まつのやまブログ

学園の栄光は、松之山地域みんなの栄光!

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以前、このブログでも紹介した「時事通信社 教育奨励賞 努力賞」の賞状と盾が送られてきました。「全国レベル」の表彰です。新潟市を除く県内の学校としては、今年唯一の受賞なのです。

学園ができて今年で5年目。初代学園長の久保田智恵美先生が創り上げ(現在もお立場を変えて学園と地域のために奮闘中)、2代学園長相澤顕先生がマイナーチェンジを加えてバージョンアップさせ、育て上げてきた学園が全国的に認められた、これがその証明です。

そして何よりも、まさに「全国レベル」の強力なバックアップをしてくださる松之山地域の方々と、故郷を離れてもなおお心を寄せてくださる方、みんなでいただいた賞です。松之山全体の栄誉だと思っています。本当にありがとうございます。

「みなさんは実は、こんなすごいところに住んでいるんだよ。すごい学園に通ってきているんだよ。」

次の全校朝会の折にでも、学園の子どもたちにこのことを紹介し、みんなで胸を張りたいと思います。しばらくしたら学園内にも展示いたしますので、地域ゆかりの方はご来校の上ご覧ください。

いじめの本質と対応について

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 幼い頃、野で遊んだことのある方ならば、多くがバッタやトンボ、セミなどの昆虫の脚や羽をもいだり、もっと小さな虫をいたぶるようにして殺してしまったり、という経験があるのではないでしょうか。もちろん大きくなれば、普通の感覚をもっていれば無意味に生物に危害を加えるようなことはしません。個人差もあるでしょうが、このようなことは子どものころには単純に「面白い」と思えることなのでしょう。子どもが純粋な存在であるが故の「残虐性」がストレートに発露されているのかも知れません。まだ、「残虐」とされることの意味がよく分かっていないのです。
 
 このことを「いじめ」に当てはめてみると、まだ理性が未発達な子どもの残虐性に集団心理や同調圧力的な要素が加わって罪の意識が失われ、つい勢いで荷担してしまうということもあります。
 
 人間が「殺意」というものを覚えるのは3歳前後だと言われます。人間は残虐性を生来持って生まれてきており、しかもそれはとても強固なので、いじめの根絶は無理だということになるかも知れません。実際に「いじめは昔からあった」「今の子は耐性が低い」「大人の世界にもあることだ」という見解があることも承知しています。だからといって「多少のいじめは仕方ないことだ」という結論にしてしまっては、絶対にいけないのです。そういう意識を看過してしまってはなりません。
 
 歴史を辿ってみれば、人間は戦争などの残虐な行為を繰り返しながらも、一人一人の人間が尊重される社会の実現をめざして努力してきました。人間には本能的にいじめを生む要素があるからこそ、必死になってこの深刻な問題に全力を挙げて立ち向かう必要があるのだと思います。そして、子どものいじめは、人間が本来もっている残虐性の発露なのだという意識をもたなければならない。
 
 よくある「性善説」で、「子どもは純粋な存在で、残虐性なんかないのだ」という意見があります。それはそれで実によく分かりますが、子どもに関わる大人はできるだけニュートラルであるべきです。「子どもには残虐性なんかない。まさに天使のような存在だ。」と切望することと、現実に子どもたちの人間関係の中で発生するいじめが大きな社会問題になっているという現状認識を区別して考えないと対応を誤ります。
 
 人間がもつ悲しい残虐性を認識した上で対処していく必要があるように思います。今は平和に見えるまつのやま学園ですが、深刻ないじめが発生した場合には決して解決を子どもだけに委ねるのではなく、教職員や保護者などの大人がきちんと介入して止めさせなければ、いじめられている子の生命や安全を守りきれない場合があるのです。
  
 今、学園で大きな何かが起こっているわけではありません。しかし、100%大丈夫と言い切ってはいけないでしょう。私たちまつのやま学園の教職員は「いじめは存在する」という危機意識をもった中で、子どもたちを見守っています。しかし、いじめは教員の見えないところで起きている場合がほとんどです。さらに、いじめの標的になっている子どもには自尊心がありますから、自分がいじめられていることを惨めだと感じてしまい、教員に打ち明けることをためらっていることも多いのです。まして親に言えば、悲しんだり心配したり、大ごとになると思って話せないケースもあります。
 
 職員みんなで子どもたちの小さなサインも見逃さないように努力し、情報共有もしていますが、「これで十分」なんて、決して思っていません。ご家庭のみなさん、地域のみなさんのご協力が必要です。親に漏らした気になるひと言や地域の方々から見た子どもたちの気になる様子がありましたらぜひ学園にご連絡ください。一緒になっていじめの早期発見と根絶に取り組みます。切にご協力をお願いします。

 
 最後に、新型コロナウイルス感染症についてです。何が良かったのかよく分かりませんが、10月7日現在、全国的に感染者が減り続けています。喜ばしいことです。しかし十日町市ではまだ、毎日のように感染者が発生しています。見えない敵ですし、どれだけ気を付けていてもだれだって感染のリスクはあります。明日は自分や自分の家族がなるかも知れません。   
 「怖いのは感染自体よりも、風評だ」とよく言われます。悲しいことですが私も見聞きしたことがあります。「あそこん家の○○さんがなった」「○○でクラスターらしい」と「いらんこと言ってる」大人の姿…また、子どもたちが話しているのを聞いたこともあります。…どう見ても、近しい大人が言ってるのを聞いてるんですよね。暗澹たる気持ちになりました。

 この先自分が感染するとして、そのときは安心してかかりたいよなあ…と思います。それは誰しもそう思うはずです。

 「いじめ」と「差別」の違いは何か。ある研修会で、「学校で行われる差別をいじめと言い、社会全体で行われるいじめを差別というのだ」と学びました。
 前段の話に戻るようですが、私たち大人がいい歳をして「残虐性」を発揮して「いじめ」「差別」の首謀者・加担者・傍観者になっていないか、今こそ内省しないといけないですね。そして、そのような噂を立てること、感染した云々をあれやこれや言うこと自体、人として間違った行動なんだよ、と子どもたちにも呼びかけていきたいと思っています。

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