笑うこと(百瀬)
先日テレビで、東大生にモットーを聞くというものを放送していました。「なるようになる」や「明日は明日の風が吹く」など、それぞれにモットーをもつ中、私が特に耳に留めた言葉があったので紹介します。
「幸せだから笑うんじゃなくて、笑うから幸せなんだ」 私は普段から人と接する時に、明るくいること、笑顔でいることを心がけています。それは、表情で相手の気持ちが変わると思うからです。今では人と話す時は自然と笑顔でいることが多いと思います。教育実習のときには、小中学校どちらの実習担当の先生からも笑顔を褒めていただき、すごく嬉しかったし、教師に大切な素質だなと思いました。卒論研究をしていても、話す時には表情が大切だとどの本にも共通して書かれているほどです。 「笑うから幸せ」とは、ただ楽しいから笑うということだけではないと思います。笑うと、周りも笑顔になり良い空気になること、にこにことしていると人が寄ってくること、気持ちが前向きになることなどが意味として考えられるのかなと思いました。(百瀬) 後輩からの刺激(松田)
先日、高校の後輩から、卒業したことと、進路についての連絡がありました。
その後輩は、私が所属していた吹奏楽部の後輩です。同じトロンボーンパートで、よく一緒に練習をしていました。私が3年のときに入部した子で、かわいいかわいい後輩でした。そんな後輩は、8月まで部長として部を引っ張り、その後引退をしました。引退したときも連絡をしてくれて、「これからは勉強に気持ちを切り替える。」と言っていました。 その言葉通り、きっと頑張ったのだと思います。 後輩の進学先は、私が第一志望にしていた大学でした。それに、学部も専攻も私の志望していたところと同じでした。教育学部を志望していたことも知らなかったので、驚きました。それと同時に、学ぶ場所は違うけれども、同じ夢を追いかける者として、私も頑張らなくてはと思いました。 今までは大会に向けて一緒に頑張ってきた仲間ですが、今度は同じ夢に向けて頑張る仲間になります。 突然届いた連絡でしたが、私にとってとても良い刺激となりました。この繋がりを大事にし、気持ちを忘れずに頑張りたいと思います。(松田) 一足先に(岡田)
こんにちは。3期生の岡田です。
ここ最近、卒業式シーズンでした。大好きな先輩方の卒業に、寂しくもあり、嬉しくもあり、様々な感情を抱きました。 そんな中で、SNSを通して友人たちの卒業に気付きました。 短大や専門学校に通っている子たちは、もう卒業なのです。中学生や高校生の頃、一緒にくだらないことをしながら笑い合っていた友人たちは、一足先に「社会人」というまた違う大人の世界に入っていきます。 頑張ってほしいという思いや、尊敬する思いもありますが、少し置いていかれたような寂しい思いも感じてしまいます。 聖徳の短大に通っていた友人に、卒業式で会いました。 「おめでとう」と伝えたところ、「ありがとう」でも「頑張るね」でもなく、「あと2年頑張れ。」という一言だけでした。 そう言われたからには頑張るしかありません。あと2年、頑張ります。(岡田) 卒業式と謝恩会運営スタッフ(早川)
3月15日に卒業式がありました。
僕は卒業はしませんが、学友会の仕事として卒業式の運営スタッフと謝恩パーティーでの運営スタッフを務めました。 卒業式と言うと、今までの卒業式の全てで自分自身が号泣していることもあって悲しいイメージしか僕の中にはないのですが、そのイメージに反して、どんな4年生の先輩方も笑顔で式場に入っていき、いつもの仲間同士で楽しくお話されているようでした。 大学の卒業式なんてまだまだ先だろうと思っていましたが、ゼミの先輩達が旅立っていく姿を見ると、そんなゆっくりしている時間もないのだろうなと実感させられました。 しなければいけない"学び"も先延ばしが通用しなくなってきたなと感じます。 懇親会や少しのセミナーだけでしか、玉置ゼミの1期生の先輩方との関わりは持つことができませんでしたが、それでも大切な先輩方です。 謝恩パーティーにて、先輩方と一緒に写真を撮ることができ、本当に嬉しかったです。(カメラマンさんに撮ってもらったので、その写真がどこにあるのかは分かりませんが...) 写真はその写真ではなく、玉置先生と4年生の末松さんと一緒に撮ってもらった写真です。(笑) 一緒に撮ることが出来て嬉しかったです...!(早川) 謝恩会(江口)
私は、学友会執行委員会として謝恩会に参加させていただきました。今年の謝恩会幹事の先輩は、ほとんどが学友会員です。去年の今頃から準備を始めており、教採の勉強と同時進行でやっていらっしゃいました。ゼミの先輩でもある中田さんもその1人です。学友会のときから思っていましたが、先輩は本当に仕事が早く何でもこなし、目上の方に対する振る舞い方も大人で尊敬するところがたくさんありました。そんな先輩たちがもう卒業したと思うと寂しい気持ちです。謝恩会当日も自分のことは考えず来てくれた人が楽しめるよう仕事をしていました。後輩の私たちにも気を遣っていただき、本当に人のことを考えられる方ばかりです。そんな先輩達に会うことが出来てよかったです。少しでも先輩達のようになれるよう、周りをよく見て行動出来る人になりたいと思いました。残り1年という短い大学生活ですが、悔いの残らないよう楽しみたくさんのことを学んでいきたいです。
4年生の皆さんご卒業おめでとうございます。 (江口) 旅立ち(中田昂)卒業式の時には出なかった涙も、1人になってから出てきました。 当たり前のように会えてた仲間。 当たり前のように通ってた大学。 仲間と食べに行ったお店。 仲間と遊んだ場所。 春になれば高桑の桜が 夏は境川の花火もあったっけ 秋になったら稲刈り 冬の伊吹おろしはきつかった はじめは何もない場所だったのに、今では一つ一つの思い出で溢れる場所になりました。 当たり前だったものが、当たり前でなくなる寂しさ。 今までどれだけ楽しい仲間に囲まれていたのかが、今になってわかります。 大学内外で多くの人にお世話になりました。本当にありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いします。(中田昂) USJに行ってきました(丹羽)
こんにちは。丹羽亜由美です。
私は先日大好きなユニバーサルスタジオジャパンに行って来ました。 乗り物にたくさん乗ったり、美味しいご飯を食べたりするのはもちろんなのですが、 私は15周年のリボーンパレードが一番の楽しみです。 このパレードはお客さんが参加できるパレードでキャストの人たちと一緒になって みんなで盛り上がれるパレードです。 私はこのパレードを最初に見たときからパレードのファンになってしまい、 年間パスポートを買ってしまったほどです。(笑) このパレードに参加するとすごく元気になれるし、周りの人たちとも自然と仲良くなれるのです。 パレードに出てるお姉さんやお兄さんからすごく元気をもらえます。 私も誰かに元気を与えられる存在になれたらいいな、と思わさせられます。 そして、夜には松岡修造さんが来ていて話されているのを聞きました。 テレビで見るよりも迫力があって何事も積極的に後悔しないように全力で取り組むことが大事で そういう人を僕は全力で応援している、とお話されていました。 もうすぐ私は3年生になり、実習など大変なことがたくさんあると思うけど、 後悔しないように全力で頑張りたいと思いました。 最後に、大好きなこのパレードは3月いっぱいで終わってしまうみたいなので 急遽、このパレードに参加するために来週も行って来ます(笑) くだらない話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。(丹羽) 教訓を生かして(岩田)
先日先輩方の卒業式も終わり、いよいよ4年生のスタートと教員採用試験に向けてのカウントダウンが始まってきました。面接練習も本格的に始まり、不安でいっぱいですがそんな中3月11日に第2回の教員採用模試を受けてきました。結果には触れませんが、少し感じたことがありましたので記事にしたいと思います。
『災害発生時に、教師の指示を待たずに児童生徒等が自ら判断することは、危険性が高いので、避けるようにしなければならない。』学校防災マニュアルからの出題でした。答案は「児童生徒が自ら判断し行動できるように繰り返し訓練することが大切。」ということで、必ずしも教師の指示を待たなくてもよいということでした。 これを見て、ふと東日本大震災のことを思い出しました。模試の日は震災からちょうど6年が過ぎた日でした。6年前の今日、わたしは高校入試の入試日休みで家で宿題をしていたのを覚えています。津波が街を飲み込んでいく映像は今でも鮮明によみがえってきます。 宮城県石巻市立大川小学校は全校児童の約7割にあたる74名が死亡・行方不明になりました。これには学校側が具体的な避難場所を決めていなかったこと、避難先の選択ミス、危機意識の低さなど、教職員の対応が問題に挙がっています。あの日、教師の指示を待っていた多くの子どもたちが犠牲なりました。避難が始まったのは地震発生から40分が経過した時でした。 しかし自分自身はどうかと考えたとき、災害時どこに避難するのか、何が必要なのか全く考えたことがありません。まさに危機意識の低さであると思います。「自分の身は自分で守る」だけでなく児童生徒の命も預かる教員という立場より、防災について考えなくてはと思いました。自らの命を守り社会を生き抜く力を子どもたちにつけることが、教員の本当の使命なのかなと考えさせられました。2期生寺坂君の記事を読んで、そういえば、、、と思って書かせてもらいました。(笑) 犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。(岩田) 卒業しました(大澤)
春。別れの季節。
3月15日は卒業式でした。 振り返ってみると、大学生活4年間はとても充実したものでした。後悔はありません。こう思えるのは、在学中にたくさんの素敵な人たちに出会い、たくさんの貴重な経験をさせてもらったおかげだと思います。 その中でも、玉置ゼミは特別です。最初は、どんな先生でどんなゼミ生が集まるのか不安と緊張しかありませんでした。しかし、ゼミの回数を重ねていくうちにゼミが大好きになりました。 玉置先生には、教師として大切なことも、人として大切なこともたくさん教えてもらいました。 一期生とは、教員採用試験全員合格に向けて、また、卒業研究をより良いものにするために、高め合ってきました。合宿や飲み会、旅行などでの思い出もたくさんできました。 4年生になると、かわいい後輩ができました。彼ら(彼女ら)のためなら何でも力になってあげたいと思えます。 セミナーでは、尊敬する先生方やわたしたちのことを応援してくれる人たちに出会い、こんなに恵まれたゼミはないと思いました。 本当に感謝しかありません。 ありがとうございます。 これからもぜひよろしくお願いします。(大澤) ※二期生よりプレゼントをいただきました。ありがとう。宝物にします!(下の写真) 4年間を振り返って(浦)
3月15日、ついに卒業しました…!
授業にサークルにアルバイト。そして、初めての一人暮らし。 本当にあっという間の4年間でした。 しかし、やりたい事をやり切ったこの大学生活に後悔はありません! 何よりも、2年生のゼミ決めで玉置ゼミを選んだ自分を褒めてあげたいです。(笑) 私は学級経営について学びたいという思いと、「いじめ」についての研究をしたいという思いがありました。 しかし、専門の数学をもっと学びたいという思いもあり、ゼミ決めの際も数学ゼミと本当に悩みました。 しかし、教職ゼミの説明会で玉置先生のゼミは学級経営が研究テーマであること、そして玉置先生は数学の先生であることをお聞きし、学びたいことが全部学べるのではと思い、玉置ゼミに入りたい!と思いました。(欲張りですね…笑) 結果、学びたいことがしっかりと学べ、またそれ以外にも先生から、ゼミの仲間から、そして様々なセミナーなどから、多くのことを学ぶことができました。 研究についても、初めはただ漠然としたものではありましたが、先生のアドバイスの基、「居心地の良い学級」というテーマに絞ることができました。 この研究について、質疑応答にもありましたが、まだまだ不十分な点もあります。 「居心地の良い学級づくり」をこれからも私の学級づくりのテーマにし、改善を加えながら、より研究を進めていきたいと思います。 玉置先生をはじめ、1期生・2期生・3期生のゼミの仲間、数学専修の仲間、サークルの仲間、その他にもこの大学で、岐阜で、セミナー等で出逢えた皆さんに感謝、感謝です。 これから、すぐに会えるという距離ではなくなりますが、集まりがあれば駆けつけたいと思います! なので、ぜひ福井にも遊びに来てください。お待ちしております。(笑) この大学で4年間を過ごすことができ、本当によかったです。ありがとうございました! そして、これからもよろしくお願いします! (浦) 最後のお祭り(白井)
3月11、12日に所属している大学のよさこいサークルで浜松がんこ祭りというものに出場しました。目指していた結果を達成させることはできませんでしたが、学生の部 3位という結果をいただきました。
このことから感じたことは、仲間と目標に向かって一生懸命になる素晴らしさです。私は、3年生で夏に引退をして、久しぶりであったため、一生懸命になる恥ずかしさもありました。しかし、顔がくしゃくしゃになるほどの笑顔と大声を出す仲間の姿に私も負けてられないという気持ちになりました。本番では、仲間とともに恥じらいなど捨て、一生懸命になって踊りました。 大人になった今だからこそ、一生懸命になるということを改めて感じる良い機会となりました。この一生懸命に気づけたのも仲間の存在があったからです。これで、引退となりますが、サークルの永久コンセプトである『出逢えたキセキに感謝』を私も忘れずに、ここで出逢えた仲間を大切にしていきたいと思います。そして、このような経験を子どもたちに伝えていける教師を目指していきたいと思います。 アルバイト(江口)
私は、1年生の時から塾でアルバイトをしています。
はじめは本当に教えられているのか、子どもたちは理解しているのか不安でした。テストが返ってくるたびに「これ授業でやったのに。。。やっぱり伝わってなかったのか」と、心配と申し訳なさで一杯でした。そのため教えたあと、必ず似た問題を自分で考え本当に分かったのか確認するようにしました。そうすることで、お互いに不安な気持ちを払拭することが出来ます。そのため「先生!点数上がったよ!」と言ってもらえる回数が増えた気がします。 1年生から担当していた子どもたちは、先日受験を迎えました。3年生の子どもたちは、本当に明るくいつも気さくに話しかけてくれます。担当ではない時も話し、学校のことなどを話してくれます。特に私は、151cmしか身長がないため、1年生のときに私が勝っていた子も今では、大幅に抜かされています。そのためいつも「先生背また縮んだ?」などとからかってきます。そのやりとりもまた楽しい1つのエピソードでもあるのですが(笑) その3年生たちに会ったことで更に教師っていいなと思うようになりました。合格に向けて、分からないところを分かるように努力し、友達が頑張ってるから負けないくらい勉強するという強い思いをもって必死に勉強する姿を見ることが出来ました。夢に向かって頑張る姿は、とてもカッコよく、私自身も頑張ろうという気持ちにさせてくれました。結果は、どうなったかまだ分かりませんが、どうか全員志望校に受かってますように。 あと1年塾でのアルバイトを頑張ります。 (江口) 旅立つ背中に抱く覚悟(吉田)
3月15日、大切な日がやってきた。
世間では「WBCで日本が決勝ラウンドへ」か「森友学園」かが新聞の一面だろう。 しかし、このゼミにとっての一面は「一期生の卒業」これに尽きる。 思えば、私の目標は先輩たちからスタートするものだった。 先輩たちのような意見が活発に出ていくゼミに憧れ、二期生のゼミに来ていただき、みんなでゼミの雰囲気を変えていった。 セミナーや勉強会の先輩たちの動きを見て、もっと高みを目指した。 先輩たちみたいな授業目線や姿に近づきたくて、必死に授業を見るようになった。 先輩たちと同じ舞台に立ちたくて、今努力をしている。 「先輩たちは凄い」と2期生は揃えて口にする。 そんな先輩たちが今日、卒業された。 いつも前にいた先輩はもういないと思うと寂しいが、私に大切なことを思い出させた。それは寺坂の記事に書いてあることだ。 「一期生を超えるくらいの努力はしないと追いつけない」という内容である。 もう迷っていられない。 自分自身が目標を高く持ち、貪欲に前へ進んでいこうと心に決めたのだ。 先輩の背中が小さくなると共に増す想いは、素敵な先輩方がいたから抱ける覚悟だった。 ご卒業おめでとうございます。 本当にありがとうございました。(吉田) 靖国神社参拝(寺坂)
先日、1期生の中田昂樹さんと東京へ行ってきました。本当の目的は、ディズニーシーに行くことだったのですが、予定があったので前日から東京入りをしました。
半日程度の時間でしたが、多くの観光地に行くことができました。中でも、靖国神社はとても感じるものがありました。あまり簡単にこの言葉を使いたくはないのですが、英霊たちが眠っていて一度行かないと分からないものがあります。 敷地内にある遊就館にも行きました。そこでは、戦争についての細かな記録と命を落とされた方の遺品が整理されていました。当時着用されていた、衣服や身につけていた小物、愛する家族に当てた手紙など未来へ残していかなければならないものばかりでした。どの方も、愛する家族・日本のために命を惜しまなかったことが伝わってきました。 しかし、一つ難しさを感じることもありました。それは、戦争教育についてです。日本は、戦争について当事者であるため、どうしても偏った見方をしてしまいます。特に、遊就館でのビデオを見て感じました。戦争に対しての日本や外国の善し悪しではなく、戦争が起きて、多くの方がなくなったという事実を考えさせることが大切なのかなと思いました。 現在の教育を批判するわけではないですが、もし戦争が起きたとき国のために命を惜しむことなく働くことができるかとなると、そうではないのかなと感じます。教育の影響の大きさを感じました。 写真は、靖国神社をバックにした後光の差し込む中田さん(寺坂) ゼミの仲間紹介〈番外編〉(牧野紘)
ゼミの仲間紹介、番外編としてもう1人紹介したいと思います。
そのもう1人とは、玉置先生です。 実は明日卒業式なのです。学生としていられるのも明日まで。先生にゼミ生として可愛がっていただけるのも明日まで。だから思い切って先生を紹介しちゃおう!と思ったわけです。(笑) 以前、色んな場で私は話したことがありますが、玉置先生は私の第2のお父さんのようです。大学3年で出会い、たった2年でそれは大げさではないか?と思われる方もいるかもしれませんが、私は本当に思うのです。 もちろん、教採のこと、卒業研究のこと、セミナーに参加しての学び、たくさんのことを玉置先生から教えていただきました。それだけではやはり、「尊敬するゼミの先生」ではないか、「お父さん」はどこから来るのか。 私は考えてみました。 それは、玉置先生が私たちを我が子のように可愛がってくださったからだ、と思いました。 卒業研究を見てくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の自由研究を見てくれるお父さんのようでした。教採指導をしてくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の進路を心配するお父さんのようでした。たくさんのセミナーに連れていってくださる玉置先生は、まるで我が子に色んなことを経験させたいと願うお父さんのようでした。 だから私も玉置先生をお父さんのように慕っていたのだ、と気づきました。 研究室はまるでお父さんの部屋でした。研究室に相談に行くと、仕事の手をとめ、私の相談や他愛もない話を真剣に、楽しんで聞いてくれるお父さん(玉置先生)がいました。セミナーの帰りには、お疲れ様とごはんに連れていってくれ、一緒に美味しそうにカツカレーを食べるお父さん(玉置先生)がいました。教採の後、メールの文面だけで私の元気のなさを感じ取り、電話しなさいと言ってくれたお父さん(玉置先生)がいました。 今思い出して記事を書いていると、うるっときちゃいますね。(笑) もうすぐゼミを卒業する一期生(長女)として、後輩のみんなに伝言です。 ・玉置先生はとってもお忙しいです。会いたいときにはアポをとること。 ・玉置先生はたくさんメールをくださります。なるべく早く反応をすること。誠意はスピードです。 ・玉置先生は甘いものが好きです。先生が疲れていそうだなって思ったら、甘いものを差し入れること。 えらそうに伝言するのはここまでにします。(笑)後輩のみんななら、きっと大丈夫ですね。 以上で、本当に最後のゼミの仲間紹介を終わります。 玉置ゼミに入って良かった!というありきたりな言葉は言わないでおきます。 これからもこの繋がりは続いていくのですから。(牧野紘) 美味しい!の代償に…(堀江)
先日、鳥羽の方へ行き、牡蠣の食べ放題に行って来ました。
牡蠣の食べ放題は初めてだったので、友達とワイワイ楽しみながら、たくさん牡蠣を食べていました。 幸せな気分で家へ帰り、次の日も何もなく過ごしていました。 すると、牡蠣を食べて2日後の朝方、ひどい吐き気と腹痛で目を覚ましました。 なんと、牡蠣にあたってしまったのです。 焼き牡蠣だったし、大丈夫だろうと思っていたのですが、焼きがあまかったのか、あたってしまいました…。 私は大学1年生の頃、胃腸風邪にかかったことがあるので、ほぼ同じ症状だったのですが、あの辛さは何度経験しても、慣れないもので、本当にしんどかったです。 体調が悪くなると、普段健康でいることのありがたさや、家族のありがたみを感じます。 たくさんの人に迷惑や心配をかけてしまったし、とても辛かったですが、ありがたみを感じることができて、良かったです。 皆さんも牡蠣を食べることがあったら、あたらないように、十分注意して食べてください。 (堀江) 教採模試の問題で(寺坂)
3月11日に第2回教採模試がありました。結果は、あれですがまたここから頑張ります。前回(12月)からの成長はありましたが(笑)
小学校全科の国語の問題の中に、国際労働機関(ILO)のフィラデルフィア宣言についてがありました。その一部を抜粋します。 「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」 という、文がありました。これを見たときに、2015年に開かれたCOP21を思い出しました。CO2の削減についてです。世界全体で、CO2を削減しようというものですが、今思うとあまりにも都合がよいなと。イギリスで起きた産業革命から始まり先進国が、次から次に燃やして地球の環境を悪くしてきたという大きな事実があります。そこへ、時間がかかりましたが国内の情勢も落ち着き、国力をつけていこうとしていた中国やインドなどは納得がいかないと思います。極端な例を出すと、先進国の尻拭いをしているように思えます。ODAなどで、援助もしていますが国家間での本当の平等って何なんだろう、なんて模試の最中に考えてしまいました。 現在、北朝鮮とマレーシアをはじめ、少し昔より国通しの関係というのは良くないのかなと思います。全部が全部ではないですが、すこしは経済格差というものがかかわってきて起こっている問題なのかと思います。 これも、だいぶ偏った意見なので、記事を読んでいただいた方、私に新しい角度での見方を教えてください。(寺坂) 目標を立てること(浦)
3月になり、来年度の勤務地が決まった仲間も多くなり、いよいよかとドキドキの日々を過ごしています。
そんな中、私の元には勤務地のお知らせではなく、1月末の研修で受けた英語の確認テストの結果が届きました。 このテストに向けて、教育委員会から目標点数を定めるよう指示がありました。 高校卒業程度の問題。目安は70点。英語に対して中学生の時から苦手意識を持っている私は、その目安の70点を目標点数に設定しました。 正直、7割も取れるかな…という気持ちでした。受けたくないと言い続けました。それほど英語が苦手なのです。(笑) しかし、逃げてはいけないと言い聞かせ、問題集の解き直しを行ったり、英語のラジオ講座を聴いたりしました。 結果、70点を超えることができました! とても嬉しかったです。逃げずに、出来ることをやってから挑んでよかったなと思いました。 目標点数という具体的な目標があったことが、頑張れた要因だったと思います。ただがむしゃらに勉強するのではなく、目標を立てることで、「達成したい!」という強い思いが生まれました。 これからも、苦手なことに立ち向かわなければならない場面が多くあると思います。そんな時こそ、こうしたい、こうなりたいという目標を立て、その達成に向けて努力していきたいです。(浦) 特別な帰省が気づかせてくれたこと(吉田)
私の実家 山口に久しぶり帰ることができます。
最近は学校で行われている勉強会、ゼミの活動、アルバイトと立て続けの予定の中でやっと確保することができた時間でした。体を休める、久しぶりに会えるという喜びもありますが今回はもう1つ大切なことがあるのです。 それは「これからの自分」を伝えることです。 私はもう少しで四年生、社会に出て行くのはあと一年になります。 今の私がいるのは、親や周りの人に大切にしてもらえたからだと思うので、そんな人にこれからどうやって生きて行くのか、どこで生きて行くのかということを伝えたいのです。 しかし、不安です。 親に話すことではなく、自分の決断にそう感じてしまいます。 その決断に恥じない私に今後なれるのか、言い切って大丈夫なのかと…。 決断が近づいてくるにつれ、私という人間をどうコーディネートしていくのか考えきれていない自分に気づきました。 それと共に今やれること、1日を大切にするしかないと今まで以上に思うきっかけになりました。 山口ではいい日々を過ごしたいです。笑 3月11日(渡部)
3月11日午後2時46分、テレビは被災地を映していました。
私は黙祷する人々の映像を見つめていました。 ふと後ろを見ると、父が立ったまま下を向き目を閉じて黙祷をしていました。 はっとしました。 私は黙祷する人々の映像を見つめているだけで、自分は黙祷をしていないのです。 「あの日のことを忘れてはいけない」と言うことは簡単かもしれません。しかし、一年に一度だけの3月11日午後2時46分の黙祷を私はしていなかったのです。 どこかで自分は関係ないと思ってしまっていたのではないかと自分が恥ずかしくなりました。 いつもはテレビを見ながら冗談を言う父です。そんな父が目を閉じて黙祷していた姿は忘れられません。 毎年3月11日の午後2時46分ちょうどに黙祷することは難しいかもしれません。 しかし、3月11日に目を閉じて被災地の方々ことを思い、祈ることを忘れてはいけないと思いました。(渡部) ※写真は朝日新聞サイトから引用しました。(町内の全犠牲者名を書いて流したとうろう=大槌町赤浜) |
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