あの日から9年。(遠藤)

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 3月11日。今年もこの日がやってきました。

 2011年3月11日の東日本大震災、当時私は小学6年生で、卒業式練習の真っ最中でした。体育館全体が大きく揺れて、皆が悲鳴を上げてしゃがんだり、走り出したり、外に出ようとしました。その騒音のせいで、教務主任の先生からの放送が全く聞き取れず、「放送を聞きなさい!」と担任の先生が怒っていたのをよく覚えています。

 2012年の3月11日は、中学校で黙祷をしました。同い年の子ども達で、まだ中学校に行けていない子が沢山いる事を知り、大震災に終わりはないのだと気付きました。

 2014年の3月11日は、高校入試の直前でした。頑張ってきた勉強の成果を発揮できなかった東北の子ども達はどんなに悔しかっただろう、と同じ受験生という立場から想像しました。

 今年は、「自分がもしあの時教員だったら、私は何が出来ただろう」と考えていました。最近、色々なニュースを見ては「自分がもしこの立場なら・・・」と置き換えるクセが付きつつあります。(これは恐らく、玉置先生に「この場面、もしあなただったらどうする?」と唐突に問われる経験から、習慣付いたものと思われます(笑)。ゼミ生特権ですね。)

 しかし、上手く考えがまとまらなかった為、手がかりを求めて玉置先生の仕事日記を紐解きました。

 すると、2012年3月11日の日記の中で、先生が佐藤正寿先生の「ふるさとが復興する時は必ず来る 〜岩手の子どもたちと共に〜」という原稿を紹介してらっしゃるのを見つけました。

 私はこの佐藤先生の文章を少なくとも三回は読み返しました。そして、この記事に今出会えた事に心から感謝しました。

 当時小学生だった私は、ラジオやTVで終わりなく流れてくる被災地の様子に怯えることしか出来ませんでした。被災地の子ども達が、こんなに地域や互いを思い合い、未来を向こうとしていたなんて!高齢者へのマッサージや炊き出しの手伝いをする子ども達の姿を知り、なんて立派なんだろう、と涙が出ました。

 私が教師になれたなら、子ども達に東日本大震災の話をする際は、必ず今日佐藤先生の原稿を通して知ったことを伝えたいです。

 そして、2011年から何年経っても、震災のことを自分ごととして捉えられるようにしたい、子ども達にもそうなってほしい、と思います。何より、互いに支え合って前を向くことの大切さを伝えたい、と強く願っています。

 近頃、新型コロナウイルスの関係で寂しいニュースが続いています。東北の子ども達は、困難に対して互いに支え合い、前を向くことの大切さを知っていました。このことは、大震災だけでなく様々な身の回りの困難に置き換えることが出来るはずです。衛生製品の買い占めや、体制批判をする前に、周りの人達と支え合う意識を持った行動をして欲しい、と佐藤先生の原稿を読んでいて改めて感じました。

 東日本大震災から9年、まだまだ知らないことばかりです。あの日のことを忘れずに、今私に出来ることは何か、考え続けようと思います。

http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/...
 上記のページでは、佐藤先生も原稿の中で仰っていた「釜石の奇跡」の体験談が書かれています。この記事の中にも、被災後4日目から自発的に避難所の名簿作りに取り組んだ生徒達の存在が出てきます。

 防災訓練への意識が変わるような、本当に貴重なお話ばかりで、是非多くの方に読んで欲しいと感じた為、リンクを貼らせて頂きました。(遠藤)

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