初めての模擬授業(下野)

 こんにちは!7期生の下野です。

 高校生の時には、想像もしなかったのですが、大学生はもう春休みです(笑)びっくりですよね、ながーいながーい春休みの幕開けです。そんな時間が盛りだくさんの春休みですが、何をしようかなと思った時、まずは後期の授業の復習から取り掛かろうと思いました!そこで、今回の記事では今年の年明けに行った模擬授業について振り返ろうと思います。

 初等教科教育法(図画工作)の講義にて、入学して初めて模擬授業を経験しました。今まで私は模擬授業を経験したことがありませんでした。指名されなかったのもありますが、無意識に避けていたのかもしれません。

 それがなんだか2021年となって、気持ちが落ち着いたのかグループのみんなに「もし、みんなが賛成してくれるのであれば、模擬授業をやらせて欲しい。」と打診していました。グループのみんなの賛成と後押しもあり、急遽私が授業者に。(提出資料では、全員で授業を回すといった算段でした。)

 初めての模擬授業。それはそれはもう緊張しました。時たま、頭が真っ白になるのを必死に考え、絶対に沈黙を作らないぞと思っていました。年末に、玉置先生のご講演で学んだ「意図的指名」も意識しました。

 結果は、大好評!!!!まだまだ未熟な点や、荒削りではありましたが、先生からも生徒役のみんなからもお褒めの言葉を頂きました。嬉しかったです。自分の授業をこんなにも笑顔で受けてくれるんだ、楽しいなと思いました。反省点としては、「子どもに聞いて欲しい箇所は、もっと落ち着いて。メリハリを持って授業を展開する」といった点です。これは、匿名の振り返りシートの意見でハッとさせられたものです。盛り上げる、楽しむことばかりに気持ちがはやってしまっていました。子どもに的確に指示を出す際の心構えを学ぶことができました。

 初めての模擬授業は、自分にはなまるをあげたいところですが、やっぱり自分に厳しくと思い直して「二重丸」にしておこうと思います(笑)(下野)
先程、授業者に立候補した理由を「2021年になって気持ちが落ち着いたのか」と綴りましたが、玉置ゼミに入ったからだと思います。年末のご講演、特別授業と本格ゼミが始動していない中でも、沢山の学びを吸収しました。模擬授業の機会がそこにあるのならば、挑戦してみたい!学んだことを今の私でどれだけ実践出来るかやってみたい!と思いました。また、模擬授業を経験して分かったことですが、先輩方の授業から盗める技術が沢山沢山あったのだなと思いました。私は、ゼミ見学にて5期生の先輩方の授業に参加させて頂いたことがあります。今こうして、玉置先生の教えや、自分が模擬授業を経験し、いかに先輩方の授業が素晴らしいかを実感しています。

先輩方の様な授業がしたい、そしてそこに私らしさも加えた授業を、と今は意気込み充分です。気持ちだけが先行してしまわないように、しっかり一つひとつの出力を大切にして成長していこうと思います。模擬授業という実践で学んだことは、数知れず、こういった機会を今後も大切にしていきたいと思います。(下野)

※写真は林文通先生から提供していただきました。(玉置)
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「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んで(金子)

 こんにちは、6期生の金子です。

 最近、コタツを購入しました!ひとり暮らしを始めて3年目が終わろうとして、あと2回冬を越すだけだ、掃除も面倒になるし、コタツはガマンガマン!と思っていましたが、寒さには負けました。(笑)足にしもやけができてしまい、真っ赤に腫れた足を見ていたら、こんなになっているのに何を渋っているんだ!?と思えてきて直ぐに購入しました!今はコタツでミカンやアイスを食べるのが小さな幸せです!!

 さて、玉置先生から、棚園正一さんが著された「学校へ行けない僕と9人の先生」を貸していただきました。

 このお話を読んで、学校ってどんなところなのだろうと考えました。私にとっては、楽しい思い出もあり、涙を流したりもした場所です。そしてそのすべてに友達、先生、家族が関わっていました。また私自身、勉強が苦手などの自分自身のことよりも、周りからの評価や関わり方についての方が悩みをもちやすいです。

 学校には多くの人が存在し、関わっています。全ての人間が同じ思いになることなど不可能です。ですが、だからこそいい意味での面白い場所なのだと思います。そして、その面白さは受け止めることから生まれ発展すると、漫画を読んで思いました。主人公が、わからないと言ったことを担任に否定される場面があります。クラスメイトに笑われる場面があります。わからないから学び合うそれが面白い、違う考えに触れるからこそ面白い、そういった事が大切にされるべき視点ではないかと思いました。私は、子どもたちの考えを、よく言ってくれた!面白い!と受け止め、そこからまたはじまる展開にこれが面白い!と感じられるようになりたいと思いました。

 このお話を読んで、高校生のときの先生が、「置かれた場所で咲きなさい」という話をされたのを思い出しました。失敗したとしても自分の価値が下がる訳では無い。その状況でどう考え、どう生きるかによって自分が決まるのだと、漫画を読んで感じたことが先生の言葉とも重なりました。振り返ってみると、後悔したことも今では大切な思い出で宝物です。それの経験があるからこそ今の自分があります。子どもたちにとって学校がそんな風に思える場所になったらいいな、と考えさせられました。

 著者である棚園先生、貸してくださった玉置先生、学校について深く考える機会をいただきありがとうございました。(金子)

※写真は林文通先生から提供いただきました(玉置)。
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先生との出会い〜『学校へ行けない僕と9人の先生』を読んで〜(今井)

 こんにちは。玉置ゼミ7期生の今井美羽です!本日は、玉置研究室の書棚からお借りした本の感想を述べたいと思います!私が借りたのは、先日下野さんも感想を書いていた『学校へ行けない僕と9人の先生』です。

 私は、2つの視点からこの本の感想をお話していこうと思っています。まず、「今井美羽」としてこの本を読んだ感想、次に、「教師を目指す身」としてこの本を読んだ感想をお話していきます。

 「今井美羽」としての感想から!まず、読み進める中で一番私の中で一番多く登場した感情は、「理解不能」でした。私と、棚橋くんは考え方がまるで違うんだろうなと思いました。実際に経験をしたことがないので、なんとも言えませんが、棚橋くんの状況に自分が置かれたとしても、私は学校に行っていると思います。これは、私が強くて、棚橋くんが弱いということではなく、物事の考え方、捉え方が違うのだと思います。漫画では、棚橋くんの心の中の声が細かく描かれていて、棚橋くんと自分の考え方の違いに、こうやって捉えるんだと、自分にない新しい考え方を教えてもらっているような感覚でした。

 そして、友達の堀井くんも私の中では印象に残っています。堀井くんいい子だな〜と思いました。学校の場面などでは、棚橋くんが嫌な思いをしていたり、不安を感じていたりして、読んでいる私も力が入ってしまっていました。しかし、堀井くんが出てくる場面は、温かい気持ちになり、安心しました。こういう安心を生まれた時から人は求めているんだろうなと感じました。赤ちゃんは、まずお母さんやお父さんに。そこから、おばあちゃんやおじいちゃん、学校の友達や先生へと、安心の領域を広げていくのかなと思いました。堀井くんの家庭で事件は、衝撃でした。そして、今までとても良くしてくれていたのに、なんとなくいじわるをした棚橋くんに、堀井くん推しとして、とても腹を立ていました。

 この本は、マンガなのでスラスラスラ〜と読めてしまいました。この実体験を世間に公表するのは、とても勇気が必要だっただろうなーと思いながら読んでいました。

 次に、「教師を目指す身」という視点でこの本を読んだ感想を。この本には9人の先生が出てきます。9人の先生には、それぞれ個性があって、私の中でいい先生だなーと思った人もいれば、そう思わなかった先生もいました。正直、棚橋くんにとって良い先生だったのは誰なのかは分かりません。でも、確実に言えることは、9人の先生との出会いが棚橋くんという1人の男の子の人生に影響を与えているということです。先生にとっては、30人のクラスの中の1人であるけど、子どもにとっては、担任の先生は1人だという、当たり前の事実を再確認できました。私もこの20年の人生の中で、沢山の先生に出会ってきました。その中には、私が教師を目指すきっかけとなった先生もいます。子どもと先生との出会いが、その子の人生を良い方向にも、悪い方向にも変えてしまうのだということを、この本を通して理解するとともに、それだけの責任があるのだと身の引き締まる思いになりました。

 とても長くなってしまいましたが、教師を目指す身として、この本を読んでよかったと思いました。私がこの本と出会えたのは、玉置先生との出会いがあったからです。玉置先生との出会いも確実に私の人生に影響していますね。

p.s.写真は、私の部屋にあるもののどアップ写真です。これはいったい何でしょうか。正解は、また私の記事で発表させてもらいます!!お楽しみに〜。(今井)

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10年(矢崎)

こんにちは。五期生の矢崎です。クリスマスが過ぎて、いよいよ2020年が終わろうとしていますね。

今年は私にとって、コロナウイルスという未知のウイルスが来て、教採が来てと、とても濃い1年となりました。

そんな2020年は私の母が亡くなって10年目の年でもありました。
よくドラマで聞く「10年前、、、」というフレーズを自分も言えるようになってしまいました。
「10年」この年月は私にとって、長いようで一瞬の出来事だったように思います。

でも、今でも母が亡くなった日のことは鮮明に覚えています。
病室で、嫌だ嫌だと叫びながら泣いた日のことは、一生忘れられません。

でも、母の声がどんな声だったか忘れてしまいました。
人間、都合よくできてないんだなと思います。
覚えていたい「日常」は覚えていられないんです。

でも、こうも思います。
覚えていたかった「日常」は、その後の幸せな「日常」にゆっくりゆっくり溶けていくような感じで一つの大きな「幸せ」になっていくのかなと。
だから、忘れてしまったのではなくて、一つの大きな「幸せ」になったのかなと。

私は、この「幸せ」をくれたのは父だと思っています。
この10年という年月は、父にとって、苦労の連続だったと思います。
父が踏ん張ってくれたから、今自分のやりたいことに熱中できる私がいます。
父が笑ってくれたから、今笑える私がいます。
私の全ての幸せは、全部、父に繋がっていると思います。
それだけ父の存在が大きいです。
感謝してもしきれません。

そんな私の教員になるにあたっての夢は、保護者の方の気持ちに寄り添える教員になりたいということです。
父のような、1人でお子さんを育てていらっしゃる保護者の方はもちろんのこと、お子さんのことで悩んでいらっしゃる保護者の方と子どもたちの架け橋になりたいです。
私は、まだ結婚もしていなければ、子どももいません。そんな奴が、知った口きくんじゃないと言われるかもしれません。

でも、これだけは知っています。子どもはよく親のことを見ています。だから、親が笑顔だったら、子どもも笑顔なんです。
だから、私は保護者の方の笑顔も守れる教員になりたいです。

子どもたちにとって、守ってくれる存在は必要で尊いものです。その存在の笑顔と子どもたちの笑顔は繋がっています。イコールだと思います。

まだ、守る術はわかりませんが、父の笑顔を守るつもりで、真摯に向き合っていきます。(矢崎)

※ 記事発信の時期がズレたのは、研究室HP編集者である私(玉置)のすべて責任です。お許し下さい。
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6期生の皆に伝えたいこと(大久保)

 こんにちは!5期生の大久保です!12月20日に6期生ゼミ合宿へ面接指導のため参加させていただきました。そこでの体験を通して思うことがあったので、記事にします。

 まず初めに、ゼミ合宿からもう1年たったのかという時間の経つ早さを感じました。

 1年前のこの時期に5期生ゼミ合宿が開催され、酒井先生、斉藤さん、4期生の先輩方をお招きして面接指導をしていただきました。

 その日からもう1年も経ったのかと思うと何だか感慨深い気持ちになります。昨年のゼミ合宿では、厳しく面接指導していただき、面接の難しさや教育に対する考えの甘さを痛感する1日となりました。

 その際、もう1点感じたのは、4期生さんのように来年後輩に指導できるのかという不安です。4期生の皆さんは鋭い目で姿勢や目線を観察し、全ての言葉を聞き逃さずに、もっとこうした方が良いよといった具体的なアドバイスをして下さりました。その様子を見て、なんて偉大な方たちなんだろうと思ったことを今でも覚えています。
「来年後輩にこれだけ熱心に指導できるのだろうか」
「具体的なアドバイスで、前を向かせることが出来るだろうか」
と不安な気持ちになりました。

 そして、今年のゼミ合宿。正直当日に近付くにつれ、焦りや心配は増すばかりでした。上の不安は消えるはずもなく、6期生の面接をしっかり見ることが出来るだろうかと、6期生の面接が始まるギリギリまで緊張していました。(6期生の緊張に比べると軽いものですが笑)

 面接指導を終えて、酒井先生、斉藤さん、玉置先生に5期生の姿を褒めていただき、スっと肩の力は抜けていきました。やり切った!という達成感でいっぱいでした。

 今回何故このような記事を書いたかというと、6期生にどうしても伝えたいことがあるからです。

 それは、「玉置ゼミで学べば大丈夫」ということです。(語弊を生む言い方だと重々承知の上です笑)

 6期生と話をすると、口を揃えて「不安」だと気持ちを吐露してくれました。
「教員採用試験に向けて勉強するだけでも大変なのに、これと併せて面接までやらないといけないの!?」
 昨年のゼミ合宿で私が抱いていた気持ちです。6期生の皆さん、初めはみんな不安です!5期生のみんなとも昨年ゼミ合宿で話していましたが、そこでもみんな不安と戦っていました。きっと歴代の先輩方もそうだったと思います。

 それでもこうしてやっていけている、教師として活躍している先輩方がいるのは、玉置ゼミで学んだからだと私は思います。
「意見を言えない児童にどのように対応しよう」
「主体的な学びはどうすれば生まれるだろう」
 こういった悩みは教採で必ずと言っていい程立ちはだかる壁です。そんな時は玉置ゼミで学んだことを思い出してください。必死にノートに書き留めた、様々な先生方の授業技術、教育観、児童との関わり方、それら全てが自分を助けてくれる宝になっているはずです。

 何と言っても玉置先生がいます。困った時、悩んだ時には玉置先生という最強の味方(言葉は悪いですが笑)がいるのですから、皆には安心して悩みや不安に立ち向かってほしいです。それに、仲間がいます。不安なのは1人だけではありません。きっとみんな何処かに不安な気持ちを抱いていて、ギリギリの状態で戦っているはずです。不安に押し潰されそうになった時は迷わず6期生の仲間を頼ってほしいです。

「玉置ゼミで学べば大丈夫」
と言いましたが、それに胡座をかいて油断して欲しい訳ではありません。最高の先生がいて、最高の環境があるのだから、仲間と支え合って教採を乗り切ってほしいのです。今は不安なことばかりだと思いますが、そんな時には「玉置ゼミで学べば大丈夫」と思い出してください。

 すると、気が楽になって、もう一度頑張ろうと思い直せるはずです。不安な気持ちから目を逸らすのではなく、向き合って、共に乗り越えていってください。絶対に大丈夫です。6期生の皆さんを心から応援しています。

 大変長くなりましたが、以上となります。最後までご高欄いただいた方、ありがとうございました。(大久保)

※写真は林文通先生が提供していただけました。(玉置)
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友達とは○○○(伊藤)

 あなたにとって友達とはどのような存在ですか?


 こんにちは、6期生の伊藤幹太です。今面接練習のために質問に対する答えを考えています。

 その中で、「友達と接する上で大切としていることはなんですか?」とありました。普通によくある質問で、そんな難しい質問ではないと思いますが、私はなかなか答えが思いつきませんでした。そして、考えているうちに、友達ってなんなんだ?自分にとってどんな存在なんだと迷走してきました。しかし、迷走に迷走を重ねついに私なりの結論が出ました。

 聞いてください!友達とは、、、、、、、、、、、、、、、、「パンツ」です!!!

 こいつ何いってんだと?思われると思います。あえてもう一度言わせてもらいましょう。友達はパンツです。理由は当たり前のようにいつも履いていますが、もし履かなかった不快だったり不安だったりですよね?

 その一方「今日はパンツがある安心」と考えたことはありますか?つまり何が言いたいかというと「当たり前のようにいつも一緒にいるけど、なかったらきつい」ってことです。私にとって「友達」はそんな存在です。

 そのような友達=パンツ理論を唱えるにあたった経緯として私が小学校6年生の時に仲の良い友達が亡くなりました。いつも一緒にいる友達がなんの前触れもなく、会話することも遊ぶこともできなくなりました。当時本当にショックで、友達という存在がいかに大きいかを小学生ながらにして感じました。

 そこから私は病的なほど友達になった相手を大切にしており、毎日全力で遊ぶことに力を注いでいます。私の人生に友達はパンツと同じくらい必要不可欠な存在です。

 みなさんも自分にとっての友達を一度考え整理してみてください。本当に大切な友達が見えてくるかもしれません!

 ps友達がパンツなら恋人や家族はどんな存在ですか?と思う人がいると思います。お答えします。恋人は上着です。最悪なくても生きていけますし、いらなくて邪魔なときもあります。家族は血や爪や髪です。体の一部で切っても切り離せません。(伊藤)

※ 写真は記事とは関係がありません。林文通先生から提供いただきました。(玉置)

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勉強の意味(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。雪が降り、私が3年間続けている早朝からのカフェのアルバイトも寒さに震えながら出勤する季節になりました(笑) 余談ですが、雪の日、早朝からの出勤で2回滑ってこけかけ、1回は本当にこけました(笑)

 そんなアルバイトでの出来事です。コロナ禍となり最近はめっきり見かけなくなりましたが、以前まで定期試験前になるとアルバイト先に高校生達がよく勉強しに来ていました。そんな時期のあるひと場面です。
 一人の高校生が「こんなの勉強しても大人になっても役に立たないじゃん!!」と頭を抱えながら友達と勉強していました。この言葉を耳にした私は、「思った思った、私もそう思っていたよ」とつい声をかけたくなったことを覚えています。

 勉強の意味がないと思ってしまうことは、誰しもが通る道です。「何の役に立つんですか?」と面と向かって問われれば、説明するまでに少し時間がかかってしまいそうです。たしかに、数学の点Pが動く動かないは大人になってから使うことは滅多にありませんし、古文・漢文は、読めても現代の文章を読むことにあまり役に立たなそうです。こう考えていると、益々勉強の意味が無さそうに思えてきます。

 しかし、そうではないのです。勉強をしているのなら、世界が広がります。例えば、ニュースやバラエティーのBGMの音楽が何か分かったり、外国人観光客の会話が聞き取れたり、出向いた先で有名な偉人の背景が読み取れたり、、、。他にも様々です。
 勉強を「勉強」として捉えると、すごく難しく思えます。しかし、勉強を「自分が見える世界の広がり」として捉えれば、それって素敵なことだと思います。

 私も勉強を「勉強」として捉えていました。受験勉強は、こんなのやっても!!!という気持ちに何度もなりました(笑)でも今は、そんなしんどかった「勉強」も今の私に繋がっていると思うことができています。様々な勉強が、世界を広げ、ふとした景色にも味わい深さを与えます。

 教師は、その名に入っている通り「教える」職業です。私は、「見える世界の広がり」を子ども達に「教え」たいと思っています。「勉強」は嫌いでもいい。ただ少し見方を変えれば、「勉強」は世界を広げてくれる素敵なものであることが伝わる授業を目指したいです。そして、子ども達の見える世界を広げるべく、一手間の魔法をかけられる様、今は目一杯私自身も勉強に励みたいと思います。
(下野)
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1月4日zoom新年会&少人数食事会(早川)

こんにちは。お久しぶりです。3期生の早川です。

今日は、新年恒例の玉置ゼミ卒業生の集いが行われました。現在の世の中の情勢を鑑み、今回はzoomを使用してのオンラインビデオ通話での開催でした。とても楽しかったです。早くみんなに直接会って話せたらなという思いが強くなりました。

また、夜には急遽予定を合わせた3期生菱川、4期生加藤奨と食事に行きました。大学時代の話や、お互いの近況報告などで終始盛り上がり、楽しい時間を過ごせました。楽しかったです。またやりたいです。

これで終わります。(笑)


(本当は、もっと細かく自分の想いや、今後について書いていたのですが、記事入力ページの更新が上手くいかず、全て文章が飛んだので、、、心が折れました。もう一から書き直すのは気力がもたなかったために、このような簡単な文章に替えさせていただきました。では、また。さようなら)

最後に、zoomでのオンライン通話の様子や、食事の際の写真、午前中に行った御在所ロープウェイからの景色を載せます!
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「なぜ」の飛び交う授業から生まれる「議論のルール」(下野)

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 こんにちは。7期生の下野です。

 私の朝は、大好きな珈琲を飲みながら新聞を読むことから始まります。3ヶ月前に始めた教育問題に関する新聞記事のスクラップや、天声人語(我が家は朝日新聞を取っています)の書き写しノートも段々と冊数が増え、厚みも増しているのを見ると達成感が溢れ、読み返し復習しながら、これからも続けていきたいと思っています。

 さて、毎朝新聞を読んでいるとまず目にするのは1面の天声人語です。1面は広げずに読むことができるため、サッと家を出なければならない時は、天声人語だけ読んでから家出るなんてこともあります(笑)

 そんな読みやすい箇所にある天声人語で、今回は私が「主体的で対話的な深い学び」の本質に気付かされた記事を紹介したいと思います。

 2020年10月1日の天声人語です。
 論理力に重きを置くフィンランドの教育で、求められるのはごく真っ当なことだ。元外交官の北川達夫さんが書いた『図解フィンランド・メソッド入門』によると、小学校では「なぜ」が連発され、意見には理由をつけることが徹底されている。子どもたちが決めた「議論のルール」も紹介されており「他人の発言をさえぎらない」「議論が台無しなるようなことを言わない」などが並ぶ。

 2018年のPISA調査において、フィンランドは「読解力」7位(日本15位)、「科学的リテラシー」6位(日本5位)といった結果が出ています。「論理的思考」を重んじた教育は、「読解力」は勿論のこと、科学的な探求心を測る「科学的リテラシー」にも繋がっていることが分かります。「なぜ」の及ぼす力は強いのです。子ども達の持つ「なぜ」が「論理的思考」を築き、「読解力」や「科学的リテラシー」を育むのでしょう。そして、「論理的思考」「科学リテラシー」は「主体的な学び」を構成する主な要素です。

 また、「なぜ」が生じる場所には、必ず「議論」が生じます。無論、教師は「議論」が生じる学級経営をしなければなりません。では、「議論」が互いの学びを深め且つ円滑に進むためにはどうしたら良いのでしょうか。

 上記の天声人語では、子どもたちが決めた「議論のルール」について記されています。ここで、重要なことは子どもたちが決めたことです。たしかに、この天声人語を元に「議論のルール」を教師が設定すれば子どもたちはスムーズに議論ができるかもしれません。しかし、それでは「議論」の意味がありません。真っ新の何もルールのない状態において「議論」をしていく中で、「こうした方がまとまりやすいかな?」「人の言葉をしっかり聞いた方がいいな」といった気持ちが生まれ、「議論のルール」を決めるための多くの「議論」が子ども達の学びへと繋がると私は考えます。

 「主体的で対話的な深い学び」が求められる時代です。「主体的な深い学び」は、「なぜ」から生まれ、「対話的な深い学び」は、多くの「議論」から深まるでしょう。これが学びの本質だと私は考えます。

 教師になった時、子ども達の小さな「なぜ」に耳を傾け、「なぜ」が飛び交う授業を、そして、多くの議論から「議論のルール」を子ども達自身で決めていくことのできる学級を目指したいと思います。(下野)
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