最新更新日:2024/04/26
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4月30日まで家庭訪問期間です。よろしくお願いいたします。

3月16日 第142回卒業証書授与式・ありがとうございました

本日、第142回卒業証書授与式を無事に終えることができました。67名の卒業生が、凜々しくたくましく卒業しました。ご臨席頂きましたご来賓の皆様、保護者の皆様、ありがとうございました。
本日の式辞を掲載させて頂きます。


 式辞

 暖かな春の陽気に、桜のつぼみもふくらみ始めた今日の佳き日、天美小学校を巣立つ六十七名の皆さん、卒業おめでとうございます。
 そして、子どもたちの大きく育った姿に、感慨もひとしおの保護者・ご家族の皆様、おめでとうございます。

 また、公私ご多用中にもかかわりませず、晴れの卒業の日を迎えた子ども達のために、ご臨席を賜りました、松原市教育委員会の政田照子(しょうこ)様を始め、議員各位の皆様、また、地域・PTAの役員の皆様、誠にありがとうございます。皆様のご臨席を得て、平成29年度卒業証書授与式を挙行できますことを、心よりお礼申し上げます。

 さて、天美小学校を巣立つ卒業生の皆さん、今、皆さんの心には、天美小学校で過ごした歳月(としつき)が、昨日のことのように、よみがえっていると思います。

 皆さんとは、2年間のお付き合いでしたが、皆さんとは忘れられない熱い思い出があります。2年前、校長先生が天美小学校にきた時、7年ぶりの学校での勤務、しばらく戸惑うことばかりでした。ちょうどその頃、松原市の連合運動会がありました。
 皆さんも、一生懸命練習し、本番でも、たくさんの種目で良い成績を残しました。一種目ずつ、友達が出る種目への応援の熱も上がり、最後の成績発表では、優勝か?準優勝か?との期待が大きく膨らみましたね。
 結果、僅差の3位でしたが、当時の5年生のみんなと、応援にきてくれたお母さんやお父さんたちとも一体になれて、とても盛り上がったことを、昨日のことのように思い出されます。

 そんな、皆さんに、三つの言葉を贈りたいと思います。

 一つ目の言葉は、「人をリスペクトする」という言葉です。この言葉は、先日、ピョンチャンオリンピック女子500mで金メダルを取った小平選手が、銀メダルを取った韓国のイ・サンファ選手にかけた言葉です。
 校長先生が感動したシーンは、二つあります。一つは、小平選手が走った後に見せた、真のスポーツマンシップです。
 世界記録保持者でもある地元韓国のイ・サンファ選手の一つ前に、小平選手は走りました。そして、出した記録が、36秒94のオリンピック新記録。会場に詰めかけた応援団も、金メダルへの期待で大興奮でした。テレビで観ていた私も、小平選手の金メダルの期待にとても興奮しました。
 しかし、小平選手は違っていました。次のレースを控える、最大のライバル、世界記録保持者でバンクーバー・ソチとオリンピック2連覇、地元韓国のスター、イ・サンファ選手が走りに集中できるように、口を真一文字にして、人差し指を立てて、会場に静寂を求めました。興奮する応援団を鎮めたのでした。
 おそらく、会場の誰よりも、自分自身の金メダルへの期待に、心が抑えられず、喜びを爆発させても不思議ではないあの場面で、小平選手は、親友でもある最大のライバルの走りを、静かに見守りました。この小平選手のスポーツマンシップに感動しました。
 もう一つ感動したシーンが、イ・サンファ選手のレースが終わった後のシーンです。イ・サンファ選手は、0秒39及ばず銀メダル。地元の大きな期待、オリンピック3連覇が途絶えました。その時、泣き崩れるイ・サンファ選手に寄り添い、かけた言葉が「私は、サンファを、今も、リスペクトしているよ。」との言葉でした。
 小平選手は、誰よりも、イ・サンファ選手が抱えていた地元の大きな期待、プレッシャーの中で走ることを知っていました。小平選手は、(自分の走りに集中し良い記録を出したけど、イ・サンファ選手が上回ったらしょうがない)そんな清い心でイ・サンファ選手のレースを観ていたそうです。
 皆さんも、韓国旗を持ったイ・サンファ選手に寄り添い、日の丸を背負った小平選手と2人でリンクをゆっくりと走っているシーンは何度もニュースで観たことと思います。
 そして、イ・サンファ選手も小平選手に「良い記録を出したね」と祝福すると、小平選手も「あなたに学ぶ点が多かった」と答え、互いに健闘を称え合ったそうです。
 この小平選手が見せたスポーツマンシップとイ・サンファ選手と小平選手の友情、「互いにリスペクトする姿」が、世界中から賞賛を受けました。イ・サンファ選手の地元韓国でも大きな反響を呼びました。
 スピードスケートでは、ストライドの大きい欧米の選手が有利だと言われています。今回、金メダル・銀メダルを取った、小平選手、イ・サンファ選手は、その中で最も小柄な選手です。その2人が、世界記録を持ちオリンピック新記録を出したのです。2人は、不利な体格差をはねのける、相当厳しい練習、誰にも負けないコーナーワークを磨いてきたのでしょう。誰よりも自分を追い込み、厳しい練習に耐え、スケーティングを磨いた2人だからこそ、互いにリスペクトし、相手が最高の力を発揮することさえも願うことができるのだと思います。本当に、素晴らしい友情と絆に涙しました。
 皆さんも、これから様々な人と出会うと思います。その時、小平選手、イ・サンファ選手が、互いにリスペクトし、共に高め合い成長してきた関係は、大いに参考にしてほしいと思います。

 二つ目の言葉は、「人に負けても、自分に負けない」ということです。
 これは、君たちがヒロシマ修学旅行の事前学習で学んだ、被爆者佐伯敏子さんの言葉です。佐伯さんは8月6日、子どもを疎開させていた、爆心地から10kmほど離れた親戚の家にいました。原爆によるものすごい熱と爆風と轟音に、家族の安否が心配になり、母や兄がいるヒロシマ市内、爆心地近くにすぐに入りました。被害に遭った家族や親族たちを捜して、まだ火の海となっている市内の爆心地を駆け回ったそうです。家族を探すため、助けを求める人を振り切り、道を埋め尽くす多くの死者たちの遺体を踏みつけて歩くしかなかったそうです。
 それは佐伯さんの大きな後悔の念となりました。そんな思いもあり、引き取り手のない遺骨が置かれた原爆供養塔の清掃や名簿をもとに遺族捜しを始めたのでした。毎日片道1時間のバスに乗り、供養塔の清掃、名簿の整理、遺族捜し、さらには、広島の様々な学校に、原爆をヒロシマを風化させまいと、資料を送り続けました。心ない人には様々な中傷を受けながらも、家族にも反対されながらも、やり続けたのです。
 ちょうど、20年あまり続けた時、親族で遺骨が不明だった叔母の遺骨が戻りました。佐伯さんは、その時、我が子に「これでお母さんも、原爆のことはやめ、家のことをするから」と言ったそうです。
 その時、子どもさんから「母さんが原爆反対、ヒロシマを風化させたらいかん、言うてたのは、自分のためだけだったのか、母さんのしてることは、正しいことなんじゃから、僕も家のこととか協力するから、やめちゃいけん!」と、叱責されたそうです。佐伯さん自身も、本心はやめたくない、やめてはいけないと思っていたので、嬉しくて子どもの叱責に涙を流したと言います。そこから、佐伯さんの活動は、広がりました。
 佐伯さんの訴えが、東京の中学校に広がり、大阪ではこの松原市内の小学校とつながり、そして全国からヒロシマ修学旅行にたくさんの学校が来る様になったのです。
 その佐伯敏子さんが、いつも聞き取りの最後に、言っていたのが「人に負けてもいいから、自分に負けない人になって下さい」という言葉でした。
 人と比べたり、相手が強いとか弱いとか、そんな人間の薄っぺらな表面を見て決めるんじゃなしに、本当に大切なこと、自分が納得できること、自分の良心と信念に従って、真の優しさ本物の強さを持った、自分に厳しい自分に正直な生き方をして下さいというメッセージだと思います。
 その佐伯さんが、昨年十月三日、97歳で亡くなられました。
 ひとりひとりの人間が、「人に負けても、自分に負けない人」になれば、きっと、互いに人を大切にする、平和な人間らしい社会がやってくると思います。しんどい時、あきらめかけた時こそ、佐伯さんの、この言葉を思い出してください。佐伯さんの言葉と思いを、語り伝える人になってください。

 最後に贈りたい言葉は、サン・テクジュペリの『星の王子さま』という絵本に出てくる、「本当に大切なことは、目には見えない」という言葉です。
 校長先生は、小さい頃、わがままな子どもでした。例えば、友だちが自転車を買ってもらった話を聞くと、決まって母親にせがみました。「母ちゃん、自転車こうて!」すると、母も「何で?」と聞いてきました。「だって、みんな自転車持ってるもん」そして、母は、たたみかけて「みんなって、誰?」と突っ込んできました。「えっと、○○くんとと△△くんと□□くんと…」と、口ごもってふくれっ面をするしかありませんでした。そんな私に、母は容赦なく、次の言葉でいつも迫ってきました。「学校で必要なもんなら借金してでも買ってあげるけど、家(うち)には、今、そんなもの買う余裕はない。そんなことでふくれるんやったら、○○くんでも△△さんでも、□□さんでもいいから、その家の子になっておいで!」私の完敗で、いつも終わりました。
 そして、半年が過ぎて、1年が過ぎて、買ってもらえることもありました。その時の喜びは、大きかった。
 自転車も、忘れた頃に、「3つ上のお姉ちゃんと、一緒に使いなさい」ということで24インチの自転車を買ってもらいました。1年生の私には、大きすぎましたが、とてもうれしくて、日曜日ごとに古着で自転車を磨きました。
 当時の校長先生は、人が持っている物にばかり目がいき、何でも買ってくれるお母さんやお父さんがいいなと思っていました。自転車・おもちゃ・小遣い、目に見える物ばかりをほしがっていました。
 そんな私が、どういうことか、教員をめざして大学で勉強することになりまた。教育史の講義で、今から250年以上も前に書かれたルソーの『エミール』という本に出会いました。その本にこんな一節がありました。「…子どもをだめにしようと思ったら、子どもが欲しいものを、欲しい時に、欲しいだけ与えればよい…」確か、こんな事が書かれてありました。
 その時、小さい頃から繰り返し言われた、母の言葉を思い出しました。
 私の母は、大正十三年生まれ、4才で父親を亡くした貧しい農家の出身で、尋常小学校しか出ていません。父親代わりの兄は、戦争で亡くなりました。だから、母は父親の記憶が一切ありません。父代わりの兄の話をする時は、いつも本当に悲しそうでした。母の人生は、私が体験した苦労とは、比べることができない苦労だったと思います。大学どころか、小学校しか出ていません。そんな母が、どこで『エミール』を勉強したのでしょうか?きっと、母は、一生懸命生きる中で、必死になって子育てする中で、本当に大切なもの、大事なことをつかんできたのだと思います。
 先日、保健室の先生から、小学校6年間の伸びた身長と、同じ長さの青いリボンでくくった健康の記録をもらいましたね。君たちは、青いリボンで分かる6年間の成長に、改めてビックリしたと思います。 しかし、その成長の裏には、君たちの知らないところで、見えないところで、君たちの成長に、気をもんだり心配したりしたお母さんやお父さんの姿があったと思います。雨の日も寒い日も、うだるような暑さの中でも、我が子の成長のため、汗を流し働いてくれたお父さんやお母さんの働く姿があったと思います。
 目に見える物やお金に心を奪われるのではなく、苦労や努力を重ね、心の目で物事や人の思いを考え、感じることのできる人になって下さい。

 先日、給食の時間、クラス毎に、校長先生の10分授業をさせてもらいましたね。校長先生のプレゼンに、遠慮なく突っ込みを入れてくれる、君たちとの時間は、とても楽しい時間でした。
 正直に言うと、卒業する皆さんへの祝福の気持ちと、巣立ってゆくことの寂しさと、両方の気持ちがあります。6年生の担任の先生は、なおさらでしょう。皆さんを永らく見てきた、天美小学校の先生も後輩も、そんな思いでいっぱいだと思います。名残は尽きません。

 卒業する皆さん、
 「人をリスペクトする」
 「人に負けても、自分に負けない」
 「本当に大切なことは、目には見えない」
 この言葉を、人生の新しいステージを歩む君たちへの、はなむけとして贈ります。そして、私自身の戒めとして、約束したいと思います。

 最後になりましたが、本日ご臨席いただきました保護者・ご家族の皆様に心よりお祝いを申し上げます。
 この6年間、様々な事があったことと思います。時には、悩んでいる姿にいつもと違う様子に、ご心配をおかけしたこともあったと思います。しかし、そんなことも、人生という長い階段の踊り場であったり、人間として成長するための節目であったのではないでしょうか?
 これから、天美小学校の職員一同は、少し離れたところから、卒業生を見守っていきたいと思います。

 それでは、卒業生の皆さん、天美小学校の卒業生として誇りを持って、未来に向かって新たな一歩を踏み出してください。みなさんの大いなる活躍を期待します。

 最後に、ご来賓の皆様、保護者の皆様に、心より感謝とお礼を申し上げ、式辞といたします。

平成三十年三月十六日
松原市立天美小学校長
橋本 巧一     


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