「三楽の仕事日記」に対する一考察(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で「三楽の仕事日記」を見ることしか楽しみがないと感じている中澤佑太です。ということで今回は「三楽の仕事日記」について記事を書きたいと思います。

 みなさんは「三楽の仕事日記」を読んでいますか?私は大学4年生になった頃から「三楽の仕事日記」を毎日読んでいます。なぜならあの日記でできることがたくさんあるからです。

 私は「三楽の仕事日記」を読む時に、書いてある文章に合わせて自分の一日を振り返って頭の中で文章を作っています。すると気づきます。…自分はいかに無駄な時間を過ごしてしまっているのかと笑。そこから私は朝起きてから寝るまで何をするのかを大切にするのは勿論。「無駄に過ごしたときにも何かしら意味はなかったのか」と考えるようにしています。その結果充実した日々を過ごせるようになってきました。もともとストイックな考え方をするのにさらに磨きがかかってしまいなんだかなぁです。

 また記事がアップされるときの一言のコメントはドキドキしながら見ています。あのコメントで自分が提出した記事やゼミ生の記事を玉置先生はどう思って上げているのかわかるからです。このことに気づいた時に私は決めました。

 絶対昔の仕事日記は読まないでおこう(笑)。なぜなら私の昔の記事を上げていただいた時も当然コメントされているわけで、もっといえば私が大学3年生のときと玉置先生との関わりも書かれているわけで。そう考えると恐ろしくて恐ろしくて(笑)。

 ゼミ生一人一人「三楽の仕事日記」の活かし方を見つけてみてはいかがだろうか。これだって自分にしかない貴重なものなのだから。

 ということで今回は「三楽の仕事日記」について振り返ったことを書いてみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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あの日から9年。(遠藤)

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 3月11日。今年もこの日がやってきました。

 2011年3月11日の東日本大震災、当時私は小学6年生で、卒業式練習の真っ最中でした。体育館全体が大きく揺れて、皆が悲鳴を上げてしゃがんだり、走り出したり、外に出ようとしました。その騒音のせいで、教務主任の先生からの放送が全く聞き取れず、「放送を聞きなさい!」と担任の先生が怒っていたのをよく覚えています。

 2012年の3月11日は、中学校で黙祷をしました。同い年の子ども達で、まだ中学校に行けていない子が沢山いる事を知り、大震災に終わりはないのだと気付きました。

 2014年の3月11日は、高校入試の直前でした。頑張ってきた勉強の成果を発揮できなかった東北の子ども達はどんなに悔しかっただろう、と同じ受験生という立場から想像しました。

 今年は、「自分がもしあの時教員だったら、私は何が出来ただろう」と考えていました。最近、色々なニュースを見ては「自分がもしこの立場なら・・・」と置き換えるクセが付きつつあります。(これは恐らく、玉置先生に「この場面、もしあなただったらどうする?」と唐突に問われる経験から、習慣付いたものと思われます(笑)。ゼミ生特権ですね。)

 しかし、上手く考えがまとまらなかった為、手がかりを求めて玉置先生の仕事日記を紐解きました。

 すると、2012年3月11日の日記の中で、先生が佐藤正寿先生の「ふるさとが復興する時は必ず来る 〜岩手の子どもたちと共に〜」という原稿を紹介してらっしゃるのを見つけました。

 私はこの佐藤先生の文章を少なくとも三回は読み返しました。そして、この記事に今出会えた事に心から感謝しました。

 当時小学生だった私は、ラジオやTVで終わりなく流れてくる被災地の様子に怯えることしか出来ませんでした。被災地の子ども達が、こんなに地域や互いを思い合い、未来を向こうとしていたなんて!高齢者へのマッサージや炊き出しの手伝いをする子ども達の姿を知り、なんて立派なんだろう、と涙が出ました。

 私が教師になれたなら、子ども達に東日本大震災の話をする際は、必ず今日佐藤先生の原稿を通して知ったことを伝えたいです。

 そして、2011年から何年経っても、震災のことを自分ごととして捉えられるようにしたい、子ども達にもそうなってほしい、と思います。何より、互いに支え合って前を向くことの大切さを伝えたい、と強く願っています。

 近頃、新型コロナウイルスの関係で寂しいニュースが続いています。東北の子ども達は、困難に対して互いに支え合い、前を向くことの大切さを知っていました。このことは、大震災だけでなく様々な身の回りの困難に置き換えることが出来るはずです。衛生製品の買い占めや、体制批判をする前に、周りの人達と支え合う意識を持った行動をして欲しい、と佐藤先生の原稿を読んでいて改めて感じました。

 東日本大震災から9年、まだまだ知らないことばかりです。あの日のことを忘れずに、今私に出来ることは何か、考え続けようと思います。

http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/...
 上記のページでは、佐藤先生も原稿の中で仰っていた「釜石の奇跡」の体験談が書かれています。この記事の中にも、被災後4日目から自発的に避難所の名簿作りに取り組んだ生徒達の存在が出てきます。

 防災訓練への意識が変わるような、本当に貴重なお話ばかりで、是非多くの方に読んで欲しいと感じた為、リンクを貼らせて頂きました。(遠藤)

セミナーに通い続けて思ったこと(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で玉置先生のセミナーが中止になり禁断症状が出ている笑中澤佑太です!ということで、今回は二年間セミナーに通い続けた今だからこそ話せることを話していきたいと思います。

 私はセミナーに行きまくりました。行き過ぎたあまりにゼミ生や先生方から「どうしてそんなにたくさん行けるの?」とか「玉置ゼミが好きなんだねぇ〜」「良い教師になりたくて必死そうに見える」なかには「正直場所は違うけれど同じ内容じゃん。そんなに行って飽きない?」など、とんでもない内容までいろいろと言われてきました。それらの言葉に共通して皆さんが思っていることはこれだと思いました。

 「なぜセミナーにたくさん行ったのか?」

 勿論教師力を貪欲につけたいからと言えばそれまでです。しかし、それなら何回か行けば良いと私も玉置先生も思っているはずです。話が重複するのは当人も思っているはずであるし、むしろ教える内容がぶれてはいけないのだからです。けれども私は明確な目的のもと足しげもなく通い続けました。

 その理由は、玉置先生の姿を少しでも取り込むためです。

 授業でもセミナーでも内容は重複することがあっても、発表者がその時に発言する内容はその時しか得ることができません。だから私はその時しか話さない玉置先生の考えを聞きたいから通い続けました。またセミナーに通い続けると、玉置先生が困っている瞬間や、聞き手に対してどう対応するか悩んでいる瞬間に気付くようになりました。

 そして、その時にどう対応しているのか、考え方やたたずまいはどうか、実際の本音はどうかなど、長く忍耐強い人生経験に基づいた姿や考え方を直に知ることができます。だから、私は玉置先生にひっついてばかりいました。

 当然そうしたからって、自分に何か身に付く訳ではない。それが当たり前。…と本来なら言うところですが、通い続けているうちにいつの間にか自分も同じ考え方をしている時があったり、見てきたこと聞いてきたことを生かさなければと考えていたりなど、少なからず片鱗があり、「これはしばらく経つと面白い人間になっているなぁ自分」と思えるようになっているのだから面白いと考えています。

 セミナーの記憶が全てあるかといえばうそになる。けれども身体に染みついているという状態です。いやはや本当にセミナーに通い続けた。

 後輩たちに伝えることがあるとするならば、セミナーが当たり前にあると思ってはならない。長い人生の中で本当に誰も経験しないあなただけの貴重な体験であることを思っていて欲しい。そして玉置先生といられる時間は有限であることも忘れてはいけない。そんなふうに私は今思っている。

 今回はセミナーについて振り返ってみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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心の天気(矢崎)

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 こんにちは。矢崎です。

 心の天気の研究に携わらせていただいてから、1週間が過ぎました。

 晴れ、晴れ、晴れと連日、晴れが続いていた私ですが、とうとう雷になりました。私は勝手に雷はイライラしたときの気持ちやどうにも言葉にできない気持ちを表すものだと解釈しています。

 昨日の夜遅く、雷になってしまいました。自分の情けなさや、周りに対しての不満。それらが雷の原因となりました。自分で頑張っていると思っていた事を心ない言葉で否定されると、もう、何というか、言葉にできなくて。雷雨になりました。

 頑張りは他人からは見えづらく、そして伝わりにくいです。また、自分が頑張っていると思っていても、人にはそれぞれキャパというものがあり、どうしても人は自分のキャパで人の頑張りを測ってしまいます。

 自分でもそれは重々承知です。自分も必ずキャパで人を測る一面を持っています。だから、日頃、私はなるべくその人のキャパでその人を見ることができるようによーくその人を見て、支えたり、支えられたらしてきたつもりです。

 でも、それが、なかなか上手くいきません。決して自分はできる人ではありません。だからこそ、周りと一緒に頑張りたいのに。

 志賀内さんの本にあった「気張る」それを私はまだできていないのでしょうか。あの言葉を見てからそれができるように心がけてきたのに、とてもとても難しいですね。

 心の天気はとても良い仕組みだとこの1週間感じました。心の言葉にならない気持ちを吐き出すことのできる小さな避難場所です。この避難場所があることがどれだけいいことか。言葉にできない黒く重い気持ちはその人の心にずっと靄のように居続けます。その靄は自分一人の力では吐き出せません。そんな時にこの心の天気は大活躍すると感じています。

 晴れになれるよう、美味しいものを食べたり、友達と話したりします!(矢崎)
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