最新更新日:2024/07/04
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伊能忠敬 〜夢の実現に向け、ひたすら歩き続けた努力の人

太田中学校の皆さんへ(第17回)

★休校期間中ですが、皆さんは様々な形で体力作りもしていることと思います。あと一週間で学校が再開することとなりましたが、久しぶりの登校ですので、最初は皆さんもかなり体が疲れるのではないかと思っています。また、新型コロナウイルスの感染に注意しながらの通学にもなるわけですから、精神的な疲れも重なるでしょう。どうか気を付けながら登校してください。家の中にいる時間が多くなり体力が落ちている人は、少し体も動かして再登校に備えてください。

★今年のゴールデンウィークは、私もステイホームで家にいる時間がほとんどでしたが、体力を維持(いじ)するために、何度か散歩をしました。散歩といっても少し長めの散歩で、マスクを着け、一番多い時では1時間半から2時間くらい歩きました。新緑の山を遠くに見たり、道ばたに咲くいろいろな草花を眺めたりしながらの散歩は、気持ちのよいものでした。そのくらい歩くと万歩計の歩数は1万5000歩、距離にすると10キロくらいになります。

★ところが、今から約200年前の江戸時代に、自分の足で地球一周にあたる4万キロを歩いた人物がいます。その人の名は、「伊能忠敬」(いのうただたか)です。日本で初めての本格的な「日本地図」を作った人です。約15年かけて日本中を歩き、現在、人工衛星で撮影した日本列島の写真と比べてみても、ほとんど変わらないほど正確な地図「大日本沿海輿地(よち)全図」(またの名を「伊能図」)を完成させました。

★今の千葉県に生まれ、子どもの頃から算法(今の数学)が得意だった忠敬は、18歳の時に結婚し、酒や醤油などを造って売る大きな商家(商売をする家)の伊能家に婿(むこ)入りします。その後、伊能家の商売をさらに大きくし、40歳の時には村全体をまとめる役職にもつきます。こうして、村中の人からたいへんな信頼を得るようになっていった忠敬でしたが、その当時、最先端の学問であった「天文学」に興味をもっていましたので、たくさんの本を読んだり、望遠鏡や方位磁石を使って天体観測をしたりすることに熱中しました。

★47歳で自分の長男に伊能家の経営を任せた忠敬は、隠居(いんきょ・引退)して、天文学を勉強して極(きわ)めるために、江戸に出て浅草天司台(てんしだい=現在の国立天文台につながる当時の役所)の責任者の一人である、高橋至時(よしとき)の弟子となります。至時が32歳で、忠敬は51歳の時のことでした。その後の忠敬は、本当に熱心に天文学の理論、天体観測の技術などを身に付けながら、昼も夜もひたすら星を観測しました。

★そして、弟子入りしてから数年後、「地球の大きさを知りたい」と考えた忠敬は、地球の大きさを知るための基本となる、「緯度1度の長さ」を調べるために、自分の足で何度も自宅と浅草天司台の間を往復し、自分の歩幅で距離を測り(忠敬はどんな場所でも一歩70センチの歩幅で正確に歩くことができたそうです)、計算をもとに緯度1度の長さを調べることに成功します。しかし、より正確に緯度1度の距離を測るためには、もっとずっと長い距離を測らなければならないと言われた忠敬は、この言葉がきっかけとなり、幕府の許しを得て当時の蝦夷地(えぞち=北海道)の測量に出かけることになります。これが忠敬の日本地図づくりの、まさに「はじめの一歩」になりました。この時の忠敬の年齢は、なんと56歳でした。

★いくつかの測量方法を組み合わせながら、半年かけて蝦夷地の測量を無事に終え江戸に戻った忠敬は、今度は「日本全国を測量してみたい」という大きな夢(目標)をもつようになります。そして、その後、幕府から毎年測量を許され、最後に72歳で江戸を測量し終えるまで、10回にわたり全国の測量に出かけています。東北(3回目)や北陸(4回目)の測量を終えて江戸に帰る時には、群馬県の高崎を通って江戸に帰ったという記録も残っています。忠敬は、9回目の伊豆諸島の測量は自分の弟子に任せましたが、1回目から10回目の測量まですべてを自分の足(歩幅70センチ)で正確に歩き続けました。最後の測量から2年後、忠敬は74歳で亡くなりましたが、蝦夷地の測量から数えて歩いた距離の合計が4万キロ、およそ地球一周分となりました。

★また、忠敬自身は、「大日本沿海輿地(よち)全図」(伊能図)の完成を自分の目で見られぬまま亡くなりましたが、忠敬が亡くなった3年後、忠敬の師匠(先生)であった高橋至時の息子の景保(かげやす)たちが「伊能図」を完成させました。幕府に納められた「伊能図」は畳一畳分くらいの紙にして240枚にもなるほど大きなものになったのだそうです。これは、当時のヨーロッパの国にもない正確さで作られた地図だったため、西洋の人々も本当に驚いたようです。

★56歳という年齢で日本全国を測量し始めた忠敬を最後まで歩き続けさせたもの、それは、忠敬の「探究心」に他なりません。当然ながら、電車や自動車もない時代に、今の私たちには想像もできないほどの苦労を乗り越えて、一つの大きな仕事を成し遂げた忠敬ですが、その始まりは、彼の一歩(70センチ)から始まったのです。一歩一歩の地道な積み重ね、努力の積み重ねが、結果的に大きな夢(目標)の実現につながるのだということを身をもって教えてくれた伊能忠敬の生涯でした。
(参考:集英社 学習漫画 世界の伝記NEXT「伊能忠敬」)

★私たち太田中の教師も、6月の学校再開後から、また一歩一歩、皆さんと共に着実に前に進み、皆さんが充実した学校生活を取りもどせるようにしていきたいと考えています。

太田中学校長  今井 東

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