは、私にとって大きな収穫だ。 次に運営力についてである。1回ごとの活動は6時間ばかりしかないが、危険を予測したりぐんぐん農園コースの活動場所や時間配分を考慮したりと、毎回の活動で運営の難しさを感じていた。少しでも円滑に運営ができるよう心掛けたのは幹部内の連携である。当日の朝から活動が終わって片付けを行うまで、幹部1人1人がどこでどう動くのかを事前に話し合い決定した。例年行っていることではあるが、決しておろそかにせず細かく話し合ったことで大きな問題もなく運営することができた。運営するということはその1日をどれだけ具体的にイメージできるかが大切になる。教員になってからも必要とされる力なので残り1年でさらに磨いていきたい。また、運営するうえでどうしても予期せぬことがおこる場合がある。それに対しては「もしこうなったら」という視点をもち、想定外であることを減らしていくということを学んだ。臨機応変に動くことができる人は、頭の片隅に想定外が想定されているのだろうとこの1年で考えるようになった。 最後に指導力についてである。今年はこれまでと違う指導力が求められていたように思う。サイエンス・クラフトコースの学生はもちろん、フレンドシップに携わる学生全員に対してどのように指示を出すのか、どのように伝えるのかなど、学生の前に立つたびに考えさせられた。うまく指導できたとは思っていないが、私が1年間心掛けてきたことは手を抜かずにがんばることである。いわゆる口だけのリーダーにならないよう、自分が1番がんばるつもりで学生を引っ張ってきた。どこまでその思いが届いていたかは分からないが、呼びかけに答えてくれる学生が大勢いてくれたので少しは届いていたのではないだろうか。教員になっても子どもと共にがんばり、共に成長していける先生でありたい。 求められる委員長の姿にどれだけ近づけたかははっきりと分からない。しかし、自分の色を出しながら1年間委員長として活動することができた。大切なのは1つのぶれない芯を持ち、それを貫き通すことであると思う。私は幹部のメンバーやフレンドシップの学生に恵まれていたため、それが実現できた。この貴重な経験をさせてもらったことに感謝の気持ちしかない。最後の1年となる来年度の活動。フレンドシップがさらに発展していけるよう、これまでの経験を後輩たちに伝えていくなど自分にできることは何でもしていきたいと思う。(松井) 2期生!第1回玉置ゼミ 開講 (吉田)
4月11日に第二期メンバーにとって初めてのゼミが開かれました。顔合わせは何回かしていたものの、しっかりと向き合って話しをするのは初めてということもあり、少し緊張していたように見られたが、講義が始まれば、みんなの顔から笑顔がこぼれていました。
そんな中、今回のゼミでは2つのこと行いました。まず、ゼミのコンセプト・前期の方針の確認をしました。 本ゼミでは玉置先生がいつも話されておられる「書くことによって学ぶ」をコンセプトに活動していくこと、そのコンセプトの具体化ということで研究室のHPに学んだ内容を記事にし、更新していくことなど確認しました。 次に、ゼミ生選考の際に玉置先生の方に提出させていただいた卒論のテーマをゼミのメンバーに説明し、それに対しての質問をして、内容を深めていきました。 第二期ゼミ長の石川さんが司会を行い、1人ずつ発表をしました。それぞれの思いが込められた様々な卒論のテーマ(学級づくり、学級崩壊、学びの共同体、いじめ、デジタル技術を生かした授業づくりなど)は聞いている私たちにもテーマに懸ける熱意が伝わってくるほどでした。 この質問会を行うメリットに関して玉置先生は「質問力を高めることができる。」「質問を受けることで内容の曖昧な部分が見つかる。」と話されました。実際、質問をされると、発表者にとって痛いところを突かれて、より考えなければならない内容が見つかりました。また、人に伝えるということの難しさも感じたという意見も多く、自分の表現力にも焦点を当てていました。 そして来週からの発表のために玉置先生から参考文献やご意見など教えていただきました。また、司会進行をしていく中で授業技術を教えていただきました。それは質問を人に振る際に「他に」と言わず、うまくその場をつなぐために意図的指名を行うというものでした。意図的指名をすることで、その内容をより広げ深めることが可能になるとともに、質問を考える時間を作ることができました。そしてそのようにするためには発言者だけをいるのではなく、周りの表情や人の背景などを見ていくことでよりうまく話を進めることができることも教えていただきました。 来週からの発表は次のようにさせていただきます。 4月18日 古川、江口 5月9日 白井、牧野 5月16日 岩田、佐久間 5月23日 寺坂、石川 5月30日 百瀬、吉田 6月6日 古川、江口、白井 6月13日 牧野、岩田、佐久間 6月20日 寺坂、石川、百瀬 6月27日 吉田、古川、江口 7月4日 白井、牧野 7月11日 岩田、佐久間 7月18日 寺坂、石川 7月25日 百瀬、吉田 今後もゼミの様子を週替わりで配信させていただきます!!これから切磋琢磨していき、よりよいゼミになっていきたいです。(吉田) フレンドシップ3を終えて(小川)
3年目のフレンドシップ活動を終えて、3つのことについて述べたいと思う。
まずは企画力だ。去年に比べ、自分の意見を持って発言を多くできたと思う。6班ある中で、それぞれの班での子どもたちの実態を話し合い、今の子どもたちに一番適した企画にするために、毎回のねらいに思いを込めることができた。 さらに、ねらいが達成できるような企画にすることにこだわっていった。今年の活動で一番印象的に残っているのが第5、6回の活動である。第5、6回の活動は私たち3年生が実習でいない中、2年生が主体となって作り上げる活動である。第5回では私たち3年生が当日の活動に参加し、後輩たちが企画した活動を見てとても成長した姿を見ることができたからである。そこから第6回では1、2年生が中心となって企画し、安心して見守ることができた。 次に運営力である。去年に続き、今年もクラフトのメンバーとしてフレンドシップに参加してきたので、幹部のようにフレンドシップの運営に直接は関わることができなかった。しかし、同学年が幹部を務めている姿を見ていると、とても忙しそうで、フレンドシップという組織を動かすことはとても大変なことだと知った。特にカレー作りやバイキングといったような大学生が用意したものを使って子どもたちに食べてもらうという場面においては幹部の方々は細心の注意を払い動いていた。 そこでさらに、保健室との連携が強く、保健の先生方にお話しを聞いて、注意すべき点などの指導を受けているのを聞いて、フレンドシップ活動には多くの方々の支えで行うことができているのだと知った。毎回自分たちのやりたい企画をするために多くの人が裏の仕事をしてくれているおかげでできていることを感じ、感謝の気持ちを持って活動に望むべきであると考える。 最後に指導力である。この指導力が今の自分に最も欠けているものだと考えさせられた一年であった。まずは子どもたちに対する指導力である。今年は班長を支えられるような班の一員であることを目標にし、取り組んだ。しかし、子どもへの声かけをするタイミングや、子どもがはしゃいで危ない場面になったときにどの程度しかるのかなど、4年生さんから多くのことを学ばせていただいた。 特に、子どもが言うことを聞かずに1人で遊びだして企画の説明を聞かず、実験のお約束を確認するときに、遊んでいたり、だらけていたら一回仕切り直して、どれほど危険かを話したり、表情から怒っていることを伝えたり、周りの子の動きを意識させて今は遊ぶ時間なのかと尋ねたりと、様々に指導の仕方を学んだ。もし自分が班長であったら子どもたちに危険な場面を作らせてしまっていたと思うし、先輩やメンバーにたくさん支えられていたと考える。この先子どもに指導するという職業につきたいと考えているので今の自分のままでは当然指導することはできないと考える。 勉強面以外の指導についてはこの先もフレンドシップ活動を通してたくさん経験を重ね、社会に出たときに、子どもたちが安心して話しを聞いてくれるような指導ができるようにしていきたい。そのために、子どもたちがどんな声かけをすれば興味を持ち、意欲的に活動に取り組み、どんな行動を示せば、伝えたいことが正確に伝わってくれるのかなど、指導の方法や子どもの観察をこれからは意識して行うこととする。 これらを通して今年はたくさん見て、感じて、学ぶことができた。しかし、今年は学ぶだけでなく、自分の考えをもって行動できたと思うので、少しずつでも成長はできているのではないかと実感している。来年は4年生となり、一年を通して後輩の姿を見守っていきたいと考える。最高学年として、様々な場面で支えていけるように努めたい。(小川) フレンドシップ3を終えて(堀江)
3年目のフレンドシップ活動が終わった。3年生は、中心となってフレンドシップを引っ張っていかなければならない学年である。自分たち3年生が主体となって活動してきたこの1年間を振り返って、学び得たことを「企画力」「運営力」「指導力」の3つの観点から述べていきたい。
まず、「企画力」について。企画力が一番培われる場は、やはり、毎日行われる昼会議である。昨年度は、ただ会議に参加するだけではなく、積極的に発言することを目標に会議に参加していた。今年度は、ただ自分の意見を言うだけではなく、一歩引いたところで、客観的に物事を考えてから発言することに気を付けながら会議に参加した。 客観的に物事を考えることで、見えてくるものがあり、いったん冷静になって考えることができた。それぞれみんな熱い思いをもって発言しているので、会議ではどうしても冷静になって考えることができなくなることがある。そんな時、客観的に見ることのできる人が1人でもいれば、横道にそれることなく会議が進むということが分かった。 また、企画力に関して、教育実習に行って気付かされたことがある。それは、「ぶれない」ということ。教育実習で指導教諭に「この発問は、本時の目標を達成するために必要かな」と言われたことがある。私の初めのほうの授業は、目標から少しずれたところにまとめてしまっていたり、展開の途中でぶれていたりした。何を学んでほしいのか、どんな知識を身につけてほしいのかを決めて、それに対してぶれが出てきてしまうと、子どもたちは混乱してしまう。このことは、フレンドシップにも言えることではないだろうか。たまに、ねらいからずれてしまう企画内容ができてしまったりして、ぶれることがあった。そんな時、「ねらいは何であったか」と原点に戻ることで、ぶれずに企画を考えていくことができるということを学んだ。 次に「運営力」について。今年は、3年生が中心となる年ということで、横のつながりを特に大切にしようと心に決めていた。困ったときや悩んでいるときには、相談に乗ったり、つまずいたときには、新たな考えを提案したりした。横のつながりを大切にすることで、一人ひとりの仕事や重荷が分散され、よりよい運営ができるということが分かった。 最後に「指導力」について。この力については、フレンドシップ3年目であるが、まだまだたくさんの課題が残っていると思う。その中でも一番の課題であると思っているのが、「叱る」ということである。フレンドシップの活動は、国語や算数などの授業ではない。また、子どもからしたら、私達はお兄さん・お姉さんという立場。子どもたちはフレンドシップの活動を毎月楽しみに来ているのに、叱られたりしたら、もうフレンドシップが嫌いになってしまうのではないかと思ってしまい、なかなか叱ることができなかった。そんな中、私が3年間フレンドシップの活動をしてきて、思ったことがある。それは、叱るのは必要最低限のこと(例えば危険が伴う行動、他の子どもが不愉快になるような言動)以外は、子ども自身に気付かせることが大切であるということである。子どものためにと思って様々な場面で叱ることは、実は子どものためになっていないのではないかと思う。あと1年で、この「叱る」ということを学んでいけたらいいと思う。 以上3点がこの1年間フレンドシップ活動をして学んだことである。来年度はいよいよ最高学年である4年生。教員採用試験もあり、心に余裕がなくなると思うが、たくさんのことを学んでいきたい。(堀江) ※ 「フレンドシップ活動まとめ冊子」より 点と線(2)(中田昂)
二つの生きる力。点で見た生きる力。線で見た生きる力。
どちらかだけでよいのか?どちらも必要なのか? 「点がないと線にはならない」 これは正しいと思う。 「線がないと点にはならない」 これは違う。 では、線は点であるための必要条件であるということか。 確かに、点の連続で線ができるし、線がないからと言って点もないと決めつけてしまうのはおかしい。 しかし、点と線はそれぞれがそれぞれに密接に関連し合っていると思うのだ。つまり、必要十分。 kiroroの『未来へ』にこんな歌詞がある。 ほら 足元を見てごらん これが あなたの歩む道 ほら 前をみてごらん あれが あなたの未来 この歌詞からこんなことを思った。 歩いてきたから 道ができる 道があるから 歩いていける 歩くのは点、道は線。なるほど。では、 点があるから 線がある 線があるから 点が確かにある ということか。つまり、 ひと時を生きる力があるから、長い人生を生きる力になるし 長い人生を生きる力があるなら、ひと時を生きる力だってある ということだ。 だから何か? 点も線もどちらかだけで成り立つわけでもなく、どちらもが密接に関連しあっているのだ。こんなことも言えそうだ。「今」を生きる力がない子に「後」はない。 子供たちの活力となる教師、授業、学級、学校、教育、社会...でなければいけないと思った。(中田昂) 点と線(1)(中田昂)
生きる力は、二つある。
一つ目は、国が提示している確かな学力、豊かな人間性、健康・体力をまとめて、生きる力としたもの。この生きる力は、子供たちが今後社会で生きていくうえで必要になってくる力のこと。つまり、これからを生きぬくために必要な力だ。 二つ目は、長い目で見た生きる力ではなく、短い目。つまり、子供たちが生きていく一瞬一瞬の中で必要となる生きる力のこと。国の提示した生きる力が線であるなら、二つ目の生きる力は点だ。子供たちのその時その時の生きる力になっているのは、確かな学力や豊かな人間性、健康・体力ではない。教師やクラス、学校、友達など、その一人の子を囲んでいるすべての人やもの、ことなのだ。(中田昂) 第2回デジ研を終えて(松井)
玉置先生の提案でデジタル教科書の活用法についての研究が始まった。(通称:デジ研) 私は卒論と同時進行のため採用試験が終わってからが少し不安ではあるが(笑)、必ず将来自分のためになると考え参加させていただいた。
第1回のデジ研では玉置先生が考えられた活用法を学び、今回は私たちが考えた活用法を持ち寄って話し合った。私の担当学年は中学2年生。今回は「式と計算」についての提案を行った。根本にあるのは「教師がデジタル教科書を見せながら説明して終わるのではなく、いかにデジタル教科書をうまく活用するか」という考え。(他にも見いだしていく必要がある) そこで、生徒の言語活動が充実するような提案をした。 途中「偶数と奇数を文字を使ってどのように表すか」を学習するシミュレーションの活用法について提案。この活用法については私の中でまだ迷いがある提案であった。しかし、玉置先生や仲間の意見を聞き、そのシミュレーション自体が何を表しているか生徒に考えさせればよいという考えに至ることができた。まずは自分であれこれと考え、それから他の人から意見を聞くとさらに考えが深まっていく。数学について話し合える時間はとても楽しく時間が過ぎるのがあっという間だった。 今後もコツコツと活用法を検討し、魅力的な提案をたくさんしていきたい。(松井) 通称「デジ研」(小川)
玉置先生のお言葉から始まったデジタル教科書活用例の研究会。通称「デジ研」今回で2回目の研究会でした。
今回は中学1年生の文字式の単元の中から5つデジタル教科書を活用した発問に結びつく考えを持ち寄りました。考えるにあたって、私は生徒がつまずきやすいポイントから選びました。その中で、教科書に書いてあることを形式的に理解しようとする生徒のことや、塾で習ったからできるという生徒をゆさぶることのできる発問を考えながら作っていきました。教科書に書いてある言葉、挿絵や数字には必ず意図があります。それらを見落とさず研究することで教科書研究にもつながると感じました。 今後のデジ研の中でたくさんの活用例を見つけ出し、実践に役立つものを作りたいと強く思います。(小川) 2回目のデジ研(玉置)
ひょんなことから、指導者用デジタル教科書の活用研究をゼミ生3名が行うことになりました。
活用のための基本的な考え方は、私(玉置)が提案し、それに基づいて、ゼミ生が担当学年を決めて、デジタル教科書活用についてのアイデアを考えてきます。時折、それを持ち寄り、研究することになりました。 2回目にして、提案性がある事柄に気づきましたが、つまりは教科書そのものの活用研究になりそうです。 今後は、このHPでも随時「デジ研」の内容を発信していきたいと思います。(玉置) |
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