2020年という1年。(今井)

 こんにちは。7期生の今井美羽です。2020年が終わって約1か月が経ちましたい。時の流れは早いですね。

 2020年、コロナに始まり、コロナに振り回され、コロナに終わったという感じがします。1年の漢字も「密」と、コロナ、コロナ、コロナーーー!!という感じの一年でした。あるテレビ番組の中で、芸能人の方がこのように言っていました。「2020年は無かったと思って、生きる。」と。その方がどういう意味で言ったのかという本心は分かりませんし、考え方も人それぞれです。

 でも、私は2020年をなかった年とは思いたくないのです。それは、2020年も私たちは、この地球に存在し、生きてきたからです。その生きてきた証を無しにはしたくないのです。

 オンライン授業で大学の友だちに会えなかったり、遊びの予定が無くなったり、好きなアーティストのライブが中止になったりして、気分が落ち込むことももちろんありました。コロナ関連の悲しいニュースも沢山ありました。「コロナが流行っていなかったら…」と何度口にしたでしょうか。

 コロナのおかげとは言いたくありませんが、自粛期間などを通して、感じたこと、思ったことなどをお話していきたいと思います。
 
 まず、当たり前だった日常は奇跡の集まりなのだということを強く感じることができました。また、その当たり前に感謝しなければいけないなと思いました。大学へ行くこと、友だちと会うことなど、今まで当たり前だったことが出来なくなって初めて、「あ〜、今まで私はとても恵まれて生きていたのだな。」と思うことができました。

 また、オンライン授業やテレワークが広がったことは、とても良かったのではないかと思いました。今まで、テレワークや時差出勤などは、「働き方改革」の案として存在しましたが、実際に行われていなかったと思います。私の父もコロナが流行するまで、家で仕事をしている姿は見たことありませんでした。

 しかし、緊急事態宣言が発令後は、会社に出勤せず、家で資料を作ったり、会議をしたりしていました。
 
 このオンライン授業やテレワークのメリットとして、それぞれの事情で大学に通うことが困難な人、会社に出勤することが不可能な人にとても有効ではないかと思いました。場所を選ばずに授業を受けることや仕事をすることが可能になれば、入院している人や身体に障がいを抱えている人の進路の幅が広がると思うのです。

 もちろん、嫌なこと、悲しいことの方が多いですが、このように考えるとこのウイルスが流行したことも意味があったのかなと考えることができるのではないかと思います。

 しかし、このような表現をすると、コロナに感染し、亡くなった多くの方の命を軽んじているように聞こえるかもしれません。それは、違います。多くの方が今も苦しんでいて、多くの医療従事者の方が頑張ってくれていることもわかっています。でも、私たちには未来しかないんです。だから、このまま私たちは不幸だ、かわいそうと思って生きていきたくないなって思います。この時代を生きていくしかないんです。私は、2021年の目標を「生きる。」にしました。絶対に生きてやる〜〜〜!!!

 2020年も生きた。2021年も生きる。

p.s.前回のどアップ写真クイズの答え合わせ〜!正解はサボテンでした!昨年の誕生日に弟から貰いました。その時から、この子に名前をつけたいと考えているのですが、ピンとくるものが思いつかず、今に至ります(笑)このサボテンが花を咲かせるサボテンなのか分かりませんが、花を咲かせるのが目標です!!(今井)

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母に今は言えない話(木下)

 こんにちは。5期生の木下です。今日は最近思うことを書きます。

 私は愛知県の西三河の方に勤務になったので、4月から一人暮らしを始めます。そこで昨日は母と丸一日家の物件探しをしていました。一日中、慣れないことをしていたので疲労困憊でしたが、それ以上に良いお家と巡り会えたので満足です。

 私は大学生中は1時間半をかけて大学まで通っていたので、夢の一人暮らし生活です。今までは、「やったぞ!ようやく自由に一人暮らしだ!」とウキウキしていましたが、最近一気に現実味をおびて不安と寂しさが襲いかかってきます(笑)

 そして何よりも、母と離れてしまうことに対して今になって大きな寂しさを感じています。私は一人っ子なので、母とは歳の離れた姉妹のような関係です。最近は毎日、母と散歩を1時間ほどして、たくさんの話をします。料理もたくさん教えてもらって、腕を磨いています。

 しかし、中学生〜高校生の間は毎日のように喧嘩をしていました。近所に響き渡るような大声で喧嘩をしていたくらいです(笑)「反抗期はあった方がいい」とよく聞きますが、今考えると私の反抗期は流石に長すぎるくらいでした。

 そして現実味をおびてきた最近考えることは、母と当たり前に毎日話をしながらしていた散歩も、母に当たり前に教えてもらっている料理も、なかなか難しくなってしまうなということです。「当たり前」ではなくなることに一番寂しさを覚えます。正直、あそこまで反抗期が長かった私が大学四年生の今、こんなにもお母さんっ子になっているとは思いもしませんでした。

 なぜ今回この記事を書いたかというと、最近何をしていてもチラチラとこの記事の内容が浮かんでくるからです。しかし、このことを母に直接話すなど恥ずかしくてできません。父にももちろん恥ずかしいためになかなか話せずにいます。

 そこで、今回記事にしようと考えました。私が大学を卒業して家を出る日に、玉置ゼミのホームページでこの記事を見て欲しいと伝えたいと思います。(木下)

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「こどもが変わる接し方」を読んで(田中)

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 こんにちは。7期生の田中です。今回は、玉置先生からお借りした本を読んで自分が感じたことや考えたことを記事にしました。

 授業で子どもが発言をした場面、子どもが「先生〇〇出来るようになったよ」と成長した場面、問題を解き終えた場面、皆さんはどのような場面で、どのようなほめ方で子どもたちを褒めていますか?

 田中博史先生が書かれた「こどもが変わる接し方ー9割の先生が気づいていない学級づくりの秘訣」では、次のような一節があります。「教師は、ほめたことで『子どもが変身する』『周りの子にも波及する』ということを前提にほめなければいけません。」これは、「ほめる」という行為1つとっても、ただほめるだけでなく、そのほめるという行為にどのような意図を持って行うかが大切であるということを示しています。

 私は、ある先生から、「間違いや直すべきとこがあっても、その前にまずは一箇所でもいいからほめて、頑張りを認めてから指摘していくのが良いよ」と以前教えて頂いたことがありました。それ以来、まずはほめることから入るよう意識して子どもたちと接していました。

 しかし、今回玉置先生からお借りした本を拝読する中でこのような一節と出会い、「ほめる」という行為1つとってもただ漠然とほめるだけでは何も意味がないのだなと考えさせられました。いい学級づくり、授業づくりをしていくためには、このような日常茶飯事で行われる行為1つ1つからしっかりと意図を持って取り組んでいくことが大切であると感じました。

 「ほめる」この行為1つとってもどのような場面で、どのような方法で、どのような意図をもって行うかによって子どもの変化も大きく変わってきます。これからは、ほめる前にどのようにアプローチしていくことが良いのか常に考えながら、意図を持ちながら取り組んでいきたいです。また、ほめる以外のことについても同様のことがいえると思うので、それぞれが子どもにとってどのような意味を持つのか、変化させるにはどのようにしていくのが良いのか考えらながら取り組んでいきたいです。(田中)

〈引用文献〉
「子どもが変わる接し方ー9割の先生が気づいていない学級づくりの秘訣」田中博史 2014年2月13日

感謝の気持ちを込めて(二宮)

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 こんにちは、5期生の二宮です。先日玉置先生の研究室を伺った時、大西さん、斎藤さん、後輩のみんなからのプレゼントを頂きました。今日は大西さん、斎藤さん、後輩のみんなに向けて感謝の気持ちを述べようと思い、ここに記します。

【大西さん】
 ご自身の著書をありがとうございます。玉置ゼミに入ってからは人との出会いだけでなく、本との出会いの素晴らしさを知ることができました。関わりが少なくても大西さんとの出会い、内容はもちろんのこと、著書との出会いを大切にこれから生きていきます。

【斎藤さん】
 多賀先生のDVDと勇気が出るお手紙をありがとうございます。DVDは何度も見て、一つでも多く自分の力をつけようと思います。そしてお手紙から、勇気をもらいました。卒論で書いたことを改めて大切にしようと思いました。

【後輩のみんな】
 卒論発表会の後の素敵なイベントありがとうございました。当日に事務所面接があり卒論発表会の参加も危うかった中で無事に参加でき、とても楽しい時間を過ごすことができて本当に嬉しかったです。プレゼントはこれからの一人暮らしの生活で食べます。

本当に皆様と関わることができて幸せです。ありがとうございました!(二宮)

感謝を込めて(木下)

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 こんにちは。5期生の木下です。本日玉置先生の研究室を訪ねた際に大西さん、斎藤さん、後輩のみんなからのプレゼントを頂いたので感謝を込めて想いを書きたいと思います。

<大西さんへ>
 『授業アドバイザーが教える「授業改善」30の秘訣 この見方・意識で授業は変わる!』
いただきました。ありがとうございます。表紙にもあった通り、200人以上の教師にアドバイスを行う「授業のプロ」である大西さんからの本は、私の宝物の一つになりました。一回読んで終わりではもちろんなく、自分が迷って立ち止まった時、悩んだ時、色々な時に参考にさせていただきます。

<斎藤さんへ>
 『文学教材の授業づくり講座 「ごんぎつね」の読みを中心として』いただきました。ありがとうございます。今日玉置先生からいただいたので、早速家のテレビの大画面でみたいと思います。4月から授業づくりをする上で沢山参考にさせていただきます。斉藤さんからのお手紙は本当に心温まるもので、お恥ずかしい話ですがなんと3行で涙が出そうになりました。

<後輩のみんなへ>
 楽しい企画を本当にありがとうございました。オンラインでここまで楽しめるなんて感激でした。プレゼントいただきました。韓国のラーメンとトッポギ。私は最近韓ドラにはまって毎日見ているので、韓ドラを見ながら韓国のラーメン・トッポギを食べたいと思います。(木下)

初めての模擬授業(下野)

 こんにちは!7期生の下野です。

 高校生の時には、想像もしなかったのですが、大学生はもう春休みです(笑)びっくりですよね、ながーいながーい春休みの幕開けです。そんな時間が盛りだくさんの春休みですが、何をしようかなと思った時、まずは後期の授業の復習から取り掛かろうと思いました!そこで、今回の記事では今年の年明けに行った模擬授業について振り返ろうと思います。

 初等教科教育法(図画工作)の講義にて、入学して初めて模擬授業を経験しました。今まで私は模擬授業を経験したことがありませんでした。指名されなかったのもありますが、無意識に避けていたのかもしれません。

 それがなんだか2021年となって、気持ちが落ち着いたのかグループのみんなに「もし、みんなが賛成してくれるのであれば、模擬授業をやらせて欲しい。」と打診していました。グループのみんなの賛成と後押しもあり、急遽私が授業者に。(提出資料では、全員で授業を回すといった算段でした。)

 初めての模擬授業。それはそれはもう緊張しました。時たま、頭が真っ白になるのを必死に考え、絶対に沈黙を作らないぞと思っていました。年末に、玉置先生のご講演で学んだ「意図的指名」も意識しました。

 結果は、大好評!!!!まだまだ未熟な点や、荒削りではありましたが、先生からも生徒役のみんなからもお褒めの言葉を頂きました。嬉しかったです。自分の授業をこんなにも笑顔で受けてくれるんだ、楽しいなと思いました。反省点としては、「子どもに聞いて欲しい箇所は、もっと落ち着いて。メリハリを持って授業を展開する」といった点です。これは、匿名の振り返りシートの意見でハッとさせられたものです。盛り上げる、楽しむことばかりに気持ちがはやってしまっていました。子どもに的確に指示を出す際の心構えを学ぶことができました。

 初めての模擬授業は、自分にはなまるをあげたいところですが、やっぱり自分に厳しくと思い直して「二重丸」にしておこうと思います(笑)(下野)
先程、授業者に立候補した理由を「2021年になって気持ちが落ち着いたのか」と綴りましたが、玉置ゼミに入ったからだと思います。年末のご講演、特別授業と本格ゼミが始動していない中でも、沢山の学びを吸収しました。模擬授業の機会がそこにあるのならば、挑戦してみたい!学んだことを今の私でどれだけ実践出来るかやってみたい!と思いました。また、模擬授業を経験して分かったことですが、先輩方の授業から盗める技術が沢山沢山あったのだなと思いました。私は、ゼミ見学にて5期生の先輩方の授業に参加させて頂いたことがあります。今こうして、玉置先生の教えや、自分が模擬授業を経験し、いかに先輩方の授業が素晴らしいかを実感しています。

先輩方の様な授業がしたい、そしてそこに私らしさも加えた授業を、と今は意気込み充分です。気持ちだけが先行してしまわないように、しっかり一つひとつの出力を大切にして成長していこうと思います。模擬授業という実践で学んだことは、数知れず、こういった機会を今後も大切にしていきたいと思います。(下野)

※写真は林文通先生から提供していただきました。(玉置)
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「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んで(金子)

 こんにちは、6期生の金子です。

 最近、コタツを購入しました!ひとり暮らしを始めて3年目が終わろうとして、あと2回冬を越すだけだ、掃除も面倒になるし、コタツはガマンガマン!と思っていましたが、寒さには負けました。(笑)足にしもやけができてしまい、真っ赤に腫れた足を見ていたら、こんなになっているのに何を渋っているんだ!?と思えてきて直ぐに購入しました!今はコタツでミカンやアイスを食べるのが小さな幸せです!!

 さて、玉置先生から、棚園正一さんが著された「学校へ行けない僕と9人の先生」を貸していただきました。

 このお話を読んで、学校ってどんなところなのだろうと考えました。私にとっては、楽しい思い出もあり、涙を流したりもした場所です。そしてそのすべてに友達、先生、家族が関わっていました。また私自身、勉強が苦手などの自分自身のことよりも、周りからの評価や関わり方についての方が悩みをもちやすいです。

 学校には多くの人が存在し、関わっています。全ての人間が同じ思いになることなど不可能です。ですが、だからこそいい意味での面白い場所なのだと思います。そして、その面白さは受け止めることから生まれ発展すると、漫画を読んで思いました。主人公が、わからないと言ったことを担任に否定される場面があります。クラスメイトに笑われる場面があります。わからないから学び合うそれが面白い、違う考えに触れるからこそ面白い、そういった事が大切にされるべき視点ではないかと思いました。私は、子どもたちの考えを、よく言ってくれた!面白い!と受け止め、そこからまたはじまる展開にこれが面白い!と感じられるようになりたいと思いました。

 このお話を読んで、高校生のときの先生が、「置かれた場所で咲きなさい」という話をされたのを思い出しました。失敗したとしても自分の価値が下がる訳では無い。その状況でどう考え、どう生きるかによって自分が決まるのだと、漫画を読んで感じたことが先生の言葉とも重なりました。振り返ってみると、後悔したことも今では大切な思い出で宝物です。それの経験があるからこそ今の自分があります。子どもたちにとって学校がそんな風に思える場所になったらいいな、と考えさせられました。

 著者である棚園先生、貸してくださった玉置先生、学校について深く考える機会をいただきありがとうございました。(金子)

※写真は林文通先生から提供いただきました(玉置)。
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先生との出会い〜『学校へ行けない僕と9人の先生』を読んで〜(今井)

 こんにちは。玉置ゼミ7期生の今井美羽です!本日は、玉置研究室の書棚からお借りした本の感想を述べたいと思います!私が借りたのは、先日下野さんも感想を書いていた『学校へ行けない僕と9人の先生』です。

 私は、2つの視点からこの本の感想をお話していこうと思っています。まず、「今井美羽」としてこの本を読んだ感想、次に、「教師を目指す身」としてこの本を読んだ感想をお話していきます。

 「今井美羽」としての感想から!まず、読み進める中で一番私の中で一番多く登場した感情は、「理解不能」でした。私と、棚橋くんは考え方がまるで違うんだろうなと思いました。実際に経験をしたことがないので、なんとも言えませんが、棚橋くんの状況に自分が置かれたとしても、私は学校に行っていると思います。これは、私が強くて、棚橋くんが弱いということではなく、物事の考え方、捉え方が違うのだと思います。漫画では、棚橋くんの心の中の声が細かく描かれていて、棚橋くんと自分の考え方の違いに、こうやって捉えるんだと、自分にない新しい考え方を教えてもらっているような感覚でした。

 そして、友達の堀井くんも私の中では印象に残っています。堀井くんいい子だな〜と思いました。学校の場面などでは、棚橋くんが嫌な思いをしていたり、不安を感じていたりして、読んでいる私も力が入ってしまっていました。しかし、堀井くんが出てくる場面は、温かい気持ちになり、安心しました。こういう安心を生まれた時から人は求めているんだろうなと感じました。赤ちゃんは、まずお母さんやお父さんに。そこから、おばあちゃんやおじいちゃん、学校の友達や先生へと、安心の領域を広げていくのかなと思いました。堀井くんの家庭で事件は、衝撃でした。そして、今までとても良くしてくれていたのに、なんとなくいじわるをした棚橋くんに、堀井くん推しとして、とても腹を立ていました。

 この本は、マンガなのでスラスラスラ〜と読めてしまいました。この実体験を世間に公表するのは、とても勇気が必要だっただろうなーと思いながら読んでいました。

 次に、「教師を目指す身」という視点でこの本を読んだ感想を。この本には9人の先生が出てきます。9人の先生には、それぞれ個性があって、私の中でいい先生だなーと思った人もいれば、そう思わなかった先生もいました。正直、棚橋くんにとって良い先生だったのは誰なのかは分かりません。でも、確実に言えることは、9人の先生との出会いが棚橋くんという1人の男の子の人生に影響を与えているということです。先生にとっては、30人のクラスの中の1人であるけど、子どもにとっては、担任の先生は1人だという、当たり前の事実を再確認できました。私もこの20年の人生の中で、沢山の先生に出会ってきました。その中には、私が教師を目指すきっかけとなった先生もいます。子どもと先生との出会いが、その子の人生を良い方向にも、悪い方向にも変えてしまうのだということを、この本を通して理解するとともに、それだけの責任があるのだと身の引き締まる思いになりました。

 とても長くなってしまいましたが、教師を目指す身として、この本を読んでよかったと思いました。私がこの本と出会えたのは、玉置先生との出会いがあったからです。玉置先生との出会いも確実に私の人生に影響していますね。

p.s.写真は、私の部屋にあるもののどアップ写真です。これはいったい何でしょうか。正解は、また私の記事で発表させてもらいます!!お楽しみに〜。(今井)

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10年(矢崎)

こんにちは。五期生の矢崎です。クリスマスが過ぎて、いよいよ2020年が終わろうとしていますね。

今年は私にとって、コロナウイルスという未知のウイルスが来て、教採が来てと、とても濃い1年となりました。

そんな2020年は私の母が亡くなって10年目の年でもありました。
よくドラマで聞く「10年前、、、」というフレーズを自分も言えるようになってしまいました。
「10年」この年月は私にとって、長いようで一瞬の出来事だったように思います。

でも、今でも母が亡くなった日のことは鮮明に覚えています。
病室で、嫌だ嫌だと叫びながら泣いた日のことは、一生忘れられません。

でも、母の声がどんな声だったか忘れてしまいました。
人間、都合よくできてないんだなと思います。
覚えていたい「日常」は覚えていられないんです。

でも、こうも思います。
覚えていたかった「日常」は、その後の幸せな「日常」にゆっくりゆっくり溶けていくような感じで一つの大きな「幸せ」になっていくのかなと。
だから、忘れてしまったのではなくて、一つの大きな「幸せ」になったのかなと。

私は、この「幸せ」をくれたのは父だと思っています。
この10年という年月は、父にとって、苦労の連続だったと思います。
父が踏ん張ってくれたから、今自分のやりたいことに熱中できる私がいます。
父が笑ってくれたから、今笑える私がいます。
私の全ての幸せは、全部、父に繋がっていると思います。
それだけ父の存在が大きいです。
感謝してもしきれません。

そんな私の教員になるにあたっての夢は、保護者の方の気持ちに寄り添える教員になりたいということです。
父のような、1人でお子さんを育てていらっしゃる保護者の方はもちろんのこと、お子さんのことで悩んでいらっしゃる保護者の方と子どもたちの架け橋になりたいです。
私は、まだ結婚もしていなければ、子どももいません。そんな奴が、知った口きくんじゃないと言われるかもしれません。

でも、これだけは知っています。子どもはよく親のことを見ています。だから、親が笑顔だったら、子どもも笑顔なんです。
だから、私は保護者の方の笑顔も守れる教員になりたいです。

子どもたちにとって、守ってくれる存在は必要で尊いものです。その存在の笑顔と子どもたちの笑顔は繋がっています。イコールだと思います。

まだ、守る術はわかりませんが、父の笑顔を守るつもりで、真摯に向き合っていきます。(矢崎)

※ 記事発信の時期がズレたのは、研究室HP編集者である私(玉置)のすべて責任です。お許し下さい。
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6期生の皆に伝えたいこと(大久保)

 こんにちは!5期生の大久保です!12月20日に6期生ゼミ合宿へ面接指導のため参加させていただきました。そこでの体験を通して思うことがあったので、記事にします。

 まず初めに、ゼミ合宿からもう1年たったのかという時間の経つ早さを感じました。

 1年前のこの時期に5期生ゼミ合宿が開催され、酒井先生、斉藤さん、4期生の先輩方をお招きして面接指導をしていただきました。

 その日からもう1年も経ったのかと思うと何だか感慨深い気持ちになります。昨年のゼミ合宿では、厳しく面接指導していただき、面接の難しさや教育に対する考えの甘さを痛感する1日となりました。

 その際、もう1点感じたのは、4期生さんのように来年後輩に指導できるのかという不安です。4期生の皆さんは鋭い目で姿勢や目線を観察し、全ての言葉を聞き逃さずに、もっとこうした方が良いよといった具体的なアドバイスをして下さりました。その様子を見て、なんて偉大な方たちなんだろうと思ったことを今でも覚えています。
「来年後輩にこれだけ熱心に指導できるのだろうか」
「具体的なアドバイスで、前を向かせることが出来るだろうか」
と不安な気持ちになりました。

 そして、今年のゼミ合宿。正直当日に近付くにつれ、焦りや心配は増すばかりでした。上の不安は消えるはずもなく、6期生の面接をしっかり見ることが出来るだろうかと、6期生の面接が始まるギリギリまで緊張していました。(6期生の緊張に比べると軽いものですが笑)

 面接指導を終えて、酒井先生、斉藤さん、玉置先生に5期生の姿を褒めていただき、スっと肩の力は抜けていきました。やり切った!という達成感でいっぱいでした。

 今回何故このような記事を書いたかというと、6期生にどうしても伝えたいことがあるからです。

 それは、「玉置ゼミで学べば大丈夫」ということです。(語弊を生む言い方だと重々承知の上です笑)

 6期生と話をすると、口を揃えて「不安」だと気持ちを吐露してくれました。
「教員採用試験に向けて勉強するだけでも大変なのに、これと併せて面接までやらないといけないの!?」
 昨年のゼミ合宿で私が抱いていた気持ちです。6期生の皆さん、初めはみんな不安です!5期生のみんなとも昨年ゼミ合宿で話していましたが、そこでもみんな不安と戦っていました。きっと歴代の先輩方もそうだったと思います。

 それでもこうしてやっていけている、教師として活躍している先輩方がいるのは、玉置ゼミで学んだからだと私は思います。
「意見を言えない児童にどのように対応しよう」
「主体的な学びはどうすれば生まれるだろう」
 こういった悩みは教採で必ずと言っていい程立ちはだかる壁です。そんな時は玉置ゼミで学んだことを思い出してください。必死にノートに書き留めた、様々な先生方の授業技術、教育観、児童との関わり方、それら全てが自分を助けてくれる宝になっているはずです。

 何と言っても玉置先生がいます。困った時、悩んだ時には玉置先生という最強の味方(言葉は悪いですが笑)がいるのですから、皆には安心して悩みや不安に立ち向かってほしいです。それに、仲間がいます。不安なのは1人だけではありません。きっとみんな何処かに不安な気持ちを抱いていて、ギリギリの状態で戦っているはずです。不安に押し潰されそうになった時は迷わず6期生の仲間を頼ってほしいです。

「玉置ゼミで学べば大丈夫」
と言いましたが、それに胡座をかいて油断して欲しい訳ではありません。最高の先生がいて、最高の環境があるのだから、仲間と支え合って教採を乗り切ってほしいのです。今は不安なことばかりだと思いますが、そんな時には「玉置ゼミで学べば大丈夫」と思い出してください。

 すると、気が楽になって、もう一度頑張ろうと思い直せるはずです。不安な気持ちから目を逸らすのではなく、向き合って、共に乗り越えていってください。絶対に大丈夫です。6期生の皆さんを心から応援しています。

 大変長くなりましたが、以上となります。最後までご高欄いただいた方、ありがとうございました。(大久保)

※写真は林文通先生が提供していただけました。(玉置)
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友達とは○○○(伊藤)

 あなたにとって友達とはどのような存在ですか?


 こんにちは、6期生の伊藤幹太です。今面接練習のために質問に対する答えを考えています。

 その中で、「友達と接する上で大切としていることはなんですか?」とありました。普通によくある質問で、そんな難しい質問ではないと思いますが、私はなかなか答えが思いつきませんでした。そして、考えているうちに、友達ってなんなんだ?自分にとってどんな存在なんだと迷走してきました。しかし、迷走に迷走を重ねついに私なりの結論が出ました。

 聞いてください!友達とは、、、、、、、、、、、、、、、、「パンツ」です!!!

 こいつ何いってんだと?思われると思います。あえてもう一度言わせてもらいましょう。友達はパンツです。理由は当たり前のようにいつも履いていますが、もし履かなかった不快だったり不安だったりですよね?

 その一方「今日はパンツがある安心」と考えたことはありますか?つまり何が言いたいかというと「当たり前のようにいつも一緒にいるけど、なかったらきつい」ってことです。私にとって「友達」はそんな存在です。

 そのような友達=パンツ理論を唱えるにあたった経緯として私が小学校6年生の時に仲の良い友達が亡くなりました。いつも一緒にいる友達がなんの前触れもなく、会話することも遊ぶこともできなくなりました。当時本当にショックで、友達という存在がいかに大きいかを小学生ながらにして感じました。

 そこから私は病的なほど友達になった相手を大切にしており、毎日全力で遊ぶことに力を注いでいます。私の人生に友達はパンツと同じくらい必要不可欠な存在です。

 みなさんも自分にとっての友達を一度考え整理してみてください。本当に大切な友達が見えてくるかもしれません!

 ps友達がパンツなら恋人や家族はどんな存在ですか?と思う人がいると思います。お答えします。恋人は上着です。最悪なくても生きていけますし、いらなくて邪魔なときもあります。家族は血や爪や髪です。体の一部で切っても切り離せません。(伊藤)

※ 写真は記事とは関係がありません。林文通先生から提供いただきました。(玉置)

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勉強の意味(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。雪が降り、私が3年間続けている早朝からのカフェのアルバイトも寒さに震えながら出勤する季節になりました(笑) 余談ですが、雪の日、早朝からの出勤で2回滑ってこけかけ、1回は本当にこけました(笑)

 そんなアルバイトでの出来事です。コロナ禍となり最近はめっきり見かけなくなりましたが、以前まで定期試験前になるとアルバイト先に高校生達がよく勉強しに来ていました。そんな時期のあるひと場面です。
 一人の高校生が「こんなの勉強しても大人になっても役に立たないじゃん!!」と頭を抱えながら友達と勉強していました。この言葉を耳にした私は、「思った思った、私もそう思っていたよ」とつい声をかけたくなったことを覚えています。

 勉強の意味がないと思ってしまうことは、誰しもが通る道です。「何の役に立つんですか?」と面と向かって問われれば、説明するまでに少し時間がかかってしまいそうです。たしかに、数学の点Pが動く動かないは大人になってから使うことは滅多にありませんし、古文・漢文は、読めても現代の文章を読むことにあまり役に立たなそうです。こう考えていると、益々勉強の意味が無さそうに思えてきます。

 しかし、そうではないのです。勉強をしているのなら、世界が広がります。例えば、ニュースやバラエティーのBGMの音楽が何か分かったり、外国人観光客の会話が聞き取れたり、出向いた先で有名な偉人の背景が読み取れたり、、、。他にも様々です。
 勉強を「勉強」として捉えると、すごく難しく思えます。しかし、勉強を「自分が見える世界の広がり」として捉えれば、それって素敵なことだと思います。

 私も勉強を「勉強」として捉えていました。受験勉強は、こんなのやっても!!!という気持ちに何度もなりました(笑)でも今は、そんなしんどかった「勉強」も今の私に繋がっていると思うことができています。様々な勉強が、世界を広げ、ふとした景色にも味わい深さを与えます。

 教師は、その名に入っている通り「教える」職業です。私は、「見える世界の広がり」を子ども達に「教え」たいと思っています。「勉強」は嫌いでもいい。ただ少し見方を変えれば、「勉強」は世界を広げてくれる素敵なものであることが伝わる授業を目指したいです。そして、子ども達の見える世界を広げるべく、一手間の魔法をかけられる様、今は目一杯私自身も勉強に励みたいと思います。
(下野)
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1月4日zoom新年会&少人数食事会(早川)

こんにちは。お久しぶりです。3期生の早川です。

今日は、新年恒例の玉置ゼミ卒業生の集いが行われました。現在の世の中の情勢を鑑み、今回はzoomを使用してのオンラインビデオ通話での開催でした。とても楽しかったです。早くみんなに直接会って話せたらなという思いが強くなりました。

また、夜には急遽予定を合わせた3期生菱川、4期生加藤奨と食事に行きました。大学時代の話や、お互いの近況報告などで終始盛り上がり、楽しい時間を過ごせました。楽しかったです。またやりたいです。

これで終わります。(笑)


(本当は、もっと細かく自分の想いや、今後について書いていたのですが、記事入力ページの更新が上手くいかず、全て文章が飛んだので、、、心が折れました。もう一から書き直すのは気力がもたなかったために、このような簡単な文章に替えさせていただきました。では、また。さようなら)

最後に、zoomでのオンライン通話の様子や、食事の際の写真、午前中に行った御在所ロープウェイからの景色を載せます!
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「なぜ」の飛び交う授業から生まれる「議論のルール」(下野)

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 こんにちは。7期生の下野です。

 私の朝は、大好きな珈琲を飲みながら新聞を読むことから始まります。3ヶ月前に始めた教育問題に関する新聞記事のスクラップや、天声人語(我が家は朝日新聞を取っています)の書き写しノートも段々と冊数が増え、厚みも増しているのを見ると達成感が溢れ、読み返し復習しながら、これからも続けていきたいと思っています。

 さて、毎朝新聞を読んでいるとまず目にするのは1面の天声人語です。1面は広げずに読むことができるため、サッと家を出なければならない時は、天声人語だけ読んでから家出るなんてこともあります(笑)

 そんな読みやすい箇所にある天声人語で、今回は私が「主体的で対話的な深い学び」の本質に気付かされた記事を紹介したいと思います。

 2020年10月1日の天声人語です。
 論理力に重きを置くフィンランドの教育で、求められるのはごく真っ当なことだ。元外交官の北川達夫さんが書いた『図解フィンランド・メソッド入門』によると、小学校では「なぜ」が連発され、意見には理由をつけることが徹底されている。子どもたちが決めた「議論のルール」も紹介されており「他人の発言をさえぎらない」「議論が台無しなるようなことを言わない」などが並ぶ。

 2018年のPISA調査において、フィンランドは「読解力」7位(日本15位)、「科学的リテラシー」6位(日本5位)といった結果が出ています。「論理的思考」を重んじた教育は、「読解力」は勿論のこと、科学的な探求心を測る「科学的リテラシー」にも繋がっていることが分かります。「なぜ」の及ぼす力は強いのです。子ども達の持つ「なぜ」が「論理的思考」を築き、「読解力」や「科学的リテラシー」を育むのでしょう。そして、「論理的思考」「科学リテラシー」は「主体的な学び」を構成する主な要素です。

 また、「なぜ」が生じる場所には、必ず「議論」が生じます。無論、教師は「議論」が生じる学級経営をしなければなりません。では、「議論」が互いの学びを深め且つ円滑に進むためにはどうしたら良いのでしょうか。

 上記の天声人語では、子どもたちが決めた「議論のルール」について記されています。ここで、重要なことは子どもたちが決めたことです。たしかに、この天声人語を元に「議論のルール」を教師が設定すれば子どもたちはスムーズに議論ができるかもしれません。しかし、それでは「議論」の意味がありません。真っ新の何もルールのない状態において「議論」をしていく中で、「こうした方がまとまりやすいかな?」「人の言葉をしっかり聞いた方がいいな」といった気持ちが生まれ、「議論のルール」を決めるための多くの「議論」が子ども達の学びへと繋がると私は考えます。

 「主体的で対話的な深い学び」が求められる時代です。「主体的な深い学び」は、「なぜ」から生まれ、「対話的な深い学び」は、多くの「議論」から深まるでしょう。これが学びの本質だと私は考えます。

 教師になった時、子ども達の小さな「なぜ」に耳を傾け、「なぜ」が飛び交う授業を、そして、多くの議論から「議論のルール」を子ども達自身で決めていくことのできる学級を目指したいと思います。(下野)

「フツウ」と「ちゃんと」(下野)

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 こんにちは。7期生の下野です。先日、初めて玉置研究室の書棚から本をお借りしました。私が玉置ゼミの一員となり、初めて読む研究室書棚の本は、ゼミ生必読書である『学校へ行けない僕と9人の先生』でした。自己紹介後の初めての記事にて、玉置ゼミの核心となる書籍から考えたこと、そして、感じたことを綴ろうと思います。

 「カンペキな人間になるまで 外の世界には出たくない」(p.183)。この一節に深い意味と共感を覚え、私は涙してしまいました。

 私は、学校に行けなくなった経験が何度かあります。耳が聞こえず、目まいをも伴うメニエール病になったことや、心のバランスが崩れてしまったこともあります。どんな状況下においても、学校に行かないと、なんだか世界から置いて行かれた気持ちになるんです。苦しくて辛くて、自分だけが何もできていないことに足がすくんで、どんどん落ちてしまう。そんな日々の繰り返しです。

 主人公である棚橋くんが「フツウの子供になるんだ!!」(p.189)と必死に勉強を頑張ったり、「ちゃんと勉強できないと中学生になれない!!」(p.187)と思ったように、「フツウ」と「ちゃんと」の呪縛は学校に行けなくなると自分に纏わり付くものです。「カンペキ」=「フツウ・ちゃんと」という公式を自分で作ってしまいます。

 しかし、そもそも「カンペキ」も「フツウ」も「ちゃんと」も誰の基準でもありません。「カンペキ」な人はいませんし、全てが全て「フツウ」で「ちゃんと」している人もいません。これに気付けていないから、ゴールのない「カンペキ」を目指して、外の世界から遠ざかってしまうのです。

 では、「フツウ」や「ちゃんと」とは何なのでしょう。先程、呪縛と表しましたが正に呪縛だと私は考えています。『学校へ行けない僕と9人の先生』では、題名の通り9人の先生が登場します。先生達は、9人それぞれに「フツウ」と「ちゃんと」を備えています。教師の持つ「フツウ」と「ちゃんと」は時に子どもの心の救いとなり、或いは武器ともなり得る。教師を目指す上で、私はどういった「フツウ」と「ちゃんと」を持っていたいか改めてこの書籍で考えさせられました。

 「カンペキ」を目指すための「フツウ」と「ちゃんと」の呪縛に囚われてしまう子どもは多く居るでしょう。それが、「学校に行かないという選択」として現れている場合や心に秘めている場合もあります。私は、「学校に行けない」を「学校に行かない選択」として捉えています。それもいいのだから。「学校に行けない」だとあたかも「学校に行く」ことが「フツウ」に思えてしまいますよね。この様に言葉一つで心がスッと軽くなるかもしれません。そして、こう言った言葉がけを耳にした苦しさを心に秘めた子どももまた呪縛から少しだけ解放されるかもしれません。

 「フツウ」や「ちゃんと」、そして目指す「カンペキ」は人それぞれです。色んな人が色んな子が一人一人頑張っています。強いて言うのであれば、それが「フツウ」であるんだと。だから、どんな子も「フツウ」であり、「ちゃんと」していると私は考えます。
ややこしいですが、それぞれに頑張り悩み考え、生きているのであれば、それは「フツウ」であり「ちゃんと」しているのです。

 今後、教壇に立つにあたり沢山の子ども達と出会うでしょう。もし、「カンペキ」を目指すための「フツウ」や「ちゃんと」の呪縛に囚われている子がいたのなら、私の持つ「フツウ」と「ちゃんと」を心に語りかけ、少しでもその呪縛から解放され、自分を認めてあげられる子になって欲しいです。そして、そのきっかけを、第一歩を示してあげられる教師になりたいと思います。(下野)

後輩の皆さんにお伝えできること(矢崎)

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こんにちは。
五期生の矢崎です。

最近、気づいたらゼミの中に後輩が増えていました。
四年生になったんだから、当たり前なんですが、なんか、すごく嬉しいのに、寂しい気持ちもします。
もう、卒業するんだなと。

そういえば、私は憧れた先輩方のようになれているんでしょうか。
優しく私たちを迎えてくださった、先輩方のように私も後輩のためにできることはなんでもしたいと思っています。

そんな私が後輩の皆さんにお伝えできることは、
「出会いを大切にしてください」ということです。

この4年間で私は、大学をはじめ、アルバイトなどで様々な方との出会いがありました。
たくさんの出会いで感じたことは、2つあります。

1つ目は「叱ってくれる人の出会いを大切にする」です。
人は誰しも叱られることは嫌ですよね。
私も叱られることはとっても嫌いです。
でも、アルバイトをしていて、気づいたことがあります。
ある日、アルバイトの中の関わりであまり良くない行為をした人がいました。
でも、社員さんも他のアルバイトの人も誰もその人に注意をせず、その人の行為を「あれはあかんよね」とささやくだけでした。
これってとても怖いことだなと思いました。
だれも間違ってるって教えてくれないということです。これから先も、その人は同じことをしてしまうかもしれません。
だから、大学の先生が私たちに叱ってくれるって本当にありがたいことなんだなと思います。
叱ってくださる人がいるうちは、その人は恵まれているのかなと思います。

2つ目は「出会いを通して、自分を見つめる」ということです。
これは様々な人との出会いの中で、自分が苦しんだ時に感じたことです。
なんであの人は私にこんな酷いことを言うんだろう、してくるんだろうと思うことがありますよね。
自分にとって辛いことは、きっと自分の大切な人も辛いなと感じることだと思います。
だから、その辛いなと感じる出会いから、自分はこういうことしていないかな、気をつけたいなと自分を見つめ直すきっかけにしていってほしいです。
また、幸せだなと感じた出会いは、その出会いを連鎖させていってほしいなと思います。

私はまだまだ未熟ですが、この4年間で「出会い」の大切さを学びました。
この玉置ゼミはたくさんの「出会い」をいただけます。
自分からたくさんの出会いを繋いでいってください。
応援しています♪

(矢崎)

※ 写真は12月20日の合宿での風景です(玉置)

玉置ゼミ7期生 吉久明日実 自己紹介(吉久)

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 はじめまして!7期生の吉久明日実(よしひさあすみ)です。学校心理専修に所属しており、選択科目は国語です。初めて記事を書かせていただくので、自己紹介をさせていただきます。

 私は、三重県の朝日町という三重県で一番小さい町で生まれ、自宅から大学まで通っています。三重県民なので会話中、語尾に「やん」を多用します(笑)。

 趣味は、体を動かすことと弾き語りです。とにかく体を動かすことが大好きなので、小学生の時に陸上を習い、中学ではソフトテニス部、高校では陸上競技部に所属していました。習い事や部活に所属していなのですが、一番好きなスポーツはサッカーです。弾き語りでは、YUIやback numberなど好きなアーティストの曲を自分のペースでまったりとやっています。

 私が玉置ゼミに入ろうと思った理由についてお話ししたいと思います。私が高校3年生の時に、岐阜聖徳学園大学のオープンキャンパスで学校心理の模擬授業に参加しました。その時の担当の先生がなんと玉置先生でした。私はその授業を受け、学校心理に興味を持ちました。また、玉置先生の授業が私の心に残りました。そして、この大学に学校心理専修で入学し、一年生で受ける教師論という授業で、もう一度玉置先生の授業を受けられるようになりました。その時に、私は玉置先生のもとで学びたい!と強く思いました。

 このゼミに入らせていただいたので、自分の理想の教師になれるように、何事にも全力で取り組んでいきたいです。また、玉置先生との出会いは私にとって運命的なものであったので、人との出会いを大切にしながら、このゼミで先輩方、同期と切磋琢磨し、成長させていきたいです。よろしくお願いします。(吉久)

玉置ゼミ第7期生 自己紹介 田中克明(田中)

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 こんにちは!玉置ゼミに7期生と参加させて頂くことになりました、学校心理専修の田中克明(たなかこうめい)です。今回ははじめての投稿なので、私自身の自己紹介をさせて頂きます。

 出身は岐阜県各務原市です。中高6年間を男子校という異質な環境で学びました。一学年中学は240人、高校では480人全て男という環境だったので動物園状態でした笑 玉置ゼミの7期生は8割が女性なので、少し緊張気味です…汗 中高の6年間はバスケットボール部に所属し、バスケ漬けの日々に明け暮れました。運動部に所属していたということもあり、様々な種目のスポーツをやることや観戦することなどが好きです!他にも美味しいものを食べることや旅行に行くことも好きです!!

 では、ここで少し私が玉置ゼミに入りたいと思った理由をお話しさせて頂きます。私は将来、「生徒自身が主体的に考えて行動するクラスや授業」をつくることが出来る教員になりたいと思っています。そのためにはまず自分自身が多くの考え方や視点などを学ぶ必要があると考えました。玉置ゼミでは授業づくりや学級経営についての多くを学ぶことができます。その1つ1つをしっかりと将来にいかせるように吸収して学んでいきたいです。

 不安や緊張もありますが、これから7期生の1人として学んでいけるということにワクワクしています。よろしくお願いします。(田中)

玉置ゼミ第7期生 岡倖太郎 自己紹介(岡)

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 みなさんこんにちは! 玉置ゼミの7期生となりました学校心理専修2年岡倖太郎です!今回初めての記事ということで、自己紹介をさせていただきます!

 私の嫌いな食べ物はチョコとチーズです! 私は必ず自己紹介をする時に嫌いな食べ物をいうようにしています!理由は受けがいいからです!(笑)。このネタは子どもも大人も驚いてくれる鉄板ネタです!

 ここから真面目に自己紹介をすると、私は三重県の出身です!高校まで野球をやっていました!1枚目の写真のように炎天下の中坊主がまる焦げで頑張ってました。

 今は岐阜で一人暮らしをしています。一人暮らしを始めてもうすぐで2年になろうとしているのですが、一つ悩みがあります。それは片付けと掃除です。

 実家暮らしの頃から部屋が綺麗な方ではありませんでした。だから掃除、洗濯といった家事がとても苦手です。1人でやろうとするととんでもないやる気が必要です。

 料理はもともと好きだったので自炊はしている方だと思います。1人で暮らし始めて気付いたのですが、料理をすると皿洗いと片付けがマックのセットのようにもれなくついてきます。この事実が2年経っても僕を苦しめ続けています。今では諦めてするようにしていますが、いつになったら何も感じずにできる日が来るのだろうと待ち侘びています(笑)。

 くだらない自己紹介はここまでにしておいて、玉置ゼミを志望した理由とこれからつけていきたい力についてお話しさせていただきます。

 玉置ゼミを志望した理由としては、1年生の時に受けた「教師論」が大きなきっかけとなっています。毎回の授業で色んな先生の授業を紹介していただいて、目から鱗の話ばかりで、こんなに引き出しのある先生になれたらいいなという思いました。このゼミで色んな授業に対する見方や引き出しを増やしたいと思い、玉置ゼミを志望しました。

 これからつけていきたい力は授業力です! 先生が最も生徒と接する場は授業の場面だと思います。だからこそあの先生の授業が面白い、あの先生の授業をもっと聞きたいと生徒に思ってもらうことはとても重要なことだと思います。

 授業を通して生徒との仲を深めていくことが私の理想の教師像なので、ゼミの中では授業について日々探求して、授業力を高めていきたいと思います。これからよろしくお願いします!(岡)

玉置ゼミ第7期生 丹羽真琴 自己紹介

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 はじめまして。玉置ゼミ第7期生になりました、英語専修2年 丹羽真琴(にわまこと)です。初めての投稿なので自己紹介をさせていただきます。

 私は、愛知県春日井市出身の22歳です。JOFというボランティア団体に所属しており、週末や長期休みに、自然があるところへ活動にいったり、キャンプに行ったりし、沢山の子供たちとかかわっています!とてもやりがいを感じており、それが私にとってとっても幸せな時間です。

 私は、岐阜聖徳学園大学へ入る前は、他大学で養護教諭になるための勉強をしていました。そこで、学校での養護教諭のサポートはとても必要だけど、それだけでは行き届かないところも沢山だと感じました。
 なので、私はもっと身近に生徒たちを感じ、どんな問題も早期発見、早期対応していきたいと考えました。また、子供たちが学校が楽しいと思える学級づくりをしたいという想いから、他の大学へ入り直すこと、大学を退学することを決めました。その後、予備校へ通っていたので、今2年生です!(ちょっと周りの人ではいない変わった感じですよね!)

 なので、私はもともと学級づくり・学級経営がしたいという想いが入学前から強くありました。

 私が玉置先生と初めてお会いしたのは、1年生の教師論の講義です。玉置先生の授業がとっても面白く、学級経営や他の授業では知ることができない学校こともっともっと学びたいと感じ、その頃から玉置ゼミに入りたいと考えていました。なので、今は玉置ゼミに入れてとても嬉しく思います。これから、玉置先生とゼミの同期や先輩方と一緒に進んで頑張っていきたいです。

 最後に、私がゼミでやりたいことは、自己肯定感と学級づくりを関連させたものを学ぶことです。他大学で学んだのがきっかけで自己肯定感を大切にし、これから子供たちがもっと生きやすくなってほしいなと考えるようになりました。これからもずっと自分と向き合うときにも、子供たちと向き合うときにも大切にしていきたいと思っています。
 それは、子供たちが自分のことが好きになれる、自分に自信がもてる、そんな人たちになって、私(教師)と離れた後でも、どんなことでも挑戦できるような自信や勇気、前向きさをもって、未来に向かって頑張ってほしいという想いからです。

 これから、玉置ゼミで、学級経営や学級づくり、学校での実践的な学びをしながら、自分の理想の教師を描き、みんなと共に頑張っていきたいです。よろしくおねがいします。(丹羽)
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