熱中すること(柴山)

 こんにちは!8期生の柴山です。今日は雨で草野球の練習が中止になってしまったので、一本記事を書いてみようと思います。

 小学校5年生の時の面談で、「熱中していることはなんですか?」と聞かれました。この時、なぜか頭の中がモヤモヤして、答えに困ってしまったことをハッキリ覚えています。苦し紛れに「修学旅行に向けて京都の地名を覚えることです。」と答えました。あのモヤモヤは何だったのだろう。

 当時は、地域の学童野球と将棋を習っていました。学校の勉強などはがんばっていたように思います。野球は倶楽部チームの子と違ってたまにやってるだけだし、将棋も他の子に比べて自主的に練習していないよな。勉強はみんな学校でしている。塾に行ってるやつもいる。なんてことを考えていたんだと思います。

 年末に再放送された『にんげんドキュメント「光れ! 泥だんご」』を見ました。ビデオの中で幼児は、泥団子を光らせるために何時間も熱中していました。壊れても、めげずに一心不乱でした。最近では、映画一本を観ることすら精一杯な私にとっては大きな衝撃でした。

 こんな場面がありました。泥団子作りをしている幼児に、先生作のピカピカの泥団子をあげます。この時、自分が作った泥団子か、持ってきた泥団子かどちらを選ぶのか。

 しばらくすると、どの子もピカピカの泥団子を手放し、自分の泥団子を作ることに熱中していました。ピカピカの泥団子を見るときも、「どうやったら自分もこんな泥団子を作れるんだろう。」という目つきだったように感じます。よいものを目指して、自分の手でなにかをつくりあげる過程の楽しさを4歳の子は本能で理解していたように思います。

 つくっていたものが、一瞬で壊れてしまうこともあると思います。他の人達の能力や行動に圧倒されることもあります。周りの環境や起こることに心を乱されることなく、その時々、目の前のことに熱中して行動することを大切にしたいです。自分自身に対して、胸を張って「熱中していた」といえるものや場面。これらを増やしていくことが目標です。教員としての視点では、泥団子作りのように自然と熱中できる課題の設定や、一人一人が熱中できる環境を整えることを心がけたいと思います。(柴山)
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