4月24日8期生ゼミでの学び(村松)

画像1
 こんにちは!8期生の村松咲です^o^
 今日は子どもにとっての「安全基地」である教師の役割と、そうあるべき理由について考えを深めました。

◯「安全基地」とは?
 私は、「安全基地」とは、挑戦者が帰ってくる場所であり、挑戦者を送り出す場所であると考えました。これは、川上康則先生の「人が主体的な行動を起こすには「安全基地」の役割を果たせる大人が必要である。」という考えに基づきます。

 例えば学校教育において、子どもが何かに挑戦(環境探索)するとき、教師がそれが成功すれば喜び、失敗すれば慰める等の行為をします。これが、帰ってくる場所としての役割です。そして、子どもが再挑戦・新たな挑戦へと向かおうとするとき、喜んで背中を押します。これが挑戦者を送り出す場所としての役割です。

 このように、教師がこの二つの役割を果たす「安全基地」となることで、子どもは挑戦が成功しても、失敗してもありのままを受け入れてもらえるという安心感と、新しい挑戦を応援して支えてくれる心強さから安心して主体的に行動し、挑戦し続けることができると私は考えました。

 以上のことから、私は挑戦する子どもを支え、挑戦し続ける子どもを育成するために、子どもにとっての安全基地であるべきだと結論づけました。

◯自身の体験と夢
 また、今回「安全基地」について考えた際に、自身の環境探索の経験が思い出されました。私はコツコツ努力することが大の苦手で、特に人に見えないところで努力を継続することができた試しがありません。これは、努力して結果が出なかったら怖い、自分のやってきたことの意味がわからなくなってしまうという不安や、努力しても成功しなければ何もしてこなかったのと同じだという(偏屈な)考えによるものです。一人だといつも努力を継続することができません。実は、頑張れないことは私のコンプレックスの一つなのです。

 そんな自分が目標を達成することができたのは、決まって誰かが「安全基地」となり、私の努力を支えてくれた時でした。努力すること、挑戦することそのものに価値を見出し、素晴らしいことだと言ってくれる存在によって「挑戦するだけでも十分に意味があるのだ」と感じました。そして、成功したら自分のことのように喜び、失敗したらそれはそれで良い経験だと言ってくれる存在によって、結果がどうなっても受け入れてもらえると感じました。また、失敗はただ失敗であるのみでなく、いつかの成功をより感動的に盛り上げるためのスパイスだと思うことができました。

 このように、私は誰かが安全基地になってくれた時に、挑戦すること、努力することを継続できました。
 
 自分の身をもって子どもにとっての安全基地の重要性を体験した私は、教師になった時、自分も子どもたちの「安全基地」でありたいと考えています。挑戦してきた子ども達を優しく包みこみ、次の挑戦に向かう子ども達の背中を強く押せる教師になり、子ども達が挑戦への不安を感じることなく、主体的に挑戦・努力し、自分の可能性を見つけること。そして将来、自分の手を離れた子ども達が、その後も生涯に渡って自らの手で世界を広げていけること。それが私の夢です。

◯まとめ
 今回は教師の「安全基地」としての役割やその意義、実体験から学んだ「安全基地」の重要性と自分の夢について綴りました。気持ちをこめたからか、気づいたらこんなに長い文章になってしまいました。ここまで読んで頂きありがとうございました。m(_ _)m

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31