思いやり(下野)

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こんにちは、7期生の下野です。
金曜5限は、私達玉置ゼミ7期生のゼミの時間です。
毎回、笑いあり学びありの素敵な時間。
そんな時間に玉置先生から志賀内泰弘さんが書かれた『人生にエールをーはげまし、はげまされー』という本を頂きました。
今回は、この本について記事を綴りたいと思います。

小学生の頃、東京から愛知に引っ越した私は、愛知の小学校の厳格な雰囲気に馴染めずにいました。厳格な雰囲気でありながら、週の目標は月の目標に挙げられる言葉は「思いやりを持って行動しましょう」でした。雰囲気と目標のギャップに余計戸惑ってしまっていたのかもしれません。
この頃から、私は「思いやり」ってなんだ?と心の奥底に疑問を抱えていた様に感じます。

時は流れ、新型コロナウイルスが蔓延。
世の中は、新規感染者数・死亡者数、度重なる緊急事態宣言や蔓延防止策、感染予防の徹底や感染リスクとコロナ一色となりました。
もう2年も経ちます。新型コロナウイルスの「新型」は、もう「新型」じゃないじゃないか!!!なんて一言物申したくなる様な気持ちです。

しかし、このコロナ禍で長年心の奥底に抱えていた「思いやり」の意味を学んだように思います。家族に対する「思いやり」。友人やアルバイト先のみんな、電車で居合わせた見ず知らずの人、私が目にしたであろう全ての人に対する「思いやり」。
「思いやり」は、自らを発信元として人を大切にすることでした。難しいことです。コロナ禍という人類史に名を刻む様な大事の最中、皆が自分のことで手一杯でしょう。それでも、「思いやり」の連鎖は続いています。本書には沢山の「思いやり」が記され、そんな「思いやり」の集合体を読んだ私は、今まさに「思いやり」の心で溢れています。

簡単なことではありません。
自分のことを差し置いてなど、到底出来る事はでないとも言えます。しかし、そんな苦しい状況下で誰かを思いやれたのなら、そしてその「思いやり」が連鎖するのであれば、きっとコロナが収束した後には、もっともっと素敵な世界が広がっているでしょう。

コロナ禍だからこそ感じられたことが沢山あります。
コロナ禍だからこそ繋がることのできた絆や思いやりがあります。
当たり前が当たり前でなかった時、世界はこんなにも「ありがとう」で溢れていました。きっとコロナがやって来なければ、知り得ることのなかった世界です。

小学生の頃の私が今の私を見たらどう思うでしょうか。「思いやりって、人と人を繋げて、誰かを想うことのできる素敵なことなんだよ」と教えてあげたいです。

いつかまた当たり前が戻って来た時、今の「ありがとう」がもっと繋がりますように。
人と人とが繋がることのできた世界がもっともっと笑顔で溢れ、「思いやり」に溢れた優しくありますように。

今日もまた1日を大切に
心の青空に虹を架けて過ごしてゆきたいと思います。

(下野)
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