選択(下野)

こんにちは、7期生の下野です。
1週間に1本企画の第3段。『選択』というタイトルでお送りしたいと思います。

『選択』は、様々な種類があります。人生の岐路やほんの些細な今日の服どうする?だとか、、、。私は、今日の服はどうしようで何分も迷っているのですが。

ある方に「先生は、なぜ教師になる『選択』をされたのですか?」と問われたことがあります。話す間もなく、「後悔はないのですか?」と続けて問われます。

私は、そこで初めで考えました。後悔がないかと問われると、そうでもないかもしれないなあと。学校が大好きな優等生でもなかったし、どちらかと言えば学校は苦手だったし、不安なことは山ほどあるしなあと。

人生において、「選択」を後悔しないことなど一体あるのだろうか。とも思いました。

私は思い切ってこう答えます。
「後悔がないかと言われたらそうでも無いように思います。でも、どの道を選んだって後悔する。私が教師にならなかったら、ならなかったことを後悔するだろうし。なったらなったで、後悔しないとも言い切れない。難しいけれど、私は、「選択」をする上で自分が好きな自分であれる教師を選んだように思います。ずっとそうしてきました。何かを「選択」する時、必ず後悔は付き物で、でもそれでも、自分が好きな自分であれる道を選んだなら、それははなまるのように思えて、、、、。」

話し途中で、その方は
「そういう考え方か。たしかに。」と仰られました。

特段私の考えが正しいとかそんなことは思いません。でも、私が捉える「選択」とは、そういうものでした。

私が「選択」について考えるエピソード。私にその気付きを言語化させてくださった方は、今では私の前でよく笑顔になってくれます。もしかしたら、私の考えがズバンッとハマったのかもしれません。

よく世間は、「後悔しないように生きなさい」と言いますが、後悔はするものなのです。と、言い切っていいのかも分かりませんが、私の人生で後悔しないことなんてひとつもありませんでした。でも、自分が好きな自分であれる道を選んできたことに後悔は微塵もありません。

だから、これから悩んだ時、苦しい時
もっともっと大きな「選択」をしなければならない時、私はいつものように自分が好きであれる道を選んでいきたいと思っています。その道が間違いかどうかは進んでみないと分からないから。進んでみて間違っていても、その時は自分が好きであれる道はそこだったと自信を持って言えるように。そうしたら、直ぐに修正出来そうなものですから。

まとまりなく、なんだか哲学的な文章になってしまいました。そんな私は、今日も「服をどうしよう」と迷っています。それもまた、自分が好きな自分であれる服を。なーんて思ったり(笑) (下野)

 ※写真は記事とは関係ありません。提供は林文通先生です。
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新たな特性(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。
 みうのひとりごと。

 今朝、気づいたことがある。
 私は、人混みを歩くのが下手である。

 通勤ラッシュは人の流れがある。なぜか私はいつも、その流れに乗れない。人の流れに乗ってたつもりが、いつの間にか、あれ?という感じ。人にぶつかりそうになったり、ぶつかったり。「ごめんなさい」「すみません」のオンパレード。そんなに苦手意識はなかったけど、ふと思った。

 もう一つ。道や場所を覚えることも苦手。これを方向音痴というのか?先月、東京に友達と旅行に行った。私は店を出たとき、どちらから来たか分からなくなる。しかし、友達はすぐ分かっている様子だった。一度見た店にもう一回戻りたい時、私はマップを見ないと方向すら分からない。友達は、こっちから来たから、こっち側に進んでいくとあるはずと、行った場所がどんどん頭の中でマップ化されるらしい。
 その友達とも話したのだが、ちょっと出来る、ちょっと出来ないという人はいなくて、出来る人はすごく出来るけど、出来ない人は全く出来ないと2極化される。

 自分が方向音痴だろうなと思っていたけど、こんなにも他人と差があるとは思ってなかった。この22年間生きてきても、まだ自分という人間を理解出来ていない。

 ここで思ったのは、他人と関わることで、自分を知れるということ。自分との対話だけで分かる自分には限りがあり、周りの人と関わることで自分の新たな一面を知ることができる。今回の私は、下手だったり苦手だったりすることだけど、そんな自分も愛らしいではないか。笑

 他人に興味がないと周りとの関わりを避ける人がいるけど、他人と関わるのは他人を知るだけでなく、自分も知ることになる。私は、これからも沢山の人と関わって生きていきたいな、と思った、今日この頃。(今井)

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インスタで学ぶ。(丹羽)

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 こんにちは。7期生の丹羽です。教員採用試験の結果が出てほっと一息つく間もなく、卒論やボランティアのラストキャンプやいろいろやっできます。お家も引っ越しすることになり、バタバタの日々です、、!!!!

 そんな中、最近は、インスタグラムで学ぶことにはまっています!!

 消しゴムハンコを載せてるインスタグラマーを見て、消しゴムハンコセットを買ってみたり。そして、リスペクトするインスタグラマーの先生達のインスタライブやzoomの会へ参加して、学級通信の書き方について学んだみたり。前勉強していた、養護教諭について知りたいって思って養護教諭のインスタグラマーさんから学んだり。疑問がでてきたらDMをして質問をしたり。SNSってすごいなって思う日々です。学びたいなっておもったときに手軽に学ぶことができます。私自身、"やらなきゃ!"という気持ちではなく、楽しく学ぶことができています。そんな風に楽しく学べている今が幸せです。

 そして、インスタグラマー先生から、こんなような投稿を見つけました。

 「ロイロノートが導入されて一番嬉しいことは、職員室で先生達と授業のトークができるようになったこと。」

 私は、現場はロイロが導入されて大変だろうなと感じていました。しかし、先生間でコミュニケーションが生まれ、学び合いが生まれるとっても素敵な機会が生まれているということを知るとあったかい気持ちになりました。現場にはいってから、私も先生達と授業トークができるくらい、授業を頑張りたいです。(丹羽)

ご報告 (岡)

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 皆さん、お久しぶりです。7期生の岡です。今回はタイトルにもある通り、ご報告ということで少し記事を書かせていただきます。

 まず、結論から書かせていいただくと私は教員ではなく児童養護施設で働くことを決意しました。

 理由としては、私は大学で児童養護施設での実習経験などを通して、子どもと生活を共にしながら子どもを育てていきたいと考えたからです。もちろん、教員という仕事も実習を通してとてもいい仕事だと考えています。また中学生の時からなりたかった職業でもあります。しかし、その中で自分の中にあった子どもを育てたいという想いが児童養護施設での生活を共にしながら、子どもに寄り添って子どもを自立させるという方がより合っているのではないかと考えました。

 以上が自分の中の理由です。正直この決断をするまでに何度も心が揺れる瞬間も感じました。児童養護施設の存在を知ったのも遅い段階であったりしたこともあり、いざどちらかを選択する時に本当にいいのはどちらなんだろうかと迷うこともありました。その中で自分の中で1番今したいことや、将来自分はどんな人になりたいのかという想いの中で決断させていただきました。

 最後にはなりますが、まず児童養護施設への就職活動を始めようという相談させていただき、私の決断を尊重してくれた玉置先生。本当にありがとうございます。ゼミの中で学んでいる学級経営や子どもとの関わり方は今後の生活にも活かしていけると思っています。今後もよろしくお願いします。

 次にゼミ生のみんなへ。教採が終わるまで黙っていてごめんなさい。また唐突な宣言となってごめんなさい。どこかで聞いた人とかもいるかもしれませんが、一応教採が終わるまでは就活していることも言わないと決めて動いていました。ひょっとしたらおかしなところがあったかもしれませんが、それはこのことが原因かもしれません(笑)。これからもゼミでは全力で模擬授業などをやっていくので、今後もよろしくお願いします。

 そして本当に最後に父と母へ。最後の最後に大学まで通わせてもらいながら、教員ではない選択肢をとってしまいごめんなさい。教採が終わってから今日までたくさん話し合いをしてきたと思います。正直反対もされました。その中でも最後の最後には自分の決断を尊重してくれてありがとう。社会人の先輩として厳しい現実を伝えてくれたり、将来のことについても心配してくれてありがとう。正直教員になってほしい気持ちの方が強かったと思うけど、最後には自分の決断を尊重してくれてありがとう。これからは2人に心配されないように自立した社会人として生きていけるよう頑張ります。これからも私のことを見守っていてください。(岡)

クリームシチュー(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。最近は、気温も下がり、秋の匂いがしますね。

 今日の「みうのひとりごと。」は、寒い冬に食べたくなるクリームシチューのおはなし。クリームシチューのCMがテレビで流れ始めると、いよいよ本格的に冬が始まったなという感じがしますよね。

 私の家の昨日の夜ごはんはクリームシチューでした。ある日をきっかけに、クリームシチューを食べるといつも思い出すことがあります。

 私の母方の祖母は、一時期心の状態が悪く、弱っていた時があります。(当時の信じてもらえないであろう不思議なお話があります笑これも別の記事で書こうかな)
 祖父は他界していますので、祖母は母の兄(私の叔父)と2人暮らしです。あまり連絡をしてこない叔父ですが、そのときは兄妹に連絡が来たそうです。
 まず、母だけ祖母の様子を見に行きました。そのまま、母は私の家に祖母を連れて帰ってきました。いつも明るい祖母が元気を無くしている姿は、今思い出しても涙が出そうなくらい、悲しかったです。

 その時、クリームシチューをみんなで一緒に食べました。祖母は「2人だと中々作らないから、久しぶりに食べたらすごく美味しい」と言っていました。それを聞いた時、祖父が亡くなってから祖母は寂しい気持ちが溜まってしまってたのだなと思いました。

 クリームシチューを食べるときは、このことをいつも思い出します。祖母は、あのときのことが夢だったのかと思うくらいに奇跡的に回復して、最近は友だちと旅行に行きまくっています笑

 数週間前、私たち家族は少し大変でした。(全く深刻じゃないです)その時、祖母から茶封筒が届きました。そこには、嬉しい贈りものと共に手紙が入ってました。そこには、あの時の感謝から送ってくれたという内容が書かれていました。もう3年前の話です。私たちの中では、そんなに感謝されることもしてないよという気持ちでしたが、祖母の中ではとても大きかったのだなと思いました。これは、玉置先生がいつも言ってる分福だなと思いました。人に与えた幸せは、巡り巡って自分に返ってくるのだと思いました。

 ここまで読んでくださった皆さま、クリームシチューが食べたくなったのではないですか??笑よし‼︎おばあちゃんに連絡をしようっと(今井)

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決戦前夜(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。もうすっかり肌寒い季節。秋は、可愛い服と可愛いコスメと美味しい食べ物で溢れる季節。大好きな空気が毎日私を包みます。先週から始めた『卒業まで週に1本記事を更新』の第2弾。今日は、私が教員採用試験の二次試験前に書いた文章を紹介したいと思います。

 二次試験の前夜、私はこれまでの人生を振り返っていました。高校三年生の時に、教師を目指して教育学部に入学してから色んなことがありました。色んな出会いが私を強くしました。そんなことを振り返っていたのです。以下は、私がそんな人生の節目の試験で人生を振り返っている時に書いた文。今見返すと決心と覚悟が溢れていて、これからいつか壁にぶつかった時私自身を励ましてくれる文になっているように感じます。

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 教育学部に入らなければきっと目指さなかったであろう先生。私が大嫌いだった学校と先生は、私が命をかけてでも離してやれない大きな夢になりました。

 今までたくさんの子どもに出会いました。私は、どれぐらい子どもを救えたでしょうか。本当に私みたいな子どもは、いるのでしょうか。それは分かりません。

 でも、人は生きてる限り自信と誇りを持っていいんです。私には、自信も誇りもなければ、自分の輝かせ方だって知らなかったけれど、今は輝けます。

 教師を本気で目指して、こんな私が「子どもを輝かせたい」と思った。私が教壇に立つことが正しいとか間違ってるとかそんなの物差しは要らないぐらい、私は、子どもたちに生きて欲しいと願っています。誰にどんな言葉を浴びせられようとも、私は絶対に子どもの側にいることを諦めない。

 私が死んでも死にきれず、諦められなかった夢は、もうすぐそこにあります。それは、もう私だけの夢ではないみたい。いつしか仲間ができて、応援してくださる人がいて、一生懸命戦った日々が明日やっとみせられる。

 必ずぐうの音もでないぐらいの丸をつけてやりたいと思うのです。

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 まるで、自分を奮い立たせる文は私の核心となりました。きっとこの文で私は、改めて決心が固まったのだと思います。試験本番は、必死で余裕なんてなかったけれど、忘れてはならないことは私の胸にしっかり留まって自分の言葉で語ることができました。

 4月からは教師です。私の夢は、やっとスタートラインにたちました。長かったようで、短かったように思います。今まで経験したことは、何一つ無駄じゃなかったと私は自信を持って言えます。4月から子どもたちに語れるお話がこの半年でもっともっと増えていきます。ひとつひとつを大切に。感謝しながら、人と人との繋がりを大切に最後の学生生活を過ごしていきたいと思います。

(下野)
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セルフ個別最適な学び(5期生酒井)

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 こんにちは。玉置ゼミの5期生の酒井です。今回は10月10日に行われた教師力アップセミナーでの学びについて書かせていただきます。

 久しぶりの対面で開催されたこともあり数多くの学びが得られました。その中でも特に印象に残ったことが2点あります。

 1つ目は教材研究は素材研究がまず必要であることです。今まで授業準備として自分がしてきたことは課題や発問を考えることがほとんどでした。素材である文章と向き合うことなく、それをしていた自分をすぐさま改めたくなりました。文を読んで、辞典で調べて、文脈を考えて、素材そのものを自分自身が学ぶことを惜しまず実践して行きたいです。

 2つ目は国語は教材指導をしがちだが、教科指導こそ必要であるということです。今まで自分が受けてきた授業、してきた国語授業を振り返ると思い出すのは物語や説明文、詩など教材の内容がほとんどです。でも、それだけでは、それ以外の文章と出会った時、学校で習ったことは活用されにくくなってしまうことに気付きはっとしました。子どもたちに、私が望んでいることは目の前の文章と向き合うことではなく、今の学びがいつか将来で役に立つことです。(少し大袈裟かもしれませんが…笑)少しでも理想の実現に近づけるよう努力します。そして、「個別最適化な学び」を自分から追い求める自分でありたいです。

 野口先生と初めての対談できたこと、講話を聞かせていただけたことはもちろん、玉置ゼミという繋がりの中で学びが得られたことが大変有り難いと感じる1日となりました。有意義な時間をありがとうございました。(酒井)

転校生(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。秋が深まりました。教員採用試験も無事終え、ある目標を立てました。1週間に1本、思ったこと感じたこと日々のこと記事にしようと。
 「書くことによって学ぶ」玉置ゼミ。もうゼミで学ぶ学生生活もあと半年を切りました。卒業は、すぐそこです。最後の私の目標です。ご高覧頂ければ幸いです。

 小さい頃から映画が好きでした。なんだか違う世界に行ける気がしたから。人生の夏休みの終盤を迎えた私の休日は、映画鑑賞三昧です。
 久しぶりに、『阪急電車 片道15分の奇跡』を観ました。3歳まで兵庫県宝塚市に住んでいた私。兵庫での記憶はあるようなないようななのですが、阪急電車に乗った記憶、阪急電車から見える景色はしっかりと覚えています。なんだか懐かしくなる映画です。

 映画を観ながら懐かしさを感じていると同時に、沢山の街の空気や景色が思い浮かびました。私は、父の仕事で転校生になる機会が多かったです。それぞれの街の空気と景色が色濃く記憶に残っています。

 一見華やかな転校生は、そんなに楽しいものではありません。何度か転校を重ねるうちに、「どうせ友達なんて、2年でばいばいだし。」の気持ちになりました。本当は、出来た輪の中に入ることが苦手でした。でも、父と母には迷惑や心配をかけたくない一心で毎日学校に通っていた私。友達が出来なかったわけではありません。ただ、疎外感というか余所者感は抜けませんでした。今思えば、私がそう捉えていただけなのかもしれません。

 どことなく「余所者扱い」を感じながら、通う学校の私の唯一の楽しみは、季節が変わる頃の空気や街の景色、雰囲気でした。場所によって匂いが違うのです。同じ季節でも、どことなく違う香りがする。

 私は、愛知県に転校してきて初めて「金木犀」の香りを知ったように思います。愛知県へ転校する一つ前は、東京に居ました。東京にいた頃は、「金木犀」を感じなかった。恐らく植えてはあったはずなのですが、どうも気づかなかった私は、「金木犀」の香りを愛知県で初めて知りました。

 「金木犀」を知ってから少し学校へ行くことが楽しみになりました。秋口には、「もう金木犀の季節!」と思ったり、秋を待ち遠しく思いながら1年を過ごすのです。

 4月から教師になります。きっと転校生にも出会うことでしょう。私の人生は、上手いこと出来ているのかもしれません。なんだか「余所者扱い」を感じたあの日々も、ちょっとだけ無理をしてでも笑顔でいたいなと思っていた日々も、「金木犀」と出会ったちょっと楽しみな通学路も。いつか子どもたちに話せるように思うのです。

 沢山の気持ちが私の人生には渦巻いていたのでしょう。悪く言えば、繊細で気にしいで自分の殻に閉じこもっていたのかもしれません。でも今は、それで良かったと思います。色んなことを色んな経験をちゃんと傷ついて、ちゃんと前を向いて、ちゃんと自分のものにしてここに立っていられるから。

 人生にある全ては意味があると、昔の私は今の私に教えてくれました。いつか転校生と出会ったなら、昔の私がその子に話しかけてくれるでしょう。「大丈夫、貴方の人生で転校は必ず意味あることだから。なかなかできる経験じゃない。なが〜く人生を見たなら、きっと宝物になる。今貴方の目の前にいる先生がそうだったよ。」と。(下野)

※ 写真は、阪急電車 片道15分の奇跡 : フォトギャラリー 画像 から。
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あやみんにしか出来ない(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。唐突ではありますが、私は中学生・高校生時代通った女子校で「あやみん」と呼ばれていました。大学生になった今は、「あやみちゃん」とか「あやみ」とかごくありふれた呼び名。あの若さ故の「あやみん」が私の青春です。

 そんな高校生。華のJKですね(笑) それはもうこの世界は私たちが中心で回っている!と本気で思い込んでいたあの時期、私にはあるひとりの友人が居ました。

 今は、私の唯一の男友達といったところでしょうか。彼とは、同じ中学・高校に通いました。あれ?と思った方もいらっしゃるはずです。私は、女子校に通っていました。

 彼は、身体が女の子でした。心は男の子でした。私は、昔から人を人のまま好きになる人間でしたので、それを言われても「あ、そうなんだ〜」程度でした。何も変わりません。

 でも、周りは違いました。厳格な伝統ある女子校に通う私たち。制服はもちろんセーラー服です。登下校は、制服(セーラー服)でも我慢するから学校の中では体操服で過ごさせて欲しいと願う彼を先生方は許しませんでした。苦しかったはずです。なんの関係のない私が、「なんでダメなんですか?登下校は我慢するって言ってるのに、なんで許せないんですか?」と先生と職員室の前で喧嘩もしました。保健室で苦しむ彼に、私は、何も出来ずに「大丈夫大丈夫、そのまんまでいい」としか言えなかった。

 進路を決める時、彼に教育学部に進むと伝えました。すると彼は、「あやみんは、先生になった方がいいよ。僕みたいな子を理解出来る子どもを育てて欲しい。それで、救ってあげてよ。」と言ってくれました。彼は覚えているか分かりません。でも、それは私にとってとても心の支えになりました。今でも私が教師を目指す一つの理由です。

 彼と関わったことで、私はジェンダーについて深く考えるようになりました。教員採用試験の面接練習でも、ジェンダーについて良く問われました。私はいつも彼を思い浮かべます。彼だったら、どう考えるだろう。どう寄り添って欲しかっただろう。教師がどうであったら彼は心を安心させて過ごせただろう。とても大切な友人です。

 なぜ、今回こういった記事を綴ろうかと思ったのか。それは、5年ぶりに彼から連絡があったからです。大学へ進学した私たちは、各々の道を歩み連絡が途絶えていました。久しぶりに話す彼に、ずっと貴方の言葉が私が教師を目指す理由の一つだった、今は結果待ちだよ。と伝えれば、「嬉しいなあ」と屈託のない笑顔と返事がそこにはありました。

 彼は今、作家として美術作品を制作しています。彼もまた自分の夢へと真っ直ぐに向かっていることを知り、私も負けられないなあと思うばかりです。

 人は、きっとまたいつかどこかで会える。そんなことを実感した大学生活最後の夏休み。夢を叶えるために、「私にしかできない何か」がそこには待っている」と信じられる出会いがありました。

(下野)
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ようやっとる(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。お昼間はまだ暑い陽射しがありながらも、朝晩は涼しく鈴虫が鳴き声をあげるこの季節。私は、秋の香りが好きです。

 3年前の秋、祖父を亡くしました。まだ70歳でした。祖父は、寡黙な人でした。でも笑う時はカラカラと笑う人でした。

 あまり出来の良い孫ではない私に、いつも密かに期待をしていてくれていたのは祖父でした。特段頭が良いわけでも、特段何かに優れていた訳でもないのに、いつも祖父は「綾ちゃんはようやっとる」と言ってくれていました。本当に?と内心で思いながらも、その過大評価でない「ようやっとる」の言葉は私の自信でもありました。

 実は、私には後悔していることがあります。祖父は、身体を悪くした時孫が病院に来るのを拒みました。きっと孫に自分の弱っている姿を見せたくなかったのだと思います。まだ、元気だけれど入院している時、祖母が「じいちゃんの病院に行く?」と言ってくれたことがあります。私は、面倒だったので断りました。その次に、祖父母の家に遊びに行った時には、祖父は病室を祖母以外面会拒否とし、私は祖父に会えなくなりました。

 これが私の後悔です。あの時会っておけば良かった。あれが最後の祖父と会える時間だった。祖父が亡くなった時、何度も「ごめんね」と心の中で思いました。でもなんだか、祖父は許してくれているような気もしました。孫は勝手なのです。そして、そんな勝手な孫を祖父は、愛してくれていたと私は思うのです。

 私は、祖父が亡くなった時絶対に教師になろうと誓いました。誰よりも「ようやっとる」と言ってくれた人だから。本当は見せたかったのが本音です。教育学部に入学する時、誰もが「やめておいた方が、、、」と口にしました。でも祖父は、お決まりの「ようやっとる」と一言。これも密かな期待を寄せていた。私はそう思います。

 教師になることは、勿論自分の夢を叶えるため。でも、そこには祖父の密かな期待に、盛大に応えたいという思いもあります。「見ていてね、そして、カラカラ笑っていてね」と願いながら、試験前はお墓参りに行きました。

 結果は分かりませんが、祖父が近くに居てくれたように思います。きっと試験後には、空から「ようやっとる」と言ってくれていたように思います。

 秋になると祖父を強く思い出します。だから、私は秋が好きです。きっとまだまだ出来の悪い孫を「ようやっとる」と見守ってくれているから。

 いつか私が教師として、人生の役目を果たしてじいちゃんに会えた時には「ようやっとったな」の言葉を貰いたいと思うのです。

(下野)
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国語の説明文の授業で大切なこと(8期生 寺尾)

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 こんにちは、8期生の寺尾です!週末明けから小学校教育実習を控えていて不安と楽しみでいっぱいです(笑)
今回は、「白石範孝先生の国語授業の技術」(東洋館出版)を読んで学んだことを書いていきます。

 この本は白石先生流の国語の授業や、文学作品・説明文・詩の技術が書かれています。私自身、小学校教育実習で説明文の研究授業を行う予定でいるので、主に説明文の技術について記事にしていきます。

 説明文の授業を行う上で大切だと思ったことは、「形式段落の主語」を考えることです。形式段落の主語が同じものをひとつのまとまりとする原理・原則が、「はじめ」「なか」「おわり」を分ける時に役立ちます。逆に言えば、この主語連鎖を切り離して3つに分けることが出来ないのです。

 私は小学校や中学校の頃、説明文を読んでいた際にどこまでが「なか」でどこからが「おわり」になるのだろうと迷っていたことがありました。これを知っていれば、納得しながら「はじめ」「なか」「おわり」に分けることが出来ていたかもしれません。そのため、授業を行う時には形式段落の主語が何かを問う発問をしたいと思いました。

 また、説明文の中に複数の問いがある時、問いと答えは切り離して分類してはいけないのです。このことにも注意して説明文を「はじめ」「なか」「おわり」に分けていくよう指導していきたいです。

 そして、「題名から問いをつくり、それを解決していくことで、読みの課題(要旨がどこにあるのか)が見えてくる」ということも大切だと学びました。題名に続く形で子どもたちそれぞれが文中の言葉を用いてまとめをつくり、 その説明文で大切なことを捉えるという活動を取り入れていきたいと思いました。

 この本では、「たんぽぽのちえ」や「和紙の心」など実際の教材を例にして、このような授業をつくっていくことができるということを視覚的に見やすく書かれているため、スラスラと読むことが出来ました。

 今回学んだことを今月の教育実習で少しでも生かすことが出来たらなと思います。(寺尾)

大好きを惜しみなく(久野)

こんにちは、7期生の久野舞菜です。

わたしには、いっっとう大好きな先生がいます。
それは、中学3年生の時の学年主任の先生。
担任でも、部活の顧問でもありません。でも、あの先生が私のことを大好きであること(笑)はよく知っています。子どもって、そういうの、わかるんです。あ、あの先生、私のこと煙たく思っているんだろうな〜。とか。(笑)

一時期、学校にどうしても行きたくない時期がありました。そんなときに声をかけてくださったのが、先生です。
小中学校時代、いろんな先生から、「大丈夫?」「でもあなたなら、大丈夫よね?」と言われることがよくありました。「大丈夫?」って、「大丈夫。」って返事するしかないじゃないですか。ウソの返事をするたびに、大丈夫じゃなきゃいけないんだ、大丈夫じゃないと愛されない、と思い込んでいました。

あの先生は、大丈夫なんか聞いてきません。
代わりに、「まなちゃんのことがさ〜先生ほんと大好きでさ〜〜うふふっ」という感じで話しかけてくるんです。
うれしかったなぁ。大丈夫じゃなくてもいいんだ、問題のないおりこうさんでいなくてもいい。だって、先生はわたしが大好きなんだもん!

教師の使命は、「大好き」を伝えることだと思います。
その後の人生、「私のことを大好きだと言ってくれた人がいた」という事実が、その人を支え続けます。大好き!を惜しみなく、恥ずかしげもなく伝えられる人でありたいです。

(久野)
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新入りちゃん。(今井)

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おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。

みうのひとりごと。

私の部屋には、コレクションスポットがある。コレクションと言えるのか?というくらいしか、集められていないが、中々のお気に入りスポット。基本的にガチャガチャで集めている。

これは、その新入りちゃん。とても可愛い。大切に飾ってあげるからな〜。

これをゲットするためには、100円玉が5枚も必要だった。昔から、ガチャガチャが大好きだ。小さい頃は親におねだりをして、やっと1回できるというイベント。今、やろうと思えばもう一回できるのだけど、それは私の中のどこかに存在するポリシーに反する。笑

500円で、もっと良いものが買えるんじゃない?と思うけど、物の価値ではないのだ。100円玉が5枚も吸い込まれていき、2回ほどダイヤルを回すと、私の元に導かれるように出てくる1個の球体。何が出るか、欲しいやつが出ろ!とドキドキする時間も含めて、ガチャガチャの価値と言えるだろう。また、入れた硬貨に見合わないチープな感じも良いのだ。

私たちも来年の4月からは、新入りちゃんだ。
先日、友人に会った。その友人は、4月から東京で働いている。新入りちゃんとして、頑張っているみたいだった。すごく大変そうな話も聞いたが、楽しんでいるようで安心した。

私たちは、新入りちゃん。新入りちゃんは、大御所にはなれない。友人の怒られながらも頑張っている話を聞いて、私も4月から怒られても頑張ろうと思った。「怒られるけど、親身に寄り添ってくれる先輩だから頑張ろうと思う」と友人は言っていた。恐らく、その子は先輩にきちんと可愛いがられているのだろう。

目指せ可愛がられる新入りちゃん!

最後に光ったバージョンの新入りちゃんもお見せして、今日はこの辺で☺︎(今井)

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メレンゲ(今井)

おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。

みうのひとりごと。私は記事の中で何度か曲を紹介してきました。久しぶりに読み返してみたら、「耳の癒し」コーナーと名付けていました。完全に忘れていた。でも、しっくりこない。変えたいな。良いコーナー名を募集中です。

今日紹介するのは、マカロニえんぴつの「メレンゲ」という曲です。

この曲は、「JR SKISKI」のキャンペーンソング(2020‐2021)としても起用されていました。まさに、冬の曲!季節外れですが許してください笑。タイトル、歌詞から言葉遊びが沢山あり、その真意が分かると、うわ〜っとなります。気になった方は、ぜひ聴いて、歌詞をじっくり読んでみてください。

私がこの曲を好きな理由は、ある歌詞が大好きだからです。

「また僕を好きになりたい 生まれ変わったりする以外で」

この「生まれ変わったりする以外で」の部分が私の心に刺さりました。時々自分のことが嫌になって、誰かを羨んでしまうこともあります。でも、やっぱり自分を好きでいたい。それも、生まれ変わる以外の方法で。情けない自分も、ダメなところもあるけど、それも含めて自分であり、そこも愛していこうよ。というメッセージが込められているようで、大好きなのです。

この曲は、恐らく失恋ソングなので、恋愛的意味を含んでいるのかもしれませんが、私は人生のお気に入りソングと言っても過言ではない、そんな一曲です。

今日は、何かに逆らっていきたい。そんな夏に、冬の曲を聴いてみませんか?(今井)

※写真は、マカロニえんぴつオフィシャルウェブサイトから
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言語化(今井)

おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。

みうのひとりごと

いつものように、ゆるゆると。中身はないと思うので、お時間がある方は、どうぞお付き合いください。

母がアメリカドラマにハマっています。『This is us』というドラマです。私もおこぼれを一緒に観ています。このドラマ、驚きなのが、1シーズンが20話近くあって、シーズン6まであるんです。

そんなことはさておき、アメリカのドラマの好きなところは、アメリカーンという雰囲気。伝わるかな?伝われー笑

日本人にはない図々しさが、笑えてくる。ワーオ。

私が思う、日本のドラマと違うなと感じるところは、セリフで表現される部分が多いということ。

日本のドラマは表情だったり、行動だったり、天気だったり、言葉以外の描写で気持ちが表現されることも多い。それに比べて、このドラマでは、登場人物が気持ちを言葉で表すシーンが多い気がする。日本のドラマとアメリカのドラマを真剣に比較したわけではないから、このドラマの特徴というだけかもしれないけど。

面接を受けるにあたって、自分の思いを沢山言語化してきました。なんとなく思っているつもりでも、いざ言語化しようとすると上手くできなかったりします。言語化してみて、いや、これは自分の思いと違うなという時もありました。

言語化を重ねていくうちに、自分の思いが明確になってくるのです。ちょっと不思議。逆も言えます。自分の明確な思いがあるから、言葉にできる。思ってないことを言葉にするのって逆に難しい。

私は、言葉が好きです。言葉は人の心を動かす力があるから。

p.s.これは、私のワンコイン貯金箱。500円、50円、5円が財布に入っていたら入れると決めて、いざという時のために貯めていました。教採期間で収入が途絶え、いざが来たようです笑(今井)

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共通言語『笑顔』(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。今回は、幼少期、父から教わったお話を綴りたいと思います。

 私の父は、大学時代イギリスへ留学したそうです。小さい頃そのお話を聞いた時、私が口に出した言葉は、「え?パパ英語話せないじゃん!」でした(笑) なんとも、失礼な娘ですが、、、(父の名誉のために、お伝えしておくと、父は人並み以上には英語ができる人です。子どもの頃の私はなんと失礼な、、、)
 父は大笑いして「そう、だから気付いたことがあるんだ。笑顔だけはイギリスでも伝わった。笑顔は、共通言語なんだよ。国を越えるんだ。だから、笑顔でいることは大事なんだよ。」と。

 つい最近、このことを思い出しました。なぜだか、理由は分かりません。面接練習でずっと「笑顔」について考えていたからかもしれません。本当にふっと思い出したのです。

 きっとこのお話を父は何度もはしていないと思います。幼い頃に、たった数回程度だったはずです。不思議なことに、人は大切な時期に大切なことを思い出すように設計されているのかもしれません。

 「笑顔の発信源でありたい」
 これは、私がずっとお話していることです。きっと父のDNAが私に、確かに受け継がれていたのでしょうか。父が「共通言語『笑顔』」と核心を持ったように、私もまた「笑顔の発信源でありたい」と確固たる核心を得ました。

 笑顔は、国をも越えます。父がそう教えてくれていました。私の笑顔につられるように、子どもたちが笑顔になれるように。そんな魔法を私は子どもたちにかけたいのです。だから、私は、「笑顔の発信源」になりたい。

 幼い頃、父がそっと伝えてくれた教えは確かに私の人生に心に在りました。もし教職を目指していなかったら、思い出さなかったのかもしれません。教師は、「笑顔」という共通言語を持って、人を育てる職業なのだと思います。

 父の教えである 共通言語『笑顔』
 私が志す 『笑顔の発信源』
 
 その夢は、まだまだこれからです。私はやっとやっと始まりへの挑戦を今しているところ。父には、まだまだ敵いませんが(笑) 私は私の世界で、「笑顔」を大切に、いつか父にこのお話をしたいと思っています。

(下野)

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ありがとう (下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。4月に半年も待って届いた新しい車がとっても大切な相棒となりつつある、8月。月日が経つのはあっという間だなと感じます。

 そんな私の経験。これまで沢山の経験を積みました。それは日常の些細なことであったり、本から得た知識であったりそれはもう様々です。

 私は、「人にモヤモヤを伝えること」が極端に苦手です。言わない方がいいなと思ったり、これを伝えて関係性が壊れてしまったらどうしようと思うから。

 小学生の時も、中学生の時も、高校生も、勿論大学生になってからも20歳を超えるまでは、「あ、それ良くないんじゃないかな?」と思っても私がやればいいや、私が我慢すればいいやと口を固く閉ざして生きてきました。

 アルバイトを初めて2年目。ちょうど20歳の誕生日を迎えた4月に、先輩方が全員卒業されました。私たちの直属の先輩はいなくなり、私たちだけでお店を守らなければならない状況です。不安でいっぱいでした。いかに先輩方に甘えていたのかを身に染みて痛感します。

 6月頃までは、お店はぐちゃぐちゃ。お客様からお叱りを受ける等々、それはもう悲惨な状況で、トレーニングも上手くすることができず、後輩達との関係も最悪でした。

 ある日、卒業された先輩がお店に遊びに来てくれました。悲惨な状況を見て大笑いし、「あやみちゃん我慢してるでしょ?(笑) いいんだよ、言って。貴方がトップなんだから。自信持って。あやみちゃんにならみんなちゃんとついてくる。それが、上のする役目だよ。」と。
 見抜かれていました(笑) 私は、後輩達が出来ないことは自分がカバーすれば良いとずっと1人で動き回って空回っていただけなのだと気付きます。

 そこから、私は変わりました。まずは、全てに感謝することから。「○○してくれてありがと。助かったよ。」「今日もお疲れ様。ありがとう。」といったように、1人でありがとうキャンペーンを開いたのです。
 そして、同期にも、後輩にも仕事の伝え方を変えました。仕事ひとつひとつの意義を伝えながら、「こうすると効率がよくなるよ」であったり、「この仕事をしておくと、次の人がとっても助かるよ」だったり、、、。
 さらには、みんなの良いところを共有するようにしました。「○○さんがこの仕事をしてくれたから、みんなが仕事をしやすくなりました。とっても素敵なことだなって私は思います。」というような文面を私が働いた日には投稿していました。

 こんなことを続けていくうちに、それはもう変わる変わる。目まぐるしく、とっても優しいお店に大変身しました。岐阜という片田舎で季節のおすすめドリンク売上全国一位を叩き出したり、お客様からのお褒めの言葉が社報に何度も載ったり。

 私一人だけの力ではありません。ありがとうキャンペーンは、みんなに伝播し、キャストみんなが「ありがとう」を伝え合う関係になりました。仕事の意義をひとりひとりがしっかりと理解し、新たに入ったキャストにはそれを伝える風習が私たちの店には出来ました。お互いの良いところをありがとうを添えて伝え合う関係もまた、伝統となりました。

 最近気付いたことがあります。これってプレ学級経営だったのかなと。学級経営において、私が大切にしていきたいことをアルバイトで実践していたのだと思います。
 
 面接練習で「貴方が学級経営で大切にしたいことは何ですか?」と問われれば、アルバイト先のみんなの顔を思い浮かべます。「ありがとうを伝えられる学級」。これが根幹だと私は思っています。

 「ありがとう」は、人を繋げる と私は位置づけています。当たり前のように側にいてくれる人、いつも心の支えになってくれる人、価値観が合わない人、絶対に許せない!と思う人にも「ありがとう」を伝えられたら、それはそれは素晴らしいのだと思います。「ありがとう」を伝えられる人に子どもたちにはなって欲しいのです。そして、私もまた子どもたちに「今日も生きていてくれてありがとう」と。そう言葉で伝えたいと思っています。

 アルバイトから学んだことのひとつを、今回は綴りました。長くなってしまいましたが、ご高覧頂いた皆様ありがとうございました。どうしても、綴っておきたい経験だったのです。

(下野)

聴す(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。ここ数日、ずっとセーブをかけていたアルバイトを解禁しました。面接練習と兼ね合いを取りながら、今は思う存分いつものお得意技「笑顔の発信源」として、楽しく働いています。

 カフェでのアルバイトももう5年目。それはもう沢山の後輩がいるわけなのですが、卒業を控えたこの半年は特に後輩育成に力が入ります。それは、私が居なくなってもお店を守って、それに加えもっともっとより良くして欲しいから。

 夏休みのこの時期、アルバイトの応募は沢山きます。先日、新人の女の子が入りました。トレーニングをする中で、「迷惑をかけてしまうかもしれないけど、よろしくお願いします!」と言われました。

 迷惑か、と私は思います。そう言えば私も新人の頃、沢山先輩に迷惑かけただろうなと思いました。クレジットカード決済は連日間違えるわ、お客さんの目の前でお皿は割るわ、それはもう多大なるご迷惑をお掛けしていました。それでも、いつもいつも笑い飛ばして許して貰っていました。たまに、怒られて落ち込んでいたけれど、次の日には「よっしゃ!頑張るよ!」と言ってくださる先輩ばかりに囲まれて育ってきた私。

 そんな私の返答は「迷惑は、かけていいんだよ。だから、その分これから後輩が出来た時にそれをカバーしてあげられるキャストになってね。」でした。これが私が先輩から背中で教えて頂いたことだと思うから。

 新人の子の顔がパッと明るくなりました。どうしても、5年目の先輩は怖そうに見えるんだと思います(笑) 肩の力がスっと抜けてくればいいなと思って掛けた言葉。

 人って誰かに迷惑をかけて生きているのです。迷惑をかけることが当たり前だとも言えるのではないでしょうか。だから、「聴す(ゆるす)」。聴くの字をとって、「聴す」は「ゆるす」と読むそうです。みんながみんなに助けられて支えられて生きている。だからこそ、人の心や声に耳を傾け聴くことで、「聴し合える」そんな関係が築き上げられたら素敵だと私は思います。

 アルバイトでは、沢山のことを学びました。そして、残りあと半年。後輩育成に力を入れながらも、私が教師として生きていく上で大切なことをまた一から学んで宝物にしたいと思っています。

(下野)

楽しみ?教員になりたくてたまらないでしょ(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。教員採用試験の一次試験の結果待ちの今、私たちは面接練習に励んでいます。

 愛知県の教員採用試験の一次試験は、筆記試験のみ。来る日も来る日も問題集を解きこみ、もう後輩に渡せないほどにボロボロになってしまいました(笑) そんな日々を抜けて、来たる二次試験の面接試験の為に、入念に面接練習を重ね、自分自身と沢山向き合う時間を過ごすなか。

 ある日の面接練習が終わった直後、タイトル通り
 「楽しみ?教員になりたくてたまらないでしょ。」とある先生からこのお言葉を頂きました。

 私は、面接が好きです。自分の想いをやっと伝えられます。なぜ教員になりたかったのか、私にとっては命からがら辿り着いた道でした。

 「教員になりたくてたまらないでしょ。」この言葉は、とっても嬉しかったです。「そうです、なりたくてたまらないんです!それはもう早く!」と意気込んで返事をしました。

 練習ではあるけれど、想いが伝わったのだと思いました。そして、私自身「教員になりたくてたまらないんだ」と改めて自覚し、自信を持つことが出来ました。

 本番まであと少し。この時期の教育学部の4年生のほとんどが皆「あと少し」と口ずさんでいるように思います。本当にあと少しで終わってしまいます。だからこそ、悔いのない自分らしい「準備」と「教員になりたくてたまらない」という想いを胸に、もうひと踏ん張りです。

(下野)
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過去の自分から学ぶこと(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。玉置ゼミに加入して、はや1年半が過ぎようとしています。もうそんなに?と思う程、早く感じるのは玉置ゼミでの学びが濃密で深いものだからだと思います。

 玉置先生の元で学べると決まってから、私は沢山記事を書きました。議事録も沢山書かせていただきました。

 教員採用試験は、自分が自分に真っ直ぐ向き合うべく試験です。私は、時折自分が書いてきた記事を読み返します。すると、「ああ、こんなものを書いたな」「この時はこういう気持ちだったな」とよみがえってきます。ありがたいことに、過去の私は、記事のおしまいを必ずこういう教師になりたいとか、こう子どもと向き合いたいと綴ってくれていました。

 過去の私から学ぶことがあります。面白いことです。あまりにも「なりたい教師」や「ありたい子どもへの向き合い方」が多すぎて、いつだって私は夢を追いかけているんだなと自分で自分に関心してしまうほど。

 もうその夢へのスタートラインに立つ挑戦は、始まりました。あともう少し。過去の自分から学んだ私の夢を願いを今の私が叶えるんだと気持ちを持って。(下野)
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