大学2年の春休み(春休み)

 こんにちは!玉置ゼミ9期生の長谷川です。

 春休みが始まり2週間ほどが経ちました。この2週間アルバイトや遊びなどで、とても充実した毎日を過ごしています。そんな中、ふと学校のない毎日はこんなに時間があるのかと思い、今しか出来ないことをしたいと考えました。何をしようかなと考えていると、9期生の連絡用チャットに同期が玉置先生から本を借りたと通知が来ました。私はこの通知に感化され、この春休みはたくさんの本を読んでみよう!と決めました。

 その後本を借りようと何度か玉置先生の研究室へ訪ねたのですが留守が続きます。ホームページに書かれている仕事日記を見る限りとても忙しそうだったので、玉置先生から本を借りることを諦めかけていました。

 数日後大学へたまたま寄った際、ダメ元で玉置先生の研究室を訪れると、そこには玉置先生の姿がありました。本を借りたいという旨を伝えると、おすすめの本を選んでいただきました。玉置先生がすすめる本を借りることができとても嬉しく思います。

 時間がある時にはひたすらYouTubeを見ているような私がまともに読書をするのは、小学生の頃の読書タイム以来かもしれません。
 春休みが終わる頃に読書を通じて学んだことや、考えたことをまた記事に出来たらいいなと思います。

 本を読もうと考えさせてくれた同期や素敵な本を貸してくださった玉置先生にとても感謝しています。楽しく充実した春休みにするぞ!!

 最後まで読んでいただきありがとうございました。(長谷川)
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熱中すること(柴山)

 こんにちは!8期生の柴山です。今日は雨で草野球の練習が中止になってしまったので、一本記事を書いてみようと思います。

 小学校5年生の時の面談で、「熱中していることはなんですか?」と聞かれました。この時、なぜか頭の中がモヤモヤして、答えに困ってしまったことをハッキリ覚えています。苦し紛れに「修学旅行に向けて京都の地名を覚えることです。」と答えました。あのモヤモヤは何だったのだろう。

 当時は、地域の学童野球と将棋を習っていました。学校の勉強などはがんばっていたように思います。野球は倶楽部チームの子と違ってたまにやってるだけだし、将棋も他の子に比べて自主的に練習していないよな。勉強はみんな学校でしている。塾に行ってるやつもいる。なんてことを考えていたんだと思います。

 年末に再放送された『にんげんドキュメント「光れ! 泥だんご」』を見ました。ビデオの中で幼児は、泥団子を光らせるために何時間も熱中していました。壊れても、めげずに一心不乱でした。最近では、映画一本を観ることすら精一杯な私にとっては大きな衝撃でした。

 こんな場面がありました。泥団子作りをしている幼児に、先生作のピカピカの泥団子をあげます。この時、自分が作った泥団子か、持ってきた泥団子かどちらを選ぶのか。

 しばらくすると、どの子もピカピカの泥団子を手放し、自分の泥団子を作ることに熱中していました。ピカピカの泥団子を見るときも、「どうやったら自分もこんな泥団子を作れるんだろう。」という目つきだったように感じます。よいものを目指して、自分の手でなにかをつくりあげる過程の楽しさを4歳の子は本能で理解していたように思います。

 つくっていたものが、一瞬で壊れてしまうこともあると思います。他の人達の能力や行動に圧倒されることもあります。周りの環境や起こることに心を乱されることなく、その時々、目の前のことに熱中して行動することを大切にしたいです。自分自身に対して、胸を張って「熱中していた」といえるものや場面。これらを増やしていくことが目標です。教員としての視点では、泥団子作りのように自然と熱中できる課題の設定や、一人一人が熱中できる環境を整えることを心がけたいと思います。(柴山)
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書くこと(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。私が玉置ゼミで学んだ「書くこと」について今回は綴りたいと思います。

 教員採用試験の面接練習の時、「喋りが上手いなあ」と褒めて頂いたことがあります。嬉しかったです。でも、私は昔から喋りが得意だったわけではありません。昔から本番には滅法弱く、正念場ではいつも転けるタイプでした。

 いつから人前で話せるようになったのだろうと考えた時、玉置ゼミで「書くこと」を必死になって取り組んでからだと思いました。「書くこと」は、主観的です。反対に、「読むこと」は客観的だと言えるでしょう。

 主観的である「書くこと」は、やはり自分の中で深く刻み込まれます。それだけアウトプットしている証拠です。「読むこと」より、とても効果があるのだと私は思います。

 「書くこと」を行っていると、言葉の引き出しや伝わりやすい順番というのが自然と身についてきます。だから、喋れるのだと。頭の中で話したいこと、伝えたいことが並んだ時、伝えるための言葉の引き出しや伝える順序の選択は、全て「書く」という行為と同じです。

 この玉置ゼミの研究室HPで一体どれだけ記事を書いたかもう覚えていません。それ程までに、私は「書く」ことに力を入れた玉置ゼミ生活だったと思います。卒業まで残りわずか、ここでこうして沢山書いて発信できるのも僅かな時間となりました。寂しいなと思う反面、沢山書いてきたなあと誇らしく思う気持ちもあります。

 どうか、後輩たちも「書くこと」を大切にする玉置ゼミでの生活を楽しんでくれるようにと願いながら、残り少し記事を沢山綴ろうと思います。(下野)

※ 写真は林文通先生からいただきました(玉置)
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