命を預かるということ(後日譚)手に手に野草を入れた袋、やぎの好物を書いたメモ、野草の写真等を持っています。 「お母さんに聞いたんだよ。」「2年生に聞いてきたよ。」「どこに生えているか調べたよ。」などなど、満足感と自信に満ちた表情で教えてくれました。 一週間、がんばって調べたことが分かりました。何より、「どうしてもやぎを飼いたいんだ!」という思いを感じました。「がんばるよ!」という気合を感じました。 ここまでされては首を縦に振るしかありません。 「分かりました。がんばってきたね。どうか命を大切に、やぎさんを育ててください。」と言いました。 子どもたち、「やったあ!」です。 さて、もちろんこれはゴールでなくてスタートです。 これからいろんなドラマが待っていることと思います。一つ一つ乗り越えて、1年生なりに成長していってくれればと思います。 この世に生を受けてまだ6、7年の子どもたちが「自分以外の命を預かり、育む」経験を通じて得るものはとても大きいのです。 やぎは秋には学園を離れる予定です。別れを迎える日、子どもたちがどんな姿になっているか、楽しみにしています。 命を預かるということ今週の火曜日、1年生が全員で学園長室にやってきました。 『学園長先生、やぎを飼いたいです。飼わせてください。』 『かわいいから。』『飼ってみたいから。』『お散歩したいから。』 『そのためには、えさもきちんとあげます。』『お世話もちゃんとします。』 1年生は必死です。どうしても飼いたいという気持ちが伝わってきます。かわいい8人の子どもたちの訴えです。つい、「いいよいいよ、飼いなさい。」と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、敢えて「難癖」をつけました。 「みんなはどうしてもやぎさんを飼いたいんだね。その気持ちは分かった。でもなあ…。」 「飼うのはいいけれど、本当にお世話できるのかい?」 「やぎさんが何を食べるのか、知っているのかい?どこから持ってくるんだい?」 「うんちもおしっこもするんだよ。」 「病気にもなるよ。去年の仔は大変だった。そのとき、どうするんだい?考えてあるのかい?」 そして言いました。 「やぎさんを飼うということは、『命を預かる』ということです。みんなの世話をしてくれるおうちの人がいるように、みんながやぎさんのお母さんやお父さんにならないといけないんだよ。できるのかい?できなければ、やぎさんは死んじゃうんだよ。」 「みんなの今の様子を見ていると、とてもそんなふうには見えない。だから今日は、『いいですよ、飼いなさい』とは言えません。もう少し、勉強してきなさい。」 事前に『学園長先生優しいから、きっとすぐに許してくれるよ』と言っていたという1年生、まさかの「不許可」にシュンとします。でもすぐに、『よし、じゃあ、お姉ちゃんに聞いてみる。』『図鑑で調べる。』『うちの人に聞いてくる!』と口々に言って帰っていきました。 今、「リベンジ」をめざして調べているそうです。来週また、みんなして学園長室に来るとのことです。 「学校で生き物を飼う」ということは、今まで守られ、人のお世話になって育ってきた小さな1年生が、初めて「他者のお世話をして命を守る」ことです。「他の人がかわいがっていた大切な命を預かる」ということでもあります。そのためにするべきこと、してはいけないことなど、たくさんのことを考え、体験していくわけです。 やぎはかわいい動物です。ちゃんと世話をしてあげると、ものすごくなつきます。子どもたちの中には当然、「愛情」がわきます。その上で、ああそうか、自分もこんな愛情をもって育てられているんだな、と気付くことができたら、最高です。 その意識を指導者がもっていないと、この活動はまったく意味をなしません。ただの作業、ルーティンワークになってしまいます。 さて1年生、どう成長したのかな。 8人の小さな「お母さんお父さん候補者」の再挑戦、待っていますよ。 (一番下の写真は、去年のやぎ・さぶろうくんと現2年生のお別れの日の様子です。がんばってお世話したからこそ、「さみしいな」と背中が言っていますね。) |
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