最新更新日:2024/07/04
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鑑真のすばらしさ 〜どんな困難も乗り越えて

太田中学校の皆さんへ(第11回)

★5月7日に、国の厚生労働省から公表された「新しい生活様式」ですが、その内容を自分の目で確認した人もいると思います。まだ見たことがないという人は、「厚生労働省」のホームページの一番最初の「新型コロナウイルス感染症について、こちらをご覧ください。」というところをクリックし、「お知らせ」の中を探すと出ていますので、ぜひ見てください。

★この中で、改めて皆さんに確認してほしいことは、「(1)一人ひとりの基本的感染対策」という中の「感染防止の三つの基本」です。
1 身体的距離の確保‥人との間隔はできるだけ2m(最低1m)空ける。
2 マスクの着用‥外出時、屋内にいるときや会話をするときは、症状がなくてもマスクを着用。
3 手洗い‥家に帰ったらまず手や顔を洗う。できるだけすぐに着替える。シャワーを浴びる。手洗いは30秒程度かけて水と石けんで丁寧に洗う。

◆その他に、咳エチケットの徹底。こまめに換気。「3密」の回避(未収、密接、密閉)。毎朝の体温測定、健康チェック。発熱または風邪の症状がある場合は無理せず自宅で療養、などはこれまでと同じです。また、会話をする際は、可能な限り真正面を避ける。食事の時には対面ではなく横並びで座る。料理に集中、おしゃべりは控えめにということなどが新たに言われています。学校が再開した場合には、学校でも、可能な限り「新しい生活様式」を基本にして生活していくことになりますので、みなさんも今からそのことを意識して生活をしていてください。

★奈良に「唐招提寺」(とうしょうだいじ)を建てるなどして、日本に仏教を正しく広めた中国の位の高い僧である「鑑真」(がんじん)については、小学校6年の社会科で学習したことがあると思います。昨年12月の6期生の修学旅行でも、「唐招提寺」を訪ねたクラスがありました。

★奈良時代の日本では、仏教の力で国を治めようとして東大寺の大仏が造られたということを先日のブログでも紹介しました。大仏の建設のために当時の農民は重い税(当時の税はお米や布など)や労働で苦しい生活を送っていました。しかし、僧(お坊さん)には税が課されなかったため、税を逃れようとして、仏教についてよく知らない人たちまでも僧になろうとしたため、仏教の世界が乱れたのだそうです。そこで、当時の朝廷は、日本から中国(唐)に使いを送り(遣唐使・けんとうし)、最終的に中国でも一、二を争うくらい位の高かった鑑真を(今の言葉で言えば)スカウトしました。「だれも行かないなら自分が行く」と鑑真は命がけで日本に渡る決意をします。

★しかし、そのようにすごい鑑真ですから連れてくるのは簡単ではありませんでした。唐の国が許可しなかったり、船が遭難したりして、五度も日本行きに失敗をしました。その時の苦労も重なり、鑑真は目が見えなくなってしまったそうですが、六度目の挑戦で、ようやく鑑真とその弟子たちは日本にたどり着くことができました。最初の挑戦から10年、鑑真は66歳になっていました。

★鑑真は日本に来てから、新しく僧になる人に、「僧が守るべき仏教の大切な決まり(戒律・かいりつ)」を守らせました。「唐招提寺」は、759年に戒律を学ぶためのお寺として建てられ、ここからたくさんの僧が育ちました。たいへんな困難を乗り越えて、日本に仏教を広めた「鑑真の熱意と使命感」は、本当に素晴らしいと思います。唐招提寺は、1998年に世界遺産として登録され、現在も多くの人が訪れています。

★私たち太田中の教師も、今回の困難な状況に負けずに、今できることをしっかり行っていきます。

太田中学校長  今井 東

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