10月2日 JEES教育セミナー「GIGAスクール構想やオンライン授業に若手も貢献しよう!」に参加して(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。
小学校教育実習を無事に終え、教師を目指す中で、ようやく本当のスタートラインに立てたような気持ちでいます。そんなスタートラインに立てた私の初めの一歩目の学びは、JEES教育セミナーでした。

 今回で、JEES教育セミナーへの参加は2回目。先回は、「子どもを愛する」学級経営について学ばせていただきました。2回目となる今回は、若手の先生方が実践される「GIGAスクール構想・オンライン授業」がテーマです。

 小学校実習では、短い期間ではありましたが、現場の実態を学んできました。実は、実習に向かうまで私は端末を子どもは簡単に使いこなし、簡単に授業で活用できるものだと思っていました。子どもの吸収能力は、すごいのだと甘んじていたのかもしれません。しかし、やっぱり子ども。しっかりと道筋を立ててあげなければ、本来文房具の様に用いるはずのタブレットや端末は、たちまち遊び道具に変貌を遂げてしまいます。

 今回のセミナーでは、文房具から遊び道具への変貌を遂げさせることのない教師としての筋道の付け方を学びました。福井先生、吉村先生が行われる実践例は、生活面、学習面の双方での筋道が立てられていることが分かります。
 生活面において。子どもたちは様々な決まりやルールの中で生活しています。当番や予定のこと。実習に行って分かったことの一つに、子どもたちって沢山の約束の中で、生活しているということがあります。予定表や当番表がクラウド上で共有されるのであれば、生活における見通しを子どもは端末を通して、立てることが出来ます。
 学習面においては、子どもは堀田先生がおっしゃられましたように「百聞は一見に如かず」を見事に体現します。聞いて理解するより、見て理解する方が早いのです。勿論、言葉で紡がれた説明を理解する力は往々に必要です。しかし、それはまた教師が筋道を立てて、使い分けをすることが望ましいのではないかと思います。これまで、「先生これってどういうこと?」「先生、これであってる?」と聞かれていた、学習における見通しを前述同様、端末通して子どもたちは立てることが出来ます。

 端末は、生活面・学習面の双方において子ども達に見通しを持たせるものだと、私は今回のセミナーを通して位置づけました。便利になったというよりは、子どもがこれまで以上に見通しを立てて生活を送り、学習を捉えやすくなったのだと思います。ベテランの先生方の授業技術と若手の先生方のオンライン活用の力が合わさったのなら、それは子どもたちにとって、とっても心強い明確な道筋になるのではないか考えます。子どもの未来を想い、素晴らしい過去になる為に、様々な方法を議論し、教師自身も学びを深めていく事のできる、教育という世界が大好きだなと改めて実感しました。

 JEESの皆様、堀田先生、佐藤先生、福井先生、吉村先生、貴重なお話と機会をありがとうございました。
 こうした機会をいつもお教えくださいます、玉置先生、本当にありがとうございます。今回もまた、多くの学びを考えを深めることが出来ました。将来に生かすことが出来ますよう、日々学びを積み重ねていきたいと思います。
(下野)
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広げよう!いのちの授業第17回大会での学び(名桐)

 こんにちは。6期生の名桐です。先日、無事第一志望の自治体の教員採用試験に合格することができました。一人で電車の中で結果を見たため、とてもソワソワしていたと思います。無事に終わることができて内心ホッとしています。

 本日、鈴木中人先生主催のいのちの授業にオンラインで参加させていただきました。お世話になっている先生も出演されており、知っている方を画面越しで見ることの慣れなさを感じました(笑)

 この記事では、少し過激な表現も出てきます。ご承知ください。

 いのち。誰もが共通で持っている唯一のものと言っても過言ではありません。いのちに関わることで、私は出演者の方々のお話を聞きながら、考えたことがあります。それは、いのちを弄ぶ言葉についてです。

 志賀内先生のお話にもあった通り、人間いつ死ぬかわかりません。死と隣り合わせの中で日々を生きています。急に事故に遭うかもしれない、急に体の調子が悪くなるかもしれない。色々考えたら死ぬことが怖くなります。そのような儚いいのちを弄ぶ言葉が子どもたちの中にも溢れています。「死ね!」「殺すぞ!」といった言葉は、たとえ悪ふざけであろうと、私もよく耳にします。

 本当にそんなことを思って言っている子は少ないと思います。中人先生も仰っていた通り、子どもたちはいのちの重さがイマイチ分かっていません。ですから、そのような言葉を軽率に言えてしまうのです。ですが、悪気がないからと言って許していくのは少し違うと思います。そういった言葉は、受け手によって重さが変わるからです。近年、学校でのいじめによる子どもの自殺というものが問題になっています。それぞれの悲劇に様々な要因はありますが、恐らく最も相手の心、いのちを傷つけやすいものは言葉であると思います。(近年はSNSなども)

 私は、来年から自分のクラスでそのような言葉を使っている子には、その子のため、クラスのためを想ってしっかり指導していきたいです。いのちの重さが分かっていなくとも、子どもたちの感受性豊かな時期を逃すまいと、そのような言葉で人を殺めかねないことを伝えていきたいです。私自身、幼少期とてもお世話になった友人の母が亡くなった時、喪失感に溢れました。友人の前ではゆっくり寄り添うことしか出来ませんでしたが、友人と同じくらい私も辛かったです。

 いのちの重みを経験することは、誰もが出来るものではありません。しかし、そういった経験がある人が積極的に伝えて行く必要があると思います。その点、中人先生のいのちの授業を、もっと子どもたちに受けてもらい、自分のいのちと共に相手のいのちをも大切に出来る子どもを育てていきたいです。

 普段、私はゼミやバイト、遊びなどの用事をこなしていく生活をしているため、今回の会はいのちの大切さを考える良い機会となりました。いのちについてこうして文章に纏めることが出来るくらいは大人になれたなと思うとともに、子どもたちにも来年からいのちの大切さを伝えられる教師になりたいです。

 今回、このような会を開いていただき、大変学びの多い時間となりました。関係者の方々、本当にありがとうございました。(名桐)
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10月2日「広げよう!いのちの授業」第17回大会での学び(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。小学校の教育実習を無事に終え、「綾巳先生」から下野綾巳に戻りました。空が澄み切って、見上げていると秋の香りのせいなのか、実習で出会った子ども達のことを思い出してまた涙ぐんでしまいます。

 そんな大学生の下野綾巳に戻った初日
「広げよう!いのちの授業」第17回に参加させていただきました。

 皆様のミニスピーチをお聞きして、私が思ったことは「いのちって輝いてる」ということでした。ご登壇された皆様は、「いのち」について深く考えられ、そしてご自身の「いのち」を目一杯にキラキラと輝かされていらっしゃることを感じたからです。鈴木中人さんは、いのちについての考えはその人の人生を表しているとおっしゃられました。「いのち」への捉え方は人それぞれです。そして、また人生も人それぞれ。

 私にとって「いのち」ってなんだろうと本セミナーを終えて考えていました。そこでふと浮かんだことは、「容易く軽んじてしまうもの」でした。志賀内さんが「明日自分は死なないとみんなが思っている」とお話しされました。
 軽んじてしまうのです。それは、明日自分は死ぬわけないだろうといった日常的なものもあるでしょう。はたまた、人間関係だったり、勉強についてだったり、人は様々な環境としがらみで自分の「いのち」を軽んじてしまうことがあります。
 本当は、生きているだけでとっても素晴らしいことなのに。

 玉置ゼミに加入して、もうすぐ1年が経とうとしています。「いのちのセミナー」に何度も参加させて戴きました。毎回セミナーでのお話で鈴木中人さんのおっしゃられる「生きてるだけで丸儲け」。私はこの言葉が大好きになりました。

 「生きる」ってしんどいけれど、面白い。どれだけ辛くても、苦しくても、悲しくっても自分の「いのち」を自分で軽んじてはいけない。
 だって「生きてるだけで丸儲け」なのだから。

 私も死ぬ暇のないくらい笑っていたいです。教師を目指しているわけですから、教師として子ども達の未来を想う笑顔の発信源になること。それが私の「いのち」の輝かせ方だと私は私のことを信じています。

 鈴木中人さん、小出朋子さん、山田貞二先生、山本恵子さん、志賀内泰弘さん、素晴らしいお話と機会をありがとうございました。「いのち」について、また一段と考えられる時間でした。
 玉置先生、玉置ゼミに加入したから私は、こうして「いのち」について考えられる機会が与えられています。沢山のセミナーに参加させていただき、こうして出力する場を与えてくださり、本当にありがとうございます。(下野)

※ 写真は鈴木中人さんFBより
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