「三楽の仕事日記」に対する一考察(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で「三楽の仕事日記」を見ることしか楽しみがないと感じている中澤佑太です。ということで今回は「三楽の仕事日記」について記事を書きたいと思います。

 みなさんは「三楽の仕事日記」を読んでいますか?私は大学4年生になった頃から「三楽の仕事日記」を毎日読んでいます。なぜならあの日記でできることがたくさんあるからです。

 私は「三楽の仕事日記」を読む時に、書いてある文章に合わせて自分の一日を振り返って頭の中で文章を作っています。すると気づきます。…自分はいかに無駄な時間を過ごしてしまっているのかと笑。そこから私は朝起きてから寝るまで何をするのかを大切にするのは勿論。「無駄に過ごしたときにも何かしら意味はなかったのか」と考えるようにしています。その結果充実した日々を過ごせるようになってきました。もともとストイックな考え方をするのにさらに磨きがかかってしまいなんだかなぁです。

 また記事がアップされるときの一言のコメントはドキドキしながら見ています。あのコメントで自分が提出した記事やゼミ生の記事を玉置先生はどう思って上げているのかわかるからです。このことに気づいた時に私は決めました。

 絶対昔の仕事日記は読まないでおこう(笑)。なぜなら私の昔の記事を上げていただいた時も当然コメントされているわけで、もっといえば私が大学3年生のときと玉置先生との関わりも書かれているわけで。そう考えると恐ろしくて恐ろしくて(笑)。

 ゼミ生一人一人「三楽の仕事日記」の活かし方を見つけてみてはいかがだろうか。これだって自分にしかない貴重なものなのだから。

 ということで今回は「三楽の仕事日記」について振り返ったことを書いてみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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あの日から9年。(遠藤)

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 3月11日。今年もこの日がやってきました。

 2011年3月11日の東日本大震災、当時私は小学6年生で、卒業式練習の真っ最中でした。体育館全体が大きく揺れて、皆が悲鳴を上げてしゃがんだり、走り出したり、外に出ようとしました。その騒音のせいで、教務主任の先生からの放送が全く聞き取れず、「放送を聞きなさい!」と担任の先生が怒っていたのをよく覚えています。

 2012年の3月11日は、中学校で黙祷をしました。同い年の子ども達で、まだ中学校に行けていない子が沢山いる事を知り、大震災に終わりはないのだと気付きました。

 2014年の3月11日は、高校入試の直前でした。頑張ってきた勉強の成果を発揮できなかった東北の子ども達はどんなに悔しかっただろう、と同じ受験生という立場から想像しました。

 今年は、「自分がもしあの時教員だったら、私は何が出来ただろう」と考えていました。最近、色々なニュースを見ては「自分がもしこの立場なら・・・」と置き換えるクセが付きつつあります。(これは恐らく、玉置先生に「この場面、もしあなただったらどうする?」と唐突に問われる経験から、習慣付いたものと思われます(笑)。ゼミ生特権ですね。)

 しかし、上手く考えがまとまらなかった為、手がかりを求めて玉置先生の仕事日記を紐解きました。

 すると、2012年3月11日の日記の中で、先生が佐藤正寿先生の「ふるさとが復興する時は必ず来る 〜岩手の子どもたちと共に〜」という原稿を紹介してらっしゃるのを見つけました。

 私はこの佐藤先生の文章を少なくとも三回は読み返しました。そして、この記事に今出会えた事に心から感謝しました。

 当時小学生だった私は、ラジオやTVで終わりなく流れてくる被災地の様子に怯えることしか出来ませんでした。被災地の子ども達が、こんなに地域や互いを思い合い、未来を向こうとしていたなんて!高齢者へのマッサージや炊き出しの手伝いをする子ども達の姿を知り、なんて立派なんだろう、と涙が出ました。

 私が教師になれたなら、子ども達に東日本大震災の話をする際は、必ず今日佐藤先生の原稿を通して知ったことを伝えたいです。

 そして、2011年から何年経っても、震災のことを自分ごととして捉えられるようにしたい、子ども達にもそうなってほしい、と思います。何より、互いに支え合って前を向くことの大切さを伝えたい、と強く願っています。

 近頃、新型コロナウイルスの関係で寂しいニュースが続いています。東北の子ども達は、困難に対して互いに支え合い、前を向くことの大切さを知っていました。このことは、大震災だけでなく様々な身の回りの困難に置き換えることが出来るはずです。衛生製品の買い占めや、体制批判をする前に、周りの人達と支え合う意識を持った行動をして欲しい、と佐藤先生の原稿を読んでいて改めて感じました。

 東日本大震災から9年、まだまだ知らないことばかりです。あの日のことを忘れずに、今私に出来ることは何か、考え続けようと思います。

http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/...
 上記のページでは、佐藤先生も原稿の中で仰っていた「釜石の奇跡」の体験談が書かれています。この記事の中にも、被災後4日目から自発的に避難所の名簿作りに取り組んだ生徒達の存在が出てきます。

 防災訓練への意識が変わるような、本当に貴重なお話ばかりで、是非多くの方に読んで欲しいと感じた為、リンクを貼らせて頂きました。(遠藤)

セミナーに通い続けて思ったこと(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で玉置先生のセミナーが中止になり禁断症状が出ている笑中澤佑太です!ということで、今回は二年間セミナーに通い続けた今だからこそ話せることを話していきたいと思います。

 私はセミナーに行きまくりました。行き過ぎたあまりにゼミ生や先生方から「どうしてそんなにたくさん行けるの?」とか「玉置ゼミが好きなんだねぇ〜」「良い教師になりたくて必死そうに見える」なかには「正直場所は違うけれど同じ内容じゃん。そんなに行って飽きない?」など、とんでもない内容までいろいろと言われてきました。それらの言葉に共通して皆さんが思っていることはこれだと思いました。

 「なぜセミナーにたくさん行ったのか?」

 勿論教師力を貪欲につけたいからと言えばそれまでです。しかし、それなら何回か行けば良いと私も玉置先生も思っているはずです。話が重複するのは当人も思っているはずであるし、むしろ教える内容がぶれてはいけないのだからです。けれども私は明確な目的のもと足しげもなく通い続けました。

 その理由は、玉置先生の姿を少しでも取り込むためです。

 授業でもセミナーでも内容は重複することがあっても、発表者がその時に発言する内容はその時しか得ることができません。だから私はその時しか話さない玉置先生の考えを聞きたいから通い続けました。またセミナーに通い続けると、玉置先生が困っている瞬間や、聞き手に対してどう対応するか悩んでいる瞬間に気付くようになりました。

 そして、その時にどう対応しているのか、考え方やたたずまいはどうか、実際の本音はどうかなど、長く忍耐強い人生経験に基づいた姿や考え方を直に知ることができます。だから、私は玉置先生にひっついてばかりいました。

 当然そうしたからって、自分に何か身に付く訳ではない。それが当たり前。…と本来なら言うところですが、通い続けているうちにいつの間にか自分も同じ考え方をしている時があったり、見てきたこと聞いてきたことを生かさなければと考えていたりなど、少なからず片鱗があり、「これはしばらく経つと面白い人間になっているなぁ自分」と思えるようになっているのだから面白いと考えています。

 セミナーの記憶が全てあるかといえばうそになる。けれども身体に染みついているという状態です。いやはや本当にセミナーに通い続けた。

 後輩たちに伝えることがあるとするならば、セミナーが当たり前にあると思ってはならない。長い人生の中で本当に誰も経験しないあなただけの貴重な体験であることを思っていて欲しい。そして玉置先生といられる時間は有限であることも忘れてはいけない。そんなふうに私は今思っている。

 今回はセミナーについて振り返ってみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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心の天気(矢崎)

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 こんにちは。矢崎です。

 心の天気の研究に携わらせていただいてから、1週間が過ぎました。

 晴れ、晴れ、晴れと連日、晴れが続いていた私ですが、とうとう雷になりました。私は勝手に雷はイライラしたときの気持ちやどうにも言葉にできない気持ちを表すものだと解釈しています。

 昨日の夜遅く、雷になってしまいました。自分の情けなさや、周りに対しての不満。それらが雷の原因となりました。自分で頑張っていると思っていた事を心ない言葉で否定されると、もう、何というか、言葉にできなくて。雷雨になりました。

 頑張りは他人からは見えづらく、そして伝わりにくいです。また、自分が頑張っていると思っていても、人にはそれぞれキャパというものがあり、どうしても人は自分のキャパで人の頑張りを測ってしまいます。

 自分でもそれは重々承知です。自分も必ずキャパで人を測る一面を持っています。だから、日頃、私はなるべくその人のキャパでその人を見ることができるようによーくその人を見て、支えたり、支えられたらしてきたつもりです。

 でも、それが、なかなか上手くいきません。決して自分はできる人ではありません。だからこそ、周りと一緒に頑張りたいのに。

 志賀内さんの本にあった「気張る」それを私はまだできていないのでしょうか。あの言葉を見てからそれができるように心がけてきたのに、とてもとても難しいですね。

 心の天気はとても良い仕組みだとこの1週間感じました。心の言葉にならない気持ちを吐き出すことのできる小さな避難場所です。この避難場所があることがどれだけいいことか。言葉にできない黒く重い気持ちはその人の心にずっと靄のように居続けます。その靄は自分一人の力では吐き出せません。そんな時にこの心の天気は大活躍すると感じています。

 晴れになれるよう、美味しいものを食べたり、友達と話したりします!(矢崎)

感動!柳卒業演舞(玉置)

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 2月23日(祝)、本学体育館で行われた「第16代目 柳 卒業演舞」を見てきました。

 感動!感動!感動!の連続でした。

 我が4期ゼミ生の3人(井上君、秋田さん、山田さん)を始め、柳の皆さんは大学時代の多くの時間を費やして、侃々諤々しながら、こうした素晴らしい演舞を創りあげてきたんだな、と羨ましい気持ちになりました。そして40数年の過去になる自分の大学時代、落語研究会に所属し、多くの時間をかけて落語会の企画運営や落語の稽古に熱中していた青春時代を思い出しました。

 たくさんの方々が体育館に集まってきていること(中には2期ゼミ生の古川さん、牧野さん、白井さんもいました)に驚きました。また柳の代表者がそのことに深く感謝している姿勢にも感動しました。おかげさまで良い時間となりました。

 また、写真のように久しぶりに(笑)4期生の関口さん、高桑さん、高橋さんとも出会え、足を運んでよかったなあと思いました。

 そうそう立川談慶師匠が、「自分の時間を費やして会いたいと思えるのは、日頃の人間関係の答え合わせです」と書いておられました。今日はこの言葉が心に浮かんだ日でもありました。(玉置)

 

2月15日EDUCOMへPC貸与へのお礼

 玉置ゼミはEDUCOMこころの天気実践に全面的に協力することになりました。そのためにPCが5期生・6期生21名に貸与されました。そのときのお礼の言葉です。生田君が叩き台を作り、5期生で作り上げたお礼文です。

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 こんにちは。岐阜聖徳学園大学 教育学部 玉置ゼミ生の生田朋也です。本日はお忙しい中、Chromebookの貸与式、説明会を開催していただきありがとうございます。

 日頃からお世話になっているエデュコム様の研究に参加させて頂けること、私たち玉置ゼミ一同、大変嬉しく思っております。

 これからの教育現場には、pcが1人1台配付されることが決まっております。そうした新しい時代の中で、どのようにICTを活用し、どのような授業を行うのか、私たち一人一人が常に考えて行く必要があります。まだ勉強中の身である大学生の私たちにとって、このような研究に参加させて頂けることは、大変貴重な経験だと感じております。

 本日お借りしたChromebookを普段の学習から活用し、自分たち自身のスキルを磨くのは勿論、これからの学校現場で活躍するシステムの開発に少しでもお役に立てるよう、取り組んでいきたいと思います。

 エデュコム社長 柳瀬様、そしてこのような場を設けてくださった株式会社エデュコムの皆様、本当にありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。簡単ではございますが、以上で私からのお礼の言葉とさせて頂きます。
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リスタート(酒井)

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 こんにちは。久しぶりに四方山話を書いております5期生の酒井です!

 教員採用試験に向けて勉強する仲間が少しずつ増えてきたの日に日に感じる今日このごろです。味岡小学校を参観させていただい2月6日、私は一足早く退席し大学で開かれた岐阜県の宝の話にも参観させていただきました。宝の話とは教員採用試験を終えた先輩方から対策や試験についてのお話を直接聞くことができる機会のことです。参加させていただいてまず焦りを覚えました。自分を奮い立たせてやらなくてはならないなと強く思いました。

 加えて、頼もしい先輩方のお話を聞くことできる有り難さも感じました。その年その年で単発で終わらせるのではなく、先輩から後輩へと受け継ぎ背中見て励むことのできる環境を用意していただけていることを本当に感謝したいです。

 教員採用試験は自分の夢を叶えるひとつの過程。頑張る目的はその先にあります。仲間や息抜きを大切にしつつ後悔のないように励んでいきます。

 来年度受けるみなさん!!共に頑張りましょうね!!!少し時間にはおわれましたが充実した一日になりました。よし、頑張ろっと。(酒井)

心を動かされた4コマ漫画(大久保)

 こんにちは!5期生の大久保です!今回は初めて四方山話を書いてみます!(記事に死という言葉が多く用いられています。ご了承の上読んでいただけると幸いです。)

 題名にしているので、お分かりかと思いますが、今回は私が心を動かされた4コマ漫画ついて書きます。

 それは...

 Twitterで流行している「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画です。

 軽く内容を説明します。と言ってもタイトルが全てを物語っています。作者は、きくちゆうきさんという方です。どこにでもいるようなワニ(人型)の、何気ない日常を4コマ漫画で描き、毎日「100日後に死ぬワニ 〜日目」といってアップされます。

 この4コマ漫画の何が興味深いかと言うと、主人公であるワニは100日後に絶対に死んでしまうのです。しかし、ワニは死にたいなんて思っていませんし、自分が死ぬということも知りません。読者である私たちのみが、ワニが死ぬという運命だけを知って、毎日読み進めているのです。

 漫画の中のワニは、私たちと同じようにご飯を食べて、テレビを観て笑い、恋をして、色々なことに悩むのです。そして、人一倍感受性が豊かで、小さなことに喜び、小さなことに悲しむ、とても綺麗な心の持ち主です。そこに、読者である私たちはどこか惹かれているのだと思います。

 私はこれを初めて読んだ時、衝撃を受けました。こんなに楽しそうに笑っているのに、100日後には死んでしまうのだと思うと、言葉に言い表せない、何とも言えないような気持ちになりました。

 漫画に対する読者のコメントに目を向けてみると、恋をしているワニに対し「今しかないんだから、想いを伝えてほしい!」「後悔したまま終わって欲しくない」といった内容のものが数多く寄せられています。

 実際に私も「もっと積極的に頑張れ!」や「毎日を無駄にしないでほしい」と何度も思っていました。

 しかし、死というのは、私も直面するものであるのに、どこか他人事のように考えていました。ただただ客観的に漫画を読んでいたのです。

 私は1日を無駄にしてしまうことがよくあります。「無駄にしてしまったな。でも、明日があるからいいか」と、楽観的に済ませてしまいます。当たり前のことが当たり前ではないのだと、この漫画を通して痛感しました。

 ここで、私の小さい頃の話をさせていただきます。私は、昔からおばあちゃん子で、幼稚園の時は、毎日送り迎えをしてもらっていました。祖母のことは好きなのですが、時に口うるさく怒られることがあったので、小さい頃の私は腹を立て、「もう話さない!」とよく思っていました。ただ、寝るとそんなことも忘れて、いつもように祖母と話すのです(笑)

 そんな祖母が、私が小学4年生の時に、事故により脳死状態になり、そのまま亡くなってしまいました。本当に突然のことでした。私は成人した姿を見せることも叶わず、祖母に感謝の言葉すら伝えることが出来ませんでした。

 自分自身が死ぬかもしれないと思い、毎日を無駄にせず過ごそうと思っても、死というのは、周りの人に対しても同じように降りかかってしまうものです。周りの友人、先輩、先生方にもしっかりと気持ちを伝えていかなければいけないと改めて強く思いました。

 今(1月23日)の段階で、43日目です。つまり、ワニが死んでしまうまで、残り57日です。私は57日後に、これに関する記事をもう一度書こうと思います。

 たかが漫画かと思うかもしれませんが、私がこうして心を動かされたように、同じような気持ちになる人がいるはずです。この記事を読んでいただけた方で、本当に興味本位で良いので調べてみてほしいです。

 長々と書いてしまいました。最後までご高覧いただきましてありがとうございました。(大久保)

 ※写真は、主人公であるワニです。
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「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んで 矢崎

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 こんにちは。五期生の矢崎です。今回は「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んでの感想を書かせていただきます。

 この本は玉置ゼミの必読書です。この本を読むまでは題名に「9人の先生」とあるので、きっと「僕」がいい先生に出会う話が書かれているのだろうなと思っていました。
しかし、内容は全く違っていました。

 この本を全て読み終えて私が感じたことは「教師も人である」ということです。

 私は「先生」と人から呼ばれる職業は周りから「人」とは思われにくいと感じます。どうしても、その「先生」と呼ばれる人は自分より上で出来る人、いや、完璧でいるべき人だと思われがちだと思います。

 でも、今回この本を読んで、改めて「教師も人である」ことに気づかされました。主人公の棚橋くんの人生に関わってきた「先生」「人」でした。勇気を出してわからないと言った棚橋くんを平手打ちした「先生」もいました。学校で不安を感じている棚橋くんに「わかるでしょ?学校に行っていないと困るってことが」と言った「先生」もいました。学級を上手くまとめられず、保健室に逃げ込む「先生」もいました。ご褒美と罰を与えて学級をまとめようとする「先生」もいました。様々な「先生」がいました。

 「人」にはそれぞれ生きてきた世界があります。苦手なこと、得意なこと、今うまくいっていること、うまくいっていないこと、全てが揃ってその人の世界です。当然、その世界は「先生」にもあるのです。それを理解することは大変な時間と労力が必要です。ついつい、自分の世界だけでその子を見ようとしてしまいます。

 でも、それをされた子どもはたまったもんじゃないと思います。子どもはどうしたらこの「先生」は怒るのか、喜ぶのか、この「先生」にとっての「ふつう」ってなんなのだろうと「先生」の世界を探ります。私もそうでした。そうして探る中で「いい先生」、「悪い先生」を決めていました。

 だから、私は教師になる身として、自分が「人」であることを忘れないようにしたいです。

 自分は子どもたちと同じように「人」であり、嫌な事も好きな事も、こだわりもめんどくさがりなところもあるということを忘れずに「人」である子どもたちに向き合いたいと思いました。そうすることで、自分だけの世界ではなく、その子の世界を見せてもらえる教師になれるのかなとこの本を読んで感じました。(矢崎)

素敵な本と出会って (矢崎)

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 こんにちは。五期生の矢崎です。今回は玉置先生にプレゼントしていただいた、志賀内さんの「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の感想を書かせていただきます。

 この本は玉置先生が繋いでくださったご縁で志賀内さんが私への直筆のサインを書いてくださった、とても特別な本です。この本はとっても素敵でした。志賀内さんの文章はスッと私の心に心地よく着地していきます。どんどん本の中の世界へ入っていきました。

 この本は京都の祇園を舞台とした小説です。その祇園で元芸妓さんをしていたもも吉さんが一見さんお断りの甘味処「もも吉庵」の女将をしています。その「もも吉庵」に悩みを抱えた人が訪ねてきて、もも吉さん特製の麩もちぜんざいを食べ、気付けば悩みを吐露している、「もも吉庵」はそんな場所なのです。悩める人にもも吉さんは心を解きほぐす言葉をかけていきます。

 もも吉さんの言葉は人として自分はどうあるべきか考えさせられるものばかりでした。

 もも吉さんは「叱るときには『慈眼』が必要だ」と言います。「慈眼」とは簡単に言えば、「思いやり」です。これは当たり前のことかもしれません。でも、私は叱る時は、叱る側の考えや生き方が主体となりがちと思います。「私はこうやって生きてきた、だから大丈夫。」と相手に伝えているのと一緒ではないでしょうか。それはその人への「思いやり」が欠けています。

 しかし、十人、人がいれば十通りの性格があるのと一緒で、人にはそれぞれの人生があります。その人の今までの人生は叱る側の人生とはまるで違います。だからこそ、その人を「思いやる」ことを忘れてはいけないのです。その人の今までの人生を慮ってその人と対話することを忘れてはいけないのだと学びました。

 また、もも吉さんは「頑張る」と「気張る」の違いを教えてくれました。「頑張る」は「我を張る」こと、自分独りよがりのこと。「気張る」は「周りを気遣って張り切る」ということ、周りの人たちを巻き込んで、助けたり助けられたりして、色々な考えを1つにまとめて自分の力を発揮すること。

 この言葉に私はハッとしました。私はつい、自分に何か任されたときに「頑張って」しまいます。周りにもっと頼ってよ、一人でやらないでと言われます。そんな言葉に私はなんて言葉をかけてくるんだろう、信じられないと思っていました。しかし、もも吉さんの言う通り、私は「頑張って」いたのです。だから、これから、私は「気張る」ことを目指したいです。そして、「頑張る」人に「気張る」環境をつくれる人間になりたいと思いました。

 そして、「ふつう」についても考えさせられました。ご飯を食べる前に「いただきます」を言うこと。食べた後に「ごちそうさま」を言うこと。落ちているゴミを拾うこと。
これらは人として普通のことです。でも、つい忙しく生きていると忘れてしまうことばかりです。でも、そういう当たり前のことができる人を人は見ています。人として当たり前のことをできるようにしていきたいと思います。

 「大事な人」についても考えさせられました。毎日一緒にいる家族、友達、恋人についイライラしてしまうことがあります。それはきっと私が心を許しているから、その人のことをよく考えようとしているからでしょう。

 だからこそ、その人と笑い合う時、気付いてはいませんがとっても幸せなのだと思います。でも、情けないことに、そういった感情はその人を失ってから気付くものです。

 でも、この本を読んで、「相手が幸せなら、自分も幸せ」だということに気づかされました。自分が幸せなら、きっとその人も幸せに感じてくれているということです。だから、どれだけその人と幸せになれる瞬間が多くなるかは私の関わり方にあるのだと思い、「大事な人」に誠実でありたいと改めて思わされました。

 最後に、「苦労」について考えさせられました。人生、生きていれば様々な「苦労」があります。

 それは人それぞれです。他人から見て、一見小さな「苦労」だと思われることでも、その人からしてみれば、とてつもなく大きな「苦労」なことだということもあります。そう、「苦労」に大きいもの小さいものないのだと私は思っています。人の「苦労」を自分のはかりで測ることはできないし、してはいけないのだと思っています。

 そして、小説の中で無轍様が言った「神様がときどき人に苦労を与えてくださる。」という言葉に私は覚えがありました。

 母が亡くなった時に祖母が私に言った言葉だったのです。
「かえちゃん、神様は乗り越えれる人にしか苦労を与えないんだよ。」と。 
 私はその言葉を今も心の中で常に座右の銘にしています。小説の登場人物たちが言っていた、「こんな苦労いらん。いやや。」という言葉。痛いほど分かりました。

 でも、なぜなのでしょう。神様はその「苦労」を私たちに与えるのです。その「苦労」を私たちは乗り越えて「財産」にしていかなくてはいけないのです。これから教師をしていく中で、自分自身はもちろん、子どもたちの「苦労」を見るときが多々あると思います。本当に辛い時、人は月並みの言葉では「苦労」に立ち向かえません。「覚悟」がないと無理なのです。その時に、私はこの無轍様や私の祖母のように、その子に「覚悟」を持たせてあげられるような言葉をかけたいです。そのためにこれからも「苦労」と付き合って、「財産」にしてやろうと思います。

 この本でたくさんの「言葉」をいただきました。私にとってこの本と出会えたことは財産です。志賀内さん、玉置先生、素敵な本を本当にありがとうございました。(矢崎)

さあ勇気を出して一年を過ごしていこうか(中澤)

 新年明けましておめでとうございます。この記事を読んでいただいている全ての皆様の御健康と御健勝を御祈り申し上げます。四期生ゼミ長の中澤佑太です。六期生の皆様はじめまして。今回は、今年の抱負を書きながら、六期生のために自己を紹介できたらなと思います。

 新年を迎えるにあたって、私は一つの目的を掲げました。それは、『この一年間をどう過ごすかによって、私は死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』です。

 私のことを書く前に他の四期生にも当てはまるなと思ったことを書きます。

 四期生は、この四月から教師という仕事を担う社会人としてスタートをきります。それはつまり一年間に渡る子どもたちとの関わり、毎日の安定した授業提供、保護者との関わり、同業者との関わりをし続けていくことになります。当然そこでは、予想外のことが身にふりかかり、頭を抱えたり、困惑したり、落ち込んだり、理不尽のあまり怒ったりします。失敗の連続になると思います。当然一年目であるという支援もあります。

 しかし、だからこそ私は『この一年間をどう過ごすかによって、死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』と考えることが大切ではないかと思いました。言い換えれば、予想外の事態に直面するたびにどう考えて、どう感じて、どうするのかが、その後の教師人生での無意識のくせになり、自身がより良い教師になっていくのかが決まるということです。よってこの一年間、毎日を過ごすなかで、一日一日を徹底的に分析することが大事になると考えました。

 さて私の話をします。私の場合は複雑ではないけれど、少し難しいことになっています。とりあえず私のことを知らない人のために、簡潔に玉置ゼミに入った後の中澤を紹介すると、

1,大学二年生以前の記憶、そして三年生の記憶がなくなる。
2,玉置ゼミで学んだことがそのまま自分の性格、思考、判断、表現など人格を形成する要素となる。つまり人格が変わる。
3,小学生のころからの夢であり周囲からも期待されていた教師になるという信念を抱いてきたが、自分を知ることで、名古屋市公務員になるという信念へ変わるというか成長し、来年から東京アカデミーで法律を学ぶなど修行をする。

 このような感じになります。おそらくよく分からないと思うし、そんなことが現実に起こるか信じられないと思われると思いますが、事実だから仕方がない。証人は最低27人はいます。(笑)

 ゼミに入ってから二年間私は様々な恩恵を与え続けていただきました。しかし当然大学を卒業すればそのようなことはありません。(無論一生続くゼミという言葉の通り、相談できる環境があるというだけで贅沢でありがたいわけですが。)

 けれども私は、与えていただいた物事の考え方や能力を駆使した新しい生活スタイルを確立したいと考えています。どんな仲間を何人作るか、人間付き合いをどうしていくか、私はどんな性格でどんな風に日常を過ごし、仕事や課題、目的にむかってどう乗り越えるのかを、これから出会う人達に知られたいのかを作り上げたいと思っています。勿論名古屋市公務員試験当日までどうゼミで培った力を駆使して積み上げていくのかもあります。

 よって、『この一年間をどう過ごすかによって、私は死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』という抱負を抱くことになりました。この一年間、毎日徹底的に振り返り大切にしていきたいと思っています。

 ここから五期生六期生へメッセージです。

 五期生のみなさん。教採の一年を迎えましたね。皆さんに言いたいことは、『この一年をどう過ごすかで、教師としての自分をどこまで知ることができるかが決まります。』難しいことを言ってるのでなく、自分が教師として本当に生きていけるのか、またどんな困難が待ち構えていて、どう自分は考えて乗り越えていくのかを理解できるのかということです。それがわからなければ面接官も、この人は教師にしておけないなと判断されても仕方がないことになるからです。一年間自分と向き合いましょう。

 六期生のみなさん。ようこそ玉置ゼミへ。皆さんに言いたいことは、『この一年をどう過ごすかで、今後の人生がより幸せになるかが決まります。』玉置ゼミに打ち込めば打ち込むほど今以上に素敵な人になるし、人生変わるよということを言いたいです。玉置ゼミにはそれだけのパワーがあります。あなた次第でそのパワーをどれだけ引き出せるかが変わります。素敵なゼミライフになることを願います。

 ゼミ関係者に現状報告するたびに、良い意味で驚いてもらえる報告をし続けられるように、この一年間挑戦し続けていきたいと思っています。以上で抱負を終えます。お読みいただきありがとうございます。今年も御指導御支援よろしくお願い致します。(中澤)
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玉置ゼミ 6期生 中江真帆 自己紹介

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 こんにちは!玉置ゼミで勉強させていただくことになりました!特別支援教育専修2年の中江真帆です。初めて記事を書かせていただくので自己紹介します。

 私は三重県の伊勢市出身で現在は大学に通うため岐阜市でひとり暮らしをしています。ひとり暮らしをする前はホームシックになったりするものなのか心配していましたが、ひとり暮らしを始めるとホームシックの「ホ」の字もでないほどでした…笑。(家族はよく寂しがります)

 そんな私ですが、地元伊勢市は自慢の町だと思っています!伊勢市といえば伊勢神宮が1番有名だと思います。初詣にはいつも伊勢神宮を訪れていて今年も参拝してきました!
 
 1枚目の写真は外宮の勾玉池です。私が幼い頃によく遊んだ思い出の場所です!今は私の子ども時代よりきれいになっていて昔の姿を懐かしく感じます。家から神宮まで行くのは苦ではないのでふとした時にふらっと立ちよることができます。成人式の日も神宮に参拝する伊勢市の新成人は多いです。私もそのひとりです(笑)。

 また、余談が重なりますが伊勢に帰れば私の大好きな愛犬に会うことができるので帰省するときはいつもそれが楽しみです(笑)。

 2枚目の写真を見てください!今年で5歳になりますがとっても小さくて彼の背中は靴のサイズほどしかありません。私が帰ると毎回出迎えてくれる優しいわんこです!

 さて、私の教師像の話を少しさせてください。私は子ども一人一人に向き合うことのできる教師になりたいと考えています。特別支援教育を勉強したいと思ったのも通常学級を超えていろんな特性をもつ子どものことを知りたいと考えたからです。

 玉置ゼミ加入のきっかけは、1年生の時に玉置先生の授業を受けて多くの教師像を知って玉置先生のもとで勉強したいと思ったことでした。玉置ゼミでは学級経営や授業づくりを学び、自分の理想の教師を目指していきたいと思っています。これからたくさんのことを学んで日々努力を重ねていきたいです!よろしくお願いします!(中江)

玉置ゼミ6期生 伊藤 幹太 自己紹介

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 初めましての方ははじめまして、記念すべき玉置ゼミ6期生として玉置先生のもとで学ばせていただけることになった伊藤幹太です。

 いきなりですがこの世には2種類の教師しかいません。

 授業の中に沢山の工夫があり、子供が学びつつ学ぶことに対して楽しいと思えるような授業づくりができる教師。そして、その他の教師、私は前者を目指しています。玉置先生の教師論で授業工夫のヒントをいただき、玉置ゼミでもっと学びたいと思いました。希望どうり玉置ゼミの6期生にさせていただけたからには、様々な先生から技術を盗み理想の教師像に近づけるよう頑張っていきます!

 少し真面目な話ばかりしてしまったので雑談をしたいと思います。興味がある方は読んでくださるとありがたいです。

 私の自己紹介をさせていただきます。手短に済ませるのでお付き合いください。岐阜市に住んでおり私の家は、母、私、弟、弟、犬(オス)猫(オス)猫(オス)という母以外男という環境で育っています。そのため女性の方の扱いがわからないため、たまに失礼な言動をする恐れがありますが、広い心と温かい目で許していただけると嬉しいです。

 また一番好きなものは「友達」で1日の睡眠時間以外のほとんどの時間を友達と過ごしています。一人でいるのが苦手で暇さえあれば小学校、中学校、高校、大学それぞれでできた友達と遊んでいます。ゼミの同期とも仲良くなりたいです。そのためにも沢山自分から話しかけていきたいです!(伊藤)

玉置ゼミ6期生 金子奈央 自己紹介

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 こんにちは!玉置ゼミ6期生になりました、金子奈央といいます!教育学部保育専修の2年生です。今回は初めての記事ということで、自己紹介をします!

 わたしは岐阜県中津川市出身です。すごく田舎ですが、自然豊かで美味しいものもたくさんあっていいところです。現在1人暮らしをしていて、すごく楽しいですが寂しくてすぐ帰りたくなります!

 わたしは、食べることが大好きです!大学になって一人暮らしをして友達とご飯に行くことも多くなり美味しいものと沢山出会いました!二枚目の写真は大学の友達ですが、みんな食べることが好きなので美味しいものを探してみんなでおいしいを共有しています。おいしいお店があったらぜひ紹介してください!(笑)

 さて、わたしは現在、保育専修で学んでいます。玉置ゼミには今まで保育専修の先輩がいなかったとお聞きしました。その中で不安なことも沢山ありますが、自分なりに頑張っていきたいと考えています。

 保育で重要とされるものの中に『子ども理解』があります。私は子どもに寄り添える教師になりたいと考えています。これまで学んできた保育学を強みにして玉置ゼミで自分の理想像を明確にしながら取り組んでいきたいです。学級経営や授業づくりについてはゼロからの学習となりますが、その分たくさんのことを得られるように精一杯がんばります!
これからよろしくお願いします!(金子)

玉置ゼミ6期生 松浦遥菜 自己紹介

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 こんにちは!玉置ゼミ6期生になりました、松浦遥菜(まつうらはるな)です。これから玉置ゼミの一員として活動していく上で、私のことを皆さんに知って頂きたいと思うので、簡単な自己紹介をしたいと思います。

 私は岐阜県の大野町出身です。5人家族で父、母、弟、妹がいます。私は現在、実家から車で通学しています。

 大学内では、「岐阜聖徳学園大学 柳」というよさこいサークルに所属しています。このサークルでは学部や専修などは関係なく、様々な人と関わります。同期はもちろん、先輩や後輩との関わりも強く、柳でしか経験できないようなことが沢山あります。ハードなスケジュールで大変な時もありますが、仲間たちと一つの目標に向かって、一緒に頑張るというかけがえのない経験をしています。ゼミや授業などの学業とこのサークルとの両立を4年間保っていけるよう頑張っています!

 私が玉置ゼミを希望した理由は、私が学びたいことが学べるゼミだと思ったからです。具体的には学級経営や授業作りについて深く学べるという点です。模擬授業やセミナーを通して、実践的な学びができるところや現場の声を多く聞けるところにとても魅力を感じました。私は先日初めてセミナーに参加しました。そこで強い衝撃を受けました。詳しくはまた記事を見て頂けると幸いです。

 そのセミナーに参加して、玉置ゼミの強みを改めて実感しました。これから約2年間様々なことに積極的に取り組んで、より多くのことを吸収できるよう、精一杯頑張ります!よろしくお願いします!(松浦)

玉置ゼミ6期生 中野 紗希 自己紹介

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 こんにちは!玉置ゼミに6期生として参加させていただくことになった中野紗希(なかのさき)です!はじめての投稿ということで少し自己紹介をさせていただきます。

 私は愛知県犬山市出身で、大学には毎日2時間ほどかけて電車で通学しています。サッカー部に所属しているので、帰りも遅くなることもあるので、電車通学は大変ですが、年子の兄が下宿生なので、私は四年間電車通学になりそうです。

 中学校では、ソフトテニス部に所属しており、高校では陸上部に所属しており、先ほども少し話しましたが、今はサッカー部のマネージャーをしています。このように、何かを長く続けたことがなく、何かに熱を注いだ経験があまりありません。

 しかし、唯一ずっと私の中で変わらずに存在しているものが、将来の夢です。それは教員になることです。

 私が教員を目指したきっかけは、兄によく勉強を教えてもらっていたということです。兄が教えてくれると今までが嘘のように勉強がわかり、分かるのが楽しいと感じるようになりました。なので、私は尊敬する先生がいたわけではないので、理想の教師像の具体例が私の中にはありません。ですが、大学に入り、学んでいるうちに、自分が尊敬する先生が思いつかない分、私自身が児童生徒たちに尊敬される先生になりたい。と思うようになりました。玉置ゼミで、児童生徒たちに尊敬され、いつまでも児童生徒たちの心に残ることが出来るような先生を目指していきたいと思っています。これからよろしくおねがいします(中野)

玉置ゼミ6期生 池戸颯 自己紹介

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 はじめまして!岐阜聖徳学園大学 玉置ゼミ6期生になりました!教育学部2年の池戸 颯(いけど そう)です!初の記事投稿ということで自己紹介とこのゼミに入りたいと思った理由について書きたいと思います!

 出身地は愛知県名古屋市港区です。所属しているサークルはよさこいサークルの柳で毎年8月下旬に行われる日本ど真ん中祭りに向けて日々練習に励んでいます!僕のスケジュールはほとんど柳が中心となっており、かなり力を入れて活動しています。中学生の頃はサッカー部に入っており、高校では卓球部に入っていましたが、大学にはこのサークルに入り、充実した毎日を過ごしています。

 趣味は食べること、寝ること、踊ることでこれで一日が終わってしまうことがほとんどです。なのでこれからこの玉置ゼミでこれらの趣味の中に『学ぶ』という新たな趣味を付け加えたいと思っています。

 次に僕がこの玉置ゼミに入りたいと思った理由についてです。まず、僕はゼミを選択するとき最初から絶対に教職ゼミに入りたいと思っていました。そして様々な実習を経験して、大学で学ぶことも大切ですが、そこでは学べないこと、理論だけではない、直接自分が学ぶことの大切さを感じ、また実習で多くのことを学んだ事からもっとより多くの授業を直接学校に行って観て学びたいと思うようになりました。この願いを叶える事ができるのがこの玉置ゼミでありここに所属し、学ぶことで自分は大きく成長できると感じた為、このゼミに入りたいと思いました。

 僕はこのゼミでより良い指導が行き届くような学級づくり、生徒作りについて学んでいきたいと考えています。このゼミに入れていただいたからには自分の成長の為、努力は惜しみません!これからのゼミの活動、それによってできる自分の成長がとても楽しみです!よろしくお願いします!(池戸)

玉置ゼミ6期生 名桐大智 自己紹介

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 こんにちは!この度、玉置ゼミ6期生としてこれから活動させていただきます、名桐大智(なぎり だいち)と申します。簡単な自己紹介をするので、もし宜しければ少し目を通していただければ幸いです。

 私は、愛知県名古屋市の出身で、大学までは毎日電車で通学しています。5人家族で、父、母、私、妹、弟という家族構成です。最近は、妹と弟も高校生になったということで、昔よりは喧嘩が減り穏やかな生活ができています。

 小中高と野球をやっていました。ポジションはピッチャーや内野を守っていました。部活の仲間とは今も仲が良く、特に中学校時代の同期と後輩とは今でも盛んに連絡をとり、日程を合わせ集まったりしています。野球をすることももちろん楽しかったですが、仲間と過ごした時間は今でもかけがえのないものとなっています。

 さて、少し真面目な話になりますが、私は将来児童生徒に信頼される教師になりたいと考えています。立派な教師像というのは人それぞれだと思いますが、私の中では子どもたちに信頼され、けじめがつけられる人が理想です。

 玉置先生のゼミでは、学級経営のことを多く学べたり、様々な講演会に参加させていただけたりと、自分の財産となり得る経験がたくさんできます。教師は、児童生徒にとって親に次ぐ第二の大人です。自信を持って教師という仕事を全うできるよう、たくさん学んでいきたいと思っています。これからどうぞよろしくお願いします!(名桐)

2020年1月4日第3回学び続ける教師の会開催(玉置)

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 2020年1月4日、1期生・2期生・3期生による「第3回学び続ける教師の会」を行いました。

 午後3時からはレンタル会議室で、それぞれから去年1年の振り返りをしながらの情報交流会。1期生はさすが教員3年目。表情にも実践内容にも余裕が感じられました。一方、1年に満たない3期生は表情が硬く、日々必死という人もいましたが、当然のことと聞いていました。

 また他地域での教育事情を聞き、自分が取り組んでいる教育活動の意義について考える機会にもなったようです。いずれにしても、それぞれの勤務校で順調に教員生活を送っているようで、元指導者としてほっとした2時間30分でした。

 場所を変えて、人数がさらに増えての懇親会では、教員生活ばかりではなく私生活の話題も飛び交い、ゼミの横のつながりばかりではなく、縦のつながりのよさを感じさせてくれました。

 この会を提案したのは私です。卒業後、ほぼ同業に就くわけですので、ゼミの横のつながりばかりではなく、縦のつながりも大切にしておきたいと思っての「学び続ける教師の会」です。

 先日も同じ地で働くことになった2期生と4期生の出会いを作りました。記事から縦のつながりのよさを感じていただけると思います。

 ゼミ生はますます教育活動の場が広がってくると思います。思わぬところで、玉置ゼミでのつながりが生きることもあると期待しているところです。

 私にとってはゼミ生から元気を出させてもらう会になっています。また教育学部の大学人として今後の講義のヒントももらっています。今回も充実の1日となりました。ゼミ生に感謝の日でした。(玉置)

※写真は懇親会後のワンショットです。実は全員が集合していると思って撮ったのですが、そうではありませんでした。研究室HPトップの写真が懇親会参加メンバーの写真です。なお、情報交流会には3期生の菱川君が特製ケーキを持って参加してくれました。ごちそうさまでした。

あけましておめでとうございます

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 2020年となりました。

 あけましておめでとうございます。

 今年も玉置ゼミ生一同で、ゼミでの学び、セミナーや学校訪問での学びなどを中心に発信します。

 稚拙な内容もあるとは思いますが、「書くことによって学ぶ」というゼミ方針のもと、わずかな成長でも目指して発信し続けたいと思います。

 おかげさまで、4月には玉置ゼミHP開設6年目に入ります。今年もどうぞよろしくお願いします。(玉置)
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