広げよう!いのちの授業第17回大会での学び(名桐)

 こんにちは。6期生の名桐です。先日、無事第一志望の自治体の教員採用試験に合格することができました。一人で電車の中で結果を見たため、とてもソワソワしていたと思います。無事に終わることができて内心ホッとしています。

 本日、鈴木中人先生主催のいのちの授業にオンラインで参加させていただきました。お世話になっている先生も出演されており、知っている方を画面越しで見ることの慣れなさを感じました(笑)

 この記事では、少し過激な表現も出てきます。ご承知ください。

 いのち。誰もが共通で持っている唯一のものと言っても過言ではありません。いのちに関わることで、私は出演者の方々のお話を聞きながら、考えたことがあります。それは、いのちを弄ぶ言葉についてです。

 志賀内先生のお話にもあった通り、人間いつ死ぬかわかりません。死と隣り合わせの中で日々を生きています。急に事故に遭うかもしれない、急に体の調子が悪くなるかもしれない。色々考えたら死ぬことが怖くなります。そのような儚いいのちを弄ぶ言葉が子どもたちの中にも溢れています。「死ね!」「殺すぞ!」といった言葉は、たとえ悪ふざけであろうと、私もよく耳にします。

 本当にそんなことを思って言っている子は少ないと思います。中人先生も仰っていた通り、子どもたちはいのちの重さがイマイチ分かっていません。ですから、そのような言葉を軽率に言えてしまうのです。ですが、悪気がないからと言って許していくのは少し違うと思います。そういった言葉は、受け手によって重さが変わるからです。近年、学校でのいじめによる子どもの自殺というものが問題になっています。それぞれの悲劇に様々な要因はありますが、恐らく最も相手の心、いのちを傷つけやすいものは言葉であると思います。(近年はSNSなども)

 私は、来年から自分のクラスでそのような言葉を使っている子には、その子のため、クラスのためを想ってしっかり指導していきたいです。いのちの重さが分かっていなくとも、子どもたちの感受性豊かな時期を逃すまいと、そのような言葉で人を殺めかねないことを伝えていきたいです。私自身、幼少期とてもお世話になった友人の母が亡くなった時、喪失感に溢れました。友人の前ではゆっくり寄り添うことしか出来ませんでしたが、友人と同じくらい私も辛かったです。

 いのちの重みを経験することは、誰もが出来るものではありません。しかし、そういった経験がある人が積極的に伝えて行く必要があると思います。その点、中人先生のいのちの授業を、もっと子どもたちに受けてもらい、自分のいのちと共に相手のいのちをも大切に出来る子どもを育てていきたいです。

 普段、私はゼミやバイト、遊びなどの用事をこなしていく生活をしているため、今回の会はいのちの大切さを考える良い機会となりました。いのちについてこうして文章に纏めることが出来るくらいは大人になれたなと思うとともに、子どもたちにも来年からいのちの大切さを伝えられる教師になりたいです。

 今回、このような会を開いていただき、大変学びの多い時間となりました。関係者の方々、本当にありがとうございました。(名桐)
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