4月27日志賀内さんと四方山話をする会での学び (遠藤、長谷川、矢崎)
こんにちは。五期生の遠藤、長谷川、矢崎です。
今回は志賀内泰弘さんと四方山話をする会の感想について書かせていただきます。 **** 【遠藤】 私が今日一番学んだことは、ギブ&ギブに慣れる為にはまず自分から行動することが大切だということです。 私は、良かれと思ってした事がお節介だったらと思うと、なかなか行動を起こせないことがよくあります。例えば、道の真ん中でキョロキョロしてる人や、傘を置き去りにして電車を降りようとする人を見た時です。助けを求めているのでは、でも迷惑だと思われたら、と葛藤してしまいます。 ですから今日のお話の中で、志賀内さんがお節介と親切の境目はどこだと思う?と仰った時、言葉に詰まってしまいました。その境目こそ、私がいつも見つけられなくて迷ってしまう部分なのだと感じたからです。 その境目は、人に教えてもらうものではなく、自分の経験から学びとるものなのだと志賀内さんは仰いました。そして、志賀内さんがいつも一生懸命周囲を見て、白杖をついている人はいないか確認しているというお話をした時、私はハッとしました。今まで何度も目の見えない人を見かけてきましたが、「この人は困っていないかな?」という目で意図的に探したことは一度も無かった、ということに気がついたからです。自ら誰かの為に何かしようと動き出すこと。そうして経験を積み重ねる事の大切さを痛感しました。 私が以前から読んでいる志賀内さんの著作、「他人と比べない生き方」の中で、失敗したときの立ち上がり方についてこう書いてありました。「終わってしまった事は、もうどうすることもできません。先のことを悩むのは、取り越し苦労です。」本当にその通りだと思います。失敗を恐れて動き出さないままでは、ギブ&ギブを身につけることなんて到底無理です。 失敗は若い時にこそ生きてくる、と志賀内さんは仰いました。これからの人生において、今が一番若い時なので、早速今日から周りの為に行動を起こしたいと思います。 これから先の人生においてとても大切なことを学ばせて頂きました。貴重なお話を聞かせて下さった志賀内さん、こうした場を設けて下さった玉置先生、本当にありがとうございました。(遠藤) *** 【長谷川】 私が学んだことは、見返りを求めないで、行動する「ギブ&ギブ」の精神を持つことです。「ギブ&テイク」のように、相手の見返りを求めて行動するのではなく、相手に無償の愛を持って行動していきたいと強く感じました。しかし、そうは言っても、人間ですので、自分の利益や、自分のため、を優先してしまうことが多いです。そんな時は、志賀内さんの「思いやりをもち、相手の立場に立って行動する」という言葉を思い出し、自分以外の他者に目を向け、自分が今できることは何かを考えて、行動にうつしたいです。また、人に、何かをすることは、他人のためではなく、まわりまわって、自分への徳へと繋がっていくのだと、滋賀内さんのお話をきいて学びました。 私が最近読んだ本の中に「我」を捨てて「下」で生きるという言葉があります。意味は、自分が、自分が、という「我」ではなく、まわりの人のおかげで、という「下」を大切にすることです。常に相手への感謝の気持ちを持って行動し、伝えることで、その気持ちが相手に伝播し、最終的にプラスのことが自分に返ってくるというのです。相手のことを考えて行動することや、相手に感謝の気持ちを持つことで、結果、自分の徳につながるところが共通しているなあと感じました。 今は、どこまで続くか分からないコロナウイルと世界中か力を合わせて闘っており、不安もたくさんあります。ですが、そんな時こと「ギブ&ギブ」の精神を大切にして、互いに助け合い、乗り切っていけたらいいなと考えています。 1時間半、内容が濃く大変充実した時間となりました。ありがとうございました。(長谷川) *** 【矢崎】 今回は私が玉置先生に志賀内さんとお話がしたいという提案をさせていただきました。 玉置先生も志賀内さんもとてもお忙しいにも関わらず、私達学生のために会を設けてくださいました。 本当にありがとうございました。 この会で志賀内さんに多くのお話をしていただきましたが、そのどれもが私の心に響くものばかりでした。 志賀内さんのお話を聞いていたら、自然と頭の中で今までの人生を振り返っている自分がいました。 志賀内さんのお話は志賀内さんだけに起こったお話なのに、なぜか自分に起こったことを重ね合わせてしまうのです。それがとても不思議でした。きっとそれは志賀内さんの人生経験の厚さからくる不思議な力なのだと思います。 私は、志賀内さんのそんな不思議な力を受けて私は母の闘病期間のことを思い出しました。 小さい頃の私は、どこで聞いたのかはっきりとは覚えていないのですが、「良いことは自分に返って来る」という言葉を信じていました。 母が愛知の遠い癌治療専門の病院に入院し始めてから、早く母を自分たちの元に返してほしくて、いいことをして神様に母を返してもらえるようにお祈りしていました。 "このゴミ拾ったら、ママの病気が治るかな” "あの子に親切にしたら、ママに会う時間が増えるかな" 毎日、そんなことばかり考えていました。 この経験が志賀内さんのお話とぴったり重なったのです。 でも、母が亡くなってからは、そんなことをあまり考えなくなってしまいました。 さらに、自分が年齢を積み重ねる度に、「ゴミを拾う」ただそれだけなのに、なんだか恥ずかしいような、自分が人とは違うことをしている後ろめたさを感じることが増えてきて、拾わなかったりしました。でも、その度に自分があの頃の自分の行動を否定しているように思えてモヤッとしていました。 今回の志賀内さんのお話を受けて、小さい頃の自分が肯定されたように感じました。 また、最近自分の心が不安定な理由が分かりました。勉強しなくちゃ、しなくちゃと自分のことだけを見るようにしていたのです。 でも、よく考えてみたら、誰かのことを想っているときは心が落ち着くんです。 だから、私は母の呪いに今もかかっているのだと思います。 夢に出てくるぐらいですから、強力な呪いです。 志賀内さんのお話を聞いて、この素敵な呪いにかかったことを誇りに思いました。 そして、今度はこれからの自分のため、大切な人のために「ギブ&ギブ」を失敗を恐れずにしていきたいと思うことができました。 志賀内さん、素敵なことに気づかせていただきありがとうございました。(矢崎) 今日の夢について (矢崎)
こんにちは。5期生の矢崎です。
今回は、私が今朝見た夢について、私の備忘録も込みで書かせていただきます。 今日の夢は母が出てきました。 母は闘病中の姿で、寝室の布団の上でアルバムを見ていました。 母はアルバムを見ながらとても優しく笑っていました。 夢の中の私は、こんな風に笑ってくれるなら、闘病中の母ともっとアルバムを見ればよかったなあ。もっと、笑わせてあげればよかったなあと思っていました。 すると、アルバムを見る母の手が止まって、一番の笑顔になりました。 絵が得意な私の叔母(母の妹)に「かえちゃんが生まれてきた時、手をぎゅって握ってたよね!」と叔母が描いたであろう私の拳の絵を見せながら話していました。 そこで夢は終わりました。 気が付くと私はボロボロと寝たまま泣いていて、起きてからも涙がいっこうに止まりませんでした。今も実際に泣きながら記事を書いています。(笑) 最近、実を言うと、小学校前科の勉強が上手くいかず、あと80日程度しかないという事実だけが頭をぐるぐると支配し、ゼミの仲間や大学の友人と自分を比べて、自分の出来なさに情けなさを感じて、身が入らない毎日でした。 そんな中に見た夢でした。 アルバムに叔母が描いた絵などは実際ありません。 ですが、わざわざ母は私の生まれた瞬間の時の拳の話をしてくれました。 「ぎゅっと握ってたよね」というワードに私は母から「あきらめずに頑張れ」と言われているように感じました。 ちゃんと母は見てくれているのとわかったので、期待を裏切らないように、残りの日数、後悔しなくていいように頑張りたいです。(矢崎) 4月24日第2回6期生玉置ゼミでの学び(名桐)
第2回6期生玉置ゼミでは、特に大切だと思うことが2つありました。私自身も新たな考え方となる基盤を得ることができたので、紹介していきたいと思います。
1つ目は、「子どもの発言を大切に」です。発表形式の活動中、先生役をしていたゼミ生が、子どものアンサーに対して違った角度からの言葉を付け加えました。私は何も間違ってないとその時は聞いていたのですが、玉置先生からご指摘がありました。「その子の意思とは違った内容だ」と仰り、子どもの言葉で授業を作りなさいとご指導頂いたのです。 子どもたちは、何か意図があって発言や問いに反応する訳です。教師は、その発言を取捨選択し、それに様々なことを絡めていって授業を展開していく必要があります。ですから、子どもたちが思ってもいないことを付け加えるのは、子どもたちの考えを遮ると同じようなことをしているのです。子どもの発言を記号化することは、間違った受け取り方とも見られます。そこから信用の問題が生じてくる可能性もあるでしょう。こういった授業運営のコツについて、しっかりと学んでいきたいです。 2つ目は、「一時に一事」です。例えば、教師が児童生徒にこのような指示を出すとします。 「後ろのロッカーから社会の教科書とノートを持ってきてください。その後、今日の日付を書きます。そして、ノートに教科書P145の大問3を解いて終わったら膝に手を置いて待っていてください。」 これは極端な例になりますが、児童生徒は果たして1回のこの指示でそれらを全て理解できるでしょうか。手際の良い子ならばしっかりと順序立てて行動できるかもしれません。しかし、中にはそうでない子も当然います。そうしたときに、一時に一事という言葉の通り、1つの文で1つのことを指示するという方法が輝いてきます。 上記の場合、「まず、ロッカーから社会の教科書とノートを持ってきてください。」と指示を出すことで、子どもたちも容易にするべきことを理解できます。そこからひとつ1つを細分化して指示することで、トラブルを防ぐこともできます。しかし、どうしても長い指示をしなければならない場面も当然出てくると思います。そうした場合は、指示に番号を付けるなど、子どもたちがわかりやすいような工夫を施すことが重要となってきます。自分にとっては簡単なことでも、相手は皆子どもです。相手を第1に、主点を置き換えて行動することは、教師になっとた時に私自身の「基礎」になっていなければなりません。(名桐) 4月24日 2回目の6期生zoomでの学び(中江)
こんにちは!玉置ゼミ6期生の中江です。
4月24日に6期生の2回目のゼミをzoomにて行ないました。EDUCOM様がゼミ生に貸与してくださったChromebookを使わせていただいています。このようにゼミがオンラインで行える環境があることに喜びを感じています。EDUCOM様、玉置先生、ありがとうございます。 さて、今回のゼミで私は「どの学校でも取り組める!授業のユニバーサルデザイン化を図る視点」という佐藤愼二先生が書かれた記事を発表者として紹介させていただきました。ユニバーサルデザインの考え方を学校の教室、授業に取り入れることで子どもの支援になったり向上心に繋がったりすることを伝えました。子どもが教師の指示や説明をしっかり聞こうと努力してもうまくいかない状況があるので、ユニバーサルデザインを活用できるようにしたいです。 ゼミでの講義で、発表自体がユニバーサルデザインを考慮したものになっていたと褒めていただきました。写真に載せた小物は実際に発表のときに用いたものです。イメージしにくい話をするとき、たくさんのポイントを紹介するときに分かりやすいように視覚に焦点をおいてこの小物を用意しました。 発表の途中で私がゼミ生に質問をしたときに玉置先生にSlackでの発言をするという提案をしていただきました。Slackで発言してもらうことでそれぞれの意見を反映することができるので、質問を投げかけるときに役立つ手段になると思います。良い気づきになりました。 ご指摘をいただいたことですが、発表者の質問の仕方について学んだことがあります。質問をするときに、自分が相手に出してほしい答えにとらわれてしまって話の流れと質問がずれてしまいました。自分のほしい答えを相手に言ってもらえると発表が進めやすい点はありますが、相手が分かりやすいことを1番に考えるべきだったと反省しています。自分が求めていた答えでなくても相手に理解しやすいように繋げていくことが大事なのではないかと感じました。 また、質問を相手に投げて答えてくれた相手に私の相づちがうすいと感じる場面がありました。せっかく意見をいただくのだからもらった言葉を次の話に繋げることができるともっと自然な流れで発表できたと思います。子どもを相手にする授業も同様に、子どもの言葉をひろっていくことが分かりやすい授業になるポイントだと思います。 今回初めてゼミで発表者としてお話をする機会をいただきました。玉置先生や6期生の仲間から言葉をいただいて学んだことがたくさんありました。これからも玉置ゼミを通して学びを深めていきたいです。玉置先生、6期生のみんなに感謝しています。ありがとうございます。(中江) |
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