まつのやまブログ

まつのやま学園フェスタで育ったこと

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 大変遅くなりましたが、10月23日に行われた「まつのやま学園フェスタ」に、たくさんのご家族の方々からご来場いただき、ありがとうございました。もっと大々的に、子どもたちの活躍を発信したかったのですが、こんな状況です。「松之山在住のご家族の方」に観覧を限定させていただきました。どんどん減り続けているコロナ感染者。このまま終息してほしいと心から願っています。

 開会のご挨拶でもお話ししましたが、こういう大行事は「そこに行くまでの過程」こそが教育的なのです。ミュージックステージ、チャレンジステージ、有志による発表、子どもたちの「本気でいいものをつくろう」という高い意識に毎日触れていました。日に日に気合が入っていきました。「他者を笑顔にするために、本気を出す」という姿でした。松之山の伝統なのですね。本当にすごい子どもたちです。

 運営でも発表でも、当日、少しの失敗はあったのかも知れません。でもああやってたくさんの人の前で発表して、拍手をもらう。教室や家に帰ってほめてもらう。こういうのが子どもの自己有用感、自己肯定感を大いに高めたのだと思います。いろいろと「弾け」ても大丈夫な家庭や地域に育ち、安心して自己表出のできる仲間との関係性があるんだなあ…と嬉しくなりました。

 当たり前のことでいいのです。これからも感動した!すごいと思った!らその気持ちをストレートに子どもたちに伝えてください。「お前はすごい」という評価者目線ではなく「私は感動した!」という「Iメッセージ」(主語がI)でいきましょう。

 たくさんのご参観、本当にありがとうございました。来年こそはフル規格で、いつも力になってくださる地域の方にも開放できますように!

学園の栄光は、松之山地域みんなの栄光!

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以前、このブログでも紹介した「時事通信社 教育奨励賞 努力賞」の賞状と盾が送られてきました。「全国レベル」の表彰です。新潟市を除く県内の学校としては、今年唯一の受賞なのです。

学園ができて今年で5年目。初代学園長の久保田智恵美先生が創り上げ(現在もお立場を変えて学園と地域のために奮闘中)、2代学園長相澤顕先生がマイナーチェンジを加えてバージョンアップさせ、育て上げてきた学園が全国的に認められた、これがその証明です。

そして何よりも、まさに「全国レベル」の強力なバックアップをしてくださる松之山地域の方々と、故郷を離れてもなおお心を寄せてくださる方、みんなでいただいた賞です。松之山全体の栄誉だと思っています。本当にありがとうございます。

「みなさんは実は、こんなすごいところに住んでいるんだよ。すごい学園に通ってきているんだよ。」

次の全校朝会の折にでも、学園の子どもたちにこのことを紹介し、みんなで胸を張りたいと思います。しばらくしたら学園内にも展示いたしますので、地域ゆかりの方はご来校の上ご覧ください。

いじめの本質と対応について

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 幼い頃、野で遊んだことのある方ならば、多くがバッタやトンボ、セミなどの昆虫の脚や羽をもいだり、もっと小さな虫をいたぶるようにして殺してしまったり、という経験があるのではないでしょうか。もちろん大きくなれば、普通の感覚をもっていれば無意味に生物に危害を加えるようなことはしません。個人差もあるでしょうが、このようなことは子どものころには単純に「面白い」と思えることなのでしょう。子どもが純粋な存在であるが故の「残虐性」がストレートに発露されているのかも知れません。まだ、「残虐」とされることの意味がよく分かっていないのです。
 
 このことを「いじめ」に当てはめてみると、まだ理性が未発達な子どもの残虐性に集団心理や同調圧力的な要素が加わって罪の意識が失われ、つい勢いで荷担してしまうということもあります。
 
 人間が「殺意」というものを覚えるのは3歳前後だと言われます。人間は残虐性を生来持って生まれてきており、しかもそれはとても強固なので、いじめの根絶は無理だということになるかも知れません。実際に「いじめは昔からあった」「今の子は耐性が低い」「大人の世界にもあることだ」という見解があることも承知しています。だからといって「多少のいじめは仕方ないことだ」という結論にしてしまっては、絶対にいけないのです。そういう意識を看過してしまってはなりません。
 
 歴史を辿ってみれば、人間は戦争などの残虐な行為を繰り返しながらも、一人一人の人間が尊重される社会の実現をめざして努力してきました。人間には本能的にいじめを生む要素があるからこそ、必死になってこの深刻な問題に全力を挙げて立ち向かう必要があるのだと思います。そして、子どものいじめは、人間が本来もっている残虐性の発露なのだという意識をもたなければならない。
 
 よくある「性善説」で、「子どもは純粋な存在で、残虐性なんかないのだ」という意見があります。それはそれで実によく分かりますが、子どもに関わる大人はできるだけニュートラルであるべきです。「子どもには残虐性なんかない。まさに天使のような存在だ。」と切望することと、現実に子どもたちの人間関係の中で発生するいじめが大きな社会問題になっているという現状認識を区別して考えないと対応を誤ります。
 
 人間がもつ悲しい残虐性を認識した上で対処していく必要があるように思います。今は平和に見えるまつのやま学園ですが、深刻ないじめが発生した場合には決して解決を子どもだけに委ねるのではなく、教職員や保護者などの大人がきちんと介入して止めさせなければ、いじめられている子の生命や安全を守りきれない場合があるのです。
  
 今、学園で大きな何かが起こっているわけではありません。しかし、100%大丈夫と言い切ってはいけないでしょう。私たちまつのやま学園の教職員は「いじめは存在する」という危機意識をもった中で、子どもたちを見守っています。しかし、いじめは教員の見えないところで起きている場合がほとんどです。さらに、いじめの標的になっている子どもには自尊心がありますから、自分がいじめられていることを惨めだと感じてしまい、教員に打ち明けることをためらっていることも多いのです。まして親に言えば、悲しんだり心配したり、大ごとになると思って話せないケースもあります。
 
 職員みんなで子どもたちの小さなサインも見逃さないように努力し、情報共有もしていますが、「これで十分」なんて、決して思っていません。ご家庭のみなさん、地域のみなさんのご協力が必要です。親に漏らした気になるひと言や地域の方々から見た子どもたちの気になる様子がありましたらぜひ学園にご連絡ください。一緒になっていじめの早期発見と根絶に取り組みます。切にご協力をお願いします。

 
 最後に、新型コロナウイルス感染症についてです。何が良かったのかよく分かりませんが、10月7日現在、全国的に感染者が減り続けています。喜ばしいことです。しかし十日町市ではまだ、毎日のように感染者が発生しています。見えない敵ですし、どれだけ気を付けていてもだれだって感染のリスクはあります。明日は自分や自分の家族がなるかも知れません。   
 「怖いのは感染自体よりも、風評だ」とよく言われます。悲しいことですが私も見聞きしたことがあります。「あそこん家の○○さんがなった」「○○でクラスターらしい」と「いらんこと言ってる」大人の姿…また、子どもたちが話しているのを聞いたこともあります。…どう見ても、近しい大人が言ってるのを聞いてるんですよね。暗澹たる気持ちになりました。

 この先自分が感染するとして、そのときは安心してかかりたいよなあ…と思います。それは誰しもそう思うはずです。

 「いじめ」と「差別」の違いは何か。ある研修会で、「学校で行われる差別をいじめと言い、社会全体で行われるいじめを差別というのだ」と学びました。
 前段の話に戻るようですが、私たち大人がいい歳をして「残虐性」を発揮して「いじめ」「差別」の首謀者・加担者・傍観者になっていないか、今こそ内省しないといけないですね。そして、そのような噂を立てること、感染した云々をあれやこれや言うこと自体、人として間違った行動なんだよ、と子どもたちにも呼びかけていきたいと思っています。

敢えて言います、「勉強しなさい。」

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 このブログでも連日のようにご紹介しているとおり、国の「GIGAスクール構想」の方針を受け、まつのやま学園の子どもたち全員にタブレット端末が貸与され、電子黒板等の教授機器も配当していただきました。教員も研修を重ね、毎日・毎時間どこかでこれらを使った授業が展開されています。子どもたちの技術習得の速いこと!ちょっとかないません(笑)。これは、今後またコロナの大波に襲われて「休校措置」などになってしまった場合にも有用な学習の手段だと考えられています。「どんなことがあっても、子どもたちの学びを止めるな!」という教育行政からの強いメッセージでもあると受け止めています。そうです。学ぶこと、勉強することを止めてはならないのです。

 ここでふと、考えます。学校の教員をしていると必ず一度は子どもたちに問いかけられ、教師として自分でも考えることです。教員でなくても子育て経験のある方なら、同じようなことを言われたことのある方がほとんどではないでしょうか。曰く、

「どうして毎日学校に来るの?」「何のために勉強なんかするの?」

 
これはものすごく根源的な質問です。哲学的とも言っていい。若い頃、こう子どもに問いかけられたとき、うまく応えられない教師である自分を恥じました。彼らはこうたたみかけてきます。

「分数のかけ算とか、邪馬台国がどうだとか、酸性やアルカリ性がどうだとか、大人になって何の役に立つの?使うときがくるの?」

 …そのとおりです。他にもなんだかいろいろありますね。「因数分解」「元素記号」「古文の変格活用」等々、実際今の私の職業に於いても、まったく使わないことを必死で覚えてきました。本当に、なんで学校の勉強なんてあるのでしょうか?

 ちょっと記憶が曖昧ではあるのですが、あるときに映画監督の北野武さんが以下のような意味のことを言っておられました。
「勉強は、やりたいことを見つけるためにするんだ。何がやりたいのか、自分が何に向いているのかを知るために、学校の勉強はしなくてはいけない。いい歳をして『やりたいことが見つからない』なんて言っている奴は、勉強していない証拠なんだ。」

 北野氏がどうやって「お笑い」と「映画」の世界でトップを取れる力を見つけ出したのかは分かりません。でもあの方からは、たくさんの勉強をしてきたというインテリジェンスを感じます。

 今、子どもたちが就きたい職業の上位にあるのは「YouTuber」や「ゲームクリエイター」です。当然ですがこれらの仕事だって、ただの「パソコン好き、ゲーム好き」だけでいいわけではありません。国語の力、算数数学の力、理科的・社会科的な力…諸々もっていなくては成功しないことがお分かりいただけると思います。

 子どもたちは将来、どんな道で自立して生きていくのか分かりません。大人のみなさんがそうであったようにおそらく多数の子は、今想像しているのとは違う道で生きていくのではないでしょうか。自分でも気付いていない能力や適性、興味の方向などがどこに眠っているか分からない。だからそれを発見しやすくするために、幅広くいろんなことを学校で学ぶのだと思います。更に言えば、学校で学ぶのは所謂「勉強」だけではありません。人間関係、礼儀、道徳…他にもたくさんあります。
だからわざわざ、「学校」というものがあって「勉強」をさせているのだと思います。

 歳をとりました。今なら子どもたちの問いかけに対して、少しはまともに応えてやれそうです。そして、自信をもって、松之山の子どもたちに敢えて言おうと思います。「勉強しなさい」と。

大変な栄誉に浴することとなりました。ありがとうございます。

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すでに今日の9月17日付新潟日報18面「魚沼」欄にて紹介されておりますが、このたび、我がまつのやま学園は、時事通信社の第36回教育奨励賞(文部科学省後援、公益財団法人新聞通信調査会協賛)において、「努力賞」を受賞することとなりました。

この賞は「創造性に富んだ特色ある教育で顕著な成果を挙げた学校」をたたえるもので、全国の都道府県や政令指定都市から63校の推薦があり、その中から選ばれたものです。まつのやま学園は新潟県教育委員会からの推薦を受けました。新潟市を除く新潟県内からは、唯一のノミネートです。

受賞理由は「自然環境を生かし、住民参加型の独自の教育に取り組んできたこと」。私は「松之山のよさを生かし、本当の意味で地域に開かれ、地域に根ざした教育を推進してきたこと」であると理解しています。

すでにこのブログで何度もご紹介してきているとおり、ここ松之山には「日本の古き良き中山間地」を象徴するような豊かな自然と、里山の人々のたたずまいがあります。そして本気で「学園は地域の宝だ」と考え、学校運営に参画くださっている多くの方々がいらっしゃいます。

「まつのやまタイム」(山羊に畑に田んぼに地域探訪…もろもろ!)、「スキー授業」、「オリンピアンやレジェンドスポーツマン招聘」、「アウトドア部」「キョロロとの連携」…まだまだたくさんの特色ある活動が、地域の方々の強力なバックアップのおかげで成り立っています。観光業界のみなさんとコラボして、現在進行形で進んでいる取組もあります。「雪里留学」の仕組みもできあがりつつあります。
今はふるさとを離れた松之山出身の方々、各地区の校友会や東京松之山会の方々にも、絶大なご支援をいただいています。

要するに思いは一つ、「松之山の子どもたちを、松之山にゆかりのみんなで育てよう!」としてくださっているのです。松之山の未来をみんなで考えて、力を貸してくださっているのです。

そこのところが認められての、今回の受賞です。代表して学園が受け取りますが、これはだから、地域みんなでいただいた賞だと思っています。

本当に幸せな学園です。幸せな子どもたちです。幸せな教職員です。どれだけ感謝しても、しきれません。心から御礼を申し上げます。

「小中一貫校 まつのやま学園」は、5年目を迎えています。すでに多くに認知され、県内はおろか全国的に注目を浴びる存在となっています。現場にいると分かりますが、あちこちから「視察」や「取材」、「資料請求」などの依頼が絶えないのです。今回の受賞で、またその流れは加速するでしょう。

この仕組みを創ってくださった初代学園長の久保田智恵美先生、初代副学園長の武田篤先生、その意志を引き継ぎ発展させてくださった二代学園長・副学園長の相澤顕先生のご功績を思い、最先端の教育環境に勤務させていただいていること、現在学園を任されている者として、身が引き締まります。

まつのやま学園に関わるすべての方々、ふるさとを離れてなお、思いを寄せてくださる方、今、目の前にいる子どもたち。すべてを誇りに思います。

地域の宝であるこの学園をもっともっと発展させるため、そして不変の教育目標「生き生きとした子ども」の具現化のため、全力を尽くして参ります。
保護者のみなさまを含む地域のみなさま、地域ご出身のみなさま、これからも力をお貸しください。よろしくお願いいたします。

            令和3年9月17日
            小中一貫校まつのやま学園 学園長 藤田 剛

「新型コロナ特別警報」の解除に伴うまつのやま学園の教育活動について

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新潟県内全域に発令されていた「新型コロナウイルス特別警報」が、今日をもって解除となります。これに伴い、まつのやま学園の今後の教育活動について下記の通りといたします。

1 明日17日(金)より、感染対策を十分に行った上で「部活動」を再開します。
2 延期している9年生の修学旅行は、10月4日(月)〜6日(水)に実施します。
3 毎週金曜日に実施しているフッ化物洗口(希望者)は、10月に再開します。
4 10月のフリー参観は、予定どおり実施します。

なお、今後の市内や周辺地域での感染拡大状況により、再度の変更が想定されることもお含み置きください。


「特別警報解除」といっても、危機が去ったわけではありません。「警報」になっただけです。当たり前ですが引き続き警戒し、感染予防に全力を挙げていく必要があります。学園では、県教委及び市教委からの指導・指示のもと、以下のことをはじめとした対応をしていきます。


・一人一人の顔を見ての健康観察
・手洗いうがいの励行、声かけ
・マスクの着用指導、及び屋外活動・体育時等外してよい場合の指導
・こまめな換気
・入退校時のこまめな検温、消毒
・発熱者発生時の複数対応、保護者との緊急時の連絡方法確認
・差別や分断を絶対に生まない「心」「行動規範」の指導


もちろん、これらのこと以外にもその都度協議し、対応していくこともあろうかと思います。ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

感染対策の徹底を

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毎日13:00過ぎ、県内と新潟市。15:30過ぎ、県内市町村の詳報。16:45過ぎ、東京都。もう、「コロナ感染者数」の発表時刻を覚えてしまいました(T_T)。

ここのところ少しずつ少しずつ、減ってはきているような気もしますが、それでも去年の今頃に比べたら、驚天動地の数値なのです。「慣れ」とは恐ろしいもので、「東京2000人か。『減ってきた』な。」「おっ、県内は二桁か。『少ない』な。」などと感じてしまいます。今年のお正月、「東京4桁いったぞ、コレは大変だ」と思ったのに…。7月くらいまで、県内の1日の最高は30人くらいだったのに…。

この「慣れ」が一番危険だぞ気を抜くな、と毎日自分で自分に言い聞かせています。

学園でも、危機感を緩めずに対策を講じていくように、感染防止のためにできることは最大限に行うようにしています。

一人一人の顔を見ての健康観察、手洗いうがい、換気、検温、消毒、発熱者発生時の対応の確認。それから何より、差別や分断を生まないような「心」の指導。教職員の多くがワクチン接種をしているとは言っても、「命がけ」です。

ただしこれらのことをし過ぎるくらいに行っても、学校が大勢の子どもたちを集めて活動させる場である以上、絶対に「万全」「パーフェクト」にはなりません。終わりも分かりません。見えない相手との戦いは、ここが大変です。心配は尽きません。

それでも、子どもたちの今の時期は「一生に一度」です。対策をした中でできることは思い切り、ガマンは最小限にさせてあげたいのです。

未知のことですから、いろんなケースごとに考えて話し合って、最良の道を探っていくしかありません。みんなで建設的に、知恵を出し合っていきましょう。アレがダメ、コレがダメ、ではなくて、「どうしたら子どもたちにとって一番いいのか、少なくともベターなのか」という視点で考えていければと思います。

市内ではほぼ毎日、感染者の報告があります。子どもたちにも広まってきているのが気がかりです。今はみんな元気にしていますが、いずれ学園にも感染者が出るのかも知れません。

万が一そうなったとしても、みんなが安心していられるように。物心両面の準備だけはしていきたいものです。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う対応について

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ご存じのように、新型コロナウイルス感染症の猛威が収まりません。多くの都道府県に「緊急事態宣言」が発令されています。新潟県においても独自の「特別警報」の範囲が十日町市を含む全市町村に拡大されました。十日町市内でもここのところずっと、毎日感染者が報告されています。

昨日(8/31)、十日町市教育委員会教育長より以下の通知がなされました。

<9月3日(金)〜16日(木)の教育活動について>
○部活動の休止
・この期間のすべての活動を休止する。
○泊を伴う学校行事について
・この期間は実施しない。 ・市をまたぐ移動はしない。 
・この期間以外での実施や市内日帰り旅行等を再考すること。
○学習参観や体育祭について
・延期や中止を検討すること。
・実施する場合でも無観客やリモートで実施すること。


このことを受け、まつのやま学園では、これまでの感染拡大防止措置に加え、この期間、以下の措置をとります。

○部活動は休日を含めすべて活動停止とします。
○8日〜10日に行う予定であった9年生の修学旅行は延期とします。具体的な期日は調整中です。この間、9年生は通常授業とします。(朝活動の時間、生徒たちには伝えました。)
○毎週金曜日に実施しているフッ化物洗口(希望者)は、感染防止のため実施しないこととします。
○15日のフリー参観は、中止とします。


前例のない事態ですので、毎日の学校生活の中で、これから「これはどうしよう?」「これはどのように?」「こんな時は?」という細かな疑問がたくさん出てくると思います。その都度協議をして判断し、方針を決めていきます。ご不安なこと等ありましたら、遠慮なく学園までお問い合わせください。

とにかく、子どもたちとそのご家族・地域のみなさまと職員の生命の安全が第一です。その大原則を崩さずに、できるだけの教育活動を行っていきます。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。



2学期開始!

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 夏休みが終わり,2学期が始まりました。
 1学期終業式の際に話をした「まずは『生きて帰る』こと」「それができたら,けがや病気をしないこと」「それができたら,手伝いや学習をきちんとすること」「それができたら,夏休みを思い切り楽しむこと」。一人一人,取組や評価は違うでしょうが,最も大切な「第1段階」は,全員が厳守してくれました。ありがとう。
 
 自分自身がそうだったからでしょうか,「もう少し休みが続くといいなあ」と思っている子が大勢のように思いますが,実は「友達と会えて,遊ぶことができるから」「家にいても退屈だから」という理由で,「休みはもういい,早く学校始まれ!」と思っている子も一定数いるようです。昨年同様のコロナ禍で,「お出かけ」があまりできない夏でしたから,そんな意識の子は案外多いのかも知れませんね。
 
 ある程度自分の意のままに過ごすことができた夏休みと違って,学校での生活は「ルール」や「制約」だらけですから,「窮屈」であることは間違いありません。授業をはじめ「学ぶ」という行為には,「努力」や「苦痛」は必ず伴います。しかし,それを乗り越えたときの達成感は格別なのです。また,学校に来れば毎日友達と顔を合わせることができるというのも大きな魅力なのでしょう。

 「こんなにも,嬉しいことであったのだ。そう,学校へ行くと言うことは。」

 歌人の俵万智さんが詠んだ作品です。彼女はもと高校の教員でしたね。この歌が,学校生活のどんな場面を切り取って詠まれた歌なのかは,想像するしかありません。自分の子ども時代のことなのか,
教員となってからのことなのか,教員を辞してからのことなのか。それらも含めてです。

 いずれにしても,まつのやま学園の子どもたちにとっても,この歌のように,毎日会えて嬉しく思える友達や先生がいて,苦しさを乗り越えた先には楽しい出来事が待っているような,そんな実りある2学期になるように職員一同協力してがんばりますので,皆様方からのご理解とご支援をお願いいたします。

 こんなご時世ですが,つまんないことばかりではありません。きっと好転していくことを信じます。その希望の光である子どもたちを,大切に育てていきます。

子どもたちの命を最優先に

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【新学期にあたって】

 週明けから2学期が始まります。職員も,子どもたちを迎え入れる準備を万端にしています。

 いろいろな関係省庁が警鐘を鳴らし,報道もさかんにされますから,見聞きしておられる方も多いと思いますが,夏休み前後,特に「9月1日」あたりに小中学生の自殺が急増することが判明しています。このことを受けて文科省も「夏休み明けは子どもたちの心身に変化が現れやすい」として,全国の教育委員会に今以上の見守りを強化するように求めています。学園においても,「一人一人の子どもたちの小さな心身の変化を見逃さないように」と職員に指示したところです。

 厚労省の「自殺対策白書」は小中学生の自殺について,「家族からの叱責・しつけ」の他,「いじめや進路に関する悩み」などの学校生活が原因のケースも少なくないと分析しています。その上で「夏休み明けは生活環境が大きく変わり,大きなプレッシャーや精神的な動揺が生じやすい。」との指摘がなされています。
 ある程度の経験を積んだ教員なら多くが実感していますが,夏休み明けには自殺(未遂)などの大ごとには至らないにしろ,不登校や非行,いじめなど,精神的な不安定さが原因と思われる不適応行動が多く発生する,ということもあります。

 こうした意味で,8月の末から9月は教職員も保護者・地域のみなさまも4月の学年初めと同じように,細心の注意と緊張感をもって子どもたちを見守らなければならない時期だと考えています。先生方や親など,子どもたちを取り巻く「大人」にしてみるとどうしても,「ほら,2学期が始まったのだから早く夏休み気分を吹っ飛ばして,『きちんと』生活しなさい!」と言いがちです。2学期には学園フェスタや部活動の新人戦,駅伝大会など,大きな行事が目白押しですから,教員にも「子どもたちには,きびきびと動いてほしい」という思いが生まれます。
 9月は祝日も多く,それが集中的に来たりする期間もありますから,せっかく学校生活のペースに慣れたと思った矢先にまた休みになり,生活リズムがまた狂ってしまうことも心配されます。こうした大人と子どもの意識のずれが一つの要因となって,不適応行動の増加に繋がっているような気もします。

 保護者のみなさまも教員も「気がもめる」でしょうが,ここは一つ落ち着いて。
 叱咤激励をしすぎないように注意するとともに,一人一人の子どもたちの微妙な変化を見極めて冷静に対応していきましょう。最初からアクセル全開で飛ばすのではなく,やわやわ暖気運転をした上でそろりそろりと走り出す,くらいでちょうど良いですよ。
 ご心配なことがありましたら,どうぞ遠慮なく担任・学園までお知らせください。一緒に考えましょう。

 週明けの30日,まつのやま学園の子どもたちの元気な顔を,待っています。



【新型コロナウイルス感染症について】

 新型コロナウイルス感染症(デルタ株)の爆発的な拡がりが起きています。多くの都道府県で「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」がとられ,新潟県内・十日町市内においても連日とても多くの感染者が報告されています。夏休み中には郡市内の公立学校に通う子どもたちや教職員の感染も報道されました。このことは,今日も現在進行形です。
 学園では引き続き,「徹底した手指消毒」「検温や詳細な健康観察をはじめとした子どもたちと職員の体調管理」「マスク着用の徹底(併せて『外して良い場合の指導』も)」「密の回避・換気の徹底」等々,これまで同様に緊張感をもって感染防止に努めていきます。
 ただこのような状況では,もはや全国どこにいても,いつウイルスに入り込まれてもおかしくありません。各自がどれだけ注意をしていても,です。地域の感染状況やそれに対する対応も刻々と変化していくことが想定されます。学園でも場合によっては緊急の対応等をとらせていただくこともあるかと思います。学園からの文書やメール,HP等は随時チェックしていただけますよう,よろしくお願いいたします。
 
 また,当然のこととして,万が一,感染者が出た場合においても「風説の流布(SNS等含め)」や「誹謗中傷」「感染者を特定しようとする行為」等,人として間違った行動は厳に慎んでいただきますよう,お願いいたします。

 学校も家庭・地域も,みんなで協力してこの国難を乗り越えましょう!

1学期終了!家庭連絡票は「点」ではなく「線」で見て!

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 本日をもって72日間(1年生は71日間)の令和3年度第1学期が終了しました。コロナ禍の中,感染対策に万全を期しながら,できるだけ今までどおりの教育活動を取り戻そうと,子どもも職員もがんばった1学期でした。運動会,各種の校外学習,プールでの学習等々,地域のみなさん,ご家族のみなさん等々の多くの愛に育まれ,学園の子どもたちが多くの成果を上げることのできた学期でした。

 さて明日からの夏休みを前にして,どうしても親子で一喜一憂してしまうのが「家庭連絡票の成績」ではないでしょうか。家庭連絡票というのは,お子さんの学校での人間的成長,また「学習面でこれだけがんばりましたよ」といった成果をご家庭にお知らせする文書です。

 この家庭連絡票を見るときに大切な視点は,現時点でのお子さんの学力をお知らせするだけの「点」としての見方ではいけない,ということです。ではどういう見方が大切なのかというと,学校とご家庭が今のお子さんの成長にとって何が良いのかを具体的に話し合うための「線」のような存在だと考えていただくことだと思います。家庭連絡票というのは,決して学校側からの一方通行のメッセージではありません。

 そうは言っても,子どもたちにとっても保護者のみなさんにとっても,一番気になるのは「成績」つまり教科の評価・評定だと思います。でも,通知票に書いてある「ABC」とか「◎○△」の数や評定の数値だけを見て一喜一憂するのは良い読み方ではありません。
 苦手な教科があり,成績が思わしくないとき,注意したり叱ったりするだけではその場限りの「点」に終わってしまいます。そもそも家庭連絡票というのは,「叱るための道具」としてお渡ししているのでは絶対にないのです(ここは強調しておきますね)。
 逆に,たとえ良い成績だったとしても,ほめるだけにとどまったら,これもまた「点」になります。大切なことは,成績が良かったにしろ思ったほどではなかったにしろ,親子が一緒に「成果」を客観的に受け止めて,そこから次の「課題」を見つけることです。成績が良かったお子さんでも,必ず課題はあるはずなのです。
 そして次は,具体的に「何を,どう」がんばれば良いのか,「具体的方策」をお子さんと話し合ってください。やみくもに「がんばれ」だけでは、何をどうしたらいいのか分かりません。「次は,これをがんばってチャレンジしよう!」「こういう方法で、このことにチャレンジしていこう!」等々…これで,家庭連絡票は次につながる「線」になります。
 テストなどもそうなのですが,今の時点より「次」を考え,お子さんをどう伸ばすか,担任とも認識を共有することが大切なのです。伸び続けるために、「今の良い成績」より,「次の課題」が分かる方が,お子さんにとって絶対にプラスになるのです。

 せひこんな考え方で,お子さんにとって充実した1学期であったかどうか,ご家庭でもお子さんと一緒に足跡を振り返って話し合ってみてくださいね。

 最後になりましたが,地域のみなさま,保護者のみなさまからの深いご理解と多大なるご支援,ご協力のおかげで,まつのやま学園も大過なく1学期を終えることができそうです。1学期間、このブログをお読みいただきましてありがとうございました。

 終業式で,子どもたちには短く(暑くて,とてもとても長話などする余裕はありません。お互いのために(^_^;)),こんなことを話しました。

「とにかく,生きて学園に帰ってきてくれ。死ぬことは許さん!そのためにできることを考えなさい。それができたら,怪我や病気をしないでください。それができたら,宿題や手伝いをちゃんとしてください。そしてそれができたら…夏休みを楽しんできてください。」(この間、約1分(^^;))

 隣町では大きなクラスターも発生してしまいました。子どもたち一人一人,そしてご家族,地域のみなさんが感染対策に最大限の留意をしてほしいです。

 80名の子どもたちが有意義な夏休みを過ごして,8月30日の2学期始業式には元気な顔を見せてくれることを願っています。

 これから先も子どもたちに「夏休み」は毎年訪れるのでしょうが,『今年の夏は,今年だけ』です。いい『夏男』『夏女』にして,再び学園に向かわせてください。

キャリア教育について

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 マスコミなどで「ニート」という言葉が使われ始めてからかなりの年月が経ちました。もうお分かりでしょうが、「ニート」というのは、学校を卒業しても定職に就かず、就職する準備もしない人や、時には家事の手伝いさえもしない若年無業者を総称する言葉です。何年か前の「若者・子ども白書」では、全国のニートの数は約60万人いると公表されていました。

 古今東西を問わず、ニートのような若者は昔から存在していたようですが、それはごく一部のお金持ちの子弟に限定されていました。古典落語の中にも大店の放蕩息子の話はよく出てきます。また、高名な詩人や作家、芸術家なんかの中にも、若い頃はニートのような暮らしを送っていた人もかなりいますね。彼らのほとんどは裕福な家庭に生まれ、働かなくても困らない環境の中で、のびのびと芸術の才能を伸ばしていったのでしょう。
 しかし、現代のニートは、昔とは違って一部の特権階級の家庭だけに生まれるものではないようです。実際に、病気や貧困などで失業してしまい、気の毒な状況下で苦しんでいる若者を除けば、親に甘え、頼って生活しているケースが多いとの報告があります。その親も特別に裕福であるというわけでもないのに、必死で働きながら子ども(大きな子ども?)を養っているのだそうです。要するに、親の過保護や過干渉がニートを生み出している一つの要因になっているのです。「8050問題」(齢80の親の年金で、50歳のニートを養っている)なんてのもありますね。

 そう考えると、私たちは「子どもを自立させること」を再度心がけて接していく必要があるように思います。それも、高校生になってから急に「自立」だの「自活」だのと言ってみたところで遅すぎます。小学校低学年のうちから発達の段階に応じて「自分でできることは自分でさせる」など、自立させるための基本的な躾を心がけたいものです。
 さらに小中学校段階においては、子どもたちが将来大人になり、自立するために必要な能力や態度を育てるための「キャリア教育」の視点をもつ必要があります。

 まつのやま学園では、ホップ期のうちから「まつのやまタイム」やその他の時間を使って地域のいろいろなところに出かけたり、素晴らしい地域の人材に学ぶ機会を設けています。これらもある意味、「キャリア教育」の一環と言えます。
 各学年で行っている「係活動」「当番活動」あるいは「委員会活動」や「つくし会の活動」、もっと言えば毎日の「清掃」「部活動」だって全部、「キャリア教育」の範疇に入ります。子どもたちが成長していき、そのけじめがステップ期の「チャレンジ合宿」であり、8年生の「職業体験」であり、9年生の「宿泊体験旅行」であり、ということになるのです。なにも「職業指導」「将来の自分のことを考えること」だけが「キャリア教育」ではありません。そう考えると、まさに学校で行う教育活動のほとんどは、「キャリア教育」だと言っていいのです。
 今年の入学式で1年生に「学校で毎日してほしいこと」として、「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を紹介しました。「遊ぶ」と「学ぶ」に関してはまあ、異論のないところでしょうが「働く」には、「?」だった親御さんもいらっしゃるでしょう。でも、以上のような思いがあってのことでした。

 いずれにせよ、子どもたちの周りにいる大人たちが「なぜ、学校で学ばなければならないのか」「勉強は何のためにするのか」という学びの意義や、「なぜ働かなければならないのか」という労働の意義について子どもたちに理解させることが重要なカギになります。

心のエネルギー補充を(6/10)

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一般的な自動車はバッテリーの力でエンジンを始動させ,走行中はエンジンの力でバッテリーに電気を補充するという自己充電システムをもっています。最近増えている「ハイブリッドカー」は,半分前後をモーターの力で走っているわけですから,更にバッテリーへの依存率が高まっていると言えます。

 これと同じように,人の心の中にも,「いつも80%以上のエネルギーを蓄える充電システムがある」と精神科の医師が言っているのを聞いたことがあります。
 80%以上のエネルギーがあると,心にゆとりをもち,ものごとに適切に対応できます。しかし,エネルギーを使いすぎて80%の水準を下回ると「軽い疲労感」や「休みたい気持ち」が湧いてくるのだそうです。そのたびに一休みをして充電し,再び80%ラインに届くようエネルギーを補充せよ,と自分で自分に命令しているのです。
 ところが「休みたい気持ち」をずっと我慢してがんばり続けていると,エネルギーレベルが下がり,疲労感が強まり,体調不良を起こすなど,(ウルトラマンで言うと)カラータイマーが点滅し始めます。ふつうだと,この辺りで「がんばる」ことを中断して,休憩や睡眠を取ったり,美味しいものを食べたりするなどして,充電回路が自然に働き出すようにエネルギー回復が行われます。しかし,それも無視して更にがんばり続けると,最終的にはエネルギー回復回路が故障してしまい,エネルギーがどんどん減少し,自分をコントロールできないような状況が生まれるのだそうです。この回路故障の原因には様々な要因があるようですが,中でも一番大きいのは「ストレス」です。このような状況に陥った人に対して「がんばれ!」というような励ましのことばは「禁句」です。思い切り逆効果です。

 令和3年度がスタートし,子どもたちの新たな生活が始まって2ヶ月が経ちました。大きな行事の運動会も終わりました。子どもたちの様子はいかがでしょうか?学園全体としては,どの学年も概ねスムーズな立ち上がりだったと感じています。ただ,子どもたち一人一人の内面に目を向けてみると,慣れるまで我慢したり緊張感をもち続けてストレスがたまり,心のエネルギーがやや不足気味になってくる頃ではないかな,と思っています。

 ご家庭や地域で,子どもたちの「心のエネルギー不足」が見え始めましたら,「がんばれ!」と叱咤激励するのではなく,「早く寝るといいよ。」「ごはん,いっぱい食べなね。」「気分転換に○○しようか?」などなど,エネルギー充填できるような声がけをし,フォローをしてやることが大切です。「子どもたちがほっと一息つける場所・時間」を学園にも家庭にも地域にも,確保していきましょう。よろしくお願いいたします。

「まつのやま学園いじめ防止対策基本方針」をアップしました。

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 今年度の「まつのやま学園いじめ防止対策基本方針」をHP上にアップいたしました。トップページの下の方からお読みになれます。
 いじめは喫緊の教育課題です。毎年全国のあちこちで,いじめによる悲惨な事件が報道されます。最近もありました。これはもう,深刻な社会問題です。ですから社会総掛かりで,この問題に立ち向かっていかなければなりません。現在は平和に見えるまつのやま学園ですが,「いじめはいつでもどこでも,だれにでも起こりうること」と考えて,「総勢26名の職員全員で,80名の子どもたちの様子をよく観る」ことを職員に指示しています。

 さて,特に低学年の子どもなどは,ふざけ合っていてほんの少しトラブルになった程度でも,「いじめられた」と泣いて訴えてくることがあります。
 文部科学省の「いじめの定義」は,「本人がいじめであると感じれば,それはいじめである」となっています。今は法的にもそうなっているのです(平成25年公布『いじめ防止対策推進法』)。当学園の基本方針にも,「いじめの定義」として,そのように記載してあります。私たち大人は,まずこの点をしっかりと把握しておかなくてはなりません。「昔はよくあった」「自分が子どもの頃はこうだった」は,通用しないのです。
そこまで法を含めて整備して、かけがえのない子どもたちの「命」を守ろうとしているのです。
 
 ただ他方,実際に日常の学校生活で起こる一過性の些細なトラブルまですべて「いじめ」としてしまうと,かえって陰湿で重大な「いじめ」との区別がつかなくなる危険性もあります。
 したがって,子どもたちにいじめを重大な事件として受け止めさせるためにも,「単にいやなことをされたのか」「いじめられたのか」を区別できるように教えておく必要があります。特に,どんなことがいじめにあたるのかという定義をきちんと教えておくべきです。
 たとえば例として,

・長い期間,複数回にわたり本人がいやがることをしたり言ったりし続けている場合。
・本人が「やめて」等々拒絶してるにもかかわらずその行為を続けた場合。
・複数の人たちが集団で一人や二人にいやなことを続けたとき。
・明らかに力の差があって(腕力や年齢),強い者が弱い者にいやなことを続けたとき。
・本人がどんなにがんばっても改善できない体のことや,家族のことなどに関する悪口を言い続けたとき。
・無視や「口をきかない」などの精神的に傷つく嫌がらせを継続したとき。
・気持ちをすごく傷つけるようなひどい言い方や行動をとったとき。

 などが挙げられると思います。当然,昨今ではSNSによるものもありますね。

 これらのことが「いじめ」であり,人として絶対にしてはいけないことであると,周りの大人が1年生の時から繰り返して話しておくことが大切です。
 そうすれば,何かトラブルがあったときに,いじめた方にも,いじめられた方にも,そしてこれを見ていた周囲の子どもたちにも「四人がかりでAさんのことを無視し続けたでしょ。それはいじめだよ。」となど指導することができます。よく言われることですが,大切なことは,いじめは当事者のことだけではなく,それを見ていた周囲の子どもたちも含めていじめを許さない雰囲気を作り出すことなのです。

 この学園で「いじめ」が起こったとき,先生方や学園全体がどのように対応するのかについて,以下のことを職員に指示してあります。

・いじめは絶対に許しません。いじめがなくなるまでは,先生方全員が協力して働きかけます。
・いじめを先生に伝えた子どもに,「おまえ,チクったなあ」などといじめることも絶対に許しません。
・「いじめかなあ」と思われることがあったら,先生たちが複数でいじめられた人,いじめた人,そしてそれらを見ていた人全員に話を聞いて判断します。本当のことが分かるまで話を聞きます。
・いじめだと分かったら,すぐに生徒指導の先生や教頭先生方,副学園長や学園長に話をしていじめた人や見ていた人に対して厳しく指導をします。
・いじめをやめなかったら,おうちの人に話して協力してもらいます。
・いじめがなくなるまで,続けます。

 いじめは,子どもたちの心の問題です。そうである以上,いつ起きても不思議ではありません。いじめというドロドロしたマイナスエネルギーをプラスエネルギーに変換していくには,学園と各ご家庭,地域の協力が不可欠です。
 
 特に問題のない(ように見える),今こそ「攻め」の指導のチャンスです。何もなくても,気になることがあれば連絡を取り合っていきましょう。普段からのパイプが大切です。よろしくお願いいたします。

運動会で育った力

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 従来の形にはなかなか戻せませんでしたが、それでも昨年よりは規模を拡大し、子どもたちが本気になって取り組んだ運動会が終わりました。多くの保護者のみなさまから応援いただき、ありがとうございました。今は熱気収まり、子どもたちも職員も気持ちを新たにして次の活動に向かっているところです。

 さて、考えてみれば、何のために「運動会」なんてするのでしょうか。徒競走やリレー、ダンス、団体種目、応援合戦等々の競技は、なぜするのでしょうか。

 運動会は子どもたちにとって、とても重要な教育的意義があるからです。

 子どもたちは、保護者にがんばっている姿を直接見てもらい。ほめてもらえることが何より嬉しいのです。それは中学校段階であってでも、です。
また、下学年の子どもが上学年の立ち居振る舞いを見ることによって、「私たちもあんなふうになりたい」とめざす姿を実感できる機会になります。ステップやジャンプの子たちは競技や応援のリーダーになったり、運営に携わったりして下学年をまとめるという重要な役割を担います。1年生にとっては、集団行動の基礎を学ぶ絶好の機会ともなります。
 そして何よりも、本番のあの日に向けて何度も練習を積み重ねてきたことをやり終えたという達成感、自分もなかなかできるじゃん!という自己有用感を味わうことができるのです。

 子どもたちの当日の姿をご覧になってみて、いかがだったでしょうか。小さいトラブルはいくつかあったかも知れません。でもそんなことは想定済みです。
 私は、閉会式での子どもたちの嬉しそうな表情、悔しそうな表情を見て、一人一人にとって意義深い思い出となったことを確信しました。学園設立当初から不変の教育目標「生き生きとした子ども」の姿の一端を見ることができて、とても嬉しかったです。

他者の笑顔のための労苦を惜しまない子どもたち(嬉しかった話)

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先日、私は誕生日を迎えました。

この歳まで来ると、もう特に何の感慨もありません。半世紀以上前、産んでくれた母親に感謝はしますが、歳を重ねることに対して、子どもの時みたいに嬉しくないし、喜ぶわけではないですよね。むしろトシ取るのは…(みんなそうですよね。)(^^;)

最近、「LINE」でつながっている人には、「友達のこの人の誕生日ですよ」という通知が届くようですね(タイムラインというのですか?)。朝、出勤したらそこでつながっている教頭先生方が「おめでとうございます!」なんて言ってくださって驚きました。それを聞いた教務主任の先生が職員室の黒板に「祝 学園長誕生日」なんて書いてくれて、またそれを見た先生方が子どもたちに話したのでしょうか。私は誰にもひと言も言っていないのに「今日、学園長、誕生日みたいだよ」と子どもたちに知れたようです。

すれ違う子どもたちがたくさん、「学園長先生、おめでとうございます」と言ってくれます。昼休みにはギター弾きの先生が何人かの子どもたち(と、先生たち)を引き連れて、バースデーソングを歌いに来てくれました。(学園では子どもの誕生日によくあるイベントです)8年生たちが「おめでとうございます!」と集団で言いに来てくれました。担任の先生に誕生日のことを聞いた1年生は、すき間時間に折り紙で工作をしたりメッセージカードを作ったりして、お帰りの時にみんなでプレゼントしに来てくれました。

照れくさかったけれど、思わぬところで多くの人の祝意を受け、ものすごく嬉しくなりました。涙が出そうになりました。生まれてきてよかったなあ。あったかい、いい気分で、帰途に着きました。

ここに、松之山の、そして学園の素晴らしさがあるんだなあと心から思います。

「松之山んしょは、みんないい人だ」と、よく言われます。
松之山の方々は、「自分以外の人を笑顔にするために」本気で心遣いをし、そのためにいろいろとしてくださる人たちがとても多いのです。そしてそんなとき、ご自身もにこにこしています。
その生き方は、学園の子どもたちの遺伝子の中に引き継がれているんですね。
にこにこしながら「おめでとう」「おめでとう」と言ってくれる子どもたち。単にイベントだと思って騒いでいるのでは決してありません。本当に私のことを思って、喜ばせようと思って、笑顔にしようと思って言ってくれているのが分かりました。だから、心から嬉しかった。感激しました。幸せです。

同時に、こんな素晴らしい子どもたちのために、もっともっとがんばらないとなあ、今度は彼らを笑顔にするために、いろいろ考えないとなあと心から思いました。

みんな、ありがとうね。笑顔になりました。


命を預かるということ(後日譚)

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先週、「やぎを飼うことは不許可!」をもらってしまい、リベンジを誓って戻っていった1年生8名が、今日再び学園長室を訪れました。

手に手に野草を入れた袋、やぎの好物を書いたメモ、野草の写真等を持っています。
「お母さんに聞いたんだよ。」「2年生に聞いてきたよ。」「どこに生えているか調べたよ。」などなど、満足感と自信に満ちた表情で教えてくれました。

一週間、がんばって調べたことが分かりました。何より、「どうしてもやぎを飼いたいんだ!」という思いを感じました。「がんばるよ!」という気合を感じました。

ここまでされては首を縦に振るしかありません。
「分かりました。がんばってきたね。どうか命を大切に、やぎさんを育ててください。」と言いました。
子どもたち、「やったあ!」です。

さて、もちろんこれはゴールでなくてスタートです。

これからいろんなドラマが待っていることと思います。一つ一つ乗り越えて、1年生なりに成長していってくれればと思います。
この世に生を受けてまだ6、7年の子どもたちが「自分以外の命を預かり、育む」経験を通じて得るものはとても大きいのです。

やぎは秋には学園を離れる予定です。別れを迎える日、子どもたちがどんな姿になっているか、楽しみにしています。



命を預かるということ

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まつのやま学園では、伝統的に1年生が毎年「やぎのお世話」をしています。すぐ近くにやぎを飼っている方やアドバイスをしてくださる方がおられ、こころよく貸し出してくださっているのです。学園の一角には、ものすごく立派な作り付けのやぎ小屋があります。これも地域の方に作っていただいたのだそうです。ありがたいことです。

今週の火曜日、1年生が全員で学園長室にやってきました。

『学園長先生、やぎを飼いたいです。飼わせてください。』
『かわいいから。』『飼ってみたいから。』『お散歩したいから。』
『そのためには、えさもきちんとあげます。』『お世話もちゃんとします。』

1年生は必死です。どうしても飼いたいという気持ちが伝わってきます。かわいい8人の子どもたちの訴えです。つい、「いいよいいよ、飼いなさい。」と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、敢えて「難癖」をつけました。

「みんなはどうしてもやぎさんを飼いたいんだね。その気持ちは分かった。でもなあ…。」
「飼うのはいいけれど、本当にお世話できるのかい?」
「やぎさんが何を食べるのか、知っているのかい?どこから持ってくるんだい?」
「うんちもおしっこもするんだよ。」
「病気にもなるよ。去年の仔は大変だった。そのとき、どうするんだい?考えてあるのかい?」

そして言いました。

「やぎさんを飼うということは、『命を預かる』ということです。みんなの世話をしてくれるおうちの人がいるように、みんながやぎさんのお母さんやお父さんにならないといけないんだよ。できるのかい?できなければ、やぎさんは死んじゃうんだよ。」
「みんなの今の様子を見ていると、とてもそんなふうには見えない。だから今日は、『いいですよ、飼いなさい』とは言えません。もう少し、勉強してきなさい。」


事前に『学園長先生優しいから、きっとすぐに許してくれるよ』と言っていたという1年生、まさかの「不許可」にシュンとします。でもすぐに、『よし、じゃあ、お姉ちゃんに聞いてみる。』『図鑑で調べる。』『うちの人に聞いてくる!』と口々に言って帰っていきました。
今、「リベンジ」をめざして調べているそうです。来週また、みんなして学園長室に来るとのことです。

「学校で生き物を飼う」ということは、今まで守られ、人のお世話になって育ってきた小さな1年生が、初めて「他者のお世話をして命を守る」ことです。「他の人がかわいがっていた大切な命を預かる」ということでもあります。そのためにするべきこと、してはいけないことなど、たくさんのことを考え、体験していくわけです。
やぎはかわいい動物です。ちゃんと世話をしてあげると、ものすごくなつきます。子どもたちの中には当然、「愛情」がわきます。その上で、ああそうか、自分もこんな愛情をもって育てられているんだな、と気付くことができたら、最高です。

その意識を指導者がもっていないと、この活動はまったく意味をなしません。ただの作業、ルーティンワークになってしまいます。

さて1年生、どう成長したのかな。
8人の小さな「お母さんお父さん候補者」の再挑戦、待っていますよ。

(一番下の写真は、去年のやぎ・さぶろうくんと現2年生のお別れの日の様子です。がんばってお世話したからこそ、「さみしいな」と背中が言っていますね。)


たくさんの方々に支えられて

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夕方、地域の方々がたくさん来校されました。

「まつのやまタイム」(生活科・総合的な学習の時間)の年間の方向性について、各担任と徹底的に討論する時間です。担任は「こういう子どもたちを育てたい!」とビジョンを語ります。そこに「こうしてみよう」「こんな協力ができるよ」と助言くださるのが、地域の方です。

ここまで深く、地域と学校が関わった教育活動が展開されているところも珍しいのではないでしょうか。まさに学園を「地域の宝」とし、協力を惜しまない方々。本当に心から有り難いと思います。真に「地域とともにある学校」の姿が、ここにはあります。

学園長として、心から御礼申し上げます。ありがとうございます。

今日お集まりの方はもちろん、それ以外にも、実に多くの松之山の方々に支えられて、学園の子どもたちはすくすく育ちます。

子どもたち、今は分からなくていいから、大きくなって、ホントに素敵なところにいたんだなと振り返ってほしいです。そして、子どもたちの中から今日お集まりの方々のような人物が一人でも多く生まれることを願います。

副学園長と力を合わせて

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4月から、新しく松之山中学校長として浅井貞夫副学園長が赴任しています。
コロナ禍はまだまだ続き、学園経営においても難しい判断を迫られる場面が数多くあります。そんなとき、とても頼りになる存在です。

副学園長、そして二人の教頭をはじめとする全職員と力を合わせ、学園の子どもたちのためにがんばっていきます。

以下、浅井副学園長からの自己紹介です。

 今年度、副学園長・中学校校長を務めさせていただきます浅井貞夫と申します。魚沼市立魚沼北中学校から参りました。生まれも育ちも魚沼市で、昨年度までは母校の閉校・統合に携わらせていただきました。教科は保健体育です。スキーや野球、テニスに若い頃は打ち込んでいましたが、最近はゴロゴロしてばかりで見る影もありません。
 まつのやま学園が地域・保護者と力を合わせて素晴らしい教育活動を行っていることは広く知れ渡っています。私もその仲間に入れていただき、松之山の子どもたちの健やかな成長のために全力で取り組んでいきます。どうぞよろしくお願いいたします。
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