最新更新日:2024/05/30
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「感じ、考え、行動する」ぬのせっ子の力を伸ばそう!

六年生のみなさんへ 〜仲間と学び、いつまでも〜

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 6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
「学びたいのよ、いつまでも」
 6年生のみなさんは、この一言を覚えているでしょうか。3学期に社会科の学習で学んだ夜間中学校について、大阪府が作成したビデオのタイトルですね。「お金も着物もいらないわ、学びたいのよいつまでも。」ビデオの中で、夜間中学校の生徒さんが、そう歌っておられました。
社会科の教科書では夜間中学校となっていましたが、正式な名前は中学校夜間学級と言います。夜間学級を設置している中学校は全国に34校ありますが、そのうち11校が大阪にあります。「空襲で学校へ行けなかった。」「家の仕事をしないといけなくて学校に通えなかった。」そんな夜間中学生のみなさんは、60歳を超えている人もたくさんいましたが、真剣に勉強していました。「言葉が覚えられるのは楽しい。」「学校には仲間がいる、学ぶ喜びがある。」だから、昼間仕事をしてどんなに疲れていても、学校へ行きたいとおっしゃっておられました。

「仲間がいる、学ぶ喜びがある。」年齢は違いますが、振り返れば、みなさんの学校生活にも重なるものがあるのではないでしょうか。
 みなさんの6年間には、かけがえのない仲間がいました。みなさんは、人の気持ちを大切に、自分の気持ちを見つめてしっかり伝える、そのことを大切にしてくれた6年生でした。だからこそ、みなさんの周りに人のつながりが育ち、一緒に苦しんだり、挑戦したり、笑ったり泣いたりしながら、今の6年生の仲間が育っていきました。
 そして、一人ひとりのみなさんには、学ぶ喜びがあったと思います。もちろん、勉強が難しくなったり、面倒くさくなったりすることもあったかもしれません。でも、6年間を思いおこせば、わかった、できたという喜びに目を輝かせた瞬間がきっとあったと思うのです。そのときのことを思い出し、本来の学びの意味はそこにあったと気づいてください。そして、更に大きな学ぶ喜びと出会うために、中学校での勉強に挑戦してほしいと思います。 
いよいよ最高学年としてのみなさんの役割を、後輩にバトンタッチするときがきました。中学生になっても、かけがえのない自分を大切に、ともに歩む仲間とともに、さらに成長していくみなさんの姿を、心から楽しみにしています。
 最後になりましたが、保護者の皆様、地域の皆様、子どもたちを大きな愛で包み、育んでくださったことに心より御礼申し上げます。また、インターナショナルセーフスクールの取組みをはじめ、布忍小学校の教育活動に対し、深いご理解と温かいご支援をいただきましたことに、厚く感謝申し上げます。これからも、引き続き布忍小学校の子どもたちの教育を支えていただきますよう、お願い申し上げます。
                  校長 中島 智子
                     (ひこばえ原稿より)

第143回 卒業証書授与式 式辞

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ここ数日、寒い日が続きましたが、差す日の中には春の気配が香り立つ今日。七十二名のみなさんがいよいよ布忍小学校を巣立つ日となりました。
みなさん、卒業おめでとうございます。

今日は、みなさんの門出をお祝いするために、松原市教育委員会、学校評議員や地域の皆様、PTAの皆様など、たくさんのご来賓の方々が来てくださっています。
学校を代表いたしまして、高い所からではございますが、心からお礼申し上げます。朝早くから、お忙しいなか、子どもたちのためにありがとうございます。

卒業生のみなさん、今、みなさん一人ひとりに卒業証書を渡しました。その卒業証書は、みなさんが、この六年間、小学校生活を果たし終えたという証です。
一枚の紙ではありますが、六年間の学校生活で学んだことや培ったことが込められています。

ぬのせの空の下
はしる あそぶよ なかま
わらえば 風になり
声も ひとつにはじける

六年生のみなさんを見ていると、よくこの一節がうかんできました。校歌の歌いだしです。
運動場で仲間とあそんでいる六年生、はじけるような笑顔の六年生、低学年をリードしながら遊んでくれていた六年生、茶話会でもおうちの方とドッジボールをしていた六年生、なぜか真っ先に思い出すのは、そんなあなたたちの姿です。
あなたたちには笑顔がよく似合いました。あそぶことがじょうずでした。

でも一方であなたたちは、とても繊細なこころをもっていました。友達に気持ちを言えなくなったときには、ときには自分を責め、ときには自暴自棄になり、自分を傷つけ、仲間を傷つけてしまうこともありました。でも、あなたたちのよいところは、それに気づいたとき、そんな自分としっかり向き合うことができたところです。なぜ、それができたのか、それは、仲間がいたからです。六年生のみなさん全員が、かけがえのない仲間であったからだと思います。

そのようなあなたたちだからこそ、布忍小学校の新たな挑戦、インターナショナルセーフスクールの取組みをリードすることができました。ISS、インターナショナルセーフスクールは、長い間、布忍小学校がはぐくんできた仲間づくりの取組みそのものでもあると言えます。
安心できる仲間の絆がなければ、決して安心・安全な学校とは言えないからです。

今年、一月十八日、忘れもしない寒い朝、遠くニュージーランドからグレメ・バーバー先生が審査員として布忍小学校に来てくれました。バーバー先生はおっしゃいました。「この学校には非常に温かい雰囲気がある。子ども、先生、保護者、地域の人が温かいもので結ばれている。私は世界中のたくさんの学校をまわっているので、それがわかるのです。私に対してもとてもウエルカムな温かい歓迎を感じる。」と。私はとてもうれしかったです。
グレメ・バーバー先生はこうも言われました。「体のけがと心のけがは深くつながっている。心の安心がなければ、体のけがもなくならない。」と。
一月十八日事前指導の日のISS児童集会は、六年生が中心となって、児童会の主催で行いました。全部の学年で、もう一度、しっかり仲間とつながろう、自分が思っていることを友達に伝えることを大切にしようということを、確認しました。

そのあと、各学年はそれぞれ、なかまづくりに取り組みました。そして、一か月間取り組んだことを発表する二月二十二日二回目のISS児童集会。松原市の澤井市長や今日も来てくださっている東野教育長からも、励ましのメッセージをいただき、集会がはじまりました。どの学年からも、それぞれの仲間づくり、自分の気持ちを伝え合う取組みを報告されました。そして、そこでの六年生の報告は、次のような内容でした。
仲良くなりたいと思っているともだちに正面から向き合えず、逃げてしまった、ともだちが離れていってしまったような不安から悪口やきつい口調になってしまった、ひとりになってしまったような寂しさがあったのに、ほんとうのことが言えずかげぐちばかりになってしまった・・・。
六年生のみなさんは、次々にそんな自分自身の弱さを話してくれました。そして、そんな自分の弱さを認めたうえで、仲間がいたから、それを乗り越えられた、そんな経緯も、後輩たちにしっかりと自分のことばで話してくれました。
それは、大人でも難しいことです。自分をみつめ、自分の弱い部分を認識し、そのうえでしっかりそれを受け止めて乗り越える、それができることはすばらしいけれど、なかなかできるものではありません。みなさんに、それができたのは、まわりにしっかりと支えてくれる同じ六年生の仲間がいたからだと思いました。私は、みなさんの発表とそれを支えている六年生全員の姿にたいへん心を打たれました。自分の弱さと向き合い、人間として乗り越えていこうとするみなさんの姿に感動しました。
みなさんは、これからも、たくさんの困難に出会うと思います。人間は生きている限り、たくさんの困難に出会うのです。みなさんだけではありません。みなさんのおうちの方々も、学校の先生も、校長先生も、人間である限り、苦しいことも困ったことも悲しいことも必ずあるのです。
でも、困難から目をそらさずに向き合ったとき、困難をなかまと分かち合ったとき、困難を乗り越えたときには、大きなよろこびと感動が生まれます。そのようにして、みなさんのいのちは育っていくのです。

生き抜く うつくしさ
いたみをやさしさにかえて
ひとのすばらしさに 響き合う心
出会いとぬくもりの中
いのちが育ってく

これは、布忍小学校校歌の二番の歌詞です。
この校歌は、一九九二年、創立百二十周年のときに、第二校歌としてつくった歌です。今から二十年以上も前ですが、布忍小学校でたいせつにしていることの根本は形をかえながらもずっと続いているな、と思います。それは、人を傷つけたり、いじめをしたり、差別をしたりするのではなく、人間を大切にし、いのちを大切にし、困難なことがあってもしっかりと向き合って生き抜く中に人のすばらしさがある、という価値観です。そして、そんな価値観を真ん中にすえて、人と人とがつながっていく、出会っていく中でこそ、みなさんの命が育っていくのだという確信です。
卒業していくみなさんは、しっかりと足跡を残してくれました。これをまた後輩のみなさんが引き継いでくれると思います。それが、三番の歌詞です。

昨日が今日に生き、今日が明日に続く
みんなの足跡が ひとつの道になる
歌おう 今日の仲間を
今年輪にきざんで

ヒロシマの被爆者、佐伯敏子さんは言われました。いのちを大切に、出会いを大切に、何ができるかではなくて、何をするかということが大事なんよ、と。
仲間といっしょに、感じ、考え、行動する力を大切に、新しい明日へ、世界へ、勇気を出して一歩を踏み出してください。あなたたちの門出を心から応援しています。

 終わりになりましたが、保護者のみな様、本日は、お子さまのご卒業、誠におめでとうございます。六年間の間には、言葉で言い尽くせないさまざまなご苦労がおありになったと思います。今日、子どもたちは、六年間の課程を修了しました。長きにわたり、布忍小学校の教育にご理解とご協力をいただき、いろんな場面で支えていただきましたことに、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

以上、本日、巣立ちゆく七十二名の子どもたちの未来と、ご参加いただきましたすべての皆様方の未来を祈念いたしまして、卒業生へのはなむけの言葉といたします。


                  平成二十九年三月十六日                              
                     松原市立布忍小学校
                     学校長 中島 智子

1980年にヒロシマへの修学旅行がはじまりました

1980年、初任者として布忍小学校にきました。
その年、布忍小学校では、ヒロシマへの修学旅行がはじまりました。
試行錯誤のなか、その年の夏に、ヒロシマの被爆者佐伯敏子さんと出会いました。
そして、その聞き取りをもとに、2曲の歌をつくりました。
未熟な自分を支えてくれた先輩の先生や友人、子どもたち、そして佐伯さんに励まされ、つくった歌が「てるちゃんはいう」と「ヒロシマには歳はないんよ」です。
歌詞を紹介させていただきます。

http://www10.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?i...
校長 中島 智子

てるちゃんは いう

てるちゃんは いう

何のために 生きてきたのかと
私が死んだのは 何のためなのかと
私の苦しみは 誰のためだったのかと
生きてきた足あとを 残すことさえ許されず
いのちのすべてが くだきこわされた
あの日は何のためかと てるちゃんがいう

原爆を作ったのは 人間だよと
原爆を落としたのも 人間だよと
あの日の地獄をつくったのは すべて人間の手によるものだと
語ることも 叫ぶことも うめくことさえ 奪われて
死んでいった妹が 私に口を開かせる
あの日 妹はまだ十八だった

ヒロシマの遺骨(ほね)をかえさにゃあ
生きた証を 返さにゃならん
ヒロシマの 叫びを 返さにゃあ
今の社会へ 大人たちへ
子どもたちへ すべての生きるものたちへ
子どもたちへ すべての生きるものたちへ

詩・曲/中島 智子
1980年
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ヒロシマには歳はないんよ

ヒロシマは すべてがあの日のいしぶみ
川も 道も 川の底の土も
今 ヒロシマに 風はそよぎ
緑の木々は しげっているけれど
ヒロシマにいるとき ほんとうは死者の上

ヒロシマというとき ほんとうはなくだけ
ヒロシマというとき あの日に帰る
今 ヒロシマに 水は流れ
空は どこまでも あおいけれど
このまちは いつまでも 歳をとらない

私は 種まく すべての人に
花さき 実るまで きっと死なない
今 ヒロシマに 人はうつり
幾年月が 流れたけれど
ヒロシマを語って 私は生きる
ヒロシマを語って 私は生きる

詩・曲/中島 智子
1980年



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