まつのやまブログ

2学期の終わりにあたって

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本日をもって80日間の2学期が終了しました。8月30日が始業式でした。あの頃はまだ、デルタ株が猛威を振るっていました。「第5波」の出口がようやくちょっと見えてきたあたりです。そのあと幸いなことにコロナもおとなしくしていたのですが、最近はオミクロンなんて言う「新型の新型」が現れて(しかも市中感染発覚)、東京あたりではじわじわ感染者も増えて、いよいよ第6波か?なんて心配をしているところです。

感じ方は人それぞれでしょうが、長い長い2学期でした。今はすっかりホワイトシーズンですが、始まったときはまだセミが鳴いていましたもんね。「実りの2学期」「充実の2学期」をめざしましたが、そのとおりだったでしょうか。保護者のみなさまはぜひお子さんと、2学期の足跡を振り返ってみてください。

学園全体としては、学習面も運動面も心の面でも、多くの成果を挙げることのできた学期だったと思っています。10月に行われた「学園フェスタ」、お呼びできたのは松之山在住のご家族だけでしたが、どの学年の子どもたちも生き生きと楽しそうに活動する姿が感動的でした。チャレンジ班のチームワークのよさも十分お分かりいただけたのではないでしょうか。相変わらず、「やるときゃ盛大にやる」学園の子どもたち。見ていて清々しい。

コロナが少し落ち着いて、9年生は佐渡〜新潟へ、6年生は中越地方1泊2日、4年生は日帰りで新潟市へ、ホップの子はみんなで大松山に登山したりと、校外での学習に出かけることができました。そのほかの各学年の活動についても、ここには書き切れませんが、積極的に地域に出かけて地域と関わる中で学ぶ機会が多かったと思います。部活動の大会やイベントもたくさんありましたね。

目には見えませんが、こういった「非日常」な行事と日常の授業の積み重ねが絡み合って、一人一人の子どもたちの心と体を確実に成長させてきたはずです。
毎日見ているとなかなか気が付きませんが、きっと4月当初と12月の今に撮った顔写真を比べてみると、どの子もきっと顔つきが変わっているはずです。ぜひ成長した点を褒めて、勇気付けてあげていただきたいと存じます。

保護者のみなさま、地域のみなさま、そして故郷を離れてなお、お心を寄せてくださる方々からのご支援・ご協力のおかげで、子どもも学校も大過なく令和3年末を迎えられそうです。心より感謝申し上げます。

ちょっとの休みをはさんで、3学期が始まります。短い学期ですが、まつのやま学園が一番まつのやま学園らしく輝く学期です。そして、節目の学期です。不変の学園教育目標「生き生きとした子ども」の具現化のために、私たち職員も全力でお子さんを守り、導きます。今後ともご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

人間は1日四度メシを食うものだ

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(写真と本文は関係ありません)

経済界や企業関係の小説を多く手がけた作家、城山三郎氏の小説「臨3311に乗れ」の中に、次のような一節があります。

「人間は1日に四度メシを食うものだ。」「三度はふつうのメシを食う。あとの一度は、活字のメシを食え。つまり、読書だ。」

この「臨3311」というのは修学旅行用の臨時列車の番号です。戦後間もない頃、日本ツーリストという小さな旅行会社を興し、のちの近畿日本ツーリストという超大企業へと発展させていくさまを、実際に働く人たちをモデルにして描いた小説です。
とりわけ日本ツーリストを立ち上げた中心人物の馬場勇氏の活躍は有名で、当時の若者の中にはこの小説で馬場氏のことを知り、旅行業界を志した者も多くいるのだそうです。

馬場氏は教育熱心なことでも知られ、部下に対しては常に読書の必要性を説き、会社の経費を使ってまで読書を奨励したそうです。上記の言葉は、この馬場氏の日頃の口癖でした。

人間が成長する際、あるいは健康を維持しようとする際、身体的には三度の食事が欠かせないことは言うまでもありません。城山三郎氏は、更に精神や心が成長するためには食事と同様に読書が不可欠であることを、実在人物の言葉を使って表現したわけです。

特に子ども時代の読書は、自分がまだ経験することのできない未知の世界に導いてくれるという大きな意味があります。YouTubeやインターネット、数え切れないチャンネル数があるTV、Blu-rayなど、電子情報機器やそれらを使う環境が豊富にありますから、読書をしなくても未知の世界をリアルな映像や音声で紹介してくれます。

但しこれらの情報はみな受動的であり、自らの意志で思考する点は極めて薄くなりがちです。その点、読書は目で活字を追いながら意味を理解するという活動を繰り返さなければなりませんから、頭を使わざるを得ません。最初の頃は、それを苦痛に感じる子どももいるはずです。でも、子どもはこの作業をとおして読解力や思考力洞察力、想像力などを養うことができます。

どこだか分かりませんが昔、県内のお子さんが、小学校6年間で学校図書館にある本をすべて読破したというニュースがありました。そのお宅にはテレビがなかったそうです。

その子が今どうなっているかは分かりませんし、現代の一般的な家庭でネットやTVなどをなくすることは難しいでしょう。でも、冬休みの長い夜、お子さんと一緒に読書をする時間を作ってみてはいかがでしょうか。温かい飲み物なんかを飲んで、ときどき窓から雪の様子を見たりしながらのんびりと。案外贅沢で、楽しい時間になるかも知れませんよ。

感染拡大防止の徹底を

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ここのところ、長岡市や新発田市で新型コロナウイルスの「学校クラスター」が発生しています。

幸いなことにほとんどが軽症や無症状だそうですが、だからこそ感染に気付かずに通常どおりの活動をしてしまって、感染の拡大を引き起こしている面も否めません。大人たちはおおかたワクチン接種を終えていますが、未接種の世代での感染拡大も見られます。

報道のとおり、県教委から感染拡大防止を徹底するよう、昨日付で通知も発出されました。今のところまつのやま学園では感染者確認に至ってはいませんが、油断せず以下のことを学校だけでなく、家庭でも地域でも、お願いいたします。みんなでみんなを守りましょう。(以下、県教委からの通知とほぼ同様の内容です。)

○感染源を絶つこと
 ・すぐに解熱した場合や症状が軽い場合でも、無理に登校せず受診して医師の判断を仰ぎましょう。
 ・お子さんや家族の健康状態を把握し、適切な対応を行いましょう。
○感染経路を絶つこと
 ・手洗いや咳エチケットを今一度徹底しましょう。
○抵抗力を高めること
 ・十分な睡眠、適度な運動、バランスの取れた食事をお願いします。

○学園では
 ・換気、消毒を徹底します。
 ・可能な限り身体的距離を確保して活動します。
 ・身体的距離が十分に取れない場合には、基本的にマスクを使用させます。マスクを外す場面においても、適宜子どもたちに指導します。

                                    (以上)

「弱毒化してただの風邪レベルになったんだ」なんて声もありますが、そんなものはまだ分かりません。素人が判断していいものではありません。そうだとしてもウイルスである以上、デルタやオミクロンのように変異を繰り返します。そのうちまた強毒化した変異種が現れるのかも知れません。必要以上に恐れることはないですが、正しく恐れて自分と自分の大切な人を、これからも守っていきましょう。
また、繰り返しになりますが、感染者やその家族を差別するようなことが絶対にないように。そんなのは人としてしてはいけないことなんだということを、まず大人が見せようではありませんか。

よろしくお願いいたします。

スキルを与える者、ルールを与える者(学園長ブログ)

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(※写真は本文とは関係ありません)

 ゲーム好きの若者が言っていたそうです。「『相手を殺すような暴力的なゲームばっかりやっているから、本当に残虐になる』と言われる。でも『恋愛ゲームばかりやっているから本当の恋愛ができないようになる』とも言われる。」…確かに。これはけっこうな矛盾です。一本取られました。たぶん、このようなことを言う年長者は単に「自分の世代にはなかったものへのアレルギー反応」で言っているだけなので、若い人は気にしなくていいですよ(笑)。
 
 「最近の若い者は、まったく…」いろいろなところでよく言われるセリフです。言われたこと、言っているのを聞いたことがある方も多いでしょう。この言葉が初めて登場するのは今から約5000年前の古代エジプト、ピラミッドの建設現場に書かれていた落書きだそうです。5000年前のエジプト人も「最近の若い者はダメだ」と感じていたわけです。
 仮に、この説が「真」であるとしましょう。「若い者はダメだ」=「人間は代を経るごとに劣化していく生物である」ということになりますがしかし,これはむしろ反対です。昔と今の生活を比べてみれば一目瞭然、「暑くても寒くても機械的に空調を管理できる」「離れたところにいる人と、リアルタイムでコミュニケーションを取ることができる(しかも個人持ち)」「ピラミッド程度のものなら、週単位の相当な短期間で完成させる技術と機材がある」「人間の代わりになる人工知能がある」等々、人類は当時のエジプトの人が見たら腰を抜かすほどの技術革新を図り、進化を重ねてきました。

 「代を経て劣化する」なんてとんでもない!むしろ真逆で、「人類は、代を経た(若い)人ほど頭が良くて優秀になっていく、進化を重ねていく」というのが本当のところでしょう。
 たくさんの経験を積んできた年かさの者から見れば、その時代その時代の若い衆や子どもたちが弱々しく、頼りなく見えるのは当たり前です。自分の世代にはなかったものを華麗に使いこなす「バージョンアップ人類」へのジェラシーもあるのかも知れません。

 私たちの世代にはなかったリアリティあふれるゲームや簡単に外界と繋がることのできるスマートフォン・タブレットなどを、単に「子どもにとってよくないもの」として,目の敵にして使わせないなんて実にもったいないです。文明の利器ですから。
 要は、やりようです。教師は、どのように使ったら有用なのか、いいものなのか、逆にどう使うと危ないのか、いけないのかなど、「使い方のスキル」を学ばせる。一方で保護者は、「買い与えた者」の責任として、同時に「使い方のルール」を与え、これを絶対に遵守させる。これらは、現代に生きる子どもたちの成長を支える周りの大人の責務です。
 こういったものは「包丁」と同じです。その心は、「なくてはならない、とっても便利な道具だが、使い方を誤ると人を殺めることもできる」ということ。その包丁を、未成熟な小中学生一人一人に持たせて使わせようというのですから、子どもを取り巻く私たちも、相当な準備と覚悟が必要です。
 彼を知り己を知れば百戦殆からず(有名な「孫子の兵法」)。「TIKTOK?なんだいそりゃ?」なんて言ってないで、まずは相手を知るために、ゲームでもタブレットでもスマホでも、大人がいろいろとやってみることだと思います。Nintendo SWITCH?プレステ?「ゲームウオッチ」から「ファミコン」、を経てきた世代の私も、ちょっとやってみますかね(笑)。

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