ゼミの仲間紹介〈番外編〉(牧野紘)

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ゼミの仲間紹介、番外編としてもう1人紹介したいと思います。


そのもう1人とは、玉置先生です。


実は明日卒業式なのです。学生としていられるのも明日まで。先生にゼミ生として可愛がっていただけるのも明日まで。だから思い切って先生を紹介しちゃおう!と思ったわけです。(笑)

以前、色んな場で私は話したことがありますが、玉置先生は私の第2のお父さんのようです。大学3年で出会い、たった2年でそれは大げさではないか?と思われる方もいるかもしれませんが、私は本当に思うのです。
もちろん、教採のこと、卒業研究のこと、セミナーに参加しての学び、たくさんのことを玉置先生から教えていただきました。それだけではやはり、「尊敬するゼミの先生」ではないか、「お父さん」はどこから来るのか。

私は考えてみました。

それは、玉置先生が私たちを我が子のように可愛がってくださったからだ、と思いました。
卒業研究を見てくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の自由研究を見てくれるお父さんのようでした。教採指導をしてくださっているときの玉置先生は、まるで我が子の進路を心配するお父さんのようでした。たくさんのセミナーに連れていってくださる玉置先生は、まるで我が子に色んなことを経験させたいと願うお父さんのようでした。

だから私も玉置先生をお父さんのように慕っていたのだ、と気づきました。
研究室はまるでお父さんの部屋でした。研究室に相談に行くと、仕事の手をとめ、私の相談や他愛もない話を真剣に、楽しんで聞いてくれるお父さん(玉置先生)がいました。セミナーの帰りには、お疲れ様とごはんに連れていってくれ、一緒に美味しそうにカツカレーを食べるお父さん(玉置先生)がいました。教採の後、メールの文面だけで私の元気のなさを感じ取り、電話しなさいと言ってくれたお父さん(玉置先生)がいました。

今思い出して記事を書いていると、うるっときちゃいますね。(笑)

もうすぐゼミを卒業する一期生(長女)として、後輩のみんなに伝言です。
・玉置先生はとってもお忙しいです。会いたいときにはアポをとること。
・玉置先生はたくさんメールをくださります。なるべく早く反応をすること。誠意はスピードです。
・玉置先生は甘いものが好きです。先生が疲れていそうだなって思ったら、甘いものを差し入れること。

えらそうに伝言するのはここまでにします。(笑)後輩のみんななら、きっと大丈夫ですね。

以上で、本当に最後のゼミの仲間紹介を終わります。
玉置ゼミに入って良かった!というありきたりな言葉は言わないでおきます。
これからもこの繋がりは続いていくのですから。(牧野紘)

美味しい!の代償に…(堀江)

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先日、鳥羽の方へ行き、牡蠣の食べ放題に行って来ました。

牡蠣の食べ放題は初めてだったので、友達とワイワイ楽しみながら、たくさん牡蠣を食べていました。
幸せな気分で家へ帰り、次の日も何もなく過ごしていました。

すると、牡蠣を食べて2日後の朝方、ひどい吐き気と腹痛で目を覚ましました。
なんと、牡蠣にあたってしまったのです。
焼き牡蠣だったし、大丈夫だろうと思っていたのですが、焼きがあまかったのか、あたってしまいました…。

私は大学1年生の頃、胃腸風邪にかかったことがあるので、ほぼ同じ症状だったのですが、あの辛さは何度経験しても、慣れないもので、本当にしんどかったです。

体調が悪くなると、普段健康でいることのありがたさや、家族のありがたみを感じます。
たくさんの人に迷惑や心配をかけてしまったし、とても辛かったですが、ありがたみを感じることができて、良かったです。

皆さんも牡蠣を食べることがあったら、あたらないように、十分注意して食べてください。
(堀江)

教採模試の問題で(寺坂)

3月11日に第2回教採模試がありました。結果は、あれですがまたここから頑張ります。前回(12月)からの成長はありましたが(笑)

小学校全科の国語の問題の中に、国際労働機関(ILO)のフィラデルフィア宣言についてがありました。その一部を抜粋します。
 
 「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」

という、文がありました。これを見たときに、2015年に開かれたCOP21を思い出しました。CO2の削減についてです。世界全体で、CO2を削減しようというものですが、今思うとあまりにも都合がよいなと。イギリスで起きた産業革命から始まり先進国が、次から次に燃やして地球の環境を悪くしてきたという大きな事実があります。そこへ、時間がかかりましたが国内の情勢も落ち着き、国力をつけていこうとしていた中国やインドなどは納得がいかないと思います。極端な例を出すと、先進国の尻拭いをしているように思えます。ODAなどで、援助もしていますが国家間での本当の平等って何なんだろう、なんて模試の最中に考えてしまいました。

現在、北朝鮮とマレーシアをはじめ、少し昔より国通しの関係というのは良くないのかなと思います。全部が全部ではないですが、すこしは経済格差というものがかかわってきて起こっている問題なのかと思います。

これも、だいぶ偏った意見なので、記事を読んでいただいた方、私に新しい角度での見方を教えてください。(寺坂)
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目標を立てること(浦)

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3月になり、来年度の勤務地が決まった仲間も多くなり、いよいよかとドキドキの日々を過ごしています。

そんな中、私の元には勤務地のお知らせではなく、1月末の研修で受けた英語の確認テストの結果が届きました。

このテストに向けて、教育委員会から目標点数を定めるよう指示がありました。
高校卒業程度の問題。目安は70点。英語に対して中学生の時から苦手意識を持っている私は、その目安の70点を目標点数に設定しました。

正直、7割も取れるかな…という気持ちでした。受けたくないと言い続けました。それほど英語が苦手なのです。(笑)

しかし、逃げてはいけないと言い聞かせ、問題集の解き直しを行ったり、英語のラジオ講座を聴いたりしました。

結果、70点を超えることができました!
とても嬉しかったです。逃げずに、出来ることをやってから挑んでよかったなと思いました。

目標点数という具体的な目標があったことが、頑張れた要因だったと思います。ただがむしゃらに勉強するのではなく、目標を立てることで、「達成したい!」という強い思いが生まれました。

これからも、苦手なことに立ち向かわなければならない場面が多くあると思います。そんな時こそ、こうしたい、こうなりたいという目標を立て、その達成に向けて努力していきたいです。(浦)

特別な帰省が気づかせてくれたこと(吉田)

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私の実家 山口に久しぶり帰ることができます。
最近は学校で行われている勉強会、ゼミの活動、アルバイトと立て続けの予定の中でやっと確保することができた時間でした。体を休める、久しぶりに会えるという喜びもありますが今回はもう1つ大切なことがあるのです。
それは「これからの自分」を伝えることです。

私はもう少しで四年生、社会に出て行くのはあと一年になります。
今の私がいるのは、親や周りの人に大切にしてもらえたからだと思うので、そんな人にこれからどうやって生きて行くのか、どこで生きて行くのかということを伝えたいのです。

しかし、不安です。
親に話すことではなく、自分の決断にそう感じてしまいます。
その決断に恥じない私に今後なれるのか、言い切って大丈夫なのかと…。
決断が近づいてくるにつれ、私という人間をどうコーディネートしていくのか考えきれていない自分に気づきました。
それと共に今やれること、1日を大切にするしかないと今まで以上に思うきっかけになりました。

山口ではいい日々を過ごしたいです。笑

3月11日(渡部)

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3月11日午後2時46分、テレビは被災地を映していました。
私は黙祷する人々の映像を見つめていました。
ふと後ろを見ると、父が立ったまま下を向き目を閉じて黙祷をしていました。
はっとしました。
私は黙祷する人々の映像を見つめているだけで、自分は黙祷をしていないのです。
「あの日のことを忘れてはいけない」と言うことは簡単かもしれません。しかし、一年に一度だけの3月11日午後2時46分の黙祷を私はしていなかったのです。
どこかで自分は関係ないと思ってしまっていたのではないかと自分が恥ずかしくなりました。
いつもはテレビを見ながら冗談を言う父です。そんな父が目を閉じて黙祷していた姿は忘れられません。
毎年3月11日の午後2時46分ちょうどに黙祷することは難しいかもしれません。
しかし、3月11日に目を閉じて被災地の方々ことを思い、祈ることを忘れてはいけないと思いました。(渡部)

※写真は朝日新聞サイトから引用しました。(町内の全犠牲者名を書いて流したとうろう=大槌町赤浜)

附属中時代の数学授業感想(玉置)

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 先日、附属名古屋中学校時代の教え子である今井一徳さんと会いました。現在は、あいち小児保健医療総合センター・集中治療科の医師です。今井さんが自分の仕事をイメージしてもらうときに見せられる写真を掲載しました。「また一緒に走ろう」という言葉に集中治療科の医師魂を感じます。

 今度、母校での「職業人から学ぶ」というイベントで話をすることになったので、その内容について助言してほしいという依頼があって、久しぶりに会い、楽しい時間を過ごしました。

 その中で、当時の私の数学授業の話となりました。私の授業はどうであったかと聞いたところ、後日、以下のようなコメントを送ってくれましたので、ここで紹介します。

 ***

 先生の授業は、基本的に「発言を引き出す」という手法に特化した授業であったと考えています。「数学なんて社会に出て何か役に立つの?」とは中学生の常套句ですが、これに真っ向から立ち向かっていたと感じます。つまり、数学を通して「考える力」「考える喜び」「発見する楽しさ」を教えていただいていたと感じます。それらは私たちが生きていくためにとても重要な力だと思います。

 今でもファシリテーションをするときに先生の立ち方、表情、声のトーンなどが思い出されることがあります。ビジネススクールでファシリテーションを学ぶ機会がありましたが、一つの理想形として自分の振り返るときの型になっています。(一つ一つの所作はさすがに20年前の記憶になりますが、「巻き込まれている」感覚はやはり一つの理想形ですね。。。)

 一方で、発言ができない子、発言するまでに考えがまとまらない子への対応はどうだったのでしょうか。私自身がとにかく発言する方であったと思うので、「乗れない子」にとってどう映るのか?という点は考慮すべきでしょうが、あまりコメントができません。

 ***

 25年ほど前の授業について、こうしたコメントがもらえるなんて、教師冥利に尽きます。ありがとうございました。(玉置)

3月3日…(林)

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春休みに入って、日にちと曜日の感覚が無くなっているのですが、今日バイトに行ったら、ひな祭りのちらし寿司が売られていて、『あっ!今日はひな祭りかあ!』と感じました。だけどそれよりも、『ということは、大好きな妹の誕生日じゃん!』と、とても嬉しい気持ちになりました。

妹の名前は愛菜(あいな)と言い、『周りから愛され可愛がられる子になってね』という意味が込められているそうです。本当にその通りに育っていて、本当に姉妹かな?と思うほど私とは正反対です。身近に尊敬できる人がいるから、元気をもらえます。

実は私は4人兄弟なんです。
三女は七星(ななせ)と言い、『北斗七星の中にある一等星のように、人々を明るく照らして、みんなの道標のような存在になってね』という意味が込められているそうです。
確かに七星がいると家の中が明るいです。それに、姉の私も頼ってばかりです。

長男は瑛翔(えいと)と言い、『瑛(玉のように磨かれた)のように、人より何か1つ秀でたところがあって、更にそこに磨きをかけてね』という意味が込められているそうです。
私の弟は本当に優しくて、自分より周りを大切にします。これからも、そんな自慢の弟でいてほしいです。

私(美月)には、『暗闇でも明るく静かに照らす月のように大きく暖かくみんなを包み込んでね』という意味が込められています。
名前には親の願いが込められているし、本当にそのように育つのだなあと思います。
だけど私は全然なので、親の願いに応えられるように大きく暖かい心を持ちたいです。

残念ながら、バイトがあってなかなか帰省することができないのですが、次帰省した時に、一緒にケーキを作って、お弁当を持ってピクニックに行く約束をしました。
私は人と関わることがあまり好きじゃありません。
だけど、兄弟はやっぱり特別です。

それと、友達の赤ちゃんも産まれました。
3月3日はひな祭りだけじゃなくて、私にとってすごく大切な日です。
これから先もずっと大切にしていきたいです。(林)

ようこそ長野県へ!!!(百瀬)

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先日、玉置先生と1期生の先輩方がゼミ卒業旅行に行ったそうで、事前に「どこに行くのですか?」と聞いても企画者以外は秘密にされていて私たちも知りませんでした。どこに行くのだろう?と私もわくわくしながら思っていて、玉置研究室ホームページを見ました。

するとまず目に入ってきたトップページの写真の風景に見覚えが、、、

まさか!?これは!?松本城!?

そして、先生が更新された記事を読んでみると、旅行先が長野県松本市だと分かりました。

タイトルの通り、実は長野県松本市は私の地元です。松本城は高校に通う時毎朝自転車で横を通ってたくらい実家が近いです(笑)
ワイドビューしなの帰省する時乗るな〜!とか、縄手通り懐かしい!とか、そば食べたいな〜!とか、旧開智学校の横の図書館でよく勉強したな〜!とか思いながら先生の記事を読みました。たくさんの写真に写る先輩方の楽しそうな雰囲気に、やっぱり先輩方は仲良しだなと感じました。

大好きで誇りに思う先輩方や玉置先生が私の地元に訪れてくれたこと、なんだか嬉しく思いました!!(百瀬)

※写真は私が思う松本城のベストショットです!!

朝からドキドキ(寺坂)

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3月になりました。日差しが暖かくなってきて、心も暖かくなってくる季節になりました。そんな、優雅な朝に玉置先生から、「【最重要】集団面接指導を終えて2期生へ」という題のメールが届きました。

私たち3年生は、2月に1人一回集団面接の指導を受けました。私は、玉置先生の日にちではなかったのですが、大平先生に温かく厳しい指導をしてもらい、やりきったなーなんて思っていた矢先でした。

スマホの画面をスクロールしていくと、「ぜひ教師になりたいという気持ちが伝わって来ない」「回答の一貫性のなさ」など10項目の指導がありました。自分はどうだったのか。とても、不安になりました。1番パンチをくらったのは、「関心のある教育問題がなさすぎる。 教育学部の学生とは思えない」という言葉です。しかし、教採のために読む・知るのではなく、職についた時の自分の糧になるように知っていこうと思います。

また、玉置先生は本当に教えること?鍛えること?が好きなのだなと、メールの最後に思いました(笑)(寺坂)

最近嬉しかったこと(百瀬)

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私は子ども会や学校で行われる宿泊研修のキャンプファイヤーに参加して、レクリエーションなどを行うボランティアサークルに所属しています。レクリエーションの他にも、大学生から子どもへプレゼントとして『火舞い』というものを披露します。

『火舞い』とは、棒の先端にタオルが巻かれていて、それを灯油に浸し、火をつけたものを曲に合わせて回すものです。(写真を見てください!)

火舞いは技が26個あり、その技を曲に合うよう組み合わせて披露します。写真を見ての通り、綺麗ですが、体の周りで火を回すので危険を伴います。そのため、安全に行えるか、火が綺麗に円を描いて見えるかを観点とし、技1つ1つにテストがあります。

大学1年生から始め、ついに26個目の技に合格しました!!本当に嬉しかったです!寒くても1人でも練習し、努力したからこそ喜びは大きなものでした。挑戦する前向きな気持ち、努力すること、成し遂げること、そして達成感。1つのことを通してたくさんの事を感じました。

努力は人を裏切らない

このことを強く感じたため、教員採用試験に向けてもコツコツと頑張っていきたいです。(百瀬)

初挑戦(山下)

先日人生初のスノーボードに行って来ました。

大学の友人たちと行く予定を立てたのですが前日まで時間も場所も決まっておらず本当に行くのか不安でした。当日朝8時に大学の駐車場に集合しグッパージャンケンをして配車を決めました。なんと運悪く(運良く?)あまり喋ったことのない男の子2人と同じ車でスキー場へ向かうことになりました。何を話そうかなと考えていましたがそこは同じ専修ということもあり思いのほか会話が弾み話が途切れることはありませんでした。

板やブーツをレンタルしいよいよだとワクワクしていたのですが最初は立つことすらできなくて苦戦しました。初心者3人と経験者3人で行ったのでマンツーマンで教えてもらってなんとか一応は滑ることができるようになりました。しかしやはり初めてなので行きたい方向に行けず他の人にぶつかってしまいそうになることも多々ありその度少し会話を交わして初対面の人と話す難しさを感じました。しかし、最後にはそれなりには滑れるようになり諦めず教えてくれた友人に感謝しています。

新しいことに挑戦するのが久々で、できない時の悔しさやできた時の喜びを久々に感じました。これはなににおいても同じで、勉強ができない時の悔しさを理解し、できる喜びを子どもたちに味あわせてあげるのが教師の役目だと感じました。新しいことに挑戦する子どもたちを全力で応援できる教師になりたいと思いました。(山下)
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私の挑戦(渡部)

私は2月18日、ある挑戦をしました!
それは岐阜から地元まで自転車で帰るという挑戦です。
私は大学に通うとき西岐阜駅という駅から大学まで自転車に乗っていました。
卒業が近づき、自転車を地元に持って帰らなければならなくなりました。
そんなとき、ふと父がこんなことを言ったのです。
「自転車で帰ってこればいいじゃん〜(笑)」大切なのは最後の「(笑)」です。私は最初は冗談だと思っていました。なぜなら岐阜から私の家まで約60キロです。無理だと思いました。
しかし父は「何事も経験!やってみなよ!」と私に言い続けました。何度も父にプッシュされるうちにだんだん私の気持ちも変わってきました。何だかできそうな気がしてきたのです!
ちなみに母はずっと反対していました(笑)
こうして私の「自転車引っ越しチャレンジ」が決定しました!
作戦決行は2月18日。この日は土曜日です。もしも何かあったときには救助(笑)に駆けつけられるように父の仕事がない土曜日に設定しました。

2月18日午前9時30分。私の挑戦がはじまりました。まずは走り慣れた道です。やがて通学路からはなれます。しかし、車で学校に来るときに通る道なので見慣れた道です。
問題はその次です。私は車で行くときは名古屋高速を使います。しかし、自転車で高速道路は走れません。ここからがいよいよ大変です。携帯でマップを見てルートを確認します。(線路にぶつかったら左折…高速道路の下をくぐったら右折…)と心の中で唱えながら走ります。住宅街も走ります。(〇〇商店を超えたら二つ目の交差点でななめ右…)住宅街はルート確認の回数が増えます。
何とか名古屋の高層ビルが見えてきました。
喜んだのもつかの間、ここからがさらに大変でした。名古屋で迷いました(笑)ちょうど土曜日のお昼です。人もたくさんいます。自転車を引いて歩きました。そして、何より大変なのが道路を渡れないということです!道路の向こう側に行きたいのに横断歩道がないのです。歩行者は地下街を歩きますがさすがに自転車を引いては歩けません。ルートを少し離れて何とか向こう側に渡ると次にどちらに進んだら良いのか分からなくなります。名古屋はなかなかの強敵でした。
名古屋を抜けた午後1時にお昼ご飯を兼ねて休憩をしました。あまり休むと次に進みたくなくなってしまうと思ったので休憩は最低限に。40分で再出発です。
午後からは何度も歩道橋に出会いました。また自転車を引いて歩きます。だんだん疲れが出てきます。お尻も痛くなってきます(笑)
家まで残り20キロを切ったあたりからが本当に辛かったです。アップダウンの激しい道が続きました。自転車で坂道を登れなかったことは今までほとんどありません。しかし、すでに40キロ以上走ってきた私の脚に自転車で坂道を登る力は残っていませんでした…。何度も坂の途中で自転車を降りてせっせと押して歩きました。

…そして走り始めてから7時間後の午後5時30分家に着きました!!!!!
初めは無理だと思った挑戦ですが、チャレンジ成功することができました!!!
それは、何かあったら助けに来てくれるという安心かがあったからかもしれません。応援してくれた家族にも感謝です。
いい経験ができました。本当に何事も経験ですね!
でも、当分自転車には乗りたくありません(笑)
(渡部)
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1期生の仲間紹介〈末松英恵さん〉(牧野紘)

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1期生の仲間紹介、最後の11人目は「はなちゃん」こと末松英恵さんです!

私は末松さんのことを「はなちゃん」と呼ぶのが大好きです。いつも優しい笑顔で、気遣いのできる末松さんに、ぴったりの名前だと思っています!そんな末松さんは女子なら誰しも、自分が男だったら付き合いたい!と思っているはずです(笑)

末松さんの優しい気遣いと、美味しそうにご飯を食べる姿は、いつもゼミの空気を温かくしてくれます!いつもありがとう。

しかし、そんなかわいい「はなちゃん」ですが、私はかっこいい一面も知っています。
それは玉置ゼミ女子で、滋賀に旅行に出かけたときのことです。帰り道に事故があり、ナビの道が通行止めになりました。もし私が運転していたら、見知らぬ土地でナビも上手く使えず、焦っていたと思います。しかし、はなちゃんは焦るそぶりも見せず、冷静にルートを考え、運転していました。その間後ろに乗っていた私と渡部さんは、何にもできずあたふたしているだけでした、、!そのとき初めてはなちゃんのかっこいい一面を感じました。心なしか顔もいつもよりキリッとしていたように思います。(笑)

確かに思い返せば、ゼミで卒業アルバムのページを作っていたとき、テキパキ進めてくれたのは、はなちゃんだったと思います。ゼミは、はなちゃんのかわいらしさだけではなく、かっこよさにも助けられていたんだなと改めて感じました。今までありがとう。


ここまで一期生11人の紹介記事を書いてきました。私は玉置ゼミのみんなが大好きなので、そのみんなの人柄が少しでもみなさんに伝わればいいなと思って書いてきました。学びでもなんでもないのに(笑)、たくさんの方に読んでいただけて良かったです!もう少しで卒業ですが、素敵な仲間との時間を大切にしていきたいです。(牧野紘)

*一期生の紹介は終わりましたが、玉置ゼミには、なくてはならない方がまだいますね!(笑)その紹介は後ほど、、、。

デビュー(松田)

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2月20日、21日に長野県にある富士見パノラマスキー場に行きました。そこで、知り合いのスキーの先生にスキーを習い、スキーデビューを果たしました。

私は長野県出身でありながら、今までスキーをしたことがありませんでした。スキーを習ったきっかけは、そのことを知らなかった友達に「春休み、スキーに行こう!」と誘われたことでした。いきなり友達と行って滑るのは危ないということで、マンツーマンで2日間、スキーを習いました。

ゲレンデに出て、まずは止まる練習をしました。スケートをやっていたこともあり、すぐに止まれるようになりました。すると、「じゃあ、リフトに乗ろうか」と言われ、10分もしないうちにリフトに乗り、坂を滑りました。実際にやりながら滑り方を教えるのがその先生のスタイルです。頭で理解するより、実際に何回も繰り返してやる方が習得が早いとおっしゃっていました。

その指導方法のもと何回も繰り返して滑り、2日間を終え、初めに比べたら滑れているという実感が持てるようになりました。また、恐怖心もなくなり、楽しく滑ることができるようになりました。

1日目はどしゃ降りの雨、2日目は快晴の中滑り、天候によって全然滑る感覚が違うことが分かりました。写真は私が滑ったコースの写真です。

この2日間のおかげで友達と楽しくスキーができそうです。忙しい中時間を作っていただいた先生に感謝の気持ちでいっぱいです。(松田)

捨てられる子の気持ち(菱川)

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先日A.Iという2001年に上映された映画を見ました。
簡単にあらすじを説明させていただきます。
人工知能を持ったロボットのデイビットが人間の母の愛を普通の子供と同じように理解してしまったところから始まる悲劇の物語です。もう治らないと診断された本当の子供の代わりにやってきたデイビットに母のモニカは深い愛情を示して行きます。だが本当の子供に奇跡が起きて戻ってきてしまいます。デイビットはどんなに母のことを思っても本当の子供にはかなわず山に捨てられてしまいます。デイビットは人間じゃないから母に愛されない、人間になればモニカの本当の子供になれると信じてキノピオに出て来る存在もしないブルーフェアリーを求めて旅に出ます。

デイビットが愛を認知する人工知能であったために起きた悲劇の物語です。
自分はこの映画を見て、悲しい想いがすごく溢れ出てきました。親に捨てられた子供はどういう想いなのか。今一度考えるきっかけをくれた映画です。
是非子供達と将来関わって行くお仕事をなさっている方々に見ていただきたいと思った作品でした。(菱川)

偶然の再会(岩田)

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春休みに入り、そろそろ卒論や勉強に本格的に取り組まなくてはと思いつつ、友達と遊んだり、いろいろな所へ出かけたり毎日忙しい日々を送っています。そして、それらの資金集めにアルバイト充の毎日でもあります。

さて先日アルバイト先の飲食店で高校時代の恩師に出会いました。その日はお店もとても忙しく、バタバタと慌ただしくしていたのですが、先生だと一瞬で分かりました。声をかけようかやめようか非常に悩みました。覚えてなかったらどうしよう、人違いだったらいやだなと変な心配ばかりしていました。しかし、思いきって「先生、岩田です。覚えていらっしゃいますか。」と小声で声をかけさせてもらいました。すると嬉しいことに「先生」と声をかけた時点で「なんだ、岩田じゃないか。アルバイトか、ご苦労様だな。」と逆に声をかけていただきました。予想外の先生からの言葉に正直とても驚きました。その先生はわたしの部活動の顧問の先生でしたが、1年間という短い期間しか受け持ってもらうことができず転任のため、その後お会いすることもありませんでした。覚えていないのが当然かなと思っていましたので、素直にすごく嬉しかったです。わたしもアルバイト中でしたので、会話としてはその程度でしたが、帰られる際に「頑張れよ。」と声をかけてもらいました。


忙しいアルバイトですが、その日一日とっても気分がよく気持ちのいいアルバイトになりました。この日の偶然の再会より、わたしが今回経験した出来事は教師のやりがいの一部なのかなと感じました。恩師の中でわたしがどのような印象で心に残っていたのかは分かりませんが、少なくとも自分のことを気にかけてくれていたことは確かであると思います。自分が教師になったときも、「先生!!」と声をかけてもらえる存在に、また「○○です」言われる前に「○○じゃん、元気か」と声をかけられるようなそんな人になりたいなと思えた日でした。(岩田)

横浜・東京へ旅行に行きました。(早川)

2年生後期の定期試験を、インフルエンザにかかることなく無事にすべて受け終わり、その直後の土日で横浜と東京に旅行へ行きました。


1日目の横浜では、殆どの時間を横浜で行われていたイベントに費やしましたが、横浜の都会感や、料理の美味しさを体感できました。イベントに参加している間に友達は中華街へ繰り出し、中華料理を堪能していました。美味しそうな料理の数々がグループLINEに次々と貼られていくのが、我慢できませんでした(笑)


2日目は主に東京旅行としてド定番な場所を歩いて回りました。東京スカイツリーや、その中にあるすみだ水族館、浅草の雷門、新宿、秋葉原など・・・。しかし、生憎の天気で、雨こそ降らなかったものの、晴天とはいきませんでした。


岐阜に戻ると、高層建造物の量や人の多さの違いを改めて感じさせられました。
たしかに東京や横浜は栄えていますが、やっぱり自分は愛知や岐阜にいるときが落ち着くなと感じました。


こんなふうに友達と自由に過ごせる時間を大切にしていきたいです。
(ちなみに、微妙な天気の中そびえ立つスカイツリーと、すみだ水族館内のチンアナゴです!)(早川)
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名古屋市科学館に行って来ました(丹羽)

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先日、私は名古屋市科学館に初めて行きました。なぜ行こうと思ったか、その一番の目的はチーム・ラボの特別展を見るためです。

最近、SNSやテレビなどで紹介されていて興味があったからです。
実際に行って見るとそれだけでなく、プラネタリウムや空気砲、竜巻作りなど体験できるものがたくさんあり、小学生や中学生たちが楽しめるだけでなく、大人も十分に楽しむことができました。実際に学校の授業では体験する機会はあまりないのでこのような施設はとても重要だと思いました。

それとともに、何事も自分で経験してみることが大切であると気づきました。ここに、チーム・ラボの特別展で撮影した写真を載せておきます。(丹羽)

言葉との出会い(吉田)

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こんなこと、皆さんにもありませんか?

「この言葉、素敵だ。」
「この言葉の考え方を大切にしたい。」という場面に私は出会います。

そんな時、私は素敵な言葉をノートに書いて残しているのです。
「私の琴線に触れる言葉との出会い」は「人生を変えうる出会いだ」と私は考えています。

今回は最近、出会った言葉を紹介したいと思います。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉です。

この言葉は元楽天イーグルス監督の野村さんのおっしゃられており、本校の就職課長が私に教えてくださいました。

確かにラッキーなことで勝つこと、運が良かった場面は理由がわからないことありますが、うまくいかない時は必ず原因がありますよね。その原因に向き合うこと、そのために頑張ることは本当に大変です。

「努力することの大切さ・私は何をもって勝ちとしているのか・その勝ちに私は後悔しないか」など考えるほど自分にとって素敵な出会いでした。

沢山の言葉に溢れ、若者言葉なども生まれてくる時代の中で言葉の行間を読んで、重みを感じ、その言葉の中にある教訓を自分が実現するというのが私にとって1つの生きがいになっているのかもしれません。(吉田)

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