まつのやまブログ

他者の笑顔のための労苦を惜しまない子どもたち(嬉しかった話)

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先日、私は誕生日を迎えました。

この歳まで来ると、もう特に何の感慨もありません。半世紀以上前、産んでくれた母親に感謝はしますが、歳を重ねることに対して、子どもの時みたいに嬉しくないし、喜ぶわけではないですよね。むしろトシ取るのは…(みんなそうですよね。)(^^;)

最近、「LINE」でつながっている人には、「友達のこの人の誕生日ですよ」という通知が届くようですね(タイムラインというのですか?)。朝、出勤したらそこでつながっている教頭先生方が「おめでとうございます!」なんて言ってくださって驚きました。それを聞いた教務主任の先生が職員室の黒板に「祝 学園長誕生日」なんて書いてくれて、またそれを見た先生方が子どもたちに話したのでしょうか。私は誰にもひと言も言っていないのに「今日、学園長、誕生日みたいだよ」と子どもたちに知れたようです。

すれ違う子どもたちがたくさん、「学園長先生、おめでとうございます」と言ってくれます。昼休みにはギター弾きの先生が何人かの子どもたち(と、先生たち)を引き連れて、バースデーソングを歌いに来てくれました。(学園では子どもの誕生日によくあるイベントです)8年生たちが「おめでとうございます!」と集団で言いに来てくれました。担任の先生に誕生日のことを聞いた1年生は、すき間時間に折り紙で工作をしたりメッセージカードを作ったりして、お帰りの時にみんなでプレゼントしに来てくれました。

照れくさかったけれど、思わぬところで多くの人の祝意を受け、ものすごく嬉しくなりました。涙が出そうになりました。生まれてきてよかったなあ。あったかい、いい気分で、帰途に着きました。

ここに、松之山の、そして学園の素晴らしさがあるんだなあと心から思います。

「松之山んしょは、みんないい人だ」と、よく言われます。
松之山の方々は、「自分以外の人を笑顔にするために」本気で心遣いをし、そのためにいろいろとしてくださる人たちがとても多いのです。そしてそんなとき、ご自身もにこにこしています。
その生き方は、学園の子どもたちの遺伝子の中に引き継がれているんですね。
にこにこしながら「おめでとう」「おめでとう」と言ってくれる子どもたち。単にイベントだと思って騒いでいるのでは決してありません。本当に私のことを思って、喜ばせようと思って、笑顔にしようと思って言ってくれているのが分かりました。だから、心から嬉しかった。感激しました。幸せです。

同時に、こんな素晴らしい子どもたちのために、もっともっとがんばらないとなあ、今度は彼らを笑顔にするために、いろいろ考えないとなあと心から思いました。

みんな、ありがとうね。笑顔になりました。


命を預かるということ(後日譚)

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先週、「やぎを飼うことは不許可!」をもらってしまい、リベンジを誓って戻っていった1年生8名が、今日再び学園長室を訪れました。

手に手に野草を入れた袋、やぎの好物を書いたメモ、野草の写真等を持っています。
「お母さんに聞いたんだよ。」「2年生に聞いてきたよ。」「どこに生えているか調べたよ。」などなど、満足感と自信に満ちた表情で教えてくれました。

一週間、がんばって調べたことが分かりました。何より、「どうしてもやぎを飼いたいんだ!」という思いを感じました。「がんばるよ!」という気合を感じました。

ここまでされては首を縦に振るしかありません。
「分かりました。がんばってきたね。どうか命を大切に、やぎさんを育ててください。」と言いました。
子どもたち、「やったあ!」です。

さて、もちろんこれはゴールでなくてスタートです。

これからいろんなドラマが待っていることと思います。一つ一つ乗り越えて、1年生なりに成長していってくれればと思います。
この世に生を受けてまだ6、7年の子どもたちが「自分以外の命を預かり、育む」経験を通じて得るものはとても大きいのです。

やぎは秋には学園を離れる予定です。別れを迎える日、子どもたちがどんな姿になっているか、楽しみにしています。



命を預かるということ

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まつのやま学園では、伝統的に1年生が毎年「やぎのお世話」をしています。すぐ近くにやぎを飼っている方やアドバイスをしてくださる方がおられ、こころよく貸し出してくださっているのです。学園の一角には、ものすごく立派な作り付けのやぎ小屋があります。これも地域の方に作っていただいたのだそうです。ありがたいことです。

今週の火曜日、1年生が全員で学園長室にやってきました。

『学園長先生、やぎを飼いたいです。飼わせてください。』
『かわいいから。』『飼ってみたいから。』『お散歩したいから。』
『そのためには、えさもきちんとあげます。』『お世話もちゃんとします。』

1年生は必死です。どうしても飼いたいという気持ちが伝わってきます。かわいい8人の子どもたちの訴えです。つい、「いいよいいよ、飼いなさい。」と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、敢えて「難癖」をつけました。

「みんなはどうしてもやぎさんを飼いたいんだね。その気持ちは分かった。でもなあ…。」
「飼うのはいいけれど、本当にお世話できるのかい?」
「やぎさんが何を食べるのか、知っているのかい?どこから持ってくるんだい?」
「うんちもおしっこもするんだよ。」
「病気にもなるよ。去年の仔は大変だった。そのとき、どうするんだい?考えてあるのかい?」

そして言いました。

「やぎさんを飼うということは、『命を預かる』ということです。みんなの世話をしてくれるおうちの人がいるように、みんながやぎさんのお母さんやお父さんにならないといけないんだよ。できるのかい?できなければ、やぎさんは死んじゃうんだよ。」
「みんなの今の様子を見ていると、とてもそんなふうには見えない。だから今日は、『いいですよ、飼いなさい』とは言えません。もう少し、勉強してきなさい。」


事前に『学園長先生優しいから、きっとすぐに許してくれるよ』と言っていたという1年生、まさかの「不許可」にシュンとします。でもすぐに、『よし、じゃあ、お姉ちゃんに聞いてみる。』『図鑑で調べる。』『うちの人に聞いてくる!』と口々に言って帰っていきました。
今、「リベンジ」をめざして調べているそうです。来週また、みんなして学園長室に来るとのことです。

「学校で生き物を飼う」ということは、今まで守られ、人のお世話になって育ってきた小さな1年生が、初めて「他者のお世話をして命を守る」ことです。「他の人がかわいがっていた大切な命を預かる」ということでもあります。そのためにするべきこと、してはいけないことなど、たくさんのことを考え、体験していくわけです。
やぎはかわいい動物です。ちゃんと世話をしてあげると、ものすごくなつきます。子どもたちの中には当然、「愛情」がわきます。その上で、ああそうか、自分もこんな愛情をもって育てられているんだな、と気付くことができたら、最高です。

その意識を指導者がもっていないと、この活動はまったく意味をなしません。ただの作業、ルーティンワークになってしまいます。

さて1年生、どう成長したのかな。
8人の小さな「お母さんお父さん候補者」の再挑戦、待っていますよ。

(一番下の写真は、去年のやぎ・さぶろうくんと現2年生のお別れの日の様子です。がんばってお世話したからこそ、「さみしいな」と背中が言っていますね。)


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