最新更新日:2024/07/04
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ファーブル 〜自分の目で確かめた真実だけを発信した人

太田中学校の皆さんへ(第16回)

★もうこのまま夏になってしまうのではないかと思うくらい、今年のゴールデンウィークは暑い日がありました。地球の温暖化の影響なのでしょうか、年々夏になるのが早く感じられるようになってきています。でも、私が子どもの頃は7月になってようやく暑くなり、夏休みが待ち遠しくなるという感じでした。

★そんな小学生時代の私の夏の楽しみは、家から自転車で30分ほど行った近くの林や森(山)でカブトムシやクワガタを採ることでした。夏休みには毎朝5時起きで家を出発し、クヌギの木を見付けては足で蹴り、木の上の方にいるカブトムシを落として手に入れるのが最高の楽しみでした。珍しいミヤマクワガタやヒラタクワガタなどに出会えたときはもう最高の気分で、一日何時間見ていても飽きることがありませんでした。一番多く飼っていたときには50匹以上いたと思います。

★そんなカブトムシ好きだった少年時代の私が読んで面白いと思った本の一つに、「ファーブル昆虫記」があります。なかでも私の記憶に残っているのは、ジガバチです。ジガバチはお尻の毒針で芋虫を刺して捕らえますが、殺すのではなく麻酔のように生きたまま眠らせ、巣の中で芋虫に卵を産み付けます。そして、ふ化した幼虫はこの新鮮なままの芋虫を食べて成長するという話です。ジガバチのその狩りの仕方にとても驚き、昆虫って不思議ですごいなと思ったことを覚えています。「ファーブル昆虫記」は、彼がそんな昆虫の驚くべき生態や本能などに真正面から向き合い、時間をかけて観察したことの一つ一つを私たちに分かりやすく教えてくれている本です。

★ファーブルは、1823年に南フランスで生まれました。この時代の日本では、まだ江戸幕府が鎖国政策を続けていました。ファーブルの生まれた家は彼を十分に育てられるほど裕福ではなかったため、彼は4歳から6歳になるまで、家から遠く離れた祖父の家で育てられます。そしてその大自然の中で様々な体験をしたファーブルは、7歳で生まれ故郷に戻り学校に通います。

★その後、父の仕事の関係で10歳で大きな都市に引っ越します。成績が優秀だったファーブルでしたが、父の仕事がうまくいかず、14歳で学校をやめて働きます。そんな中でもファーブルは、昆虫を見付けたり、自分で稼いだお金で本を買って読んだりしました。その後、貧しくても勉強好きなファーブルは、学費、住まい、食事をただにしてもらって勉強できる師範学校(教師になるための学校)の給費生になるための入学試験を16歳で受け、トップの成績で合格します。そこで、「昆虫記」の中でも有名な「スカラベ」(ふんころがし)を見付けたりする経験をしながら、19歳で小学校の先生になります。化学や算数、国語、ファーブルの授業は分かりやすく、評判となりました。

★そんな教え子たちとの授業の中で出会った「カベヌリハナバチ」に興味をもったファーブルは、「節足動物誌」(せっそくどうぶつし)という昆虫の本を買ってこのハチを調べ、昆虫学に興味を持ちます。20歳で結婚し、その後2人の子どもを亡くすという悲しい経験をしましたが、さらに頑張って数学と物理学を勉強した彼は、26歳でフランスのコルシカ島という島の高等中学で理科の先生となります。そこで、この島に植物採集に来た有名な博物学者から博物学者になることを勧められたりしますが、彼は4年後に思い出の師範学校で教師となり、そこで、目にした昆虫学者デュフールの論文に興味をもち、昆虫の生態研究の道を歩み始めます。

★周りの人たちからおかしな人と思われながらも、ファーブルは来る日も来る日も様々な昆虫の観察と実験を繰り返しました。そして、ゾウムシを捕るコブツチスガリというハチが、ゾウムシの神経を刺し、生きたまま動けなくする仕組みを論文にし、学会で高い評価を得るなどしました。しかし、生活が苦しかったファーブルは、大学教授になって生活を送るために必要なお金をつくるために、セイヨウアカネという植物の根から布を赤く染めるアリザリンという染料を簡単に取り出す方法を研究し、42歳でその方法を見付けます。これで、お金を手にできると喜んだのもつかの間、石油を使ってさらに簡単にアリザリンを作る技術がドイツで開発され、彼の研究は無駄になってしまいます。

★ファーブルは、セイヨウアカネの研究をしながら、自然科学を分かりやすく説明した本なども出版していましたので、それ以降は、本の出版で生活を立て直すことを44歳で決意します。その後、市民に様々なことを分かりやすく教える講座(授業)も受け持ったりしましたが、いろいろあって、45歳で教師をやめてしまします。そして、47歳のときに一家でオランジュという場所に引っ越してからのファーブルは、たくさんの科学の本を書きながら、なんとか家族の生活を支えます。

★その後、かわいがっていた16歳の息子を亡くした彼は、ショックで自身も病気になりますが、なんとか回復し、55歳で記念すべき「ファーブル昆虫記」の第1巻を完成させます。それからすぐに、セリニャンという村に家と1ヘクタールの庭(森)をもつ土地を買って引っ越し、ここをアルマス(荒れ地)と名付けた彼は、毎日昆虫や様々な生き物を観察しながら充実した日々を送ります。ファーブルは84歳になるまでの約30年間に「昆虫記」を10巻まで出版しましたが、本はあまり売れずに苦しい生活を続けたそうです。

★しかし、このままではあまりにも残念だと考えた彼の弟子やその関係者たちが、ファーブルの偉大さを多くの人々に知ってもらおうと、彼のための記念式典を開きます。この式には、知事や有名な人も多数参加したそうです。ファーブルが87歳のときのことです。この式典をきっかけに、彼の「昆虫記」は世界的に有名になり、彼のアルマスには、各地から大勢の人が訪れるようになります。それでも静かな生活を望む彼は、自分の庭が荒らされることなどを心配して、新聞広告に「そう長く生きることのできない私を静かにしておいてください」と載せたのだそうです。そして、1915年、91歳の生涯を閉じました。ファーブルの家のあったアルマスは、フランス政府により保存されているそうです。(参考:集英社 学習漫画 世界の伝記「ファーブル」)

★ひたすら観察と実験を繰り返し、自分が小さい頃から好きだった昆虫の魅力を、現代に生きる私たちにも興味深く、そして、分かりやすく教えてくれる「ファーブル昆虫記」は、小学生にも分かりやすい昆虫の入門書となっています。

★私たち太田中の教師も、ファーブルのように、太田中の皆さんのことを学校再開後じっくり観察し、皆さんの素晴らしさや魅力を大勢の人たちにPRしていきたいと思っています。

太田中学校長  今井 東

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