あやみんにしか出来ない(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。唐突ではありますが、私は中学生・高校生時代通った女子校で「あやみん」と呼ばれていました。大学生になった今は、「あやみちゃん」とか「あやみ」とかごくありふれた呼び名。あの若さ故の「あやみん」が私の青春です。

 そんな高校生。華のJKですね(笑) それはもうこの世界は私たちが中心で回っている!と本気で思い込んでいたあの時期、私にはあるひとりの友人が居ました。

 今は、私の唯一の男友達といったところでしょうか。彼とは、同じ中学・高校に通いました。あれ?と思った方もいらっしゃるはずです。私は、女子校に通っていました。

 彼は、身体が女の子でした。心は男の子でした。私は、昔から人を人のまま好きになる人間でしたので、それを言われても「あ、そうなんだ〜」程度でした。何も変わりません。

 でも、周りは違いました。厳格な伝統ある女子校に通う私たち。制服はもちろんセーラー服です。登下校は、制服(セーラー服)でも我慢するから学校の中では体操服で過ごさせて欲しいと願う彼を先生方は許しませんでした。苦しかったはずです。なんの関係のない私が、「なんでダメなんですか?登下校は我慢するって言ってるのに、なんで許せないんですか?」と先生と職員室の前で喧嘩もしました。保健室で苦しむ彼に、私は、何も出来ずに「大丈夫大丈夫、そのまんまでいい」としか言えなかった。

 進路を決める時、彼に教育学部に進むと伝えました。すると彼は、「あやみんは、先生になった方がいいよ。僕みたいな子を理解出来る子どもを育てて欲しい。それで、救ってあげてよ。」と言ってくれました。彼は覚えているか分かりません。でも、それは私にとってとても心の支えになりました。今でも私が教師を目指す一つの理由です。

 彼と関わったことで、私はジェンダーについて深く考えるようになりました。教員採用試験の面接練習でも、ジェンダーについて良く問われました。私はいつも彼を思い浮かべます。彼だったら、どう考えるだろう。どう寄り添って欲しかっただろう。教師がどうであったら彼は心を安心させて過ごせただろう。とても大切な友人です。

 なぜ、今回こういった記事を綴ろうかと思ったのか。それは、5年ぶりに彼から連絡があったからです。大学へ進学した私たちは、各々の道を歩み連絡が途絶えていました。久しぶりに話す彼に、ずっと貴方の言葉が私が教師を目指す理由の一つだった、今は結果待ちだよ。と伝えれば、「嬉しいなあ」と屈託のない笑顔と返事がそこにはありました。

 彼は今、作家として美術作品を制作しています。彼もまた自分の夢へと真っ直ぐに向かっていることを知り、私も負けられないなあと思うばかりです。

 人は、きっとまたいつかどこかで会える。そんなことを実感した大学生活最後の夏休み。夢を叶えるために、「私にしかできない何か」がそこには待っている」と信じられる出会いがありました。

(下野)
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