まつのやまブログ

スキルを与える者、ルールを与える者(学園長ブログ)

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(※写真は本文とは関係ありません)

 ゲーム好きの若者が言っていたそうです。「『相手を殺すような暴力的なゲームばっかりやっているから、本当に残虐になる』と言われる。でも『恋愛ゲームばかりやっているから本当の恋愛ができないようになる』とも言われる。」…確かに。これはけっこうな矛盾です。一本取られました。たぶん、このようなことを言う年長者は単に「自分の世代にはなかったものへのアレルギー反応」で言っているだけなので、若い人は気にしなくていいですよ(笑)。
 
 「最近の若い者は、まったく…」いろいろなところでよく言われるセリフです。言われたこと、言っているのを聞いたことがある方も多いでしょう。この言葉が初めて登場するのは今から約5000年前の古代エジプト、ピラミッドの建設現場に書かれていた落書きだそうです。5000年前のエジプト人も「最近の若い者はダメだ」と感じていたわけです。
 仮に、この説が「真」であるとしましょう。「若い者はダメだ」=「人間は代を経るごとに劣化していく生物である」ということになりますがしかし,これはむしろ反対です。昔と今の生活を比べてみれば一目瞭然、「暑くても寒くても機械的に空調を管理できる」「離れたところにいる人と、リアルタイムでコミュニケーションを取ることができる(しかも個人持ち)」「ピラミッド程度のものなら、週単位の相当な短期間で完成させる技術と機材がある」「人間の代わりになる人工知能がある」等々、人類は当時のエジプトの人が見たら腰を抜かすほどの技術革新を図り、進化を重ねてきました。

 「代を経て劣化する」なんてとんでもない!むしろ真逆で、「人類は、代を経た(若い)人ほど頭が良くて優秀になっていく、進化を重ねていく」というのが本当のところでしょう。
 たくさんの経験を積んできた年かさの者から見れば、その時代その時代の若い衆や子どもたちが弱々しく、頼りなく見えるのは当たり前です。自分の世代にはなかったものを華麗に使いこなす「バージョンアップ人類」へのジェラシーもあるのかも知れません。

 私たちの世代にはなかったリアリティあふれるゲームや簡単に外界と繋がることのできるスマートフォン・タブレットなどを、単に「子どもにとってよくないもの」として,目の敵にして使わせないなんて実にもったいないです。文明の利器ですから。
 要は、やりようです。教師は、どのように使ったら有用なのか、いいものなのか、逆にどう使うと危ないのか、いけないのかなど、「使い方のスキル」を学ばせる。一方で保護者は、「買い与えた者」の責任として、同時に「使い方のルール」を与え、これを絶対に遵守させる。これらは、現代に生きる子どもたちの成長を支える周りの大人の責務です。
 こういったものは「包丁」と同じです。その心は、「なくてはならない、とっても便利な道具だが、使い方を誤ると人を殺めることもできる」ということ。その包丁を、未成熟な小中学生一人一人に持たせて使わせようというのですから、子どもを取り巻く私たちも、相当な準備と覚悟が必要です。
 彼を知り己を知れば百戦殆からず(有名な「孫子の兵法」)。「TIKTOK?なんだいそりゃ?」なんて言ってないで、まずは相手を知るために、ゲームでもタブレットでもスマホでも、大人がいろいろとやってみることだと思います。Nintendo SWITCH?プレステ?「ゲームウオッチ」から「ファミコン」、を経てきた世代の私も、ちょっとやってみますかね(笑)。

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